29話 おかえり
あの突然の感染症から、六日が経った。
重症者以外の者は皆退院して、回復に努めている。
レオニールにエリシア、セドリスにアミルもみんな時間差ではあるけれど、順調に回復して退院した。
そして、今ベッドに寝かされているのは二名のみ。
士長、副士長が使う仮眠室でセリオンとアランは、今日も朝から仲良く軽口を交わしていた。
「しーちょー、暇なんですけどー。何か面白い話ないですかー?」
アランが枕を抱えてごろごろと、右に左に転がりながらセリオンに話しかけた。
その度に綺麗な金の髪がふわふわ、さらさらと、アランの顔やシーツの上を撫でていく。
「面白い話なんて、三日前にとうに話し終わったよ」
左肘をベッドに突き、頭を支えるように横を向いたセリオンは、ごろごろと転がり続けるアランを見て、まるで子供のようだなと苦笑いを浮かべた。
そんなセリオンに、アランはそれはもう、ものすごい早口で捲し立てた。
「大体、士長も起きるの遅いんですよ。何で俺より後なんですか。歳だからですか。俺が頑張ってないみたいじゃないですか。心配させようと思ったのに台無しですよ。逆に心配かけるとか何様ですか。あ、士長様でしたね。いっちばーん偉い人」
これがアランの拗ね方だと知っているセリオンは、思わず笑ってしまった。
それに即座に反応してすっと目を細めたアランは、ムッと口を尖らせた。
「……何笑ってるんですか。どうせ子供みたいに拗ねてると思ってるんでしょー。そーでーす。拗ねてまーす」
「悪かったよ、本当に。ごめんね、心配かけて」
眉を下げて謝るセリオンに、アランはふんっと背中を向けた。
セリオンがこうして話が出来るようになるまでに、実は少し時間が掛かった。
粒子を直に吸い込んだので、喉の組織を修復するのに、あらゆる薬と魔法にお世話になったのだった。
それがまた苦くて、魔法も痛くて、苦しんでいる所を、早くに目覚めたアランはずっと見ていた。
声をかける事なく、ただじっと見ていたアランは、心の底からセリオンを心配していた。
そしてセリオンが全てを乗り越えて、自分を見つめるアランを見て――掠れた声で『アラン』と微笑みかけた時。
ほろほろと、アランの心が解けると同時に涙が流れた。
アランはセリオンの前で泣いてしまったのだった。
アランはそれ以来こうやって、セリオンに全開で甘えていた。
セリオンが回復に向かうにつれて、安心したと同時に、ここまで心配させたセリオンに腹を立てていた。
「あーー、暇ーでーす」
「あんまり話すと喉が治らないって、また私が怒られるんだから」
セリオンとアランは、ここまで回復してもなお“保菌者”という扱いのため面会は出来ずにいた。
そのため光の鳥や手紙を飛ばす程度に留まっているので、帰ったらエリシアにもまた怒られるだろうなと、セリオンはまた苦笑いを浮かべた。
「また笑ったー!」
「今のは違うよ、エリシアのことだから」
「エルシー達も頑張りましたよ」
「……うん、分かるよ」
セリオンは、ようやく話せる様になった時、一番にエリシアに鳥を飛ばした。
それから毎日手紙のやり取りをした。
アランから、エリシア達が倒れたと聞いた時は、心臓が止まるかと思った、と伝えたら、
『そんなの、私の方が本当に死んじゃうくらい心配した!』
と、セリオンは手紙でも声が聞こえてきそうなほどに、ものすごい剣幕で怒られた。
エリシアに怒られるのは久しぶりで、それほど心配をかけたのだと、胸の奥がギュッと締め付けられるようだった。
ひたすら謝り続けていると、エリシアは鳥を使って毎日、おはようと、お休みを言えば許すと言った。
セリオンは、もうひたすら『娘が可愛すぎて死にそうだ!』とこぼしていた。
それをその日ずっと聞かされていたアランは、初めこそ可愛いなぁと、和やかに聞いていた。
けれど、セリオンのあまりのしつこさにうんざりしたアランは、うつ伏せになって、枕を頭に被せた。
そして更にその上に毛布まで被って、全力で拒否したのだった。
「おや……寝たみたいだね」
回想に耽っていたセリオンが、急に部屋が静かになったことに気付いて、隣のアランに目を向けた。
穏やかな呼吸で枕を抱き込んだまま眠っているアランは、昔と変わらないあどけなさが残っていた。
「ふふ、まるきり子供じゃないか」
ゆっくりと自分のベッドから降りると、アランの体からずり落ちていた毛布を肩まで掛け直した。
ついでに、目元にかかっている髪を後ろに流すと、もぞ、とアランが動いた。
「起こしてしまったかな」
「……大丈夫」
小さく呟いたセリオンに、アランはまどろみの中で答えていた。
「アラン、君は医療士として本当に良くやったよ。だけど身内のような立場から言わせてもらうとね、無茶をしすぎだよ……でも、どの口がって、君は怒るかな」
セリオンがそっと頭を撫でても、ぐっすりと眠り込んだアランはぴくりともしなかった。
「まだまだしんどいよね。ゆっくりお休み」
セリオンは眠っているアランの頭を再度撫でると、自分のベッドに戻ってゆっくりと横になった。
身体がベッドに沈みこんでいく様な感覚に、セリオンは次に目覚める時には、もう少し治っていて欲しいなと思いながら、目を閉じてそのまま身を任せた。
それから十日ほどが過ぎ、二人の退院が決まった頃――
アランの体には抗体が出来ていることが確認された。
今回確認された抗体反応は、今後同系統の感染症が流行った際に役に立つ。
一方、セリオンの体には抗体は確認されなかった。
セリオンは重症だったため、体が抗体を作るのを待つ余裕がなく、中和薬や治癒魔法による治療が徹底して行われた結果だった。
***
夕刻を告げる鐘が、砦に高く、低く響いた。
エリシア達見習いは夜勤がないので、この鐘の音が仕事終わりを知らせる。
そして、今日のこの鐘の音を誰よりも待ち侘びていたのがエリシアだった。
「鳴ったぞ」
「……うん」
「ふふ、帰れるね? エルシー」
「…………うん」
「泣くの早くないか?」
「だってぇぇー!」
うわぁぁん、と子供の様に泣き出したエリシアに、セドリスもアミルも慣れたもので、それぞれ肩や背中をぽんぽんと叩いて慰めた。
「良かったね、エルシー。士長も今日退院だもんね」
「……うん、一緒に帰れるの。やっと」
「もう行け。後片付けはやっとくから」
「ありがとう。でも仕事はちゃんとやるから大丈夫」
エリシアは、今日最後の仕事だった備品の整理を最後までやり遂げると、二人に振り返った。
「じゃあお疲れ様、また明日ね!」
「じゃあなー」
「ばいばーい!」
エリシアは、緩くなった三つ編みが解けかけているのもそのままに、階段を駆け上った。
さっきまで一階にいたエリシアの息はとうに切れていたが、それでも夢中で上った。
廊下は走らないように、早足で扉の前にたった。
エリシアは、激しく脈打つ鼓動をおさえようと、深呼吸を繰り返した。
それでも、ドキドキは収まってはくれない。
走ったせいなのかもしれない。もう、自分でも分からなかった。
扉を二度軽く叩くと、返事より先に扉が開いた。
そしてエリシアの視界は、一瞬で白衣に包まれた。
いつもの薬草の香りがあまりしない白衣に、セリオンが寝込んでいた事を思い知らされたようで、エリシアは込み上げる涙を抑えられなかった。
セリオンもそんなエリシアをぎゅぅっと強く抱きしめた。
離れていた時間を埋めることは出来ないけれど、お互いの温もりと鼓動が二人を繋いだ。
二人揃って屋敷に帰れたこの日、今までで一番泣きながら、みんなで退院を祝った。
普段は冷静な執事長のグレイも、母親の様に優しく厳しいマリアンも、姉で友達の様なリヴィアも、みんなみんな、泣いた。
それがエリシアには、面白くて、嬉しくて、とても幸せでまた泣いた。
セリオンは涙を流すことはなかったけれど、綺麗な空色の瞳がいつも以上に潤んで、キラキラと輝いていたのをエリシアは知っている。
そして久しぶりに、エリシアはセリオンと同じベッドで眠った。
マリアンはそれを分かっていたのか、セリオンの寝室にはエリシアがいつも寝る時に抱きしめている、クッションのようなぬいぐるみがもう置いてあった。
エリシアは耳を澄まして、隣から聞こえてくる呼吸を静かに聞いていた。
すぐ側から伝わる温もりを、全身で感じていた。
ようやく実感した安心感に包まれて、エリシアは眠りに落ちた。
――そして、エリシアは数年ぶりに“菜々”の夢を見た。
菜々は、もう鳥籠のようなあの部屋には居なかった。
真っ青な空に浮かぶ特大の雲の上に、ゆったりと寝転んでいた。
そしてそこにエリシアも一緒に座っている。
菜々はたまに座って雲から下を見ては、嬉しそうに笑うのだ。
その雲は風に流されてどこに行くかは分からないけれど、菜々は顔を輝かせてその行先を見ていた。
エリシアは
『また戻ってくる?』
と、声を掛けていた。
菜々は口をぱくぱくさせているけれど、声は聞こえない。
でも確かにエリシアには分かった。
『雲か、風にきいて!』
それが何とも菜々らしい台詞でエリシアは笑った。
菜々も笑うと、大きく手を振った。
――そして、そこでエリシアは目が覚めた。
目が暗闇に馴染むと、すぐ側にセリオンが眠っているのが見えた。
自分でも分かるほど、泣き笑いの顔をしたエリシアは、セリオンの腕の中に潜り込んで、そのまま朝までぐっすりと眠った。




