9話 はじまりの三人
セリオンがエリシアを育て始めた頃から、砦はいろんな面で変化を始めた。
一番顕著なのは、砦に子供の姿がちらほら増えた事だった。
セリオンがエリシアを連れて仕事をしている姿が、他の子を持つ親達に、「自分達も子供と共に働けるかもしれない」という希望を与えた。
もちろん、子供だからといって野放しは危険なため許されておらず、挨拶など最低限のマナーも必要である。
それだけに、連れて来る親にも責任が求められた。
そうして砦に集まった子供達は、自然と大人達の仕事を尊敬し、いつか自分もそうなりたいと願う子達ばかりになっていった。
子供の吸収力は凄まじい。
『学院よりも、砦に連れてきた方が子供が自主的に学ぶんです!』と言われた時は、セリオンもとても嬉しかった。
無骨な要塞のようだった砦が、みんなの生活の一部に溶け込んだ瞬間だった。
そして、その事にエリシアは飛び上がるほど喜んだ。
同年代の友達が出来たのだ。
初めて挨拶を交わして、手を繋いだ時は何日もその話をセリオンや、屋敷のみんなに話して回っていた。
男女を問わず、やりたい事も目指す方向も違っていたが、みんなそれぞれに芯を持つ子達だった。
エリシアの世界は、一気に広がったのだった。
七歳から十歳までの三年間。
エリシアは、薬草園と砦を行き来しながら、驚くほど充実した日々を送っていた。
扱える薬草は増え、屋敷の人達に頼まれて色々な薬を作れるようにもなった。
砦では友達が出来て、同年代との距離感を覚えた。
マリアンとの約束通り淑女教育も一通りこなし、一般教養も学び続けている。
失敗も沢山したけれど、その度にセリオンやベルク、周囲の大人達に支えられながら、エリシアは少しずつ成長していった。
そして気付けば――十歳になっていた。
毎日が楽しくて仕方がない。
そんなエリシアとは対照的な人物が――今日も朝から執務机に両肘をついて、おでこを預け項垂れていた。
「セリオン医療士長、いい加減諦めたらどうです?」
必要書類を受け取りに来たアランは、最近毎朝同じ事でしょぼくれている上司に呆れ顔だった。
「……今日もエリシアが抱っこをさせてくれなかった」
「もう十歳ですからねぇ」
「昔は『だっちょ、だっちょ』とせがんで来ていたのに……」
「あれは可愛かったですよねー」
「今でも可愛い……」
「そうですね、可愛いですよ。当たり前に」
はぁ〜、と大きな溜息が部屋に響く。
「もう、私行きますよ」
「君まで私に冷たくなるのか!?」
「別にエリシアは冷たくなった訳じゃないですって。“女の子”から“少女”に変わり始めてるんですよ」
「……どうして君はそんなに冷静でいられるんだ」
「…………先に会議室に降りてますから、早く来てくださいよ」
全くもう、と言いながら扉を閉めてアランは歩みを進めた。
医療分野のトップとも言えるセリオン・モンヴェル医療伯は、それはもう誰もが認める、非常に優秀な上司である。
若い頃に数々の新薬や治療法、医療魔法を生み出した功績により、“医療伯”の爵位を賜り、領地の代わりに自然豊かな辺境伯領に大規模な研究施設や薬草園を建設した。
そして、幼馴染で学友でもあるノースレーン辺境伯から「それなら砦に充実した医療を」と請われ、砦内に医療施設を設けたのだ。
「一生結婚する気はないって言ってた士長が、とんでもない親バカになるなんて誰も思わないよねぇ」
先程のやりとりを思い出して、にやにやが止まらないアランは、階下から聞こえて来た賑やかな声に足をとめた。
どうやら魔法士を親に持つ子供達のようで、自身の魔力量が少ない事を気にして、どうしたら増えるのか話し合っているようだった。
自然と緩む頬は嫌いじゃない。
「……この感じも昔はなかったな〜。今の砦は居心地良くて好きだな」
アランは砦の変わりゆく空気に触れながら、今日一日の流れを頭の中で整理しつつ会議室へと入っていった。
――同時刻、国境付近の森を見渡せる見張り塔にて。
哨戒中の魔法士が、地面の揺らぎを感じ取った。
すぐさま索敵魔法を展開して状況把握に努める。
「……久々に来るか〜」
のんびりした口調と対照的に、瞬時に緊急時用の魔法を空に打ち上げた。
明るい空が、一瞬にして金色の閃光に染まった。
それと同時に、各所へ詳細を伝える光の鳥が一斉に羽ばたいていった。
問題なく打ち上がった事を確認して、魔法士は今出来るだけの強化を結界にかけていく。
異変を察知した見張り仲間の騎士が、階段を数段ずつ飛ばしながら駆け上がってきた。
「何が見えた?」
「スタンピードですよ。こんな朝っぱらから面倒ですよねぇ」
「分かった。応援が来るまで頑張ろうぜ」
「とりあえず結界は強化しましたけど、あともう二、三人分は欲しいですね。あ、身体強化掛けましょうか?」
「いや、大丈夫だ。自分でかけるよ。少しでも魔力は温存しといてくれ」
「かしこまりました〜」
見張りの二人はそれぞれの役割を果たすべく配置についた。
***
緊急時魔法を確認した砦では、中規模のスタンピードという事も伝わっているので、それに合わせて非番の騎士と魔法士にも招集が掛かった。
当然、医療士も呼ばれている。
「さあ、魔法士達行くわよ〜! 一番最後に着いた子は、私の部屋の掃除をしてもらうからね!」
セルシィがひと足先に、魔法士達を率いて箒で空を駆けて行く。
風魔法も使ったのか、突風と共にその背はすぐに見えなくなった。
「よし、我々も行くぞ! 遅れるな!」
そしてロデリックもまた騎士達を率いて、魔馬を操り地を駆けて行った。
一堂に集められた子供達は、空と地を駆けていく背中を、言葉もなく食い入るようにじっと見つめていた。
いつもの賑やかさはどこにもない。
「さて、医療班も行くよ!」
セリオンが医療士達と共に魔導車(御者はいるが馬はいない大型の馬車に魔法がかけられている)に乗り込むと、ふわりと車輪が浮き上がる。
四台の魔導車が一列になって騎士団の後を追うように走り抜けて行った。
「さぁ子供達は、医療棟で帰りを待ちましょうね」
砦の守備を任された面々は、子供達を集めると医療士棟にある、食堂へと連れて行った。
医療士棟は砦の中央部にあり、左に騎士棟、右に魔法士棟となっている。
利便性を考えた配置で、所属を問わず人が集まる場所は、自然と医療士棟の食堂になるのだ。
食堂に着くと、子供達を必要以上に怖がらせない為に料理長がおやつを用意して待っていた。
子供達の固まっていた表情は、みるみる溶けて笑顔になっていく。
ようやく、明るい声も聞こえて来た。
「医療魔法を習ってる子達はこっちに来てくれる?」
食堂にアランの声が響いた。
どうやらアランは、大量に必要になるかもしれないあらゆる薬の調合をする為、砦に残ったようだった。
「「はい!」」
三人の子供が、緊張気味に返事をした。
もちろんその中の一人はエリシアだ。
「今から調合室に行くので着いて来てね」
「はい!」
アランは移動しながら子供達に確認を始めた。
「軽い擦過傷、切創、咬み傷は治癒薬で。酷いものになってくると専用の薬を使うよ。毒には解毒薬、瘴気での汚れは浄化薬。後は炎症を抑える鎮炎薬。ここまでは分かる?」
「大丈夫です」
真剣な顔付きで頷く三人に、アランもまた頷いた。
「じゃあ、その中で作れる薬は?」
アランはすぐそばにいた、くるくるした長い髪をした赤毛の少女にまず問いかけた。
大きなヘーゼルの瞳が不安と緊張で揺れている。
この少女は、エリシアにとっての初めての友達だった。
人見知りがちで、すぐに誰かの後ろに隠れてしまうのだが、エリシアとは最初から打ち解けていた。
そんな初めて出来た友達なのに、お互い名乗るタイミングを逃してしまい、気付けばずっと名前を知らないまま。
「解毒薬と鎮炎薬は作れないです……」
おどおどする赤毛の子の手を、エリシアがきゅっと握った。
握り返してくれた手から温もりが伝わって、エリシアは少し緊張が和らいだ気がした。
「うんうん。じゃあ次、君は?」
ずっとアランの顔を見ていた少年。
整えられたダークブロンドの髪に、涼しげな目元に映えるブルーグレーの瞳。
背筋を伸ばした立ち姿は十歳とは思えないほど落ち着いていて、どこか貴族らしい気品を感じさせた。
少年は「僕はその子と違って全部作れます」と、少し声を上擦らせながらも淡々と答えた。
にこりと笑って頷くアラン。
「分かった。じゃあ次は――」
アランはエリシアに視線を移した。
「どれも大丈夫です」
「君が、全部? 見栄を張っているんじゃないのか?」
少年はエリシアを見た目で判断したのか、赤毛の子と見比べて鼻で笑った。
赤毛の子は居た堪れないのか、手を繋いだまま、そっと後ろに下がって下を向いてしまった。
エリシアは隣に並んで、睨むわけでもなくただじっと少年を見つめた。
「うーん、困ったねぇ」
少年はうんうんと頷いている。
「君は、食堂に戻って良いよー」
アランは少年に向かってにこりと笑った。
それを受けて、少年はポカンと口を開けた。理解できないようで、え? え? と、戸惑っている。
「あのね、薬はいずれ作れるようになるから。もちろん、勉強は必要だし、向き不向きもあるよ? でも遅いか早いかは関係ないから。それに命を預かる医療班に、仲間を信じられない人や、人を見下す人は誰であれ必要ないかな〜」
アランは尚も笑顔で続けた。
「食堂に戻る? それとも二人に謝る?」
「…………ごめんなさい」
少年は、震える唇で二人に謝った。
目には涙が滲み始めていて、ぎゅっと拳を握っていた。
悔しいのか、反省したのか、それは本人にしか分からない。
けれど、セドリスが誰かを見下すような言葉を口にしたのは、これが最初で最後だった。
エリシアは少し微笑んで、赤毛の子はおずおずと頷いた。
そして全員揃って調合室に向かった。
調合室では既に四人の医療士が色んな薬を調合していた。
いくつものすり鉢が、人の手無しに動いている。
色んな香りがそこら中で漂っていて、特にぐつぐつ煮込まれている鍋からは、何とも言えない臭いがしていた。
薬草が飛び交っている合間を縫って、四人は奥の部屋に向かった。
「ここでさっき言った薬を三人で分担して作って。完成したものは必ず私が確認するから、勝手に運び出さないでね」
そう言ってアランは少し離れた調合台に行ってしまった。
残された三人は、とりあえず、すり鉢を棚から取り出して台へと並べた。
そして三人で話し合った結果、赤毛の子が作れないものを他の二人がカバーし合う事にして、他の薬を赤毛の子が多めに作ることに落ち着いた。
「……さっきは、その。本当に、ごめん。俺はセドリス、十歳だ。名前を聞いてもいいか?」
少し気まずそうにセドリスが言うと、エリシアは笑顔で手を差し出した。
「私はエリシア。十歳よ。よろしくね」
セドリスは、パッと嬉しそうに笑うと手を握った。
「あたしはアミルです……よろしくお願いします。えっと十歳です」
「みんな同い年じゃないか、よろしく」
セドリスが手を差し出すと、アミルは恐々その手を握った。
エリシアも二人の握手が何だか嬉しかった。
「ね、やっと名前呼べるよ。アミルよろしくね」
「ふふ、エリシアもよろしくね」
「二人とも、エルシーって呼んでね」
二人とも笑顔で頷いた。
エリシア達はあっという間に打ち解けて、良い雰囲気で薬を作り始めていた。
アミルを中心にしてセドリスとエリシアが何かを話しかけると、アミルの控えめな笑顔が二人に向けられた。
セドリスとエリシアは、目を合わせて笑い合った。
アランはそんな三人をニヤニヤしながらこっそり見ていたのだが、他の医療士に怒られてメソメソしながら高度な薬をいくつも調合したのだった。
それから暫くして、遠くから地響きや轟音がいくつも聞こえてきた。
ガラス窓がビリビリと震えて、棚に置いてある器具が小刻みに音を鳴らす。
そんな訳はないのに、土煙の匂いまでしそうだった。
エリシア達は何も言わず、自然と寄り添って手を握り合った。
――戦いが、そろそろ終わりそうだと、誰かが言った。




