28話 約束
夜間巡回から帰ってきたクリステルは、魔獣の血で汚れた服だけは綺麗にして、急いで上官の元へ向かった。
自分達が前線で戦っている間も、彼は別の場所で戦っていた。
だからクリステルも、ただがむしゃらに剣を振るった。
上官達の元へは一匹たりとも行かせたくなかった。
クリステルは団長室に急ぎながら、最後の会話を思い出していた。
『私も行きます』
『いや、クリステルは前線に回ってくれ。俺の代わりだ』
『嫌です』
『俺の代わりが務まる奴が他にいるか? セリオン達にも、お前がいるから大丈夫だって言ったんだ。そうだろう?』
『……腹が立つ』
『クリステル――頼むな』
クリステルは、そこまで思い返してぐっと眉間に皺を寄せた。
「……本当に、腹が立ちますよ。断れる訳ないでしょう? ……頭ポンは反則です!」
そして廊下で一人、呟きを残した。
団長室の扉が見えてきて、クリステルは息を整えた。
まだ頭に残る、上官の手の温もりも思い出さないようにして、息をふっとはいた。
扉を叩く手が一瞬震えたが、振り切った。
いつもより、気持ち早めになった扉を叩く手。
そしてすぐに。
「いるぞー!」
いつもの声が、いつものように聞こえて、クリステルの視界は一気に歪んだ。
それを乱雑に袖で拭って――何でもない顔で中へと入って行った。
それからしばらくして、クリステルがいつもの調子を取り戻し、部屋を出ていったあと――
ロデリックは、さっきまで部屋にいたクリステルと話をした事で、自分がここに“ちゃんといる”事を実感していた。
大きな体をゆったりと包む革張りの椅子に、全身を委ねると、軋んだ音が静かな部屋に響いた。
目を閉じると鮮明に瞼に浮かぶ、友の倒れた姿。
ロデリックは眉間を指で摘むと、長いため息を吐いた。
「あいつのあんな所。……もう見たくねぇなぁ」
思い出すだけで眉間の皺が深まり、ただでさえ厳つい顔が、より一層険しくなっていく。
あの時――自分が背負ったセリオンは、思った以上に熱く、汗でじっとりとしているのに、ロデリックまで寒いと勘違いしそうなほど、体はガタガタと震えていた。
魔馬に乗って砦へ戻った時の、医療士達の何かを堪えるような顔が忘れられない。
連れ帰ってきたロデリックにお礼を言い、セリオンを重症者用の特別室へ運んでいく彼らも、涙を堪えていた。
そしてそのままロデリックは医療洗浄を受けるように言われ個室へと通された。
セリオンが浴びた粒子の濃度があまりにも高く、その体を担いだロデリックにも感染の危険があると、医療士達が判断したのだ。
幸い、時が過ぎても不調を感じることはなかった。
「こんな時まで俺は丈夫なんだなぁ……」
この丈夫さを、少しでもセリオンに分けてやれるのなら――
ロデリックは、部屋の右側にある大きな窓へ目を向けた途中で、机の端に飾られた白と赤の花が目に入った。
花の名前は知らない。
クリステルが出勤の時は、かならずこうして部屋に花が飾られている。
『俺に花は似合わないぞ。自分の部屋に飾ればいいのに』
ロデリックは初めて花が飾られた時、綺麗で華奢なそれを見てクリステルみたいだと思った。
だからこそ、もっと似合う自分の部屋へ飾るべきだと思ったのだ。
――この部屋にはもったいないと
しかしクリステルは、
『私は常にここにいるんですよ? ここに飾るのが一番自然じゃないですか。何言ってるんです?』
と、怒っていた。
ロデリックは、返す言葉がなかった。
「……今日、ここに花があるのはありがたいな」
ロデリックは窓の外を見るのをやめて、しばらく花を眺めた。
大きな扉の外からはいつもより格段に少ないが、笑い声がちらほらと聞こえ始めた。
その声が胸の中に響いて、落ちていく。
「よっ……し、行くかぁ!」
大きく背伸びをして縮こまった体と心を解きほぐすと、ロデリックは上着を脱いでシャツだけになり、いつもの鍛錬へと向かった。
扉を開けた時に吹き抜けた風が、緩く花を揺らしていた。
***
「あいつ、今日も鍛錬してるの? 飽きないわね〜」
セルシィは箒に横乗りになり、ロデリックの上空に浮かんでいた。
何となく部屋にいる気にならなくて、外に出たら赤茶色の大きな男も同じ様に外に出てきたのだ。
こっちに気付いている訳でもないし、セルシィから声をかける訳でもなく、ただ何となく上を飛んでついていった。
そしてロデリックが、屋根を使って懸垂を始めたのを見て、先程の言葉を一人呟いたのだ。
「変わり映えないわね……」
しばらく見ていても止める気配がないので、セルシィは退屈になって別の場所へゆっくりと移動した。
風はまだ少し冷たいが、セルシィには心地よかった。
途中、医療士と騎士が大量の毛布を運んでいるのが目についた。
積み重ね過ぎて前が見えにくそうで、よたよたしている。
セルシィの頬が自然と緩む。
セルシィは、人と話すのが好きだし、何なら子供も大好きだ。
なのに、見た目のイメージで勝手に孤独が好きとか、人付き合いが嫌いとか言われてずっと遠巻きにされてきた。
――一人は嫌い。
「ねぇねぇ! それ、どこに持って行くのー?」
きょろきょろと声の出所を探す二人に、セルシィは箒を降りる事にした。
「魔法師団長! お疲れ様です」
「お疲れ様。ねぇ、それどこに持って行くの?」
「あ、初期患者の部屋です」
「第一会議室ね」
「はい」
「持って行ってあげる」
「え!?」
セルシィは言うが早いか、二人が分けて運んでいた毛布を一塊に圧縮して、指先を回した。
すると、圧縮された毛布がひとりでに初期患者の部屋へ、すいすいと飛んでいった。
「うわぁ、毛布が“飛んで”来たー!」
「え、何毛布? やった助かった〜!」
中からは色んな声が聞こえてきて、それだけでセルシィは満足した。
「じゃあね」
「あ! ありがとうございます!」
「……私は何もしてないわ」
セルシィは、どこに行くでもなく、箒に乗ると空へと浮かんだ。
「……もっと高く」
砦から遠ざかるようにどんどん高度をあげていくセルシィ。
やがて、セルシィの周りには空しかないと思えるところまで来ると、嗚咽が漏れた。
透き通るような白い肌に、玉のような涙が伝う。
一人空に浮かんで涙を流しているセルシィに、声をかける者がいるはずもなく。
「……何が魔女セルシィよ……聞いて呆れるわ」
ますます涙が溢れて、その度にぽろぽろと頬を伝う。
セルシィは箒に乗ったまま、空に向かって声を上げた。
「あたしだって、止めたかった!! 何でもいいから助けたかったの〜!」
しゃくり上げるように叫んだ言葉は、すぐに空に吸い込まれた。
セルシィは、箒の柄に縋るように体を折り曲げた。
セルシィは、ただ見ていることしか出来なかった自分を、ずっと責めていた。きっとロデリックも、それに気付いている。
気付いていて、そっとしておいてくれる喧嘩仲間の優しさに、更に自分が嫌になっていた。
「あそこで無理にでも止めればよかった……嫌われるのが怖かったなんて、最低よ……」
――もし、命が失われていたら。
セルシィは漠然と、三人は死ぬまでずっと一緒だと疑いもしなかった。
だから、怖くてたまらない。
その怖さを聞いてくれる人は、今は誰もいない。
そう思うと、セルシィは余計に泣けてきて、昼の鐘が鳴るまで、戻る事が出来なかった。
***
少しだけ遡って――朝と昼のちょうど半分。
初期患者の眠る第一会議室では。
エリシアは、ぼんやりとした意識の中で、世界が動いている事に気付いた。
うっすらとした視界の端で、忙しなく動いているのは後輩達だろう。
ずれた毛布を掛け直し、水差しの水を入れ替えにいったり、痛みの強い患者の体を摩ったり。
エプロン姿がとても頼もしく見えた。
そういえばと、自分の状態に意識を向ければ、寒さはもう感じないし、むせ返る咳もない。
まだ熱はあるのか、脈拍は少し早めだが、あの時ほどではなかった。
二人は大丈夫だろうか。
――誰か二人の事を教えて!
そう、声をあげようとして、失敗した。
思っていたよりも、喉が乾燥して張り付いていたようで、咳き込んでしまった。
エリシアの状態に気付いたロゼが、すぐに駆け付けて水を飲ませた。
「気分はどうですか? 大丈夫ですか? もっとお水飲みます? あ、寒くないですか? 毛布要ります?」
「……目覚めたばかりの患者にそんなに質問しても、答えられないぞ。状況を見て推測しろ……」
矢継ぎ早に質問するロゼに笑う前に、隣から聞こえた声に、エリシアは、ばっと体を起こして顔を向けた。
「……セドリス! ……っとと」
「おい!」
動かない体を無理やり動かしたので、制御が効かず前のめりで落ちていくエリシア。
それをセドリスが、こちらも目覚めたばかりだというのに、咄嗟に抱き止めてくれた。
「ごめん、セドリス!」
「……今ので今日の体力全部使った気がする」
「ここぞという時に魔法使えるのすごいね! 魔法士にもなれるんじゃない?」
エリシアの落下を一瞬とめたセドリスは、その間に自分が落ちて受け止めたのだ。
「……魔法士なら自分まで落ちずに、もっと上手く出来るだろ」
床の上の二人は、それでも笑って回復の兆しを喜びあった。
「あ、ねぇロゼ! アミルは?」
「アミルさんなら第二にいます」
「中程度の部屋ね……今行っても良いのかな」
「やめとけ。一人ならまだしも、他にも寝ている人がたくさんいるだろう」
すると、少し離れたベッドから声が飛んできた。
「俺みたいにな! お前らそれで何でもないなんて意味わかんねぇ」
声の方に二人が振り向くと、そこにはかなり元気そうなレオニールが二人に手を差し出していた。
「レオニール! もう大丈夫なの!?」
エリシアとセドリスは手を借りて起き上がると、それぞれベッドに誘導され大人しく横になった。
「あぁ、お陰様でね。……その、ありがとう、本当に。医療士達はかなりキツかっただろ」
「それが俺たちの仕事だからな。お前達騎士がいつも命を賭けて守る様に、俺たちもその命を守る為に頑張るんだ。お互い様だろ」
「お前……よくもそんな恥ずかしい事をスラスラと……」
「それがセドリスだから!」
「何でエリシアが誇らしげに言うんだよ」
「だって誇らしいもの! ね、アミルの事何か知らない?」
「まだ目が覚めてないってさっきは言ってたぞ。気が付いたらすぐに教えてくれるだろ」
「「…………」」
「お、おい、大丈夫だって! お前達のとこの副士長が、すごい薬作ったってきいたぞ!」
「……すごい薬?」
思わずセドリスと顔を見合わせたエリシアに、ロゼが興奮気味に近づいてきた。
「アランさんが、士長の持ち帰った検体から中和薬を作ったんです! もう効果抜群で!」
お二人は本当にすごいです! と、語った。
「え……お父様が、検体を取りに……? じゃあ、今は……?」
初めての情報に戸惑うエリシアに、セドリスがそっと手を伸ばしてぎゅっと握った。
「きっと大丈夫だ。砦内の空気が落ち着いてるからな」
「……うん」
「俺たちは何より、回復が先だろ」
「うん……うん、そうだね」
二人の空気感に、ますます苦笑いのレオニール。
そこにそんな空気感には慣れっこのイアンと、トビアスがひょこっと顔を見せた。
「あ、お二人とも良かったです! 心配したんですからねー!」
「ごめんね、イアン」
「三人とも一気に倒れたと聞いて、本当に仲良しだなと思いました」
「……トビアス、それは関係なくないか?」
エリシアと、セドリスがそれぞれ話していると、ロゼが毛布を二枚持ってきて、今ある毛布の上にかけた。
「まだ温かくして下さいね。実はこの毛布、さっき魔法で飛んできたんですよ。気付いたら、後ろで塊がふわふわ浮いてるんで、驚いちゃいました」
「セルシィさんがやってくれたって言ってました」
「セルシィさんは無事だったんだ……良かった」
エリシアはほっと息を吐いた。
「うちの団長も元気らしい。流石だわ」
レオニールがニカッと嬉しそうに笑った。
「はいはいはい! あんた達、もう休みなさい。目が覚めたばかりなんだから。食事の時にまた起こすからね。はい、そっちの後輩三人組は仕事仕事!」
医療士の言葉に、サッと散っていく三人組。
エリシア、セドリス、レオニールも、大人しく休む事にした。
「……セドリス」
「何だ?」
「勝手に何処かに行かないでね」
「……エルシーも、な」
「約束」
「あぁ、約束な」
「アミルもしてくれるかな」
「するさ、絶対」
「ふふ」
「おやすみ、エルシー」
「おやすみ、セドリス」
二人の経過をカルテに記録していた医療士は、ベッド脇のランプの灯りをそっと落として、カーテンを閉めた。
すぐに聞こえ始めた穏やかな寝息を確認して、医療士は別の患者を見に行った。
そして。
長い夜が明け、朝を越え、昼となった。
誰一人欠けることなく、感染も砦の外へ大きく広がることはなかった。
砦には、穏やかな寝息だけが満ちていた。




