27話 アランの勝負
エリシア、セドリス、アミルが倒れたという報告がアランの元へ届いたのは、夜明けだった。
見習い六人が現場で踏ん張ってくれたお陰で、アランがようやく短い休息を取れた――その直後のことだ。
ソファに倒れたまま、飛んできた走り書きの報告書に目を通すと、アミルの症状は重く、セドリスは発熱まで進んでいる。
そしてエリシアは今まさに発熱した所だと言う。
おまけにその状態で二人を浮遊魔法で運んできたと書いてあった。
「はぁぁ……親子揃って、もう……!」
アランは報告書を手にしたままの腕を目の上に乗せた。
少しの暗闇が、頭を動かす余裕をくれた。
「後輩三人組は、まだ元気っていうのがありがたいなぁ……」
誰もいない静かな空間に、アランの独り言が落ちた。
そろそろ体を起こして、こういう時こそ珈琲を飲もうか――そう思った矢先。
セルシィが姿を現した。
疲れからか、来る気配を見逃したアランは驚いて跳ね起きた。
いつものように軽く文句でもと思ったが、セルシィの表情や、手に持っている物で、アランは全てを悟った。
セリオンが採取した検体を、セルシィが持って来た――という意味を。
「……お帰りなさい」
アランはそう言うと、中身を素早く確認しながら受け取った。
「急ぎなさい。あなたしか、いない」
セルシィはそれだけ言うとまた姿を消した。
おそらくセリオンの元へ行ったのだろう。
アランは武者震いなのか、孤独からくる恐怖からか、震える手を見つめた。
その手をぐっと、強く、強く握り込む。
指先まで白くなったところで力を緩めると、じわりと血が巡って少し温もりを取り戻した。
――大丈夫、震えてない。
大きく息を吸って、ゆっくりと吐いていく。
「全く……どれだけ俺に任せるんだか、あの人は。やればいいんでしょう、やれば」
いつもの軽口を叩くと、「あはは、頼んだよ」と、セリオンの声が聞こえた気がした。
研究室に着くと、アランは瓶を台に置いた。
コン、と、軽い音が広くもない空間に響いた。
採取された組織から、粒子を含む体液だけを慎重に抽出する。
やがて小瓶の中では、深い緑のドロリとした液体が、生きているかのようにうねっていた。
「……同じ緑でも、薬草とは正反対だな」
この部屋にはアランしかいない。
医療士も続々と倒れている今、ここで食い止めないと領民にもかなりの被害が出るだろう。
感染源はセルシィが何も残さず焼いた。
後は薬を用意するだけ。
アランはニッと片方だけ口角を上げた。
「俺しかいないでしょー」
小瓶に向けて指を二、三度振ると、中から丸くなった液体がふわふわ浮き出した。
「作るのは中和薬……今はこれが最善だな」
体に入り込んだ異物の目印――抗原を見つけ、それと合う形の抗体が捕らえて無力化する。
アランが作る中和薬は、そんな免疫の働きを魔法で再現したものだ。
即効性には優れるが、効果は二、三日で薄れ、抗体として体内に残ることもない。
急場凌ぎ――だが、今はそれで十分だった。
目の前で、アランに挑むようにふわふわと浮かぶ抽出液。
アランは手早く抽出液を大きな鉢に移した。
そこから魔力を流し込み、“抗原の形”を探って“抗体の型”を練り上げていく――のだが。
この時点でそれが簡単ではないとはっきり分かった。
「……お前生きてんのか? すごい暴れるねぇ。面倒すぎるわ」
とろみのある抽出液は、大きな鉢の中で跳ねたり、揺れたりと落ち着かない。
アランが両手を翳して、魔力を流し込むと、それを避けるかの様にぐりんと回転した。時には二つや三つの液体に分かれアランを翻弄する。
「……もう個体じゃねーか!」
アランの怒声が、研究室に響き渡った。
――遊んでいる暇はない。
この抗原は暴れ過ぎる。
一度“人の体”に入れて、その反応から安定する抗体の型を読むしかない。
アランは指を振って抽出液を少し取り出した。
こういう時だけすんなり言うことを聞く緑の液体に、アランは小さく舌打ちした。
「俺が今からやる事期待してんのか?」
取り出したのは、小指の爪ほどの量。
それ以上は危険で、それ以下では意味をなさない。
アランは指先から魔力を針のように尖らせ、腕の内側へ抽出液を注入した。
注射器を用意する時間すら惜しかった。
ドクン、と血管が一度強く脈を打つと、興奮からか、じわりと背中に汗が滲んだ。
「さぁ、ここから本当の勝負と行こうぜ」
アランは退けていた椅子を指先一つで呼び寄せた。
そしてさっき飲み損ねた珈琲を、魔法で淹れてこれもまた机に呼び寄せた。
アランの目の前には浮遊する緑の液体。
そして芳しい香りの湯気が立つ珈琲。
――何ともシュールな光景だった。
アランは震え出しそうな指を隠すように足を組み、あえて優雅に珈琲を口へ運んだ。
珈琲が半分くらいなくなった辺りで、アランはどんどん自分の中で症状が進んでいる事を自覚していた。
心拍数は跳ね上がり、気持ちの悪い悪寒が、何度もアランを襲う。
その度、鳥肌がぞわりと浮き立ち、体の奥では、血が沸騰するような熱が膨れ上がっていく。
しかしアランはされるがままではない。
体内で暴れまくる抗原を、分析していく。
ほんの一瞬。
体の中で、抗原が、何かに絡め取られたように鈍った。
鳥肌が収束し、暴れていた何かが一点に集中したようなほんの少しの違和感。
――抗体が形を取り始めた。
「やったな、俺の免疫……さっすがー」
ニッと笑ったアランは、その複雑な構造――型を読み取りながら、目の前のふざけた緑に落とし込んでいく。
「……いいか、大人しくしろよ。じゃないとセルシィさん呼んで――燃やすぞ」
アランは逃げ道を塞ぐように、手を動かした。
球体を描く様に両手を別々に動かして、魔力を鉢全体に注ぎ込む。
読み取った抗体の型を、一つずつ落とし込んでいく。
ようやく捉えた抽出液が、鉢の中心から螺旋を描いて立ち昇った。
深い緑の液体に、アランの銀色の魔力が絡みついていく。
腰の高さの台から、アランの目線の高さ程まで伸びた螺旋は、深い緑と、銀色の魔力が互いを取り込もうと戦っているようだった。
一瞬、抽出液の色が濁った。
同時に、アランのこめかみ付近が爆発的に痛んだ。
「いっ……!」
ぐらりと、アランの視界が揺れた。
「……あららら」
アランの体から汗が噴き出した。
このまま均衡を崩せば、中和薬ではなく、別の毒性を持つものへ変質してしまう。
そうなったら全て終わりだ。
激しくなる鼓動とは裏腹に、なぜかアランの口元には笑みが浮かんでいた。
「……やるねー。でもこれで終わりだよ」
少しずつ魔力を調整していくと、抽出液が、ほんの一瞬だけ静止した。
――きた。
アランは荒くなった呼吸を整える事なく、「……いけ!」と、小さく叫んだ。
その瞬間、銀色の魔力が深い緑の液体を取り込んだ。螺旋で縛るように絡み付き、鉢の中へと落ちていった。
受け止めた鉢の中には、銀色に光る淡い緑の液体が波立つこともなく収まっていた。
「……よし! これで!」
アランは崩れ落ちるように膝を突くと、激しく咳き込み、迫り来る嘔吐を無理やり抑え込んだ。
「危ない危ない……ここは衛生が何よりも大事だからねー」
小さく息を整えると、「さて」と呟き、アランは床に座り込んだまま羽ペンを呼び寄せた。
光の鳥を飛ばすか一瞬悩んだ結果、手紙を飛ばす事にした。
羽ペンに言葉を伝えていく。
そして、羽ペンが止まり、手紙が空へと消えたのを見送って、アランはその場に倒れこんだ。
「……セリオン士長ー。俺も頑張ったんで、後で褒めて下さいねー……」
その囁きはセリオンには届かないが、けれど、口にするだけで安心出来た。
――アランは“抽出液”との勝負に競り勝ち、無事“中和薬”を作り上げたのだった。
***
アランは自分を助けに来てくれた医療士に、『士長と同じ部屋へ』とだけお願いして目を閉じた。
意識が浮かびきることも、深く沈むこともない微睡みの中で、いつもの薬品のツンとした匂いに、アランは安堵の息を漏らした。
側で動き回る気配は、医療士のものだろう。目を無理やり開けると、はっきりしない視界で、白衣が見えた。
少しずつ顔を動かして横を見ると、銀色の髪が見えた。
アランの鼻の奥がキューっと痛み、瞳が滲み始めた。
「……はは」
アランの口から笑みが溢れていた。
「副士長、気がつきましたか?」
「……士長は?」
「あなたが作り上げた中和薬を投与してから数時間経って、今は全ての症状が落ち着いてます」
「そっか。そっかぁ……。じゃあ、もう少し寝ても、いいかな?」
「お疲れ様でした。士長、副士長。ゆっくり休んでください。もう大丈夫です」
アランはすぅっと眠りに落ちていった。




