7話 好奇心の代償
またいくつもの季節が過ぎて、エリシアは、七歳になっていた。
でも相変わらずお掃除魔法は苦手で、下手に手を出すと後始末が大変なので、もう素直にみんなに任せている。
“手伝わない”事が大事な“お手伝い”だと、セリオンは笑っていた。
セリオンは医療伯という貴族位だが、セリオン自身、平民出身の自分に誇りを持っている為、自分で出来ることは何でもしてしまう。
それを見て育ったエリシアも、自分の部屋は自分で掃除したかったし、そうするものだと思っていた。
淑女教育を受け始めてからは、考え方の違いに驚いてばかりで、全く楽しくなかった。淑女には向いていないと、もう分かりきっていた。
そしてそんなエリシアは今、薬草園にいた。
ここは毒性の強い薬草が植えられた区画ではなく、エリシアも一人で観察することを許されている場所だ。
しゃがみ込んだエリシアの横では、大きな手帳と羽ペンが宙にふわふわと浮いている。
エリシアは手にした薬草を、裏返したり逆さにしたり、匂いを嗅いだりとじっくり観察していた。
「この薬草は、葉の裏がちくちくするなぁ。ちょっと酸っぱい匂いがする……」
エリシアが、感じた事、見たままを羽ペンが、魔法によって自動で絵や文章にしていくのだ。
作っているのは自作の薬草手帳。
『薬草は似たようなものが多いから、間違えないようにね』とセリオンに聞いてから、観察するのが趣味になった。
「まだまだ沢山あるなぁ」
それでも全く苦に思わない。
むしろ楽しくて、ずっと見ていたとすら思う。
そろそろ勉強の時間だと、立ち上がってスカートを手で払うと、ぱらぱらと砂が落ちていく。
落ちた先にあったのは、まだ扱ったことのない薬草だった。
「……あれ、これ見たことある?」
手に取って眺めているうちに、似たような薬草があった事を思い出して、視線を巡らせる。
「確かこの辺に……あ、これだ」
二つを見比べると、葉の大きさが若干違うのと、片方の色が少しだけ赤みがあった。
「見比べないと、慣れるまでは難しいなぁ」
それでもセリオンは間違える事なく、正確にひょいひょいと摘み取っていくのだ。
「私もお父様みたいになりたいな……」
左右の手にそれぞれ持った薬草を陽にかざすと、どういうわけか、赤みがある方の薬草の香りが強くなった。
「……すごい、香りが変わるんだ。でも普段は変わらないのに、どうして?」
エリシアは手帳の“聞きたい事”欄に、書き留めた。
セリオンや誰かに聞きたい事ができた時、忘れないようにすぐ書くようにしている。
その時、先ほどよりも甘い魅惑的な香りが、エリシアの鼻先を掠めた。
「何か……美味しそうな匂い」
けれどもう時間がない。屋敷に戻って勉強をしなければ。
マリアンにまた怒られるかも――でも、走って戻れば間に合うかもしれない。
それより、この匂いの正体が気になった。
セリオンも、安全を確認した薬草は味で覚えることがあると言っていた。
「前もお父様と一緒に齧ったし……」
とうとうエリシアは好奇心に負けて、少しだけ齧ることにした。
「……ぅえ、味はいつもと変わらないのかぁ。でもなんだろう……少しだけ体がふわっとするかも……?」
ここは慣れ親しんだ薬草園。
――だから、大丈夫だと思った。
魔法で浮かんでいた羽ペンが、手帳と共に力なく土の上に落ちた。
「あれ?」と思った時には、体中から力が抜けていき、立っていられない。
苦しくもないし、痛くもない。
でも、もうきっと倒れているのだろう。
草と土の香りがやけに近いな、と思ったのが最後だった。
エリシアはこの日から丸二日、目を覚まさなかった。
***
エリシアはゆっくりと瞼を開けた。
薄暗い部屋。
けれど、自分の部屋だとすぐに分かった。
「……目が覚めたようだね」
覗き込むように声を掛けてきたのは、セリオンだ。
いつもの声の明るさではない事に、小さな心臓がぎゅっと痛くなった。
セリオンが指を振ってランプの灯りを強くした。
薄暗かった部屋が明るくなり、エリシアは少し安堵した。
セリオンは、水差しの水をグラスに注ぐと、手を添えながらエリシアに飲ませた。
そこで初めて、かなり喉が乾いていたのだと気付いた。
もう一度お水をもらい、今度は自分で飲んだ。
空のグラスを受け取ったセリオンは、笑顔なのに、どこか悲しげだった。
「エリシア、気分はどうだい? 二日、眠っていたんだよ」
その言葉にエリシアは、固まってしまった。
(うそ……、あの薬草?)
灯りに照らされたセリオン。
目の下の隈は、目覚めたばかりのエリシアでもすぐにわかるほどで、それを見た瞬間に自分がしでかした事に気が付いた。
「お父様……ご、ごめんなさい」
涙が勝手に出て来て、しゃくりあげてしまう。
セリオンに縋り付きたいのに、体がいう事を聞いてくれないもどかしさで、更に涙が溢れた。
セリオンはエリシアの横に座ると、抱き上げて膝の上に横抱きにした。
そして腕の中に閉じ込める様に強く抱きしめた。
それは、息が詰まるほどの強さ。
「……もう二度と目を開けないんじゃないかと……」
セリオンは、震える息を一つ吐いた。
「……そんな事、ないって分かっているのに、何度も何度も思ってしまったんだ」
エリシアはその言葉にひゅっと息を呑んだ。恐怖が今更ながらに込み上げる。
ただセリオンを震える手で抱きしめ返した。
(……いつものハーブの匂いがしない……)
それはきっと自分のそばにずっと居てくれたから。
「ごめんなさい……ごめんなさい!」
「うん……うん」
「心配してくれて……ありがとう」
セリオンは勢いよく体を離すと、珍しく眉を寄せた。
「心配するに決まってるだろう!? 私は父親だよ!」
強い感情を乗せたその言葉に、エリシアのずっとずっと奥で“菜々”が揺れた気がした。
微かに残る記憶の中では、菜々は看病をされた記憶がない。
もちろん心配をされた事も。
だから、
心配させた申し訳なさと、心配してくれたという、どうしようもない嬉しさが同時に湧き上がっていた。
ただエリシアは、セリオンのこんな姿を二度と見なくてもいいように、慎重に行動しようと心に決めた。
その後、エリシアが目を覚ましたと聞いて駆けつけたみんなの思いに、またも心を締め付けられる事になる。
マリアンからは、泣きながらものすごく叱られて、リヴィアは私のせいで、と謝られ、グレイにはただ、目が覚めて本当に良かったと泣かれたのだった。
エリシアはもう、ごめんなさいと、泣きながら謝るしかできなかった。
***
エリシアが目覚めた次の日、セリオンは久しぶりに砦へ出向いた。
セリオンに気付いたアランが駆け寄ってくる。
「士長! もう大丈夫なんですか!?」
「悪かったね、アラン。エリシアはもう大丈夫だから君はもう帰って休んでくれ。私がいない間ずっと詰めていたんだろう?」
「そんなの気にする所じゃないですよー。士長と違って、俺まだまだ若いですし。もっと大変な時もありましたしね? だからこんな時くらい、いいのに」
話をしながら二人は医療士長室の扉を開けて中に入った。
久しぶりの空気に、日常を取り戻した様で、セリオンの胸が少し軽くなった。
「本当に大丈夫だよ、昨日ずっと一緒にいたし、今はリヴィアが側から離れないんだ」
「……自分のせいだと思ってるんですか?」
セリオンはソファに深々と座り込んだ。
――ここ数日の心労は計り知れなかった。
座ったまま目を閉じて微動だにしないセリオン。
アランがパチンと、指を弾いた。
ティーポットに勝手に茶葉とお湯が入れられて、テーブルに飛んできたカップに紅茶が注がれた。
そして向かいのソファに腰掛けると、カップの湯気を散らすように息を吹きかけた。
「あれはリヴィアがいても防げなかったよ。条件が揃ってしまったんだ」
「あんなもの……運でしょ」
エリシアが口にした薬草は、普通ならば何も害はないのだが、強い光や温度の変化を受けたとき、ごくまれに甘い香りを放つ。
その香りに誘われて口にすると、昏倒してしまうのだ。
大人なら一日ほど、子供なら二、三日は目を覚まさない。
「……私があれを彼女の手の届く場所に植えたからだ」
「士長、彼女は私に『お父様のようになりたい』といつも言ってます。それなら、今回の事は良い経験になったはずですよ。少なくとも医療士を目指すのであれば」
アランは呆れ混じりに、しかし優しい眼差しで続けた。
「それに遅かれ早かれ、あの子なら手を出していたような気はします」
セリオンは軽くため息をつくと、苦笑いを返した。
「私もそう思うよ」
目と目の間を指でぐりぐりと揉むと、少し目の疲れが取れたような感覚になった。
「私も身に覚えがありまくるしね」
「私もですよー。みんなそうやって覚えるんですよねー」
「いざ娘が、となると、こんなにも取り乱すもんなんだね。これからの事を考えると恐ろしくもあるよ」
「毒草の取り扱いが、出て来ますもんね」
「……好奇心旺盛なのは彼女の長所でもあるんだけど」
「あんまり過保護すぎると、大きくなってから嫌がられますよ?」
「…………」
セリオンの心に積もった苦しさは、アランとの何気ない会話によって、ゆっくりと解けていった。




