第七話 星座
星のめぐり。
古来、東西を問わず、ひとは星に物語を与えてきた。
ギリシヤの神や英雄の物語は星に準えられ、星辰にも数々の話が与えられた。
そして、占星術には人の歴史も動かす力がある。
あの星が人の運命を左右するのかどうかはわからないが、広大な宇宙を思えば、あの星一つにしても我々の知らない物語を秘めているのだろう。
*
雨上がり。
グリル東雲から帰る我々は、しっとりと湿った道を歩いていた。
「貴様、肉も食うのか」
「洋食屋に来ておいて、メーンディッシュも食わねえとかねえだろう。第一、おれは先生の食生活で見て、ビーフシチウとかビフテキとかは見慣れてるんだ」
やつはまだ洋装をまとっており、小洒落た男といった印象だ。背広にインバネスに中折れ帽、黒檀のステッキ。
時代小説のキャラクタアそのものだから忘れていたが、やつは生みの親の先生の元にいたのだから、やはり根がハイカラだ。
「しかし、時には洋装も悪かねえな。こうしていれば、貴様の付き人のように見えるだろうし、たまには付き合ってやっても良いぞ」
「付き人? 用心棒の間違いでは?」
私はやつをにらんだ。
主人の私より派手なお前が付き人に見えるものか。大体、態度も大きい。
しっとりと水分を含む道。まだ舗装が十分でないところもある。湿度が高く、いっそのこと肌寒く感じられる。
いつの間にか、街から少しずつ離れ、てんてんと灯りが灯る静かな住宅街にきていた。
不意に軒下の笹が目に止まる。そういえば、何軒かの家には笹が出ていた。
「そろそろ七夕だったか」
私が思わずつぶやいた。
「今年は雨が多いが、どうだろうな」
私は思わず顔を上げた。雨上がりの雲間を割って、天の川とわずかな星が見えている。
「織女と牽牛の逢瀬がどうとかか? お前のような男がそんなことを気にするのか、オオニワ」
やつがふと吹き出して、揶揄うようにこちらに目を向けてきた。
「古の故事に思いを馳せることの何が悪い。……そんなことを言うと、貴様の方がよほど……」
うまく言えなかったが、私はやつが本当はロマンチストなことを知っている。
こう見えて恋愛には奥手かつ純情。無骨ではあるが、純粋な恋心に憧れもあるような男なのだ。
「貴様も星を見るではないか。確か、本の中でも……。星を見上げるものは大体がロマンチストだろう」
「おれの場合は、流れる星を見ている。つまり、人が死んだとかそういう不吉な象徴だ。おれという人物にはよく合っているだろうが」
やつはそういうが、
「とはいえ、星座の話には興味はあるぞ。先生からもうっすら聞いたし、貴様の本棚から拝借して希臘の神話とやらも暇つぶしに読んでいるところだ」
「本棚が乱れていると思ったら、貴様、勝手に……」
むむ、と、睨むと。
「良いだろう? おれとて暇だ。それとも、暇つぶしに問題でも起こして欲しいのか?」
やつは悪びれもしない。
「織女はこと座のベガ、牽牛はわし座のアルタイルと書いてあった」
「琴はオルペウスの琴、鷲は大神ゼウス……だったか」
「そうそれだ。ところ変わると、同じ星でも話が違っていて面白いもんだな」
やつはそう言ってのんきに笑ったが、不意に剣呑な雰囲気になった。
「まあそれはそうと、雲間の星空も愛でられねえ無風流な輩がきたらしいぜ」
「何?」
私が問い返す間もなく、ふわっと目の端を黒い桜の花びらが、雨の湿りを帯びて落ちてきた。
そして。
一斉にそれが膨れ上がり、こちらに向かってくる。
ざっとやつが私と花びらの間に割って入った。ステッキを持ち替えるとそれが刀に変化し、やつは鞭のように桜をはらった。
黒い花びらの群体が、一瞬飛び散るがすぐに元に戻ろうとする。
春の骸だ。
「走れっ! オオニワ!」
やつが私にそう言って急かす。
「チッ、湿度の高え夜だ。アイツが活動するにもおあつらえ向きということか」
「戦わないのか?」
「おれが実体化しているからな。あまり派手にやると人目につくぞ」
やつはそういいつつ、後ろから追い縋る黒いもやを斬り払う。黒い花びらはまるで蜂かなにかのように、縦横無尽に動き回り、私たちに慕い寄ってきていた。
オオニワ、さーん……
不意に声が聞こえる。
その声は峯岸禎子に似ていた。
が、すぐに彼女のものだけでないことに私は気づいた。別の女の声が複数混じっている。
イサムさん……
オオバさん……
イサムさん……
芸名ではなく、私の本名が呼ばれていた。
その声は、妻。そして、共演した女優や、私がかつて愛した女性。
それから。
イサム……
どきりとした。あれは、母か?
「気を取られるな、オオニワ! 知り合いの女の声を片っ端からなぞって、てめえを誘惑してるんだ!」
立ち止まりかけた私の袖を、やつが引っ張った。
「ちッ、本体がどこかがわからねえ。斬ってもキリがないぞ」
やつが珍しく弱気なことを言う。
「どうする?」
私も少し焦ってきていた。
「ふん、てめえの得意な念仏で、さらっと成仏してくれりゃア楽なんだがな」
それができないのは、もうわかっている。できていれば、熱心な信徒の私の朝夕のつとめで、すでに問題は解決しているはずだ。
「趣向を変えるか」
やつはそう言いつつ、刀をステッキに戻して腰のベルトにさした。そして、目の前にあった店の軒先に飾ってあった笹を失敬した。
そして、急に方向を転換した。ぶわりと桜吹雪がやつを取り巻き、蜂のように広がって攻撃しようとする。
その瞬間、やつは刀でなく、七夕飾りのついた笹を春の骸に叩きつけた。
ぎゃっ、と複数の人間の声がした。その大多数は男の声だった。
「笹には魔除けの効果があるらしいからな。てめえには覿面に効くだろう?」
やつは平然といいつつ、笹の葉を刀のように相手に突きつけた。春の骸はもやのまま人のような影を持っていたが、やがて——。
赤紫に輝くように霧散し、星間にかがやく星雲を思わせる姿になって、やがて闇へと消えた。
やつは深追いするつもりはないらしい。インバネスの裾を翻しながら、拝借した笹の葉を手にして、私の元に戻ってきた。
「逃げたのか?」
「ああ。なかなか賢い」
やつは舌打ちしつつ、
「といっても、おれもこの姿じゃあ、あまり街中で派手にはやれねえ。ニンゲンに姿が見えちまうからな」
「それはそうだ」
普段のやつが身につけるものは、やつが人に見えない存在の時は、どうやらやつに付随して見えなくなるらしいが……。
意図的に姿を見せている今は、その力も不安定らしい。やつが姿を消したつもりでも、衣装だけが空間に踊っているように見えてしまうこともあり得る。
「こいつには助けられたな。どこの子供の書いたものか知らねえが、礼を言っておかねえと」
やつは笹を元の店の軒下に戻した。
灯りで短冊の願い事が見える。多くは、習字や裁縫の上達を願うものだが、ふと私の目にひとつの願い事が目に入った。
『お芝居が上手くなりますように』
それをみて、私は峯岸禎子のことを思い出した。
やつもそれを見たのか、歩き始めたやつがぽつりといった。
「しかし、今日は、峯岸禎子には会えなかったな」
「初日に会えるなどと思っていない」
「しばらく、合間を見て通ってみようかと思う。職場からも近いしな」
「和食が食いてえってツラしてたがな」
くっくとやつが笑う。
「そうだ。良いことを教えてやろう」
やつが思わせぶりににやりとした。
「禎子は、あの店の近くの純喫茶にも出入りしているらしいぞ」
「なんだと」
私がやつの顔を見上げると、やつは左半分の顔で得意げに笑う。
「隣の外国人客がそう話していたぜ。Miss Teiko Minegishiが純喫茶オリオンによくきているってな。あれは旦那の方が映写機械の商社の営業らしいのだ。本邦の活動写真にも詳しいんだとか。お前のこともじっとみていたぜ。Mr. Oniwaに似ているけどどうかなと」
気づかれてはねえよ。お前は普段は地味な男だからなァと、やつがニヤニヤしながら言った。
「禎子はそのオリオンという店に、撮影の合間にお茶をしにくるそうだ。なんでも、珈琲と洋菓子のうまい店だそうな」
「なぜ言わなかった」
「さあて」
やつは意地悪く口元を歪め、
「聞かれなかったからな」
わざとだ。と、私はむっと奴を睨んだ。
「喫茶の方が、禎子と出会える確率が高いんじゃねえか?」
私は唸った。
それはそうかもしれない。空いた時間に、短時間立ち寄る可能性がある。
「検討しよう」
私はため息をついて上を向いた。
ふと赤い星が目に入った。ぎらぎら光る赤い星。火星だったか?
「あれは太白ではないぞ」
何の星かと思っていると、やつが横から口を挟んできた。
「蠍座のアンタレスとかいう星だ。蠍の心臓らしい」
蠍座か。
たしか、オリオンは蠍に殺されたというが、それゆえに蠍座が姿を表す頃には見えなくなってしまうのだと言う。
星が人の運命を左右するかどうかは知らないが、そんなオリオンは私を禎子の元に導いてくれるだろうか。今は天空にいないというのに。
そう考えたのをやつに読まれたらしい。やつはにやにやして言うのだった。
「夏の夜には、喫茶オリオンでなく、喫茶スコルピオの方がゲンが良かったな」




