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やつと私と雨の庭〜文月の残照〜  作者: 渡来亜輝彦


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第二十七話 相性-2

 *


 大きな音を立てながら走るトライアンフは、真っ直ぐに禎子を乗せた自動車を追跡した。

「おお! 初めて運転するが、単車ってえのもなかなか乙なもんだな!」

 私の口を借りてやつが言う。

「一応、オオニワの知識から乗り方はわかる。馬に乗るのは得意な方だったが、近代の世ならこいつに乗る方が良い」

『おい! 確かにあっているのだろうな!』

 なんとなく楽しんでいるだけのやつに不安を感じ、私は大声で言ったつもりだった。

 やつが私の体を乗っ取り、表に出てきているため、私の叫びは声には出なかった。ただ、そうして発言するように念じると、やつには確かに伝わるようだ。

「安心しろォ。おれも闇雲に走っているわけじゃあねえ。あいつは痕跡を残してやがる。それに春の骸はオオニワに取り憑いているわけだが、それはこちら側からも春の骸の位置を逆探知できると言うことだ」

 やつは言った。

「オオニワじゃあ無理だろうが、おれならそれができる」

『とにかく、禎子の向かった先がわかると言うことだな』

「おう。そう離れた場所ではねえ」

 楽観的なやつに不安になりつつも、とりあえず信用することにした。それしかないのだ。

『あの男、まさか自動車を持っているとはな』

 自動車は高級品だ。まさかあれも春の骸のものとも思えない。

「衣服が上等だったろう? 金はあるんだろうよ。どこぞの金持ちの穀潰しなんだろう。ああいうのはタチが悪いぜ」

 ふむ、と私は、この際もうひとつ気になっていたことを尋ねた。

『先程、春の骸に押し倒された時、春の骸が一瞬私から離れただろう? あれは貴様が何かしたのか?』

「あれは違う。あれは、てめえの財布に入っている、いつぞやの天狗の守り袋の加護だぜ?」

 やつはニヤリとし、私の懐に手をやった。

「いまのおれが触っても指先がチリチリしてやがる。感覚はお前にも伝わっているだろうが、わかるか?」

 言われた通り、やつに憑依されていても体の感覚はわかる。静電気を浴びたようなチリチリした刺激があった。

「もちろん、いつでも決定的に守ってくれるわけじゃあねえが、これをくれた天狗とやらはなかなか大物だったんじゃあねえかな。感謝しろよ、オオニワ」

 やつが挑発的にそう言った。

「さて、ぶっ飛ばしてきたが、どうやら近づいてきたらしいぞ。ふん、あの男は所詮素人だからな。逃亡方法が甘い」

 まだ眼鏡はかけていたが、その奥のやつの目が殺気をはらんだのを感覚的に感じた。

「おれに不覚を取らせた罪、存分に償わせてくれる!」

 私は慌てた。

『おい! くれぐれも殺生はするなよ。無益な殺生ではなく、殺生はするなだからな!』

 私は心配になって言った。

「わかっているぜ。そう心配すんな。八つ裂きにはしねえ。信用しろ」

 全く信用できないが。この男は気分でやらかしてしまいそうだ。

 そして、私は暮れ始めた街の風景に見覚えを感じ、やつに尋ねた。

『しかし、この道……。御室のほうではないか? 仁和寺の方に戻っているのか?』

「そうだ。あれの向かった場所はわかっていると先ほども言っただろうが」

『どこだ?』

「双ヶ丘《ならびがおか》の林の中だ」

 それは古い墳墓もある古い山だった。仁和寺を見下ろす山。しかし、黄昏に差し掛かる今時分は物寂しい場所だろう。

 仁和寺の御室桜を見たかった朝倉文世がそこにいるのだとしたら、それは似合いの場所ではある。

「突っ込むぞ、オオニワ!」

『ま、待て、どこにいく!』

「林道を突っ切った方が早い!」

『待て! 危険だ!』

「なぁに、心配するな! 単車は馬と同じでこういうところを走れるのだろう! てめえは無理だろうが、おれなら走れる! 見ていろ!」

 やつは私にそう宣言すると、問答無用で単車を林の中に乗り入れた。


 *


 山道で自動車を見つけるのは、さほど苦労のしないことだった。

 単車ならまだしも、車はこうした開かれていない山道を走るのには向いていない。速度が落ちのろのろと走るそれに、やつの無謀な操縦で林道を暴走する単車が追いつくのは、時間の問題だった。

「いたぞ!」

 やつは林道を突っ切って車を発見すると、速度を上げてびったりと横に着いた。

「止まれ!」

 車両の扉を荒々しく蹴飛ばしながら、やつが声をかけた。男が窓から顔を出す。生気の抜けた目はどろりとしていながら、異常な興奮でぎらついている。

「ヤイヤイ! 車を止めて禎子を解放しろ!」

「できるものか!」

 男の周りを黒い靄が取り巻いている。やはりこの男は春の骸に取り憑かれて操られているのだ。

「わかったぞ! お前、大丹羽勇次郎だな!」

 男の目がさらにギラついた。

「地味で真面目なフリをしやがって、イコちゃんを食い物にして! お前、イコちゃんに何をしようとした! 不埒なやつだ!」

「はァ、オオニワぁ! 散々だな、言われているぞ」

 やつは嘲笑った。

「そういうてめえはなんだ! 女を追いかけ回して、みっともねえ言い訳ばかりしやがって!」

 やつはキッと睨み上げていった。

「てめえこそ、禎子に何をするつもりだ? てめえこそ、下賤な欲望から禎子を独り占めしようとしているのだろう!」

「黙れ黙れ! イコちゃんはおれが助けてあげるんだ!」

 男が取り乱したようにそう言った時、男の周囲に黒い桜吹雪が現れた。

「あっちに乗り移るぞ、オオニワ」

『ま、待てっ!』

 小声でやつが囁いたが、私は焦って止める。

 しかし、やつはトライアンフを乗り捨て、車に飛び乗っていた。やつは窓から顔を出していた男を殴り飛ばし、助手席まで吹っ飛ばした。素早く車のドアを開け運転席を強奪すると、ブレーキをかける。

 自動車は山道で停止した。

「貴様ぁぁあ!」

 男がナイフを抜きながら起き上がった時、やつはすでに停止した車から外に出ていた。

「殺す!」

「おう、威勢が良いな」

 やつはニヤリと笑った。

「いいだろう。出て来い!」

 そして、私の眼鏡をゆっくりと外す。

 男が一瞬びくりとしたのは、きっと私の三白眼に睨み上げられたからだろう。

 やつの殺意を帯び、そして私が心のうちに隠す虚無と怒りに満ちた眼差し。

「今度は正面から勝負してやろう。ここなら広いし、人目にもつかねえからな! かかって来い!」

 やつは私の眼鏡を懐にしまうと、挑発するように手招きした。

「来いよ。このおれが珍しく徒手空拳でやってやろうというのだ。光栄に思え!」

「くそおおおお!」

 男は大声をあげた。その声が多重に膨らんだ。春の骸に含まれた男たちの声だ。

「殺してやるううう!」

 咆哮する男に黒い桜の花びらが、ざわざわざらざらと蜂の群れのように取り巻き始める。

『やはり、春の骸にはさまざまなものがいるのか? 文世だけではなく』

「そうだぜ、オオニワ。こいつらは集合体だ。文世を取り込み、核としているが、周りは雑魚の集合体。もちろん、てめえを羨み妬むものの思念も混ざっていやがる」

 やつは目を細めながら言った。

「文世の執着に乗っかってな。文世はそうした周りの腐乱した憎悪に惑わされ、外から隔絶されて、お前への執着だけが強くなっている」

 だから、とやつは言った。

「てめえの声は届かねえ。文世に語りかけても無駄だぞ」

 私がハッとした時、男が大声をあげてやつに斬りかかった。

 やつはそのナイフを私の体で軽々と避ける。ナイフには黒い桜がまとわりつき、それで刺されると、私の生身だけでなくやつも負傷するはずだ。

「チッ、オオニワの体だと、手足が短くていけねえ。どうも感覚が違うな」

 こんな時に悪口か?

 やつが軽口を叩いたのを、私は聞き逃さなかった。

 しかし、やつは余裕で追撃をかわすと、一瞬の隙をついてナイフを持つ男の手をつかんだ。

 そのままねじり上げようとすると、男が悲鳴まじりの怒声をあげる。

「まったく! 真剣使えりゃア、こんなやつ一瞬で斬れるのによ!」

 やつは眉根を寄せて吐き捨てると、締め付けるほど強く男の手首をにぎり、ナイフを手放させた。

 やつはそれを素早く谷に蹴り落とした。

 男がわけのわからない叫びをあげて、さらに飛びかかってこようとしたが、やつは冷静に当身を食らわせ男を沈めた。

「ちっ、手こずらせやがって! 本当はこのまま十発ほど張り倒してえところだが」

 やつは吐き捨ててから、車の方を見た。

「まだ真打ちが残っているらしいからな」

『何?』

 やつは私の質問に答えなかった。

「おい、出て来いよお嬢さん」

『あははは』

 いっそ無邪気な声が聞こえた。

 ふと車の後部座席のドアが開き、水色のワンピース姿の禎子が降りてきた。

 しかし、ふらふらしており、なんとなく様子が変だ。

 禎子は顔を上げ、口を開けずに話しはじめた。その唇に冷たい笑みが乗っている。

『まったくしつこいのね』

 禎子の声を借りてそれは話した。

『本当にお前は余計ものだ。なんて邪魔をするのかしら。さっき、死んでいればよかったのにね』

 禎子の体を借りているのは、春の骸だった。

『この娘、さっきの男よりも、よっぽど使えるわ。やはり女優ね。使いやすい』

 春の骸の取り憑いた禎子が、別人のように妖艶に微笑んだ。


『この娘と私たち、相性が良いの』


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