↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やつと私と雨の庭〜文月の残照〜  作者: 渡来亜輝彦


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/39

第六話 サラダ

 私は和食の方が好きなのだが、こういう身分になると付き合い上、本格的な洋食を食べることもある。

 若い頃は横浜が本社の会社で商社づとめをしたこともあり、まるで外国に慣れていない……というわけではないが、とはいえ、いまだに洋食は不慣れな部分もあるのだ。

 そこいくと、そういえばやつはどうだろう?

 やつは江戸時代の人間ということになっているが?


 そんな疑問が湧いてきたのは、私にある事情があったからだった。


*


「オオニワのいう店はこれか?」

 看板には『グリル東雲《しののめ》』とある。煉瓦造りの店構えにしては、ほんのり和風な名前だ。

 私の背後にいるやつは、今日は普段のやつを思えば驚く姿をしている。

 なんと洋装に身を包んでいるのだ。

 急なことで仕立てる時間はなかったので貸衣装でそれらしい背広を借りてきたのだが、その上に春夏用の薄手の灰色のインバネスを羽織っている。さらに、深く斜めに被った中折れ帽で顔の右側をうまく隠していた。少し傷跡はのぞいているが、人外には見えまい。多少、胡散臭いが。

 刀は当然持てないが、その代わりに黒檀のステッキを持っている。持ち手は真鍮製だが紅い飾りをつけていた。

 私も今日は着物でなく背広を身につけ洋装をしていたが、明らかにやつの方が洒落ていた。まじまじ見ているのに気づいたのか、やつはニヤリとして。

「なんだ、そんなに驚いた顔をして。おれの姿が意外か? お前が選んできたのだろう」

「まあそれはそうなのだが」

 正直、そこまで着こなせるとは思っていなかった。

「貴様が選んだのでなければ、もっと良い感じに着こなせたんだがな」

 やつはちょっと皮肉を言いつつ、勝ち誇ったようににんまりとした。少し腹が立つ。

「いや。貴様がそこまで、人に見えるようになれるとは思っておらんかったからな」

 そう、今のやつは、他の人間にも見えている。それが証拠に、すれ違う人間がやつをチラッと見ており、今までと違って視線が集まっていた。

「おれもいい加減、てめえのところに居候して長いからな」

 やつは言った。

「これくらいは余裕だぜ」

 どうだか。

 私はやや不安になりつつ、グリル東雲の扉を開けた。


*


「洋食店?」

 やつが意外そうに聞き返してきた。

「グリル東雲という、最近できた店だ」

「へえ、それの何が問題なのだ?」

 私は居住いを正した。

「お前のいう通り、峯岸禎子に話を聞こうと思ったが、禎子《ていこ》と近頃は仕事の都合が合わなくてな。会社でも会うことがない。催しなどがあれば顔を合わせるのだが」

 私は別荘の部屋で、やはりやつと顔を突き合わせていた。

「しかし、梅雨明けの後は私も撮影が忙しくなりそうだし、なにより、一人で道を歩く時間もあろうから、そうなると身の危険を感じるからな。手がかりがあるかどうかわからないが、禎子に相談するなら早くが良い。早く会えるよう、努力しようかと」

「そりゃあそうだ。しかし、それがどうして洋食店の話につながるんだ? てめえは、あまり洋食は好まないよな」

「峯岸禎子が、近頃よくきている洋食店があるらしいのだ。後援者がお気に入りなのとロケ地が近い」

「ほほう」

 やつが私の思惑がわかったとばかりに頷いた。

「若い娘はいつの世もそういう小洒落た店が好きなもんだからな。そこに不思議はあるめえが」

 と、やつは左目を瞬きして、

「さては、偶然を装ってそこで禎子に会おうという魂胆か? あまりにも短絡的だが、まあ、お前にしちゃあ即効性がありそうで悪くねえかもな。確かに何度か通っていたら会えるかもしれねえ」

 やつは意外にも馬鹿にしてこなかった。

「しかし、その話をなぜおれにする? マサを連れていくんだろう」

「それがだ。マサは洋食が不得意でな」

 私は真面目な顔で言った。

「特に生野菜のサラドなどは、あまり食べたくないという。まあ生野菜を衛生的に嫌がる理由はわかるが。また横浜にいたコックのやっている本格的なものらしく、気軽でないし……」

「それで二の足を踏んでいると?」

 やつは顎を撫でやり、

「家族といけよ、オオニワ。お前のところの子供なら洋食は喜ぶだろう」

「峯岸禎子がいるのだぞ。私は家庭と仕事はきっちり分ける主義だ」

 そう、家庭ではともすれば俳優という仕事をしていることすら匂わせていない。妻はともかく子供達は、私の仕事を知らないかもしれない。

 やつが少し呆れた様子になった。

「お前の徹底ぶりはすげえとは思うが、少し度がすぎているよなァ」

 やつはそう言ってから、

「じゃあ、てめえのタニマチと行けよ。後援者はいるのだろう。スポンサアというやつ」

「峯岸禎子に会いたがっているなど、変な噂を立てられると、世間的にも困る」

 こんなところでスキャンダルを起こしたくない。しかも事実無根なのに。

「ということは一人で行くのか?」

「まさか、あんな店は一人で行く店ではない。しかし、誰と店に行こうかと。一度や二度で会えるとも思わぬから、しばらく通いたいのだが……」

 仕事仲間とだと、第一、私が春の骸で悩んでいるという話を打ち明けられない。元から変人だが、もっと変人扱いされそうだ。

「なるほど。店に行く相手がいないのか」

 やつは少し考え、よしと頷いた。

「仕方ねえ、おれがいってやろう」

「は?」

 思わず、そう声を出してしまった。

「いや、貴様に相談したのは、こういう場合に誰と食事に行くかで、貴様についてきて欲しいとは言っていない」

「他に誰もいねえなら、おれがついていくのが安全だろうが」

 やつはにやりとした。

「おれもお前の元にいて、比較的安定している。普通の人間のように見せかけることはできなくもねえ。うむ、おれが付き人のふりをしてついていってやろう。おう、それが良いぜ!」

 うんうん、とやつは一人飲み込みに頷いた。

「それでは、オオニワ、おれのために洋装を整えてくれ。ああいうところだし、おれも正体が割れない程度に変装しなければならねえからな」

 私はかなり不安になったが——。

 しかし、やつの他に同伴できるものもいない。仕方なくそれに同意することにしたのだ。

 

 *


 店内はいかにもハイカラな雰囲気だった。

 私は給仕に、

「連れは少し人目を避けたい事情があるので帽子を被ったままだが、許してやって欲しい」

 と声をかけておいた。

 闇に溶けるような右半身は、今日は安定しているが、そもそもやつは顔の右側に傷があるのだし、できるだけ見せない方が良い。

 やつは流石に外套は脱いだが、代わりに背広の袖を抜いて肩からかけている。くだけた服装だが、意外にも上品におさまっていた。

「人目を避けるってなんだよ?」

 やつが言う。

「顔に傷がある……だと、貴様の正体がわかると困るだろう。私が連れ回しているのだし、自分の当たり役を連れ回しているだのと、変なゴシップ記事でも書かれても困る」

「今更な気がするがなあ」

 やつは大胆不敵にそう言いつつ、メニュー表を手に取った。

「とりあえず、このミニコースとかいうやつを頼んだのか?」

「あまりたくさん料理が出ても困るから、少なめのにしたのだ」

「おお、初めにサラドが出るぞ。確かにマサにはちょっと難しかったな」

 やつはにやりとしていた。

 そうこうしていると、隣のテーブルに客が来たが、ふと見ると異国のひとのようだ。男女なので夫婦だろうか。

 おそらく英語を話していると思われたが、何を言っているのかはわからない。私とて多少英語はかじっていたが、だからと言って聞いたり話せたりするわけではないのだ。

 と、夫婦はなにやら給仕に話しかけているが、日本語が話せないらしい。給仕も英語はわからないようで、メニュー表をみせて困った様子になっていた。

 と、夫婦のうち男性、立派な紳士風の男がやつをチラリとみた。何を思ったのか、やつがちょっと考えた後立ち上がる。

「給仕。料理の内容がわからんそうだ。英語で書いているのはないのか?」

 やつがふとそう声をかけた。

「ああ、奥にございます」

「見せてやれ」

 やつはぶっきらぼうにそういう。給仕が慌てて奥に走っていった。

 私はやつを見やりつつ、

「待て。わかるのか?」

 そう聞いてみたが、やつが答える前に、今度は紳士の方が英語でやつに話しかけてきた。

 ぽていとう、さらっど、いんにっと。

 私にはてんでわからないが、紳士がそう話すとやつはいきなり。

「Uh-huh」

 と耳慣れない相槌を打ち、話を聞いた後、そこから流暢な英語でなにか説明しているようだった。やつも、ぽていとう、じゃぱん、めいよねーず、きゆーかんば、などと言っているようだ。

 紳士の方が得心したらしく、センキュウと礼を言う。

 私はあらためてやつをみた。やや呆然としていたと思う。

「おい、貴様、英語が話せるのか」

「そんなに驚くことか?」

「いや、貴様、江戸時代のニンゲンだろう」

 忘れかけていたが、こやつは時代劇のキャラクタアなのだ。

 そういうと、やつはにやっとして。

「オオニワ、おれを誰だと思っているんだ。おれの生みの親の作家先生はな、亜米利加に留学したついでに、放浪していた男なんだぞ。ホットドッグ売りや船乗りをしていたりな。つまり、亜米利加の英語がとても流暢だ」

 やつは言う。

「そりゃあ、夜な夜な、眠れぬ先生の仕事場に付き合っていたんだから、おれが門前の小僧として聞き齧っていないわけがねえ。先生の方も結構教えてくれたしな。だから、おれの発音は本場仕込みだぞ」

 そう言われると納得してしまう気もするが。

「いやしかしだ。日頃、設定は大切にしていると言っている、貴様がそういう……。浪人が英語を話すのは……」

「なんだ、かたいこというな、オオニワ」 

 と、やつが不意に視線を背後に向けた。給仕が料理を持ってきているところだった。

 ことりと目の前に置かれたのは、サラドの一種のようだ。

 生野菜はあまりなく、蒸したじゃがいもをつぶし、ゆで卵を混ぜてあるようである。胡瓜と人参らしいものが見分けられた。

 やつが訳知りふうに解説してきた。

「これがpotato saladだぞ。まあ、おれが先生から聞いていたのとはちょっと違うがな。馬鈴薯《ばれいしょ》と卵や野菜をmayonnaiseというもので和えたものときいていた」

 やつは思い出したように付け加える。

「そうそう、これを帝国ホテルで出していてな。先生がカンヅメしている時によく食っていた」

「先ほどはあの二人にこれの説明を」

「おう。何が入っているのかわからんというので、一般的に胡瓜や人参などが入っていることが多いが、mayonnaiseがかかっていないものもあるから、あんたのお国のものと違うかもしれないなと言う話をしていた」

 やつはそう言って、さっそく一口、口に入れる。

「先生から話は聞いていたが、こう言う味がするのだな」

 やつは咀嚼しつつ、実に興味深そうだ。

 私は自分の分のサラドを食べるのを忘れ、実体のないはずの怪異、さらに本来は非常に日本的なものでしかないやつが、すっかり洋装して、フォークを使いこなして、当然のようにサラドを食う様子を眺めていた。

 やれやれ。どうも、やつは私よりもよほど広い世界に開かれているらしい。

「食わねえのか? 結構美味いと思うがな」

「いや、今食べる」

 やつに勧められて使い慣れないフォークを手にして、私は一口、馬鈴薯を口に入れる。

 それはほくほくして口の中に溶け、美味かったものの。

 なるほど。どうも。

 ……やはり私には漬物の方が良いかもしれない。


 私はまだ、やつほど世界に適応できていないようだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。