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砦のエリシア ―辺境砦で紡ぐ、医療士たちの日々―  作者: 灯影
第5章 芽吹きの季節 

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26話 三人の発症

 


 報告された場所へ、セリオンとロデリックを乗せた魔馬が駆け込んだ。

 セルシィはもう到着していたようで、倒れた魔獣には既に結界が張られていた。

 これで周囲は安全だろう。


「セルシィは仕事が早いね」

「当たり前でしょ」


 セルシィは魔獣の側に、爪先からトッと降り立った。

 そして感情を押し殺した目で、じっと結界内を漂う粒子を見つめた。


「……私に出来るのは、ここまで。次はあんたよ、ロデリック」


 ロデリックは魔馬を降りると、すぐさま剣を抜いた。

 ロデリックの魔力が注がれ片手剣が大剣へと姿を変える。

 青白く輝きを放つ刀身はいつ見ても美しく、セリオンは目を細めて見ていた。


 ロデリックはその美しい大剣を片手で軽々と振り回し、剣の柄頭を両手で掴んだかと思ったら、剣先をズン、と地面へと突き刺した。


「俺の出番はここからだ。結界には近づかせないから、思う存分やってくれ」

「……ありがとう、二人とも」


 セリオンは二人にほほえむと、ベールの魔法を解いた。


「セリオン!? あなた何やってるの!」

「おい、正気か!」

「感染時の症状も記録したいんだ」


 二人は黙り込んだ。


「こ……の、医療バカ! 倒れる前に連れて帰るわよ。それまでに必ず検体とやらを取りなさい。いいわね。必ずよ」


 いつもより低い声のセルシィに、セリオンは苦笑いを返した。


「分かった、ありがとうセルシィ」

「ここで三人とも倒れるのだけは嫌よ」

「そうなったら、ボリスに連れて帰ってもらうさ!」


 ロデリックがそう言うと、愛馬の魔馬ボリスが頷くように頭を下げた。


「セルシィ、結界を少しだけ拡げて。私の分くらい」

「……分かった」


 ブンッと、見えない結界が拡がったのか、一瞬空気が震えた。

 ロデリックは悔しそうに顔を歪めた。

 何も出来ない歯痒さが滲んでいる。


「声に出して記していくから、それが出来なくなった時は……任せて構わない?」

「……私を誰だと思ってるの? 魔女セルシィよ」


 いつもの気丈さがないセルシィに、セリオンは苦笑いを浮かべた。


「はは、じゃあよろしくね二人とも」


 セリオンは、瓶、羽ペン、用紙を周りに浮かばせると結界に入っていった。

 セルシィもロデリックも、こうなったセリオンを止めることは出来ない。

 セルシィは俯きかけた顔を無理やり上げ、ロデリックは血が滲みそうなほど強く拳を握った。


 ここからは時間との勝負だった。


「さぁ、君と私。どちらが勝つか」


 セリオンはあまり見せない表情でニヤリと笑うと、倒れた魔獣の観察を始めた。


「感染源と思われる個体と接触。今は何ともないため、即発症の類ではなさそう――個体からは、肉眼でも捉えられる程の灰白色の粒子が舞い上がっている。吸引の危険性が高い。個体の血液や体液に、人や他の魔獣が触れた形跡はなし。よって空気感染の可能性が濃厚」


 セリオンが淡々と言葉を紡ぐたび、横に浮かぶ羽ペンが次々とそれを書き留めていった。


 ここで、セリオンはナイフを取り出した。


「粒子は個体の腹部から湧き出している。内部を確認すると――」


 ここでセリオンは、慎重に魔獣の腹を割いた。

 中にも溜まっていた粒子がブワリと飛び出して、結界内が一瞬白く濁りセリオンの姿を隠した。


 ずっと見守っていたセルシィは、自分の利き腕を強く押さえた。

 そうしないと、結界内に風を入れて吹き飛ばしてしまいそうになるからだ。


「……誰も死んで無いからって、どうしてあなたも死なないと思うのよ……!」


 小さなセルシィの叫びは、大剣を振るって魔獣を蹴散らしていたロデリックにも、粒子によって強く咳き込んだセリオンにも届かなかった。


「……ごほっ。腹部に、溜まっていた粒子の出所は胃袋。ここで私の体に症状が現れる。中に入って十分程で鳥肌が発現。悪寒が始まった。次は胃袋を割いていく」


 セリオンが眉根を寄せた。


「胃袋の中には、小型の魔獣と思われる腐敗した死骸が残っていた。わずかに残る骨格や毛皮から判別できる。この腐敗した個体全体から粒子が溢れ出ている」


 その時、セリオンはナイフを取り落とした。

 自分の震える手を見つめながら、言葉を紡いでいく。


「激しい悪寒と共に、頻脈を確認。手の震えが止まらない。根源は腐敗した魔獣の体内にあると断定。内臓をそれぞれ分けて持ちか……」


 セリオンはまた激しく咳き込むと、地面に手をつけた。


「「セリオン!!」」


 いつの間にか周囲の魔獣を片付けたロデリックも、セルシィの横に戻り、セリオンを見ていた。


「……大丈夫。まだ平気だよ」


 セリオンは目を離さずに二人に優しく言い放った。

 そして手についた土を払うと、綺麗なナイフに替えて、内臓の中でも特に粒子が濃く溢れている組織だけを、切り出していく。

 何度も咳込み、吐き気を飲み込むセリオンに、セルシィもロデリックも目を背けたくなったが、睨むようにずっと見続けていた。


 そうして切り出した組織を小瓶に保存し終えた時には、かなりの時間が経っていた。

 前線巡回はもう始まっている頃だろう。空は、静かに夜明けの準備をしているように見えた。


 ずっとセリオンを見守っていたセルシィは、浮かんだまま止まっていた羽ペンへ視線を向け、そっと近づいた。


「……顔色は青から白に変わり、滴れるほどの発汗。咳が絶え間なく出るようになり、吐き気もある。震えるほどの悪寒が見て取れる。意識混濁……以上!!」


 セルシィの最後の言葉で、ロデリックは迷いなく踏み込んだ。

 小瓶を握りしめているセリオンの手をそっと外すと、それをセルシィに渡し、ロデリックはセリオンを担ぎ上げた。

 そして魔馬のボリスに乗り込むと、その勢いのまま言葉なく砦へと駆け出した。


 一方残ったセルシィは、箒に乗ると結界内へ魔法を放った。

 高温の青い炎が結界の中で渦を巻くように燃え上がった。

 土と肉の焦げた匂いが空へ届く頃には、セルシィの姿はなかった。


 残ったのは、焦げた土のみで、骨も灰も何も残ってはいなかった。



 ***



 まだ夜明けには早い頃――エリシア達が後輩三人組を起こしに仮眠室へ行くと、他の医療士達は誰もいなかった。


 夜間巡回のため前線に行った者、引き続き治療や調合にあたっている者。

 医療士達は懸命に自分の限界を計りながら動いていた。


 それはエリシア達、見習いも同じだった。

 夜の食事を終えた後、三人はアランに呼ばれ『重症者以外の治療に回って』と、指示された。

 医療士が不足しているのだと。


 それからずっと、新規の患者や、薬投与後の経過観察も行っていた。

 突然重症化する人ももちろんいて、その時は速やかに医療士に報告し、別の部屋へと移す。

 少しでも気を抜けば、何かを見落としそうな気がして、エリシアも、アミルも、普段は冷静なセドリスでさえ、常に緊張感にさらされて少しずつ焦りや疲労を溜めていった。


「ミスをする前に、少し休息を取った方がいいと思う。だから、交代を頼んでくる」


 セドリスの提案は、他人には全く躊躇なく掛ける事が出来ても、自分自身にその言葉を使うにはとても勇気のいるものだった。

 しかし周りの医療士達は、そうする事が当然の様に受け入れて交代してくれた。

 気まずそうなエリシア達に気付いた一人が声を掛けた。


「セドリスは正しい。お前らが罪悪感を持つ必要はないんだ。また気力が復活したら、疲れている医療士と交代してやれ。それがここのやり方だから」


 彼の笑顔には疲れが滲んでいたが、とても温かく、それだけでエリシアは体が軽くなった気がした。


 そして、後輩三人組をそろそろ起こしてくれ、と頼まれて三人は仮眠室へとやって来たのだった。


「イアン〜トビアス〜ロゼ〜、交代の時間だよ〜」


 アミルが、二段に重なったベッドにそれぞれ寝ている後輩達に声をかけて行った。


「……おはようございます。ほら、トビアス起きろ〜」

「俺はずっと起きてた」

「何言ってるのトビアス。一番に寝たでしょー」


 三人は初めこそ眠そうだったが、ちゃんと起きて仲良く持ち場へと戻って行った。


「一年目でこれは、キツイな」


 セドリスは三人の背を見送ると、下段のベッドを選んで横になった。


「そうだよね。ちょっとキツイね」

「うんうん、良く頑張ってるよ〜」


 エリシアとアミルも、その隣のベッドに横になった。

 体力的にも精神的にもギリギリだった三人は、目を閉じると即座に深い眠りへと落ちて行った。


 ――そして、夜明けの気配が砦に落ちた頃。


 エリシアは、寝ていてもなお感じる体の不調で目が覚めた。

 ゾクゾクと震えるほどの悪寒が、エリシアの体を下から上へと走っていく。


(ぅあ……これはやばい!)


 呼吸は浅く、普段よりも明らかに速い。

 冷たくなった指先で脈拍を確認すると、感染者特有の頻脈はまだ出ていないものの、明らかに普段とは違う。


(たぶん、感染してる……)


 どのタイミングで――と考え始めた思考を切って、とにかくセドリスとアミルには伝えなければと体を起こそうとした。

 しかし、思った以上に体が動かない。


(あぁ……すごい、しんどいこれ)


 ずっしりと重い頭と体は、疲労のせいだけではない。

 体の内部からくる震えは、熱が跳ね上がるサイン。

 エリシアは、それでも動ける内に動かなければと、体中に力を込めた。


「セドリス……アミル、ごめん起きてもらえる?」


 エリシアの声は小さかった筈だが、二人の毛布が動いた。しかし、それ以上の反応がない。


 エリシアは、何とかベッドを降りるとすぐ右隣のセドリスの様子を見た。


「……セドリス?」

「エルシー……悪い。悪寒が終わって、今発熱だ……」


 エリシアは慌ててセドリスの手首を持った。それだけで分かる程に、もう熱かった。


「あるね、熱」


 エリシアはすぐに反対側で眠る、アミルの様子を見た。

 アミルは毛布越しでも分かる程、ガタガタと震えていた。


(あぁ……)


 ――三人、揃って感染した。


 嫌な汗がエリシアの背中を伝う。

 頭の中でこうなる可能性も想定していたはずなのに、いざ実際にそうなると焦ってしまってうまく頭が働かない。


「待ってて、誰か呼ぶ……!」


 しかしエリシアは、立とうと手を床に突いた所で動きを止めた。


(だめだ……今はみんな手一杯のはず……)


 みんなしんどい思いをしている時に、わざわざ誰かを呼ぶなんて出来ない。

 自分の不調は一旦忘れることにした。


「今は……私が動かなきゃ」


 そんなエリシアをずっと見ていたセドリスが、ぐっと眉根を寄せた。


「エルシー……落ち着け。自分で歩けるから」


 セドリスは、震える手に力を入れて体を起こした。

 そしてエリシアの手首を持つと、魔力を放った。魔力診だ。

 エリシアの脈拍から体温、呼吸数など、全てセドリスに伝わった。


「ま、そうだよなぁ」


 苦笑いのセドリスの顔色が悪くて、エリシアはこれ以上ないくらいに心細くなった。


(どうしよう、泣きそう……あれ、でも待って)


 それと同時に、自分の症状は二人よりもまだ少し遅れているのだと気付いた。


(それならもう、私が何とかするしかない……治療室……は、もう飛ばして……第一、第二はもういっぱいだっけ……? 会議室の臨時の方がいいかな……)


 エリシアは頭がずんと重く、上手く考えがまとまらないなりに、自分で出した答えの通り動き始めた。


「……私が動ける内に、二人を運ぶから!」


 足にありったけの力を込めて立ち上がると、ぐわんと大きく頭が揺れた気がした。


「馬鹿、無茶するなって!」

「セドリスは座ってて! アミルからまずぷかぷか掛けるから」


 エリシアは、悪寒で震える体をぎゅっと自分で強く抱きしめると、アミルに浮遊魔法を使った。


「……っぷかぷか! アミルとセドリス……!」


 そして同時にセドリスにも掛けた。


「おい! 俺は自分で歩くから!」


 宙に浮く体を地につけようともがくセドリス。


「黙ってて! 集中切れちゃう」

「……くそ」


 セドリスは、それ以上動かなかった。


 エリシアは、壁に手をつきながら自分の体を引き摺るように進んだ。


(こんなに、遠かったっけ……)


 視界がぐらぐらと歪み始めた時、何とか会議室まで辿り着くと、エリシアは扉に体を預けてそのまま力尽きて座り込んだ。

 その音に気付いた医療士が、扉を開けると同時にエリシアが倒れ込んだ。


「え!? エリシア! ……セドリスとアミルも!」


 良く知る医療士達の声は、水の中から聞いているみたいに、薄い膜越しに何重にも響いて聞こえた。


(あぁ、良かった。見つけてもらえた)


 それだけ分かれば、後はもう大丈夫だ。

 良く知る医療士達の声に安心して、エリシアはようやく力を抜き、意識を手放した。

 

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