第二十七話 相性-1
私とやつは、特に似てもいないはずだった。
ただ、私とやつは、残念ながら相性が良い。
「どうして、似てもいないてめえとおれが、こうして向き合うことになったんだろうなア」
別荘のいつもの部屋で、やつがそう愚痴めかして言ったことがあった。
何をいうか!
やつを演じることになったとき、楽屋の鏡の中から声をかけてきたのは自分だったくせに。
「知らん」
私が冷たくいうと、やつは舌打ちした。
「もっと男前のやつに取り憑くべきだったよな。候補はいたんだが」
「私は貴様に来いと頼んだことはないぞ。お前が勝手に来たのだ」
私は鬱陶しくなってそう言った。
「てめえは頼んでなくても、勝手におれを引き寄せたじゃあねえか」
やつは私を軽く睨んだ。私は、ふむと唸った。
「何が貴様を引き寄せたのか、私には分からんのだが。一体何に引き寄せられたのだ?」
「さて、おれも確かなことはわからん」
やつは左手を頭の後ろにおいて、柱にもたれかかった。
「ただ、てめえの目がな。おれに似ていたものだから」
「私の目?」
「その瓶底眼鏡の奥の三白眼がだ」
やつは苦笑して、
「よくはわからねえが、おれと同じ目をしていやがる、と思ったのだ。概してそういうやつとは、相性が良くてな」
やつが唇を歪めた。
「まア、仕方ねえな。てめえとは、腐れ縁なのだ」
「それは私が言いたい」
私はやつにそう答えながら、同じ目をしていると言われた理由を考えていた。
やつの、世の不条理に対する憤怒に彩られながら、諦観と憎悪の混じった虚無的なくせに、ギラギラと輝くあの瞳。
やつは、私の心の中を見通したのだろうか。
私が、本当は、やつと同じ憎悪や憤怒、そして、深い深い虚無を抱えていることを。
我々は全く似ていなくて、それでいて、驚くほどよく似ていることを。
*
やつが刺されて倒れた後、私は近寄ってくる男に警戒しつつ、禎子をかばった。
そうだ、やつは普通の人間には触れられなかった。私がなんとか制圧しないとならない。緊張はしたが、私も覚えがないわけではない。
が、その時、男の周りの黒い桜吹雪がざわめいた。そして、それが一気に膨らみ私に襲いかかってきた。
「オオニワさん!」
禎子の悲鳴が聞こえた。
桜吹雪は私を取り巻き、人の影のようになり、絡みつくようにして地面に押し倒した。首に桜でできた手がかかる。
それは男から分離し、女の影のような姿をとっていた。
春の骸だ。
『お兄ちゃん、なんでなん?』
それは女の声で言った。突然、幼い声になっていた。
『いやや、あんな娘に優しくせんとって!』
その声は甘えるように言った。
『お兄ちゃん、うちと一緒にいてくれるんよね? だって、約束してくれたもん。うちに本を読んでくれるって』
私は愕然とした。
それは文世の声だった。様々な雑音が混じっているが、間違いなく文世だ。
「ふ、文世ちゃん」
そう呼びかけてみるが、影は黒々としていて表情もなかった。いっそう、首にかかる手の力が強くなった。首が締まる。
『一緒にいこ、オオニワのお兄ちゃん』
その時、春の骸の手が偶然私の懐に触れた。
途端、光が走り、ぎゃっ、と春の骸は悲鳴を上げて手を離す。
「どけ、女ァ!」
不意に怒声が響いた。と同時に春の骸に、白刃が迫る。
ビシィッと音が鳴り、黒い花びらが散る。春の骸は、しかし、本体への直撃を避けて逃げ延びていた。
「汝れァ、この女ぁ!」
怒りに燃えた声が響いた。
そこにはやつが立っていた。刺されたあたりからは黒い靄が血の代わりに溢れて着物が黒く染まっている。
「ふざけやがって! ここでその腐れた体を八つ裂きにしてくれる!」
やつは自尊心を傷つけられているせいか、目に見えて激昂していた。ぎらつく瞳が、春の骸を睨みつけている。
春の骸はそれと対峙していたが、やがて低く笑い出した。彼女はすっかり冷静さを取り戻していた。
『流石に丈夫ね。まあいいわ』
春の骸は嘲笑った。その声は文世のものでなく、大人の女、あの藤の女に似ていた。
『あの娘はもらっていくわ。……返してほしければ、追いかけてくるといい』
くすくすと春の骸は笑った。
『けれど、お前の力では生身のニンゲンには無力のはずだけれどもね!』
春の骸はそういうと、再び不定形な黒い花びらに戻って靄のように消えていく。
と、その時、叫び声が聞こえた。
私が起き上がってそちらをみると、禎子が車に押し込められているところだった。
「殿様ぁ! オオニワさーん!」
「イコちゃん! おい、待て!」
私は叫んだが、男は止まらなかった。
禎子を押し込んだ男は、素早く運転席に移動し車を発進させた。エンジンの大きな音と共に、車は見えなくなっていく。
「イコちゃん!」
と、その瞬間、世界が切り替わったかのように、突然、周囲の空気が変わった。
夏の駅周辺のざわめきの中に、突然投げ出されたかのように戻されたのだ。
まだ夕暮れの色を帯びていない青空と、照りつける太陽。とろりとした気だるい空気。
禎子を乗せた車は遠ざかっていくのに、周りの人間はなんの反応も示さない。ここで、彼女の誘拐という犯罪が行われたのに、周りのものは無反応だった。
これは無関心ではなく、気づいていないのだ。誰も先ほどの光景を見ていない。
やつが刺され、私が押し倒され、禎子が攫われたのは、春の骸が作り出した別の空間のことだったのだろう。
愕然としていると、やつがふらりと近づいてきた。
実体化を解いて普通の人間には見えなくなっているらしい。銀鼠のケープが裂け、顔や体の右側が陽炎のようにゆらめいていた。これは不安定な状態なのだろう。
「大丈夫か?」
私はパナマ帽を拾ってやつに駆け寄った。やつの腹からはまだ靄が吹き出ているが、やつはさほど気にしていないようだ。
「畜生! このおれが刃傷沙汰で不覚をとるとは!」
やつは苛立ちを隠さなかった。
それはそうだろう。
剣をとっては、やつは達人ではある。全く敗北を知らない男ではないが、それでも、並の剣士に負けるような男ではない。
それがなすすべもなく、ただの男に返り討ちにされたのだ。
「仕方がないだろう。お前は人間に物理的に攻撃できないのだから」
私はやつを慰めるようにいった。
「それよりも怪我は良いのか? 深傷ではないのか?」
「おれはニンゲンじゃあねえ。この程度のこと、大したことはねえよ」
やつは軽く傷跡をおさえたが、吹き出る靄は少なくなってきていた。
「それなら良いが」
「それより禎子が攫われた」
「ああ、いますぐ、警察を呼ばなければ!」
「あれは警察ではどうにもならねえ。見ただろう! あの野郎、春の骸にいいように使われてやがる」
私の提案をやつはそう否定した。
「しかし、それではイコちゃんは——」
禎子をなんとか助け出さねばならない。
春の骸、文世は明らかに禎子に嫉妬している。今日の仁和寺や門前町での様子を見て、私と禎子の様子を見たせいだろうか。
だとしたら、私が禎子を巻き込んでしまったのだ。私に責任がある。
と、私はあることに気づいた。
「……春の骸は、あの男を依代にし、お前の攻撃を受けない手先を作ったのだな」
「そういうことだ」
やつが悔しそうに吐き捨てた。
「だからおれには手も足も出ねえ。しかし、春の骸の妖力を浴びた武器は、おれの体も貫通しやがる!」
「だとしたら——」
私はやつの激情を抑えるようにして言った。
「お前が私の体を使えば良いのではないか?」
やつは面食らったように顔を上げた。
「なんだと?」
「撮影中はよくやっていただろう。お前は私に取り憑き、私に乗り移って演技に影響を与えていた。……あれが今でもやれるのではないのか。そうであれば、お前はあの男とも戦えるし、私は春の骸とも対抗ができる」
やつは苦笑した。
「おい、良いのか? そいつぁ、おれがてめえの体を乗っ取って好き勝手やる、ってことだぞ」
「覚悟の上だ。ただし、体を貸すにして条件がある」
「なんだ?」
やつが目を瞬かせた。
「殺生はするな」
やつはそれを聞いて笑みを歪めた。
「ふははっ、ははっ!」
やつは笑いだし、それからニヤリとした。
「良いだろう。貴様を下手人にしちまったら、おれは居場所がなくなるからな。ただ、おれのやり方は荒っぽい。筋肉痛がどうだのいっても聞かねえぞ」
やつはそういうと、私の肩に手を置いた。そして、その姿がふっと消えていくと同時に、私の背中に火のような熱感が感じられた。
何か、人ならざるものが、自分の中に入り込んでくる感覚。楽屋で化粧を施しながら感じるそれの、もっと強いもの。
私は気が遠くなるのを感じ、崩れ落ちるように車止めに腰掛けた。
「先生っ!」
いつのまにか、クライスラーをロータリーに回してきたマサが声をかけてきた。
「先生、どうなさいましたか? 禎子さんは?」
マサは私の様子を見て体調でも悪いのかと心配しているようだ。
「先生、ご気分がお悪いのですか?」
「気分は、……悪くねえ」
私の口から飛び出たのは、ドスの効いた低い声だった。私の変貌にマサが立ちすくむ間に、私はゆらりと気怠く立ち上がった。
自分でも驚くほど動作が変わっていた。
「おい、マサァ……」
私はマサに向けて引き攣った笑みを浮かべた。
「てめえの単車、『おれ』に寄越せ」




