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砦のエリシア ―辺境砦で紡ぐ、医療士たちの日々―  作者: 灯影
第1章 医療伯との出会い

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1話 転生からの赤ちゃん生活 

 

 血と土の匂いが、冷たい夜の空気に混じって重く澱んでいた。


 闇夜の奥で、赤く光る目がいくつも瞬いている。

 魔獣だ。

 獲物を射殺すかのように、じっとこちらを見据えていた。


 それに怯む事なく、騎士達は松明や魔法の灯りを頼りに、闇夜ごと切り裂くように、剣を振るっていた。


 あちこちで閃光の如く走る剣筋は、少しの迷いなく魔獣を切り伏せていった。

 その少し後方。

 魔法士達が前線の騎士達を支援しつつ、箒で空を飛ぶ者は、魔獣の弱点を突くような魔法を繰り出していた。

 魔法士達の辺りでは、明かりがいらないほど明るい。


 もうもうと土煙が立ち上り、視界が遮られても魔法士の索敵支援により、騎士達は確実に数を減らしていた。


 寒冷地とは思えないほど、今は嫌な熱気で充満していた。

 森を背にした魔獣達から、耳を裂くよう断末魔が響いている。

 地を震わせるその咆哮が、鼓膜を叩きつけた。

 騎士達の手が“一瞬”止まる。

 空を飛ぶ魔法士達の箒ですら、不安定になる。

 その一瞬を守り切る。


 一際、空気が凛と冷えて張り詰めていった。


「――後方、確認しろ!」


 誰かの大声が、冷えた空気を叩き割るように響いた。

 目を塞ぐように滴る汗を腕で拭いながら、一人の騎士がその声に応えて、視線をめぐらせた。


 ――そのときだった。


 索敵していた魔法士の一人が慌てたように声を張り上げた。

 信じられないといった表情だ。


「待ってください! 人の反応が……! そんな、あり得ない!」


 叫びながら反応のあった場所に、魔法の光を落として騎士を誘導する。


「何を馬鹿な――」


 騎士は魔法士の索敵を疑うわけでは無いが、状況からして半信半疑でその場は急いだ。

 そして――言葉を失った。

 辺りには息絶えた魔獣。

 未だ土煙も収まりきっていない。

 そんな状況下。

 柔らかな魔法の灯りに照らされて、戦場のただ中――あり得ない場所に“赤ん坊”がいた。

 騎士は握っていた剣をすぐさま腰の鞘に戻すと、赤ん坊を掬いあげようとして――血に塗れた手袋を乱暴に脱ぎ捨てた。

 そして今度こそ優しく掬いあげると、前線から脱兎の如く魔馬を駆り、後方の駐屯地にある天幕へと駆け出した。


「団長ーー! 赤ちゃんですー!!」


 騎士は、騎士団の紋章が掲げられた、最も大きな天幕に、もの凄い勢いで入って行った。


 中に居たのは、全ての騎士を指揮する騎士団長であるロデリック・アイゼン――長くない赤茶色の髪を後ろに流した大きな男――だった。


「何だ、大型魔獣の赤ちゃんか!?」

「あ、あ、駄目ですよ団長! 泣いちゃいます!」


 何かをマントの中に庇うように抱き締めている騎士に、ロデリックは眉間の皺を深くした。


「はあ? 大型魔獣の赤ちゃんなら、俺の顔見て泣くようなタマじゃないだろう」


 大きな声を張り上げている訳でもないのに、一声一声が、ずしりと重く威圧する。

 しかし騎士にも負けられない理由があった。

 腕の中の重さと温もりが、決して幻ではないと告げている。

 騎士はそっとマントをずらして、腕の中の赤ん坊を団長に見えるように体勢を変えた。

 くりくりの大きな目がゆっくりと瞬きをしては、小さな口をあうあうと動かしていて、一切の穢れもなく綺麗な空気に包まれているように見えた。


「……っな!?」


 流石の百戦錬磨の騎士団長でさえも、これは予想外だったのか目を丸くして一瞬たじろいだ。


「なん……え!? どこの子だ!? いや、それよりも……い、医療天幕行くぞ、そのまま着いて来い!」

「はい!」

「大きな声を出すな!!」

「それ団長でしょうよ!」


 二人は医療天幕に駆け込むと、目当ての人物を探した。

 今日は負傷者が少ないようで、血の匂いの代わりに、ツンとした薬草などの清浄な香りに満ちている。

 ロデリックはその事に少し安堵して、天幕の奥で薬を調合していた男に声を掛けた。


「セリオン! ちょっと来てくれ!」


 白衣を羽織り、銀色の髪をうなじで一つに束ねたセリオンが、二人の剣幕に「何があった!」と掛けてきた。

 かなりの負傷者を連れているかと思いきや、二人とも怪我の気配も無い。

 不思議そうなセリオンに、ロデリックが最大限に眉を下げた。そして騎士の背をそっと押して、セリオンの前に出した。

 騎士が、まるでこの世の全てから守るように、マントでずっと隠していた赤ん坊をそっと見せた。

 セリオンは目を見開いて固まった。

 しばらく赤ん坊を見つめていたセリオンは、「……説明を頼めるかな?」と、ロデリックに目を向けた。

 彼は大きく頷くと、助けを求めるように経緯を説明し始めたのだった――


「前線に突然の赤ん坊……」


 とりあえず寒くないようにと、滅菌済みの毛布でぐるぐると巻かれた赤ん坊。

 セリオンが軽く健康診断をしてみるも、健康そのもので、お肌も潤っていて艶がある。新生児ではないが、生後一ヶ月か二ヶ月くらいだろう。

 ふくよかできちんと臍の緒の処理もされている。


「……産み捨てられたわけではないな」


 出来るだけふかふかにしたベッドに寝かせた赤ん坊を前に、白衣の男セリオン・モンヴェル――この前線医療を束ねる医療伯――も、また戸惑いを隠せなかった。


「戦いの前に索敵はちゃんとしたんだよね?」

「当たり前だ。民間人がいたら大事だからな!」

「索敵を続けてた魔法士が突然現れたと、声を荒げました。そして私が確認に行ったんです」


 セリオンもまた疑うわけではないが、確認せずに居られない。

 そしてもう一つ確認しなければならない事がある。


 セリオンは未だ泣き声の一つも挙げない赤ん坊の額に、中指を軽く押し当てた。

 赤ん坊特有の高い体温が、指先から伝わってくる。

 小さな淡い水色の光が、ぽう、と指先を包むように光りだした。


「……刻印がない」


 もしかしてとは思ったが、当たってほしくはなかった。

 それは騎士二人も同じなようで、やっぱり……、と小さく呟いて眉を顰めた。


 セリオンの言った刻印とは、『出生刻印』と言って、子供が産まれた際に神官に刻んでもらうもので、身分証のような役割を果たす。

 それがないと言うことは、何かしらの理由で秘密裏に産んだか、人身売買等、褒められた理由で無い事は確かだった。


 天幕の中に言葉はなかった。

 外の風が時折強く吹いては、天幕の分厚い布地を揺らす音が響く。

 しかしその間も中心にいる赤ん坊は、くりくりと目を動かして泣く様子は無かった。


 セリオンはもう一度、今度は胸の中央辺りに手を置いて、自身の魔力を流し始めた。

 この赤ん坊に魔力があるかを確かめるのだ。

 稀に魔力無しで生まれて、捨てられる子も平民貴族問わず、少なくはない。


「魔力の反応はあるね。平均的かな」

「……でも刻印がないなら、規則では孤児院預かりだろう」


 ロデリックは組んでいた腕を外して、無骨な指で赤ん坊のふくよかな頬をツンツンと、つついた。

 ふにふにと、大きな指先が頬に吸い込まれる。

 やめて欲しいのか、掴みたいのか、手を動かす赤ん坊に、ロデリックは厳つい相貌がへにゃりと緩んだ。

 イチコロだ。


「……が! 俺は規則違反の常習者だ!」

「団長……何を自信満々に言ってんですか」

「ならお前は直ぐにでも孤児院に連れて行けって言うのか?」

「規則違反万歳!」

「赤ん坊は正義!」


 ロデリックとその部下は、赤ん坊を守るように囲い込んだ。

 自分から孤児院を切り出しておいて、その選択をあり得ないと言う大男に、セリオンは苦笑じみた笑顔を向けた。


「一旦私の管理下に置くよ。それで明日都合が付き次第神官を呼んでもう一度しっかり確認してもらうつもりだから」

「それで無かったら、直ぐ連れて行かれるんじゃないのか?」


 ロデリックの駄々をこねるような半目に、セリオンはついに笑ってしまった。


「ロデリック。君がそんなに子供好きとは知らなかったよ」

「俺は無類の可愛いもの好きだ!」

「ブフっ!」

「……お前、笑ったな? 後でお仕置きだな」

「笑ってないですって! 団長が可愛いもの好きなんてみんな知ってますし!」


 騒がしい男達を目で追いながら、赤ん坊は「う、あ」と可愛らしい声を漏らしている。

 一緒におしゃべりでもしているようで、セリオン達はみんなここが前線という事を一時忘れていた。


 

 **



 ロデリック達と別れた後、セリオンは部下に頼んで牛の乳を砦から持ってきて貰っていた。

 それを医療魔法によって、赤ちゃんが飲んでも大丈夫なように調合する。

 乳母がいれば一番なのだが、砦にいるはずもなく。

 だが、自分が作る調合ミルクは栄養価も味も安全性も問題ないし、何なら、栄養面でも安全面でも、こっちの方が優れているとさえ思っている。

 それくらいの技術力をセリオンは持ち合わせていた。


 セリオン・モンヴェルは若くして新たな医療魔法を幾つも開発した功績で、医療伯という貴族位を賜った。

 領地を持たない代わりに、この辺境伯領にて医療施設などの設備に充ててもらったのだ。

 研究や薬草の栽培など、広大な土地を必要とする施設を難なく建てられて、大変ありがたい。


 平民からの叩き上げで現場主義の彼は、医療士長兼、医療伯になった今も、現場に赴いている。


 

 夜明けが近い天幕で、ふぁ、と小さなあくびが聞こえてきた。

 数時間おきにミルクを与え、ゲップをさせて抱っこをして寝かせた赤ん坊は、またお腹が空いたのか目を覚まし始めた。

 お尻に巻いた布を取り替えると、すっきりしたような顔にみえた。

 後は美味しい食事だ。


「よしよし、今ミルクをあげようね」


 よいしょ、と赤ん坊を抱っこすれば、腕に命の重みを感じた。


 ……まさか自分がこうして患者以外で赤ん坊を世話する日が来るとは。


 突然現れたこの赤ん坊は、セリオンにも思いもよらぬ方法で、ここへ来たのかもしれない――


(……それなら、説明がつくんだけど)


 魔力が重なれば、空間に歪みが生じることもある。

 魔獣がどこから来たのかさえ、まだ誰も知らないのだ。


 ――この世は謎に満ちている。

 自分の確信めいた考えに、ふっと笑いが込み上げた。


「……それが、何だっていうんだか。今ここで、私の腕の中で生きている。ねぇ? それだけで、良いんだよ」


 この赤ん坊を見ていると、自然と笑顔が生まれる。

 よだれまみれのちいさな手が、顔に触れてきた。

 全く嫌な気分にならないのは、もう母性ならぬ父性が芽生えているからか――


 その手の温もりと柔らかさに、心の中から愛しさが湧き上がって、堪えるのに苦労した。


「……まだどうなるか分からないけど」


 セリオンは守るように柔らかく抱き締めた。

 そして、一つの思いを胸に抱いて、砦に戻る朝を待った。



 この時、誰も知らなかった。


 ――この赤ん坊が、再びこの場所に立つ日が来ることを。


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