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砦のエリシア ―辺境砦で紡ぐ、医療士たちの日々―  作者: 灯影
第5章 未熟な一歩 

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32話 嗅覚の証明



 会議室には、アランとエリシア、それから怪我を心配して付いてきたセドリスとアミルがいた。

 セリオンは、エリシアに付き添っていた分の仕事をアランに詰められ、ここにはいない。

 エリシアの目が覚めるまでという約束をしていたらしく、早々に部屋へと連れ戻されていた。



「甘い香り?」

 

 アランがへぇ、と少しだけ眉を上げた。


「はい。私が朝、転移した場所で嗅いだ匂いと、同じ匂いがあの騎士からしました」


 頭の傷を治してもらったエリシアは、その足でユーリスの元へ向かい、謝った。

 ユーリス自身は怒っていなかったが、医療士としてきちんとお叱りを受けた。

 みんなちゃんと叱ってくれるので、エリシアはまた前を向けるのだ。

 

 そして、アランに説明を求められ、今朝の香りの話になったのだ。


「私はこの一帯に咲く草花の香りは、大体知っています。でもあの匂いは初めてで……それが気になって覚えてました」

 

 アランはそこまで聞くと、少し考えるように「ふむふむ」と、大袈裟に振る舞った。


「少し待っててくれる?」


 アランはそう言って出ていくと、ほどなくして戻ってきた。


 手には四つの小瓶。

 それぞれが栓を開けた状態で机の上に、コト、コト、と置かれていった。


「エルシー、この四つ嗅いでみてくれる?」

「はい」


 エリシアは、瓶の上を手で仰ぐようにして嗅いでいく。

 

 まず左端のものを嗅いだ。


(……んー? これ、何か混ぜてるなぁ。また、絶妙にもー)

 

 アランの意図に気付き、エリシアは若干げんなりした。

 チラリと視線をアランにやれば、ニコニコよりも、にやにやに近い笑い方をしている。


 二つ目を嗅いでみる。


(……なるほど。ベースは変わらないのね。この口の奥に残る感じは、骨継ぎ薬っぽいなぁ)


 三つ目。


(やっぱりベースは変わってない。なら混ぜられてるものを正確に当てろって事ね……ツンと鼻にくるのは鎮炎薬)


 四つ目。

 もはや慣れた手つきで匂いを嗅いだエリシアは、ここで少し止まった。

 チラ、とまたアランを見ると、同じ笑顔で見返してくる。


(もー、何か意地悪だなぁ! 何も入れてないって事は、アランさんに限って絶対ない……え、あり得そう……待ってここは冷静になって)


 他のものより時間をかけて、エリシアは四つ目を終えた。

 

(すごい精神的にくる……)


 アランが、楽しそうに答えを待っていた。


「で?」


(で? って、聞き方ある!?)


 少し腑に落ちないけれど、ここは素直に答えたエリシア。

 

「えっと……全部、同じ魔力補充薬をベースにしてる感じで、左から回復薬、骨継ぎ薬、鎮炎薬。そして抗幻覚薬が混ぜられています」


 セドリスとアミルが「え」と、目を丸くした。


(ね!? そういう反応なるよね〜、すごい不安になってきた)

 

 最後の抗幻覚薬は、透明でほとんど匂いがしない。

 調合していても本当に完成しているのか感覚では判別しづらく、初めのうちは専用の反応石に垂らして確認する薬だ。


「どのくらい入ってるかは、分かる?」


 エリシアの頬がひくついた。


(でた……正解か不正解かも言わないくせに、分量まで言わせるとか鬼畜!)


 にこにこと、ずっと表情を変えないアランを見て、セドリスとアミルは身内ながら「怖いなぁ……」と、思わず苦笑いを漏らした。


「もう一度確かめてもいいですか?」

「いいよー。ただし、今度もちゃんと手であおいで嗅いでね」


 エリシアは、さっきより少し長めに時間をかけた。

 一つ一つ香りを確かめて、その都度残り香を消す為に、自分の手の甲を嗅ぐ。

 

 四つ全て確かめたエリシアは、口に手を当てて少し考えていた。

 そしてエリシアは顔を上げ、アランを見た。


「調合用スプーンで左から、一匙、一匙半、一匙に……半匙、です」


 エリシアは、ここまで自分の嗅覚を試された事がなかったので、かなり緊張していた。

 正直もう一度と言われると、鼻がもう無理かもしれない。


「せいか〜い。よく出来ました」


 その瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、エリシアの肩から力が抜けた。


「これで君の話は信憑性が高いと判断できるよ」


 エリシアは大きく息を吐いた。

 

「エルシーの鼻が利くのはもうみんな知っているのでは?」

「うん、そうなんだけどねぇ。漠然としたものではなくて、きちんとどこまで嗅ぎ分けられるのかを上司としては把握しないとさ? 実地試験のようなものかな」

「実地試験……」


 エリシアは小さく呟き、今更ながらに、どっと汗が噴き出た。


「『得意だ』というだけじゃ駄目。信用を得るに足る実績を積み重ねて、周りを納得させないと」

「今回の試験が、分かりやすい簡易の実績ってとこですか?」

「まぁそうだね。こういう試験をすれば、理解度も分かってくるでしょ」


 アランとセドリスの会話は、エリシアの耳には入っていなかった。


 エリシアは机の上の四本の瓶を見つめた。


(証明は出来たのよね……? それなら……)

 

 そして、膝の上で握っていた手にグッと力を込める。

 自分の失敗で迷惑をかけたのは事実だ。


 でも、それでも――


(あそこに行かなきゃ……)

 

「アランさん。私、森に行きたいです」

「言うと思ったよ〜」


 頭の後ろで腕を組み、ギシッと椅子にもたれたアランは、難しい顔で続けた。


「正直さ、こっちとしても早く原因は突き止めたいのよ。でもねぇ、君が怪我してから士長がピリピリして面倒……ごほん。ということで、許可取りは難しいと思うよ」


 エリシアは、何も言えなくなってしまった。

 

 ――あの時の行動が、全ての足を引っ張っている。

 

 でも、だからといって諦められないと、エリシアは頭を下げた。


「……お願いします、アラン副士長。どうか、士長を説得する口添えをお願いできませんか? もちろん自分でも士長を説得するつもりではいるんですけど……副士長もいてくれたら、すっごく心強いというか……?」


 エリシアは、目線や仕草、全身から「お願い、アランさん!」というオーラを出しまくった。


 アランは堪えきれずに笑ってしまった。


「いや、『副士長』にお願いしてるけど、なーんか、『アランさん』に向けて全身でお願いしてるよねー?」


 エリシアは、ウッと、言葉に詰まった。

 

「その感じ昔のまんまで笑っちゃった。あの時は確か、砦が広すぎて歩けないからの『だっちょ!』だったよね。いやぁ、あの時は本当、可愛かった。鼻血出るかと思ったよー」


 エリシアは、さっきとはまた別の汗をかいていた。

 もう、アランの口を塞ぎたくて仕方がない。


「アランさん、もうその辺でやめて!」

「あの時みたいに『アランしゃん』て呼んでくれたら口添えするよ」

「なぁっ!?」


 エリシアは、真っ赤になってプルプル震えた。

 セドリスとアミルも、必死で聞いていないフリをしてくれているのだが、二人とも下を向いたり横を向いたりして、笑っているのがバレバレだった。

 二人とも肩どころか、全身が笑いを堪えすぎて震えている。


「ほら、いいの? もう部屋出ちゃうよ?」

「……」

「ほらほら、言ってほしいなぁ、あの頃みたいに。もう兄妹みたいなものでしょ。まぁお兄様でもいいけど?」

「…………バカ!!」


 エリシアは、渾身の力で叫んだ。

 アランはとうとうお腹を抱えて笑って、セドリスとアミルも声を出して笑った。

 そして満足いくまで笑ったアランは、エリシアに手を差し出した。

 

「今から士長室に行くからおいで」


 そう言ってエリシアをエスコートするかのように士長室へ連れて行き、渋るセリオン相手にあれこれ条件を積み重ね――最終的には、アランは見事に許可をもぎ取ったのだった。

 

 そして、喜びに弾けたエリシアは、昔のようにアランに抱きついてお礼を伝えた。


 アランは一瞬目を丸くしたあと、昔と変わらない笑顔でエリシアの頭を撫でた。

 

「ふふ……何だかんだ仲良しだよね〜」

「いや、かなりの仲良しだと思うぞ」


 アミルとセドリスの言葉にハッとしたエリシアは、真っ赤な顔でアランに背を向けたのだった。

 

 ***


 

 エリシアは士長室を出てすぐに、食堂へと向かった。

 見習い達の就業時間は、もう過ぎているのに、セドリスとアミルが待っていてくれているのだ。


「セドリス、アミル! ごめんねお待たせ」

「いや、大丈夫だ」

「セドリスに座学を教えてもらってたの」


 エリシアはそんな優しい二人の気遣いに、胸がきゅんとなった。


「私、二人の事は一生大好き……」

「何だよ、突然だな」

「私もよ、エルシー、セドリス!」


 エリシアとアミルはじっとセドリスを見つめた。

 セドリスは小さくため息をつくと、

 

「俺も同じだから、そんな目で見るな」

「「えへへー」」

「それよりほら、どうなったんだよ。許可は貰えたのか?」


 エリシアは、にやにや顔から仕事モードに切り替えた。


「ごめんごめん、えっとね、許可は貰えたんだけど、条件付きなのよ」

「まぁ、妥当だな」

「どんな条件なの?」

「一つ目は同行者。アランさんがいる事が絶対で、騎士二人に魔法士一人」

「それから――」


 エリシアはアミルとセドリスに交互に目をやった。


「私の監督官として、二人のどちらかに来てもらわないといけなくて……」


 申し訳なさそうなエリシアとは裏腹に、二人から返ってきたのは行く気満々の答えだった。


「むしろ当然付いていくつもりだったけど?」

「私も! 二人は駄目なの?」

「大丈夫だと思う。最低一人って言い方してたから」

「良かった! 後で確認しないとね」

「うん、しとく。それで二つ目が、患者や魔獣に近づくのはアランさんか騎士だけって」

「あーー、それはなぁ」

「でも、匂いがどこから出てるのかとか、患者さんに近づきたいって言ったら、アランさんの許可があればって」

「……それは、あれだね。またさっきみたいに意地悪されちゃうかもしれないね?」


 アミルの言葉に、セドリスは飲んでいた紅茶を噴き出しそうになった。


「昔はすーーっごく優しかった……あれ? いや、何か昔から……かも?」

「俺はその頃を知らないけど、出会った頃からもうあのスタンスは確立されてたぞ」

「私も、今更かな?」

「うーそー!」


 エリシアはそれから細々とした条件を二人に説明し、セリオンとアランに二人の同行の許可を取って、明日の早朝出発に間に合うように、早めにベッドに潜り込んだのだった。


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