11話 約束
色々あったスタンピードの翌日。
エリシアはベルクとリヴィアと共に、屋敷の物置で今日も”お掃除魔法”と戦っていた。
いつもは緩く編み込むか、そのまま下ろしている髪を、今日は頭の上で綺麗にまとめてもらったし、髪飾りの類も全て外している。
前々回のお掃除魔法で、髪留めやリボンがことごとく飛んでいって行方不明のままだし、前回はリヴィアのエプロンが踊り出してどこかへ消えていった。
エリシアは今回もまた覚悟を決めると、同じくらい真剣な顔つきのリヴィアに目を向けた。
こくりと、重く頷くリヴィアにエリシアも頷き返すと、次に、この場にそぐわないにこやかな表情のベルクに向き直った。
「……いいですか、ベルク先生」
「いつでもどうぞ」
緊張感が漂う物置で、ベルクの柔らかな微笑みに背中を押されたエリシアは、すっと両手を物置の奥へと向けた。
そして大きく息を吸った。
「……お掃除魔法ー!」
物置中の埃がしゅるしゅると部屋の真ん中へ集まりだし、エリシアの頭ほどの塊が出来た。
そして用意していた布巾は、意気揚々と水を張った“たらい”にぴしゃんと飛び込んだ。
――いけるかもしれない!
エリシアがそう思った次の瞬間。
たらいの水が大小様々な玉となって、噴水のように勢いよく浮かび上がっては弾け、水をたっぷり含んだ布巾は、部屋から飛び出して廊下に張られた絨毯の上を軽快に滑っていった。
「「…………」」
エリシアとリヴィアが呆然としている中で、ベルクの楽しそうな笑い声が響いた。
「あはは、“布巾の行方は濡れた道の先”って、何だか本になりそうですね」
「……あはは」
エリシアは力なく俯いた。
「今回は埃を纏める事が出来ましたね。また一歩前進です」
エリシアが顔を上げると、一塊になった埃が、次の指示を待つようにふわふわと浮かんでいた。
それがなんだか可愛く思えてエリシアは眉を下げて笑った。
「……おばあちゃんになる頃には出来る様になりますかね」
「大丈夫です。目標は大きくいきましょう!」
リヴィアはびしょ濡れになった絨毯に、そっと風魔法をかけ水分を飛ばすと、後で“布巾を探す”という項目を今日の仕事に付け加えた。
その日の夕方、早めに帰宅したセリオンを出迎えたエリシアは、そのまま一緒に夕食をとった。
テーブルについて、サラダを自分で取り分けると、ついでにセリオンの分のサラダも取り分けた。
トマトを多めにお皿に盛ると、セリオンは困ったように笑っていた。
「それでね、布巾はその後も見つからなかったの。ベルク先生は自我を得てどこかに行ったんじゃないかって」
「あはは! エプロンの次は布巾かー。エリシアには自我を持たせる才能があるのかもしれないよ?」
セリオンは笑いながらパンをちぎると、口の中へ運んだ。
「そんな才能いらないよー!」
エリシアは頬を膨らませながら、香りの強い香草をこっそり避けて、蒸した芋をパクりと頬張った。
バレてない。
そう思っていたのに、笑いを堪えているセリオンと目が合うと、ぎくりと大袈裟に逸らしてしまった。
しかも逸らした先には侍女長のマリアンがいて、食べなさいと目だけで叱られた。
マリアンにバレてしまっては逃げられないので、渋々フォークで刺して口に運ぶと、息を止めてお水で流し込んだ。
「……ぶはー! これ匂いがきついし、苦いしで、苦手……!」
マリアンは困ったような呆れたような顔をしていて、セリオンは少し笑っていた。
「エリシアの成長には欠かせない栄養素がたっぷり入ってるんだけどねー?」
「それは分かるけど! でもお父様だってトマトいっぱい入れたら困った顔したくせに」
「あはは! じゃあエリシアが抱きついてきてくれたら食べるよ」
「私、もうそこまで子供じゃないもん」
「えー? 親にとっては子供はいつまでも子供だよ。私は、エリシアに嫌がられても、おじいちゃんになるまでずっと抱っこしたいよ」
「ほら。そうやってはぐらかして、結局トマト食べないんだから! ずるい、お父様もマリアンに叱られるべきよ!」
エリシアが、ふいと拗ねたように顔を背けると、後ろからマリアンが「後でたっぷり叱っておきますから」という声が聞こえた。
それで“拗ね”の矛先を納めたエリシアは、「許してあげるわ」とセリオンに言った。
「ありがとう」
セリオンは眩しいものを見るかのように目を細めて、エリシアを見つめた。
食事が終わり、エリシアが湯浴みから上がると、セリオンはガウン姿のままグレイと仕事の話をしていた。
エリシアは何となく面白くなくてセリオンの足にしがみついた。
セリオンは、両手を少しあげるとしがみついたエリシアに目を向けた。
「驚いた、どうしたのエリシア?」
そう言ってセリオンは、エリシアの髪を撫でた。
「……今日はお父様と一緒に寝たい」
話の腰を折るのはマナー違反だと分かっているけれど、我慢が出来なかったのだ。
セリオンの温かくて大きな手がゆっくりと頭を撫でるたびに、エリシアの腕にチカラが入っていく。
そんなエリシアに、セリオンは驚いたようにグレイを見た。
彼は満面の笑みで、執事の礼を取り、部屋を出て行った。
「いいよ、一緒に寝よう」
「うん……」
二人で手を繋いで向かった先は、セリオンの部屋。
エリシアはセリオンにベッドへ運んでもらった。
昔のように抱き上げてくれた腕は、変わらず安心感があってなんだか泣きそうになる。
セリオンがエリシアの方を向いて横になったので、腕の中にもぞもぞと潜り込んだ。
エリシアの髪がまだ少し湿っていたのか、セリオンが風魔法でさっと乾かした。
サラサラになった髪を撫でられたエリシアは、とても嬉しそうに微笑んだ。
「……お父様」
「何だい?」
「……大好き」
「私もエリシアが世界で一番大好きだし、愛しているよ」
嬉しくて恥ずかしくて、顔を隠すようにセリオンの胸元に頭を押しつけた。
そして、懐かしくて大好きな匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
セリオンがここに居るという実感が欲しくてたまらない。
エリシアはセリオンの服をぎゅっと握った。
「何があっても、私の所に帰ってきてね……」
セリオンはようやく腑に落ちたと同時に、胸が痛くなった。
「もちろんだよ。私の帰る場所はいつだってエリシアの所だからね。必ず君の所に帰ると約束するよ」
「一人にしないでね」
「しないよ。約束する」
あの日、大人達は誰も騒いでいなかった。
それなのに、いつもの笑顔が少しだけ硬く見えた。
遠くで土煙が上がり、地響きが足元を震わせた瞬間。
エリシアは、気付けば小さな両手をぎゅっと握り締めていた。
セリオンに何かあったら、と考えてしまったのだ。
――初めて身が竦む恐怖を体験した。
それを十歳のエリシアは黙って押し殺そうとした。
けれど、当然出来なくて。
セリオンにとっては、いつも通りの出動でも、エリシアにとっては、初めて目の前で突きつけられた“見送る”恐怖だった。
ベッドの中で、エリシアの寂しさと、セリオンの後悔が重なった。
セリオンは何も言えないまま、エリシアをそっと胸に抱き留めた。
小さな背中をゆっくり撫でながら、目を閉じる。
時折大人びて見えることに甘えて、まだ十歳の少女なのだと忘れかけていた。
その事実を今更ながら突きつけられ、言葉にならないため息が漏れた。
「次はちゃんと、声を掛けるからね」
「私も……ちゃんと、いってらっしゃいって言うね」
エリシアは、それ以上何も言わなかった。
セリオンの腕の中、一番安心する場所でエリシアは眠りについた。




