22話 医療士見習い最後の年
雪解けの水を受けた草花は、一段と鮮やかな色をまとった。
新緑の爽やかな香りが、ほんのりと暖かな風に乗って広がっていく。
雪が止み、春が来た。
そうして季節が巡り、エリシア達は医療士見習い三年目――最後の年の始まりを迎えた。
春の始まりには、この辺境伯領には決まって強い風が吹く。
芽吹く命が遠くへと繋がるためのものだと言われていて、エリシアは幼い頃、風にも色んな理由があるんだなぁと、素直に受け止めていた。
今年も例に漏れず、もう二日、風が吹き荒れていた。
いくら理由があるといっても、まだしばらくは続くのかと思うと、エリシアは少しだけうんざりしていた。
風で煽られて、乱れまくった髪を直したところで、すぐにまだ乱れるので意味がない。
そこへまた、強い風が吹き抜けた。
「もー! 少しは休憩してもいいと思うよ、風!」
二年ですっかり背も伸びて、ストロベリーブロンドの髪も背中を隠す長さに伸びた。
相変わらず真っ直ぐな髪は、一つに結んでもさらさらと風に靡いている。
エリシアは、顔にびしびしと当たる髪を、うなじのあたりで簡単に纏め直した。
「本当だよ〜! 髪も顔も乾燥しちゃう〜」
エリシアの横では、アミルが頭の高い位置で乱れた髪を丸くまとめ直している。
まとまり切らず顔に少し垂れた髪は緩く波打っていて、とても可愛いとエリシアは思っていた。
なんとなく自分の髪に手を伸ばして呟いた。
「私もアミルとかユーリみたいに頭の上で纏めたいなぁ」
アミルが、少し羨ましそうな、どこか拗ねたような顔のエリシアに目を丸くすると、そんなエリシアの髪を手に取った。
「エルシーの髪はサラサラだから難しいと思うよ。私のは癖が強いから適当にしても、なんとなく上手く纏まるのよ」
アミルの手からサラサラと流れ落ちる髪に、今度はアミルが羨ましさを滲ませた。
そんなアミルの髪はもう、赤髪ではなくなっていた。
綺麗なアーモンドブラウンに色を変えた髪は、深い艶と緩やかなカーブで女性らしさが増していて、エリシアは何だか一足早く綺麗になっていくアミルが、羨ましかった。
「うわ! ……また目に入った。何で俺だけこんなに入るんだよ」
そんな二人をよそに、セドリスは別の事情で悩まされていた。
エリシアとアミルは、もう三回も「目にゴミが入った」と騒いでいるセドリスに笑った。
「ねぇ、セドリス。それさぁ、ゴミじゃなくて“前髪”じゃない?」
「ふふ、私も……ふふ、思ってた」
「その笑い方やめてよアミル、止まらなくなっちゃう」
「ふふ……ふ、だって、いつも分析とか色々理屈並べるのに……前髪じゃなくて、ゴミと思い込んでて……あはははは!」
もう無理、とばかりに顔を覆って笑い出したアミルに、エリシアとセドリスは顔を見合わせた。
「……アミルって最近、笑い上戸になってない?」
「……あぁ、あいつあんな性格だったか?」
ゴミの事には触れずに、ちゃっかりとダークブロンドの前髪を、きれいに横へ流したセドリスは、エリシアとアミルより格段に背が伸びていた。
声も少しずつ低く変わって来ていて、「声変わりが始まったんだ」と、淡々と言っていた。
声変わりだけでなく成長痛にも悩まされているらしく、「あの時を思い出すから嫌だ」と渋い顔をしていた。
「アミルも、セドリスもどんどん綺麗で格好良くなっちゃって……私だけ置いていかれてるみたいで……ちょっと寂しい」
セドリスとアミルは思わず口をポカンと開けた。
「エルシー、全くもってあなたの勘違いよ」
「そうだな。例えそうだとしても、遅咲きの花は、その分蓄える時間が長いんだ。花開いた時には、誰をも魅了する輝きを放つ物だ」
エリシアは、二人をじとっと見つめて、小さな声でぶつぶつ早口で話し出した。
「……そんな、褒めてくれても、二人だけどんどん素敵になられるこっちの身にもなって欲しいものだわ」
「エルシー。自分のことをもう少し、客観的に捉えろ。そうすれば、アミルの言っていた『勘違い』の意味が分かるから」
「またそんな理屈っぽいこと言っちゃって〜! 客観的にどうやって見ればいいの? 鏡を見るの?」
エリシアがセドリスの両腕を掴んで詰め寄ると、呆れたようにため息を吐いた。
「まずこれを他の男達にしてみろ。きっと顔を赤くして逃げて行くだろう」
すっとエリシアの手を退けるセドリス。
「どうして赤くなるの? 私何かアレルゲン飛ばしてる? 髪の香油かなぁ」
髪を手に持って真剣に見つめるエリシアに、アミルとセドリスは目を合わせると、苦笑いで首を横に振った。
そんなこんなで、三年目の朝を、三人はいつも通り迎えた。
更衣室に着いた三人を出迎えたのは、新しく見習いになった四人だった。
男子二人、女子二人にきれいに分かれ、いつも同じ組み合わせで行動している。そのせいか、四人の仲はあまり良くなかった。
最初にエリシア達に気付いたのは男の子二人組、イアンとトビアスだ。
「おはようございま〜す! 今日もお願いします!」
「おはようございます、トビアスです」
「「おはよう」」
セドリスとアミルが挨拶を返して、チラッとエリシアを見て笑った。
「お、おはよう二人とも。あの、トビアス? もう私ちゃんと名前覚えてるから……大丈夫よ?」
四人が入ったばかりの頃、エリシアが名前を間違えてしまってから、トビアスは挨拶の後に必ず名前をつけるようになったのだ。
「あ、はい。何か癖みたいなもので。気にしないで下さい」
「すごい気になる……」
声が聞こえたのか、奥からクレアとロゼがひょこっと顔を出した。
「あ! おはようございます!」
「おはようございます〜」
クレアは挨拶もそこそこに、またイアンへ何か言い始める。
イアンは露骨に嫌そうな顔をし、その横でロゼが困ったように眉を下げた。
そこに、
「おはよう二人とも、今日も早いね」
と、アミルが微笑むと、クレアは嬉しそうに頬を染めた。
「見た? セドリス、アミルだとああなるのよ。私では無理だわ」
セドリスにコソッと耳打ちするエリシア。セドリスは、斜め下に見えるエリシアの頭のてっぺんに、手刀を落とした。
「いた!」
「まだそんなこと言ってんのか? お前は本当に分かってないな。医療士になるなら、全体を見られるようにしとけ。先入観は捨てろ」
頭を押さえるエリシアの手を、ぽんぽんと軽く叩くとセドリスは先に着替えに行ってしまった。
そしてエリシアも、慌てて後を追ってエプロンに着替えると会議室へ向かった。
去年から、毎朝ここで、エリシア達を含む見習い全員の予定を確認するようになった。
部屋に入ると自分の予定表が、ひらひらと飛んでくる。
エリシア達三人がそれぞれの予定表を見せ合って確認していると、クレアの大声が部屋に響き渡った。
いつもの言い合いより険悪な空気になっている。
「どうしたの?」
エリシアは四人の顔を順に見ながら、険悪な空気の中へ割って入った。
物怖じしないエリシアは、こういう時にすっと中に入っていける。
その“良さ”をアミルとセドリスは視線を交わし合って小さく微笑んだ。
知らないのは本人のみ。
するとクレアが「だってイアンが!」と、彼に指を向けて声を荒げた。
「どうしてイアンとトビアスが医療実習入ってて、私は薬草庫の在庫確認なんですか!? ロゼだって、私がいないと何も出来ないのに、医療実習入ってるし、意味がわからないです!」
ロゼがグッと何かを堪えるように、唇を噛んだ。
(……そういうこと)
エリシアは表情を消した。
そして、口を開きかけたその時――セドリスが、そっとエリシアを後ろに引いて、入れ替わるように前へ出た。
セドリスは一度だけ強く唇を結んだ。
「命を預かる医療班に、人を見下す人間は誰であれ必要ない。納得出来ないなら帰ればいい。君はもう少し、空気を乱している自覚を持て。現場に驕りは必要ない。必要なのは、信頼の積み重ねと技術、そして努力だ」
と、いつか聞いた台詞を織り込んで、尚且つだいぶ上乗せにしてクレアに言い放った。
(セドリス、ずっと憶えてたんだ……)
エリシアの胸が苦しくなった。
しん、と部屋に沈黙が落ちる。
クレアの顔がみるみる真っ赤に染まって、瞳が揺らぎ出した。
体が震えて、感情が爆発した。
「意味分かんない! 何で? 何で私が必要ないの? どんくさいロゼに、バカなイアンに、不器用なトビアスですよ!」
肩で息をするクレアは、もう誰のことも見えていなかった。
「私だってずっと頑張ってきたのに! 私は! みんなより何でも出来る!」
ただそう、力の限り叫んだ。
エリシアは、セドリスの背を見つめた。
これは初めてエリシア達三人が出会った時、セドリスが、アランに言われた言葉だった。
この背中は今、どんな気持ちなのだろうか。
そう思うと、自然とセドリスの背中に手を添えていた。
――そして、もう一つ。
アミルの手も同じように彼の背を支えていた。
エリシアとアミルは静かに目を合わせた。
思っていることは、きっと同じだった。
少し目が潤んでいることに、お互い気付いていた。
「俺も前に――」
セドリスが、痛みを我慢するような声で話し始めた時――
「は〜〜い、そこまで〜」
知った声が響いた。
全身の力が抜けていく。
もう、大丈夫だ。
そう思ったエリシアとアミルは、そっと手を離した。
それでも正直、もう少し早く来て欲しかったと、エリシアは声の主に縋るように視線を投げた。
それに気付いたアランは、優しげに目を細めた。
そしてすぐに、前を向いた。
「セドリス、お疲れ様。私は君が誇らしいよ」
アランはセドリスの横に立つと、肩を抱いた。そして二度、肩を叩くとスッと前へ出た。
セドリス、エリシア、アミルは静かに後ろへ下がると、泣き出しているロゼ、下を向いて黙ったままのイアン、真っ直ぐにクレアを見つめるトビアスに、それぞれのやり方で、寄り添った。
「さてクレア。だいぶ不満があったみたいだけど、それはもう――充分に吐き出したみたいだね」
アランは笑っているが、目は笑っていなかった。
クレアは、蛇に睨まれた蛙のように、一瞬で身を縮めて真っ赤な顔が真っ青になっていた。
「私はね、常々思ってることがあってね? 命を救う、怪我を治す、治療をする。辿り着く先は全て同じなのに、何故、人を蹴落とそうとするんだろうってね。みんなで協力すれば助かる命は増えると思わない?」
クレアは、ボロボロと大粒の涙を流し始めた。
「一度家に帰って頭を冷やす? それとも今、三人に言うべきことを考える?」
「…………」
クレアは、イアン、トビアスに視線を巡らせた。そして最後に、ロゼを悔しそうに見つめた。
唇を噛み、ぐっと強く握りしめた拳を見て、アランは一瞬、目を伏せた。
「みんなはもう、行っていいよ。今日も、一日頑張ってね〜」
アランは振り返っていつもの笑顔でそう言うと、みんなを会議室から出した。
そして、しゃがんでクレアの目の高さに合わせると、しっかりとその目を見つめて言った。
「クレア。頭が冷えて、セドリスや私が言った言葉の意味を理解できた時、もう一度おいで。――もちろん、その時に君がまだ医療士になりたいなら、だけど」
「…………そうだとしても……別の場所に行きます」
「うん……分かった」
アランは、ゆっくりと頷いた。
クレアはそんなアランから目を逸らすと、涙を拭うこともなく会議室を出ていった。
それから、その年の内に彼女が砦へ戻ることはなかった。
***
会議室を出たエリシア達は、途方に暮れていた。
三者三様の後輩たちをどうすればいいのか分からず、オロオロしていると、他の医療士達が通りがかった。
経緯を説明すると「そういう時は談話室に行けばいいよ」と提案された。
談話室は、まだ休憩時間には早く誰の姿もなく静かだった。
後輩たち三人は黙ったまま。
エリシアは苦笑いを浮かべて、アミル、セドリスと視線を巡らせると、小さな頷きが返ってきた。
「ねぇ、みんなの予定表見せてくれる?」
いつも通りに話し始めたエリシアに、三人は驚きの顔を見せた。
まさか、さっきのことに触れないとは思わなかったようだ。
とりあえず、おずおずと三人は自分の予定表をエリシアに渡した。
「ありがとう。えっと……あぁなるほど、ねぇセドリス、これってここを変えること、出来るかな?」
「どこ? あー、なるほどな。ならこの時間のここを後ろに回しても……問題ないだろう」
「良かった。じゃあそれで良い? アミルも」
「どれどれ? う〜んと、あ……うん、大丈夫!」
内容を伝えていないのに、何故か理解し合う三人に、後輩三人はますます目を丸くしていた。




