33話 感謝を拾うということ
夕方の鐘が鳴る前には、九人全員に解毒薬が投与された。
あの後、お昼を過ぎた頃にエリシア達は砦へ帰って来た。
セリオンは裏口で魔導車が見えてくるやいなや、全力で走り寄って出迎えた。
「アラン!」
普段の穏やかさはなりを顰め、アランが差し出した花と蜘蛛の入った容器を受け取ると、セリオンはしばらくそれを見つめたまま黙り込んだ。
「……嘘だろう」
ようやく出た声は、妙に静かだった。
“ミルフィオラ”も、“ミルスピア”も知っている。
知っていたからこそ、セリオンの顔からすっと表情が消えた。
「士長」
「うん。大丈夫。すぐ分析するからね」
それだけ言うと、セリオンは容器を抱えて研究室へ走った。
それからのセリオンに声を掛けられたのは、結局アランくらいだった。
それから程なくして、セリオンは花粉を纏った蜘蛛の体毛と汗が触れた時の反応を再現した。
生じた毒性成分を突き止めると、そのまま休む間もなく解毒薬の調合に取りかかった。
そして――
獣化妄想に襲われていた患者達は、薬を投与されると、長い悪夢から抜け出したように穏やかな眠りについた。
医療士達もようやく胸を撫で下ろしたものの、誰もすぐに休もうとはしなかった。
長い夜は、まだ終わっていなかった。
セリオンは病室で眠る騎士達を、一人一人看病していた。
濡らした布を絞り、額を拭く。
傷の状態を確認して、必要があれば包帯を巻き直す。
「……痛かったろう。ごめんね」
何度目かも分からない謝罪が、ぽつりと零れた。
首筋や腕、足には掻きむしった痕が残っている。
体のあちこちには青痣が浮かび、無理な力が加わったせいで爪が剥がれかけている者もいた。
解毒薬は投与したものの、体内から毒が十分に抜けるまでは、本格的な治療には手を出せない。
実際、最初の患者に治癒魔法を使った時は、全身に強い痛みが走ったらしく、激しく暴れた。
それ以来、拘束魔法と最低限の回復薬で何とか凌いでいた。
セリオンは濡らした布を絞りながら、もう何度目か分からない考えを繰り返した。
どうしてこの答えに辿り着けなかったのか。どうしようもない憤りがセリオンの心を占めていた。
「……士長」
突然声を掛けられ、セリオンはびくりと肩を跳ねさせた。
ベッドを見ると、一人の騎士が薄く目を開けていた。そっと近寄ると静かに声を掛けた。
「起きたのかい? 気分は? 吐き気はない? 手足は動かせる?」
「え、あ……はい。多分……」
騎士はセリオンの目の前で手足を動かしてみせた。セリオンの顔に安堵の色が広がった。
「頭痛は? 目眩は?」
「士長、近いです」
「あ」
気付けば、セリオンは騎士の顔を覗き込むように身を乗り出していた。
慌てて体を引くと、恥ずかしそうに「ご、ごめんね」と、謝った。
「いや、いいですけど……」
騎士はまだぼんやりとした顔で瞬きをした。
話し声に反応したのか、近くのベッドからも小さな呻き声が上がる。
「……うるさ……」
「お前も起きたか?」
「頭いてぇ……」
「動かないで。今診るからね」
一人、また一人と目を覚まし始め、病室は少しずつ人の気配を取り戻していった。
全員の状態を確認したあと、セリオンは改めて事の次第を説明した。
原因となった花と蜘蛛。
なぜ見落としたのか。
そして、解毒薬が遅れたこと。
話し終えると、セリオンは深く頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした」
外の木々のざわめきが窓越しに聞こえそうな程、しん、と静まり返る病室。
セリオンは責められることを覚悟して、強く目を閉じた。
次の瞬間。
「……士長、それ何回目です?」
「え?」
セリオンは、なんのことかと頭を上げると、騎士達の様子に驚いた。
どの騎士も困ったように笑っている。
「さっき目ぇ覚ました時も言ってましたよね」
「え、いや、あれは……」
「俺にも言ってました」
「俺も」
「俺なんか二回聞いたぞ」
あちこちのベッドから声が上がり、セリオンは目を瞬かせた。
「……そんなに言った?」
「言ってます」
きっぱり返され、セリオンは口を閉じた。
騎士達はそれぞれ、自分の意思とは無関係に体が動き、その様子を遠くから眺めているような、不思議な感覚だったと話した。
エリシアに腕を掴まれた騎士は、彼女と、助けようとした医療士を振り飛ばしたことをずっと気にしていた。
「あんなこと、するつもりなかったんです。本当に。止めたかったんですけど、全然言うこと聞かなくて」
「俺もです。拘束魔法かけられてる時、申し訳なくて。みんな怖かっただろうなって」
騎士なのに……と、申し訳なさそうにする彼らに、セリオンは胸が締め付けられるようだった。
誰もが少なからず傷つき、誰もが誰かに申し訳ないと思っている。
それでも、セリオンや医療士達を責める者はいなかった。
「ミスを責めるより、感謝を拾える騎士になれって、団長から言われてるんですよ」
一人の騎士が、にっと笑った。
「良いこと言うでしょう? うちの団長」
セリオンは顔を上げた。
「俺、自分でも思いましたもん。獣かよ! って」
「ちょっと、笑えないよ」
「いやいや、笑って下さいよ。あんな暴れ方してたんでしょ?」
別の騎士も笑う。
「拘束魔法は妥当です。俺も誰か怪我させたくなかったし。それに、みんな怖かったはずなのに優しかったんですよ」
「俺たちが寝てないからって、医療士のみんなも寝てないの知ってます」
「だから、謝られるより、ありがとうって言わせて下さいよ」
セリオンは口を開いた。
けれど、声が出なかった。
代わりに、涙が一粒落ちた。
「あっ」
「士長!?」
「え、泣かせた!?」
「お前が変なこと言うから!」
「俺!?」
途端に病室がざわつき始める。
「ごめんね。違う、違うんだよ……」
セリオンは目元を押さえながら、少し笑った。
「本当に……ありがとう」
すると今度は、騎士達の方が照れたように黙り込んだ。
その空気に耐えきれなくなったのか、一人が慌てたように口を開いた。
「ほら、俺たちだって普段どれだけミスしてるか分かんないですし!」
な!? と、周りの騎士達を見回すと、みんな大きく頷き合った。
「そうそう!」
「俺なんか、この前相棒のマント間違えて切りましたからね!」
「……は?」
病室の奥から、低い声がして、発言した騎士の顔が固まった。
「あ」
「お前……あの時、魔獣に切られたって言ったよな?」
「えーっと……?」
「危なかったなって言ったよな!」
「あの、その……結果的には似たようなものというか」
「全然違うわ!!」
そう言うと、やられた方の騎士がベッドを降りて、切った方の騎士のベッドへ飛び乗った。
そして眉間を両拳でぐりぐりと痛め付けた。
「いだだだ! おれ患者! 今患者だから!」
「知らん!」
「こらこら、君たち! だめだよ、まだ安静にして!」
セリオンが慌てて止めに入る。
横のベッドにいた騎士が、笑いを堪えながら上半身を起こそうとしたので、セリオンは今度はこちらを支え、背中に枕を挟んだ。
「……面白いでしょ?」
騎士が小声で言った。
「良いんですよ、笑って。むしろ笑ってほしいです」
セリオンのわずかな戸惑いに気づいた騎士は、そっとセリオンに耳打ちした。
「あれ、わざとですから」
「え?」
目を丸くして驚くセリオン。
とてもそんな風には見えない彼らに、かなり驚いた。
「先週も全く同じことでケンカしてました」
「え……えー? 本当に?」
向かいのベッドでは相変わらず、
「謝れ!」
「今!? 今ここで!?」
と、二人が騒いでいる。
セリオンの頬が、ゆっくりと緩んだ。
そして、こんな騎士達を育てた大きな友人の笑顔が頭に浮かんだ。
「……まったく」
とうとう、セリオンは声を上げて笑った。
***
士長室の扉を開けると、アランがソファに座っていた。
扉に背を向けているので、顔は見えない。
「お疲れ様でしたー。食事、一緒に食べようと思って持って来たんですよ。気が利くでしょ?」
「……ふふ、ありがとう。温めて食べようか」
「足音が聞こえた時点で温めてますよ。俺、できる子でしょ」
腕を背もたれに回し、くるりと振り返ったアランは、いつもより顔色が悪かった。
それでも、口元にはいつもの生意気そうな笑みがある。
セリオンはそれを見て、ようやく安心したかのように、大きなため息を吐いた。
そして、部屋に声を遮断する結界を張ると、アランがおや、といったふうに眉を上げた。
セリオンは、すうっと大きく息を吸い込んだ。
「あーーーー!! もーーーー!!!」
士長室に、セリオンの絶叫が響いた。
「何のための勉強だったんだ! 全部知ってたのに!」
言い切って、ふーっと長い息を吐く。
「もうお終いですか?」
アランがにやにやと笑っていた。
「……終わりだよ」
「あら、意外と短い」
「あ〜……エリシアには見せられないな」
腰に手を当ててセリオンは再度大きなため息を吐いた。
「案外喜ぶんじゃないですか? 人間臭くて」
「……私は元々人間だよ」
セリオンは結界を解くと、アランの向かいにゆっくりと腰掛けた。
「さ、食べましょうよ。どれだけ待ったと思ってるんですか」
「ごめん、ごめん」
「暇すぎて今回の報告書、全部終わっちゃいましたよ」
「……は?」
セリオンはスプーンを持とうとした手を止めて、アランを見た。
アランは何事もないように、美味しそうにシチューを飲んだ。
「士長の分も」
「は!?」
「ついでに辺境伯と各士団にも送っときました」
「ちょっと待って」
腰を浮かし掛けたセリオンをアランは「まだ続きがあるんですよ」と、手で止める仕草をした。
「辺境伯から返事も来てます」
「仕事が早すぎるよ!」
アランは「ほら」と、得意げに手紙を掲げた。
セリオンの反応に満足したのか、アランはすぐに手紙をセリオンに渡した。
辺境伯の封蝋がされた手紙を、セリオンが読み上げた。
「……『今回の件は今後に活かせ。幸い領地に広がる前に収束した。砦内のことは砦内で処理しろ。お前に一任している。こちらからの処罰は考えていない』……え。処罰は無し?」
「だそうです。鳥が先に教えてくれました」
アランはまたシチューを頬張っている。
「このシチュー、最高」
セリオンは何とも言えない顔で、手紙とアランを交互に見た。
「続き、まだあるはずですよ」
「え?」
セリオンは手紙に視線を落とした。
見たところ、さっきの文で手紙は終わっているが――よく見れば、魔法が掛けられていることに気がついた。
手紙を二回、手のひらで擦ると、書かれていた文が消えて、新たな文字が一文字ずつ浮き出してきた。
「『お前は昔っから勉強ばっかりだったのに、見落とすなんてな。ばーか、ばーーか』……」
「あ、このメインも美味しい」
「…………あいつ」
アランはそっと、声を遮断する結界を張り直した。
そして何食わぬ顔でシチューを食べながら、再び始まったセリオンの愚痴を聞いた。
今回の処置は、辺境伯の温情なのだろう。
セリオンも分かっている。
そして辺境伯は、セリオンが素直にその温情を受け取らないことまで分かっていて、あえて最後に余計な一文を付けたのだ。
「……全く、仲良しなんだから」
アランは小さく笑った。
やがて食事を終え、アランは一人掛けのソファにゆったりと腰掛けていた。
窓の向こうには、少し赤みを帯びた丸い月が浮かんでいる。
アランはティーカップの湯気を月へ向かって、ふっと吹いた。
湯気は一瞬だけ銀色の光を帯び、月のかけらのようにきらきらと輝く。
それが紅茶の中へ落ちるのを待ってから、アランは満足そうに一口飲んだ。
口の中で光が小さく弾ける。
「もうすぐ夜が明けますねー」
向かいのソファから、小さな返事が返ってきた。
「……そうだね」
その声は、いつもの穏やかなセリオンに戻っていた。




