25話 前線へ
――医療士長室では。
セリオンとアランはソファに座って、多くの報告書に目を通していた。
互いのソファの間にあるテーブルは、天板が見えないほど、書類で埋め尽くされていた。
「そろそろ夜間巡回の準備もしないとですねぇ」
「だねぇ。毎日毎日本当、魔獣達も飽きないね」
アランがいつもの温度でそう言えば、セリオンもまた普通に返した。
「医療士の感染者が四名になりました」
アランは紙を一枚差し出した。
「二人は、同じ日の治療担当です。ベールは治療室に入る時に掛けてます。最大ではないと思いますけど。もう二人は時間差で発症してます」
セリオンはその紙に目を落とし、静かに頷いた。
「そう。最大に掛けていても防げたかどうかは分からないけどね」
「ですね。後の二人の感染源が分からないですし」
一瞬の沈黙。
「こうなると、夜間巡回がきつくなってきますね」
医療士達にも感染が広がり始めていた。
普段なら余裕のある配置も、少しずつ組み直さなければならなくなっていた。
夜間巡回も例外ではない。
いつも通り四人を前線へ出す事は出来るが、何かあった時に動ける人員は確実に減っていた。
「そうだね。でも、前線に行かない訳にもいかない」
セリオンはふぅ、と一息つくと頭をソファに預けた。
「……見習い達の枠を拡げよう」
「それしかないでしょうね。特に三年目の三人は来年には、もう正式な医療士ですからねぇ」
セリオンは苦笑した。
「早いねぇ……分かった。じゃあ線を引き直すよ」
セリオンは頭を起こして、よいしょ、と座り直した。
「“治療”までですね。前線対応や重症者は“なし”で」
「そうだね。イアン、トビアス、ロゼの三人は治療後の経過観察フォローくらいかな」
「それが妥当ですね」
「さて、後は原因を見つけたいね」
「抗原、ですね」
「うん。抗原さえ特定できれば、抗体は作れるだろう」
二人の視線が合う。
「始まりは騎士。なら、答えは前線に――かな」
セリオンは、確信に近い沈黙を挟んで、静かに言った。
「えぇ、私もそう思ってます。勘ですが」
「君の勘は外れた事がないだろう」
「『先見のアラン』で呼んでいいですよ」
「君にその力を持たせるの怖いよ」
「悪用は……しませんよ」
アランは乱雑に置かれた書類の山に指を振って、一枚取り出した。
「では私は今から人員の再配置考えますんで。士長は来るべき時まで休憩してて下さい。あ、食事も忘れずに。後、仮眠もね」
「分かった分かった。大人しく時を待つよ。君も無理しないようにね。自慢の笑顔が少しぎこちないよ」
アランは目を丸くした。
「あれ、気付いちゃいました〜?」
「私は君の幼い頃を知っている兄貴分だからね」
「はは!」
アランは珍しく素の顔で笑って「ではでは」と、恭しく出て行った。
「さて、少し休もうか」
セリオンは顔に残る笑みをそのままに、食堂から届いていた食事に手を付けた。
――同時刻
夜の前線警戒に向けて、見張りを交代しようと、騎士二名、魔法士二名が見張り塔に向かっていた。
魔馬で駆ける騎士達の上を、箒で飛ぶ魔法士の一人が、声を上げる。
「西の方向で何か動きが……ちょっとこのまま上から見て来ます」
「何かあればすぐに知らせろよ!」
「はい」
下からの騎士の声を受けて、魔法士はあっという間に高度を上げて飛び去った。
「……まだまだ風が強いな」
「しばらくは吹き荒れますね」
騎士達と残った魔法士が言葉を交わしていると、先程確認に行った魔法士がものすごい速さで戻って来た。
「早く見張り塔へ! 粒子を飛ばす奇妙な死骸発見! それから逃げるように、魔獣達が移動してます! ここは風下だから、まずいです! 連絡は飛ばしました! 急いで!」
何かあったらしい事しか分からないが、三人はすぐに従って見張り塔へと急いだ。
「口と鼻を塞いで! 出来るだけ吸わないでください!」
先導する魔法士に叫ばれ、三人は袖で口元を覆った。
理由を問い返す暇もなく、三人はすぐに従って見張り塔へと急いだ。
***
「あぁ〜……美味しい!」
唯一使われずに残っている会議室は、医療士用の食堂に姿を変えていた。
そこでも美味しいご飯が運ばれて来て、アミルは温かい食事に唸った。
「この一瞬はいつもの日常に戻るな」
「周りを見なければね」
エリシアが視線で周りを見渡すと、医療士達が机にぺたりと体を預けながら食事をしていた。
かなり疲れているようで、エリシアは申し訳なさそうに眉を下げた。
「私達も、もっと手伝えたらいいのに」
「そうだな。もどかしいな」
「何か今でも出来る事ないかなぁ……」
エリシアは小さく呟いたアミルの手をそっと握ると、自分にも言い聞かせるように、アミルに微笑んだ。
「すぐに対応出来るように、今はちゃんと休んでおこう。アランさんも言ってたし」
「エルシーは、俺より一回多めにおかわりしたしな」
「お腹空いてたんだよ〜!」
キッと、冗談混じりでセドリスを睨んだエリシアに、セドリスが笑いながら両手を上げた。
「私もおかわりしようかな〜」
「それがいいよ、しっかりと食べて気持ちが切れないようにしなきゃ」
「食事でどうこうなるのか、それ?」
「頑張れるって、思うんじゃない?」
「言い出したのエルシーなのに、何で疑問形なんだよ」
呆れたようなセドリスに、エリシアは軽く笑った。
「……へへ」
軽口の言い合いが心地良くて、エリシアは異常な空気感でも、いつもの自分を忘れずにいられた。
窓の外はもう夜の気配だった。木々は部屋の中まで音がしそうなほど、激しく揺れていて、エリシアは少し不気味さを感じていた。
「……恵みの風なのに、何だか怖いね」
アミルの呟きは、小さくて。
けれど二人の耳にははっきりと残った。
エリシアは、どうしても湧き上がる不安を、白湯と共に飲み干した。
――それからほどなくして、前線の異変についての報告が、医療士棟の上層部にも届いた。
***
「魔法士が見たのは、息絶えた魔獣から舞い散る粒子――か」
「腐敗が始まりかけているそうです。時期的には『当たり』じゃないですか?」
「さっき連絡鳥を前線まで飛ばして見てきたんだけど、きっとあの死骸が根源だと思うわ。何か嫌な粒子がふわふわ舞ってるのよね。気持ち悪いったらないわ」
セルシィがとても不快そうに顔を歪めていて、それを見たセリオンが苦笑いを浮かべた。
今、セリオンの士長室にはアランと、セルシィとロデリックが集まっている。
前線の異変について、急遽話し合いが行われていた。
「この時期に面倒な事を……早朝巡回していた騎士達が軒並み倒れていくのを、もう見てられないんだ。俺は行くぞ!」
「あんた本当に、馬鹿脳筋ね! あんたが行ったところで何にもならないから!」
「でも――」
「はいはい、二人ともストップ。私が行くから。一人でね」
相変わらずの言い合いを諫めたセリオンの言葉に、アランは長いため息を吐くと「言うと思った……」とボヤいた。
「分かってましたよ、そう言うの。でも一人は駄目です。そこは譲りません」
「だけどねアラン。被害は最小限に抑えたいんだ」
「あら私も行くわよ。被害は最小限がいいんでしょう? 死骸に結界張って風止めるわ」
「セルシィ……君ねぇ」
「嬉しいくせに。『頼りにしてるよ、セルシィ』くらい、言ってのけなさいよ」
胸を張って顎を上げたセルシィは、勝ち気に笑った。その姿は、ひどく堂々として美しく見えた。
そんなセルシィに遅れをとったロデリックが、慌てて立ち上がると声を上げた。
「そんなの俺も行くに決まってるだろ! 調査中は何があっても、セリオンの毛一本まで守ってやる!」
ロデリックは、そうセルシィに向けて叫んだ。
セリオンはとうとう笑ってしまった。
二人に向けて何度も頷いてみせた。
「わぁかったよ! 本当に君達は頼りになって、背を預けられる友人達だよ。感染してもかならず治してみせるけど、ちゃんと気を付けること!」
「そんなの、分かってるわよ。何よ今更」
「そうだな。それこそ野暮な事は言いっこなしだ」
アランは、ふっと口角だけを上げて憧れの三人の会話を見守っていた。
彼らのように、同じ立場で肩を並べてきた仲間が自分にはいないことを、少しだけ寂しく思う時もあった。
けれど、彼らと同じ時間を共有できる幸せを、今は噛み締めていた。
アランは一度目線を下に落として息を吐くと、いつもの笑顔で三人の輪に入った。
「上手く纏まりましたねぇ。結局士長はいつも押し負けるんですから。で、段取りはどうするんです?」
「段取り? それはまぁ向こうの様子を見て決めるよ。決めているのは、前線の夜間巡回が始まるまでに行って、結界を張る事ぐらいかな。戦いの邪魔にならないように」
「ロデリックさん、騎士達の人数は足りてますか?」
「あぁ、それは大丈夫だ。クリステルが居るからな」
「……なるほど」
アランは、周囲から“王子様”と囁かれる同期を思い浮かべた。
副団長を務める彼女なら、ロデリックの不在時も、きっと問題なくまとめ上げるだろう。
それからしばらくして、出発の準備を終えたセリオンが声を掛けた。
「準備は出来た。後は頼んだよ、アラン」
「こちらは大丈夫です。サクッと行って、検体取って帰ってきてくださいねぇ。こっちが倒れちゃう前に」
セリオンは優しい瞳でアランを見つめた。
目の前で何でもないような顔をしている青年は、実は寂しがりやでとても繊細だとセリオンは知っている。
いつだって軽口を混ぜる話し方も、『俺』から『私』に変わった一人称も、全てアランの内側を悟らせないための手段。
「いつの間にか地に足をつけた、一人前の青年になったね」
「……なんですか〜? 出掛ける前にそんな台詞吐くのやめてくれません?」
顰めっ面のアランにセリオンは軽く笑って、頭を撫でた。
その手にぴくりと、アランは肩を揺らした。
「セリオン医療士長。貴方ならすぐに取って帰って来られるでしょう? 俺、待ってるんで」
セリオンは満面の笑みで大きく頷いた。
「じゃあ、行ってくるね。留守番よろしく。……見習い達も任せたよ」
先に砦の門で待っていたロデリックの魔馬の後ろに跨ると、光のような速さで駆けて行った。ロデリックの扱う魔馬は、主人同様、並外れていた。
「……く、首が折れそうだよー!」
「慣れないうちは、喋ると舌噛むぞ!」
「セルシィの箒にすれば良かった……いや、どっちもどっち……いぃぃたぁぁぁ!」
「だから噛むって言っただろう」
「…………」
やっぱり魔導車が一番だと思ったセリオンだった。




