第四話 花桃
別荘についた後、例により、やつと二人で部屋にいる。
急に無駄口をきかなくなったやつだが、私の方も特に話をするわけでなく、やつと私はしばし黙ったままだった。それは特に意図的なことではなく、単に自然な沈黙である。
私が黙って煙草をふかしていると、その煙を目で追っていたやつが、ふと私に視線の向きを変えた。
「ところでオオニワ、例のやつに心当たりはねえのか」
やつはそう切り出した。
「心当たりと言われてもな」
私は戸惑った。
「なんか女の怨霊とかそういうやつ。まああれは集合体みてえなもんで、女とも限らないがな」
「私にそんな浮いた話があるとでも?」
スタアだなんだと言われつつ、自分のことはよくわかっている。私は男前ではないのだ。女性のフアンだってそう多くはない。こう言ってはなんだが、女性にモテる方ではないのだ。
「それもそうだな」
やつはあっさり納得した。
「お前みてえな変わり種の朴念仁に浮いた話なんかねえよな。悪い。おれが悪かったよ」
と申し訳なさそうにされる。
あっさりと納得されるのも、申し訳なさそうな態度も、それはそれで腹立たしいが……。
「それでは、女とは違う別の何かだな。貴様がこの庭に持ち込んだものだとしたら、おれも何かしらは感じることがあるのだが」
「しかし、桜の花びらの形をしているのだから、花の類では?」
「今年の春、桜を飾ったりしたか?」
「いや、梅なら飾った記憶はあるが……。それに飾るとしたら主にこの別荘の床の間だ。それには貴様も目を通しているだろう? 異変があればわかったはずだ」
うーむ、とやつは唸った。
「それもそうだ。そんなあからさまなものはねえかあ」
と言って、やつは伸び上がったが、ふと思い出したようにあぐらを組み直した。
「そういえば、オオニワ。春に床の間に花を活けていたな? あれは貴様には珍しい気配がしたが……」
やつがふと床の間を見てそういった。
「春先でなくても、花はいけているだろう」
そう。今も。
こんな趣味の館を作ったのだから、季節の花を常にいけてはある。
たとえば今はテッセンだ。
「そうじゃねえよ。春に桜ではないが、似たような花をいけていた。そして梅ではなかったぞ」
「ああ、それなら——」
私は記憶を辿りながら言った。
「あれは峯岸禎子にもらった花だが。花桃だった」
*
「オオニワさん、桃の花が咲きましてよ。見に行きましょう!」
あれは、春先のことだった。
やや強引に手を引かれつつ、私は撮影所の近くの花桃の咲く公園に行ったことがあった。
峯岸禎子は、子役から女優をしている娘で、美しく天真爛漫な少女だった。イコというあだ名で呼ばれて、皆に可愛がられ愛されていた。
そして、とても頭の良い、芯の強い娘だった。
少女スタアとしての人気を博していた彼女が、その実、同じ年頃の娘がしなくてよいような苦労をしてきたことを、私はうっすらと察していた。その上で、強情なところもあるが、自分の考えをしっかりと持った彼女を好ましく思っていたものだ。
「イコちゃん、機材の調整で、すこし休憩時間がとれそうですね」
私は、そんな彼女に敬意を持って接していた。
どうやら私の付き人のマサを気に入り、ずいぶん懐いていたようで、それで私にもある程度心を許してくれたらしい。私と彼女はおりに触れて話をする機会があった。
私は女子供に好かれるタチではないし、二枚目でもなければ、普段は服装ももっさりしているが、なぜか禎子とは気が合うようだ。
禎子がそのように親しくしてくれるのは、私にも好ましいことだった。
「ここのところ、立て込んでいましたものね。おやすみが入るのはいいことだわ」
禎子はそういってにこりとした。
「けれど、休憩できるんなら、少し良いところに行きましょうよ」
「はあ、では、いつもの喫茶店で……」
「あはっ」
禎子は小悪魔めいた笑みを浮かべ、
「オオニワさんは、本当、あのチンケな喫茶店が好きなんだから。レディーを案内する時は、あんなところだけじゃダメなのよ」
「あ、ああ、イコちゃんはああいう場所は好みではなかったですか?」
面食らってそう聞き返すと、彼女は首を振る。
「他の人ならダメだけど、オオニワさんならそれでいいと思うわ。ああいうの、オオニワさんにしか許されないんですからね」
禎子は楽しそうに言った。
「でも、今日は私の行きたいところがあるんです。一緒にいきましょ」
そういって、袖を引っ張られて行ったのが、その花桃の咲く公園だった。
そういえば、先ほどの春の骸の声。
峯岸禎子に似ていた気がする。
*
「峯岸禎子?」
やつがその名前を口にした。
「ああ、あの娘か。人気があるというのでおれでもわかる。確か一度、貴様についてこっそり仕事場に行った時に遠巻きに見かけたな」
一通り話を聞いたところで、やつが口を挟んできた。興味津々と言ったところだ。
「そう、イコちゃんと呼ばれているあの娘だ」
いつのまにか、やつは私の煙草を箱から一本失敬して自分もふかしていた。酒だけでなく煙草の上前まで跳ねられているが、まあ、いつものことだ。
「ふーむ。それなら見込み違いかな?」
「何がだ?」
「声が似ているというので、春の骸が禎子と関係があるかと思ったが、違うなということだ」
やつは唸った。
「ああいうのは知り合いの声を真似ることも多い。それでも一瞬、お前に思いを寄せたものかと思ったが、よりによって禎子ならお前なんか相手にするわけねえな。あんな美少女が」
「当たり前だ」
私は憮然とした。
「あの子とは親と子供ほど年齢が離れている。それに、一流の役者や二枚目で有名な美男の役者、才能あふれた監督など散々見慣れている。私などとどうかなるはずもない」
「それはそうだ。あんな男前どもを見た後で、貴様に惚れる美少女なんざいてたまるもんか」
そこまで言わなくて良いのでは?
「しかし、ちょっと気になるな。その話、もう少し続けろ」
やつはただの好奇心でそう言っているだけな気もするが、別に私も断る理由はない。
「わかった」
私はその後の話を続けた。
*
「ほら、ここは桃の花が咲くんですよ」
公園に咲く桃の花は、みずみずしく若い禎子によく似合う可憐な色をしていた。梅よりは若く、桜よりも儚くはない。かわいらしく、そして存在感がある。
「これは見事だ」
私は嘆息した。
桃の花はさしずめ満開といった風情で、確かに綺麗だった。私は心が癒される気がした。
「本当綺麗ですよね。あっ、そうだ。この近くのお花屋さんでも花桃を売っていたわ」
禎子は、良いことを思いついたとばかりに嬉しげに言った。
「オオニワさんのお屋敷で飾ったらどうかしら。私が贈り物にしてあげますよ」
禎子は、私を振り返った。流石に国民的な美少女スタア、その仕草一つが何とも言えずに愛らしい。計算しているのかいないのか、それすらもわからないほどに。
「オオニワさんは、お花を飾ったりするんでしょう?」
「ええ、もちろんです。しかし、イコちゃんは私にはそのような気遣いは不要ですよ。まだイコちゃんは大人ではないのですし」
私がそう答えると、禎子は少し不満そうに、
「オオニワさんは、私のことを子供扱いするのね」
「そういうわけではありませんが。気に障りましたか?」
「別に怒ったわけじゃないんだけど」
といいつつ頬を膨らませる禎子に、私は少し焦っていた。
「まあいいわ! オオニワさんにとって、私は大人の女じゃまだないんだものね。でも、それならちょっと聞いてみようかな」
「何をです?」
と、その後で、禎子は不意に不思議なことを言ったものだ。
「せっかくだから、桃の花のことについて聞いてみましょう?」
何を聞かれるのかと私は少し困惑する。
禎子はくるりとスカートを翻して、振り返った。
「桃の花は、ちょっと不思議な立ち位置ですよね。梅や桜とよく似てるけど、梅ほど格調高すぎるわけじゃないし、桜ほど儚くて不気味でもない。そうねえ、人間の女の子に例えたら、梅はきっちりと着物を着たお姫様みたいな娘、桜は消えてしまいそうな幽霊の娘みたい」
禎子はふと大人びた目で私を見た。
「オオニワさんは、それでは桃の花をどんな女性だと思います?」
そう言われると私は少し困ってしまった。
「イコちゃん、私のような男に女性の話をしても良い意見は出ませんよ」
「オオニワさんみたいな人からこそ、聞きたいお話だわ」
禎子は弱りきった私の表情を見て、揶揄うように楽しげだ。
「そうですね……」
私は真面目に考えた。
「梅や桜より生命力がある」
ボソボソ呟いていると、私は一つあることを思いついた。
「そうだ、桃の花は、生きていて元気な若い娘……かな」
私は付け加えた。
「イコちゃんはご存知かな。桃の夭夭たる、という古い中国の詩があって……詩経にあるのだが、桃の花のように瑞々しい、美しい顔の女性。その女性が結婚するのは嫁ぎ先の家にとって良いことだ……という」
桃の夭夭たる 灼灼たりその華
この子ゆきとつぐ その室家によろし
確かに、若い女性の美しさを称えた詩だ。
目の前の禎子の大人になりきらない美しさが、それと重なる気がした。
「……まあ、イコちゃんのような元気で綺麗な女の子を思い浮かべる気がしますね。イコちゃんは、桃の花のようだと思います」
我ながら無難な答えと思いつつ、禎子の反応を待つと、禎子はにんまりと笑った。
「オオニワさんにそう言ってもらえるの、嬉しいですわ」
それでね、と禎子は不思議なことを言った。
「だから、それなら余計ちょうどよかった。実は、私をあの付き人さんに紹介するということで、桃の花をひとさし、オオニワさんに持っていってほしいなって思ったんです」
付き人? と私は訝しんだ。しかし、すぐにマサのことだと思い浮かんだ。
禎子はマサに懐いている。マサに美しい桃の花で、禎子のことを思い出して欲しいというのだろう。
「そういうことですか。それなら、いただいて別荘に飾っておきましょうか」
私がそういうと、禎子は嬉しそうに微笑んだものだ。
が、ふと、また小悪魔ににやっとして、彼女は言った。
「でも、オオニワさんも不思議な人ですよね。自分の衣装を付き人さんに着せているんですもの。とっても不思議な付き人さん。よろしく伝えてくださいね」
そう言われた時変な気はした。
が、私は特に気に留めず聞き流してしまい、禎子から贈られた花を手に取ったのだった。
*
「待て、オオニワ」
やつは、咥え煙草で前のめりになっていた。煙草は燃えてしまって残り少なくなっている。
「それはマサのことじゃあねえんじゃねえか」
やつは煙草を灰皿でもみ消しつつ、煙を吐いて左目を細めた。
「何故だ?」
「オオニワの衣装を着た付き人だろ? マサであるはずはない。それはおれのことでは?」
「まさか」
私は首を振った。
「禎子は賢い娘だが、お前とのゆかりはそれほど強くない。お前が見えるとは到底思えない」
私がもごもごいうと、やつは座ったまま膝で一歩こちらににじりよる。
「あの娘くらいの勘の鋭さなら、もしかしたらありえねえことじゃあねえ」
「しかし」
と私は言った。
「禎子からもらった桃の花には、悪いものはついていなかったのだろう?」
「そうだ。ただ、白粉みてえな香りがしたから女からもらったな、とは思ったが」
ふむ、とやつは唸った。
「禎子が直接春の骸と関係があるわけでもなさそうだが、それだけ勘が鋭いなら、一度参考に意見を聞いてはどうだ? お前に桜の話を振って花桃を渡したのも、何かに気づいていてのことなのかもしれねえ」
やつはニヤリとする。
「案外言い当ててくれるのではないか?」
「馬鹿な。あっちは売れっ子だ。私とて、気軽に会えるわけではない。……それより意見を聞くなら、祈祷師や、いっそ、僧侶などの聖職者の方が……」
「そいつらにきくと、べったりと取り憑いてるおれのほうがまっさきに祓われちまう」
やつは即答する。
「それは……」
別に困らない気もするが、やつに消えられるのも後味が良くない。
「機会があるかどうかわからないが、会えるかどうか聞いてみよう」
「それが良いぜ」
やつはそう言って頷きつつ、
「しかし、詩経を引いてくるとはてめえにしちゃあ、良かったな。ああいう爛漫な娘にはぴったりだ」
「ふん。それくらいの機転はある」
と私は強がった。
確かに我ながら良い引用ができたものだと思うが偶然だ。
私は禎子のことは好ましいが、禎子に限らず年頃の娘の心はお天気なのもよく知っている。
あそこでうまい事を言えなければ、どんな反応をされたのだろう。
それを考えると、ぞっとしないのだった。




