12話 真っ白なエプロン
セリオンにしがみつきながら眠った、あの夜から二年が経過した。
スタンピードの日に抱えた不安も、今では少し懐かしい。
エリシアは十二歳になり、幼く揺れやすかった心も、ずいぶん穏やかになっていた。
そうして心に余裕が生まれたこともあり、エリシアはぐんと成長していた。
大きくはっきりとした瞳は綺麗な若草色。
まだ成長途中ではあるものの、可愛らしさの中に少しずつ綺麗さが混ざり始めた愛娘を、セリオンは心配でたまらない様子だった。
しかし何といっても、一番変わったのは、エリシアが“見習い”という立場を得た事だった。
砦では、十二歳から見習い制度に登録できる。
エリシアは十二歳になるとすぐに登録し、公式に“医療士見習い”となった。
セドリスとアミルも一緒で、とても良い関係性を築けていた。
毎日セリオンと砦へ出向き、先に帰ってからも屋敷の図書室で薬学の勉強などをこなす日々に、マリアンはもう淑女らしくとは言わなくなった。
遅くまで勉強をしている時に、リヴィアが夜食を届けてくれるのだが、それを作ってくれているのが料理長ではなく、マリアンだとエリシアは知っている。
エリシアは薬草を匂いでも分類できるほど、鼻が利くようになった。
以前、マリアンとすれ違った時、髪から夜食と同じ香辛料の香りがした。
気のせいかと思ったが、それが何度も続き、リヴィアに尋ねると「知らないふりをしてあげてください」とだけ返ってきた。
不器用な優しさが嬉しくて、エリシアはその想いを勉強への励みに変えた。
***
「おはよう、お父様」
「おはよう、エリシア」
エリシアが食堂に行くと、既にセリオンが座っていて、グレイと今日の予定を確認しているようだった。
邪魔をしない様に大人しく席に着くと、エリシアが好きな野菜のポタージュが、すぐに出てきた。
スープから立ち昇る美味しそうな香りで、エリシアのお腹はぐぅ、と控えめな音を出した。
すぐにスプーンを手に取りかけたがなんとか踏みとどまって、いつもの日課を始めようとスープに少し顔を近づけた。
嗅覚を頼りに、使われている野菜を予想して、味覚で確かめる。
でもいつも途中で食事に夢中になってしまうので、全部分かった試しがない。
料理長はエリシアがスープで味覚と嗅覚を鍛えていると知っているので、毎回野菜を変えてくるのだ。
それがとても手強い。
一度だけセリオンと勝負したことがあるのだが、味に夢中になっている隙に全部当てられてしまい、その日は悔しくて口をきかなかった。
今日も途中までは考えながら味わっていたものの、三品予想したあたりから美味しすぎて、もういいやとなってしまった。
恐るべし料理長。
食事はやっぱり美味しさを噛み締めて食べるのが良いよね、と心の中で言い訳をした。
「そうだ、今日は先に行くよ。エリシアはいつも通りでいいから」
その声に視線をあげると、グレイとの話がいつの間にか終わっていた。
セリオンはニコニコとエリシアが食事をしている所を眺めていたようだ。
「分かった。何かあるの?」
「いや書類が溜まってきてアランに昨日怒られちゃってね」
ふふ、と笑うセリオン。
小首を傾げた時に、束ねた髪がさらりと揺れた。
(綺麗な髪……誰が見ても絶対お父様は格好いいし……自慢なんだけど)
ジク、とエリシアの心が反応した。
視線を少し下げると、自分の赤みがかった金髪が目に入る。
(全然、違う……)
この色が嫌いなわけではないし、色味自体は綺麗だなと自分でも思う。
けれど、そういうことではない。
――もしセリオンと“本当の親子”だったなら。
自分にも輝く銀髪や、セリオンによく似た面差しがあったかもしれない。
二人はそっくりね、と誰かに笑われていたのかもしれない。
(言われることは……ないのかな)
寂しいな、と思ったら胸の奥が痛いくらいに冷えた。
「エリシア? ボーッとしてどうしたの?」
エリシアは、はっと我にかえるとなんでもないという風に、手に持っていたスプーンで、スープをそっとかき混ぜた。
(……やだ、何でこんな事考えちゃったの?)
込み上げた罪悪感を隠すように笑顔を作った。
「お父様の銀髪が素敵だなって思ってたの」
「そう? 私はエリシアの、淡い赤色と煌めく金色が合わさった“モルガナイト”のような髪がとても好きだよ」
上手く誤魔化せたどころか、恥ずかしいくらいに褒められてしまった。
けれど、そのお陰で冷えた胸の奥は、温かいセリオンの言葉で満たされて、もう痛くはなかった。
エリシアは自分の単純さが可笑しくて、くすっと笑った。
「そういえば、今日エプロンが届くと言っていたなぁ」
紅茶を一口飲んだセリオンがチラチラとエリシアに視線を向けている。
やけに棒読みで芝居じみた台詞だと思ったが、そのことよりもその内容にエリシアは反応した。
「エプロン!?」
思わず腰を少し浮かしたエリシアは、マリアンの咳払いに大人しく席に着いた。
「昨日アランが『ようやく届くんですよ』って言ってたからね」
「やった〜! 嬉しい!」
両手を上げて喜んでしまった。
どうやらこれはお咎めなしのようで、マリアンは黙っていた。
そして、そんなエリシアの反応に満足したセリオンは、満面の笑みを浮かべていた。
白衣と制服は、正式採用者のみの特権。
エリシアの憧れの一つ。
そして、エリシアの立場は見習いなので、私服にエプロンの出で立ちなのだが、今までのエプロンは自前のものだった。
それは見習い自体がほとんどいなかったことにも関係するのだが、今年から見習い制度がきちんと見直されてエプロンも支給されることになった。
それがエリシア達三人はとても嬉しく感じていたのだ。
「きっと似合うよ。届いたら一番に着てみせてね」
「……ちょっと無理かも」
「えー! どうして!」
「だってみんなで着るもの」
「……分かった二番目でいいよ」
「それも無理かも」
「何で!?」
「リヴィアにも見せたい」
リヴィアはびっくりして吹き出しそうになった。
そして(いいです、いいです、最後で! どうか旦那様を先に〜!)と、全力で唱えた。
「その後お父様のところに行くね!」
リヴィアの願いは届かなかった。
セリオンから恨みがましい視線を感じつつ、そっと目を伏せるリヴィアだった。
***
砦が見えてきた時、雪がはらはらと降り始めた。
エリシアは、屋敷から砦までいつも歩いて通っている。
さほど遠くはないし、丘を登るのも体力が付く。医療士は体力勝負な所がある。
それに自然の中を歩くので毎日違う景色で飽きないし、楽しい。
もちろんリヴィアも一緒。
加えてセリオンが無理やり付けた護衛も、どこかにいるらしい。
何故か姿を見た事はない。
屋敷を出た時から、顔を刺すような空気に上がっていた気分が、雪を見てますます上がってエリシアはとてもご機嫌になった。
エリシアはここの、長いと言われる冬がとても好きだった。
魔法を使わずに、温かい外套を着込むのが好きで、色んな種類の外套を気分で使い分けている。
今日は、もこもこしたふんわりタイプの外套だ。色は淡いピンクでとても可愛い。
エリシアは手のひらで降ってくる雪を受け止めた。
「リヴィア、雪よ! 積もるかな?」
「この様子だと夕方にはもっと降って、積もりそうですね」
リヴィアは天気を読むのが上手く、外れた事がない。
占い師の家系らしく、星詠みも出来て、「それだけが得意なんです」と恥ずかしそうに笑っていた。
十分すごいと思うエリシアだった。
門に着くと、セドリスの姿勢の良い背中が見えた。
「セドリス! おーはーよー!」
エリシアは声を上げながらその背中に突進すると、セドリスは前のめりになりながらも耐えきった。
幼い頃二人まとめて転んで笑い合っていたのが、嘘みたいに逞しかった。
「うわっ!? もー、それやめろっていつも言ってるだろ! 昔とは違うんだからな、転ぶぞ!」
「そう言って絶対転ばないのがすごいよね」
「それはほら、体幹を鍛えてるから……って、話逸らしたな!」
「ねぇ、今日エプロン届くみたいだよ!」
「え、本当か!」
「うん、今朝お父様が言ってた」
門の前で話し込んでいると、もう顔馴染みの門番に笑いながら「いいから早く入れ」と怒られた。
見習いになってからは、門に入る前にリヴィアと別れるのだが、今日はエプロンのお披露目をしたいからと、中で待っていてもらう事にした。
三人で廊下を歩いていると、騎士見習いの子達とすれ違った。
お互い笑顔で挨拶を交わし、それぞれの所属する棟へと向かう。
リヴィアは食堂で待っててもらう事になった。
他の侍女達もちらほらいるので、退屈はしないそうだ。
侍女達のネットワークはとてつもない。
リヴィアは顔見知りの侍女を見つけて、笑顔で挨拶を交わしていた。
さて、見習いは朝の八時から夕刻の六時までの勤務になる。
基本的に朝は薬草庫で在庫を確認し、少なくなっている薬草を薬草園から補充する。
その後は、調合室へ行って薬草の特性に合った下処理をしていく。
ここで間違えれば、薬効が変わってしまう。
かなりの神経を使うのだが、それも見習いの仕事らしかった。
ここまで終われば、後は臨機応変に立ち回る。
といっても、その頃には上がりの時間になっていることがほとんどだ。
更衣室に着くと、アミルがもう来て準備を終えていた。
更衣室は一人一人、広めの棚を貰えて、そこに荷物を置いている。
医療士達は、もう制服を着てくるので、服を着替える事はほぼなくて、白衣だけを置いている感じだ。
汚れた時に奥の個室で着替える程度なので、男女別ではない。
アミルの燃えるような赤毛は、成長するにつれて、茶色が強くなり少し落ち着いた色合いになっている。
それを頭のてっぺんでくるんと、まとめてお団子にしていた。癖のある髪がふわふわして見えて可愛かった。
「おはようアミル」
「おはよう〜二人とも。さっきアラン副士長に会ったんだけど、三人揃ったら部屋に来てって〜」
「「エプロン!」」
エリシアとセドリスは、顔を見合わせてはしゃいだ。
「なに〜?」と首を傾げながら、アミルはそんな二人を見ていた。
エリシア達が揃って副士長室に行くと、これ見よがしな箱が一つ、ドンと置かれていた。
「おはようございます!」
エリシア達が挨拶すると、アランは笑顔で手を振った。
「おはよう。お待ちかねのものが届いたよー」
アランが指一本を立てて、くるくると回した。
すると箱が開き始め、中から三つの布袋がふわふわと浮かび上がった。
その袋は箱の上を一度旋回すると、一つずつ三人の前に並んでいった。
エリシアが袋を手に取ると、麻紐で縛られていた口が開いた。
中からしゅるっとエプロンが出てきて、まるでエリシアに見せるかのように、くるくると回転した。
前身頃は膝丈で、大きなポケットがいくつも付いていた。
肩紐は背中で交差し、腰で結ぶ形だ。
「……真っ白」
エリシアの横で、アミルの小さな声が聞こえた。
それにアランが大袈裟に頷いている。
「本当は濃い色とか、それぞれ違う色とか考えたんだけどね。やっぱり最初はどんな薬草や薬液で、どんな色に染まるのか知ってほしいなって思ってさ?」
エリシアがエプロンに手を伸ばすと、すとんと、頭から被さってきて、腰の紐がきゅっと結ばれた。
真っ白なエプロンが眩しくて、少し気恥ずかしくなったエリシアは頬を染めた。
ずっと憧れていたものだった。
両隣でもそれぞれエプロンを身につけた二人が、ソワソワしていた。
エリシアは、セドリスやアミルと視線を交わし合ってまた照れたように笑った。
医療士見習いとして、真っ白なエプロンを身につけたエリシア。
丈夫で柔らかそうなエプロンの胸元をそっと撫でた。
自然と背筋が伸びる。
いつか白衣を着るその日まで、このエプロンが似合う見習いでいたい。
エリシアは頬が緩むのをそのままに、もう一度胸元を撫でた。
***
「リヴィア見て! どうどう?」
食事で侍女仲間とお喋りしていたリヴィアの元へ出向いたエリシアは、先程のエプロンと同じように、くるくると回って見せた。
「とっってもお似合いですよ! フリルもレースもないのに、お嬢様が身につけると凄く可愛くてお洒落に見えます! 最高でしゅ!」
「あの……そういう事じゃなくてね? あと、最後噛んでるしね?」
エリシアは、リヴィアの熱量に押され気味で、その後ろではセドリスとアミルが、肩を震わせて笑っていた。
「ちゃんと見習いっぽく見えてる?」
「もちろんです! すっごく可愛いです!」
「……ありがとう」
エリシアは、苦笑いで受け止めた。
アミルとセドリスも、親に見せに行くというので、一旦ここで別れる事にした。
セリオンの部屋へ向かったものの、中へ入る必要はなかった。
部屋の前の廊下を、セリオンが落ち着きなくうろうろしていたからだ。
エリシアの顔がぱっと輝いた。
そして我慢ができなかった父の姿を見て笑い出した。
「あはは! お父様〜、何してるの、もー!」
「……エリシア! あぁ……とても似合うよ。どうしよう、泣きそうだ」
セリオンは駆けて来たエリシアを抱き締めようとした両手を、そっと自分の胸に押し当てた。
それを見たエリシアが、その手をそっと握るように掴んだ。
そして自分の身体に回すと、セリオンに抱きついた。
「エリシア……」
「あのねお父様。ここが一番好きな場所なの。一番落ち着く。だからいつでもいいの」
セリオンは最近、エリシアが嫌がるかもしれないと、抱き締めるのを我慢する事が多かった。
エリシアは、それが少し寂しくてどうにかしたいと思っていたのだ。
セリオンは、真っ白なエプロンを着けたエリシアを、『長すぎる』と怒られるまで抱き締め続けた。




