第二十三話 怪盗
「おい、本当にやるのか?」
私は戸惑っていた。
「ここまできてやらねえわけがねえだろうが」
やつは頭巾を被って、きゅっと顎で締める。こういう時、左手と口を使って、やつは実に鮮やかにこなす。
「安心しろ。おれはこういうのは得意だ」
(安心できるか! もはや、犯罪なのだが!)
得意不得意の問題ではない。
「てめえは、酔っ払ったふりして、おれが帰ってくるまで見張ってりゃいいんだ。もっとも、おれは滅多と普通のニンゲンにゃアみえねえがな」
まったく良くない!
私にだけ危険があるではないか! 見張りの意味とはなんだろう。
*
夜の大阪。
久しぶりに来た大阪は、すでに夏の街の喧騒をたたえていた。
遅くまで灯りがつき、人々は享楽にふけっている。賑やかな街だ。
大阪には、新作映画の封切りに合わせての挨拶で訪れていた。
幸い初日から満員御礼で、関係者と共に幕前に立つと観客に挨拶をし、手を振ったりした。その後は、接待じみた面倒な会食などを済ませ、ようやく、宿で一人の時間を得られ、そろそろ寝ようかと思っていたところだった。
そこで、やつが現れた。
やつが同行しているのは、私も知っていた。
春の骸が大阪にもついてこないとも限らない。だから、油断はできない。
一方、やつは私か別荘かのどちらかから遠く離れられないだけなので、留守番をするつもりがなければ私に憑いて移動してくれば良い。
流石に昼間は、たくさんの人の前だから、万一にも姿が見えてはいけないので、見かけなかった。しかし、物陰に隠れていただけらしく、警戒を怠ってはいなかったらしい。
「まったく、つまらねえ会食だのに長々と時間かけやがって。潜伏するおれの身にもなってもらいてえもんだな」
やつはブツクサ文句を言ったものだ。
「まあいい。せっかくの機会だ。行くぞ」
「行くぞ? 私は今から寝るところ……」
「曙洋行だ。この近くだぞ。行かねえ手があるとでも?」
やつがにやりとした。
「しかし、マサが私のいないのに気づくと騒ぐのでは?」
「大丈夫だ。マサには、おれとてめえは夜歩きに出ると説明しておいたぞ」
さらっとやつがそんなことを言う。
「おい、やはり貴様、マサに」
「しっ! 騒ぐとみんなが起きちまうだろ」
どうやらこやつ、マサとやはり個別に接触しているらしい。しかも、どうもそれなりに信頼を得ていそうではあるが。
そんな納得がいかない中で、私はやつとともに夜の街を通り抜け、曙洋行のある通りまで来たのだった。
曙洋行は南船場にあるため、道頓堀や千日前の劇場からまあまあ近い。夜の宿もその周辺で、抜け出しても徒歩でたどり着くことができた。
曙洋行の周辺には本業の呉服屋の曙屋があり、朝倉家はその裏手にあるようだった。
「しかし、少し乱暴ではないか。忍び込んで情報を得ようなど」
歩きながら私は小声でやつと会話をした。
今日のやつは人間から姿を見えないようにしたままだが、明るい街の光のもと、やつの姿は思いのほか、はっきりしていた。誰かに見られていないか不安になる程だ。
「オオニワは甘い! 正攻法で交渉して、誰が教えてくれるものか」
やつは断言し、左手の人差し指を立てた。
「大体、御室桜に襲われる夢を見ました。そいつが貴家と関係のあるものかもしれないので、話を聞かせてください、などと言ってみろ。不審者も良いところだ」
それはごもっともだ。ぐうの音も出ない。
「役者の大丹羽勇次郎だと名乗れば、そりゃあ多少大目に見てくれるかもしれねえが、間違いなくゴシップ記事の餌食だぞ。大丹羽勇次郎、発狂す! とか書かれるのは嫌だろう?」
「それはそうだが、オハラ氏に頼めば……」
「第一、パトリックからはもう十分情報を得ている。改めてまとめてやろうか?」
やつは言った。
「ひとつ! 曙洋行の朝倉家は、震災前に横浜で暮らしていた。新しい事業である曙洋行に当代がのめり込んでいたからだ。その時は酒類関係も扱っていて、お前のいた商社から買取もしていた。てめえは売掛金の原簿担当で、曙洋行との事務手続きも行っていた。だから、曙洋行とてめえの関わりは確かにある!」
「ああ、まあそうだな」
やつは指を二つ立てた。
「ふたつ! 朝倉家にはその時三人の子供がいた。息子と娘、それから問題の末の娘。大阪の言葉で言う『こいさん』だ。母は末娘を産んでほどなく死んでいる。その末の娘も関東の震災で死んだ。その後、朝倉の当代は後妻を迎えて弟妹が生まれているが、末娘を忘れることができず、供養のために墓所に仁和寺の桜を植えた。しかし、なんの因果か桜が咲かねえ。困った当代がパトリックに相談した。パトリックは御室桜からお前の話を思い出して、写真を預かってきてくれた」
やつは一息ついて、
「とにかく、ふたつめは、曙洋行には死んだ娘がいる。その桜は奇妙なことに枯れてもいないが咲いていない。その桜が仁和寺の御室桜だ、ということ!」
やつはそうまとめる。
「ここまでパトリックから聞き取ってわかっている。しかし、これっきりだ。パトリックは末娘の名前も聞いていねえらしい。これ以上のことを調べてもらうには時間がかかるからな。その間に春の骸から仕掛けてこねえとも限らない」
「それは、確かにそうだ」
「この娘とてめえになんらかの関わりがあれば、春の骸と大いに関係があるはずだ。しかし、お前は心当たりがない、ときた」
「まあそう言うことだ。うむ、写真には僅かに見覚えがある気はするのだが……」
私はため息をつく。
「あの時はいろいろなことがあり、私も記憶が曖昧になっていることがある」
やつは頷いた。
「そりゃあな、人間、衝撃の大きいことにぶち当たると、記憶に曖昧な部分が出ると言うからな。だから、本当に関係があるかねえか、確認するのが大切だ。それなら、直接確かめねえとな」
「うーむ、しかし」
説得力はある気はするが。
いやしかし、不法侵入しても良い理由にはならないだろう。犯罪だ。
「四の五言っている場合じゃあねえ。大体、おれはニンゲンでもねえからな。人の法律でどうこうなるもんじゃあねえ」
「それもそうだが」
なんとなくやつに丸め込まれてしまった。
やつ曰く、『持ち出したものは、すぐに返すから問題ない』。
「お前は、おれが戻ってくるまで見張っていろ。おれの姿が他人に見えねえとはいえ、逃走経路は確保したいからな」
そんなわけで、私は店の近くに酔っ払って迷い込んだフリをして佇み、やつが忍び込む様子を見上げているのだった。
正直、ここで警察に捕まったらどうしようか。大丹羽勇次郎が錯乱して変な話を聞きに来た、というゴシップ記事を流されるのほうがマシな気がする。
私は昔、騒ぎにならないよう、虚無僧の姿で汽車に乗って九州の故郷に帰ろうとしたことがある。結果、時代錯誤すぎて不審がられ、通報されて下関で警察に捕まったことがあるので、なんとなく胸の傷が痛む。
私は、頭巾を被ったことで逆に完全な不審者のやつを見上げて、そのことを思い出した。間違いなく時代錯誤で、不審だ。
「しかし、貴様はそもそも人には見えないのだから、頭巾で顔を隠す意味は……」
「うるせえなあ」
やつは面倒そうに言った。
「万一見られたら面倒だろう? それにこういうのは気分の問題もある。こうすりゃあ気合が入る」
やつはニヤリとしたが、私は呆れてしまった。
「そんなことを言うなら、まず、その特徴的な服をなんとかしたらどうだ。黒襟かけた白の着流しなど目立ちすぎるだろう。お前の姿そのままだろうが。扮装にしても嫌だぞ」
私はさらに続けた。
「第一、頭巾は流石に時代錯誤では?」
そういうと、やつは肩をすくめた。
「しょうがねえ。それも一理ある。これでも肩に引っ掛け、帽子もかぶっておくか。パッと目、自然だろう」
やつは例のインバネスを肩にかけ、中折れ帽を取り出した。ますます不審になってきたが、やつはどうも乗り気になってきた。
「なんだか、怪盗めいてきたな。そうそう、最近、当節流行っていると言う少年探偵の本を読んだぞ。あれはおれの先生の友達の作家が書いていてな。あれに出てくる怪人がいたが、怪盗というのは、シルクハットにマントで決めているのだろう?」
やつは、それに気をよくしたのか、頭巾の上から斜めにいつものように帽子を被る。
かえって不審極まりないが、やつはすっかりその気だ。
「あれに出てくる怪人のように、華麗に盗んできてやろう」
やつはインバネスを翻して、塀を登ると家の中に消えてしまった。
それからの数十分、私は生きた心地がしなかった。酔っ払いのふりをしろ、とやつには言われていたが、ここに来るまでの間に、会食の時の酔いはすっかり醒めていた。
どこかで酒を調達するべきか、しかし、もう深夜も深夜だ。真夜中の十二時ごろだろう。
寝不足が確定しているのに、酒を飲むと明日の仕事にさわりそうだ。
警察や店のものに見つからないかと思いつつ、暗がりでうろうろしながら待っていると、突然、やつが帰ってきた。
やつは『設定』通り右腕がないが、元から身は軽い。長身を塀の上に踊らせると、マントのようにインバネスが広がった。
やつは手拭いに包んだものを口に咥えて、タッと塀を蹴ると華麗に地面に着地した。
怪盗の真似事にしては、なかなか出来上がっている。
よく考えると、こやつは実体のない幽霊みたいなものなのだから、そんな格好のつけた着地をしなくてもよかった気がするが。
まあ良い。やりたかったからやったのだろう。そのあたり、年頃の小僧みたいなところがある。
「戻ってきたぞ」
やつは口に咥えた手拭いを左手に持ち直し、私に言った。
「首尾は?」
「いい仕事をしてきたぞ」
ニヤッと笑うやつ。私はもはや不安しかなかったが、やつは自信満々だった。
「こっちへ来い」
やつは私を先導して、少し離れたさらに人の通りがなさそうな路地裏へと潜り込んだ。
真っ黒な闇しかない暗い路地裏ではあったが、おかげで人の気配はない。
「灯りをつけろ。持ってきたろう」
やつに言われて、私は持ってきた電池式の探見ケースのスイッチを入れた。薄ぼんやりとした灯りが、狭い路地裏を照らした。
なんとかものの判別はできそうだ。
「手早く確認するぜ。なにせ、こいつを手早く返しにいかねえとならねえからなあ」
「当たり前だ。元通りにするのだぞ」
流石に、本当の盗人の真似事をするつもりはない。
やつは手拭いをほどくと、中のものを取り出した。
「何を持ってきたのだ?」
「おれにも怪異の勘というものがあるからな」
やつは中のものを示しながら言った。でてきたのは、本が一冊、写真が一枚。
「春の骸に似た気配を強く感じるものを、ちょっと拝借してきた」
「気配?」
「もっとも、それだけで春の骸と娘が同一とは確定できねえ。似ていると言っても、悪意で腐乱した春の骸は雑念も多く絡まっているからな。あくまで参考程度だ」
やつがそう念を押した。
私は写真を手に取った。薄明かりの中で確認すると、やはりあの市松人形のような娘が写っていた。美しい着物を着ており、本当に人形のようだった。
見た記憶がある気がしなくもない。しかし、判然としない。
「何か思い出すことはあるか?」
「いや何も……」
私は言いかけて、本の方を手にした。
怪盗紳士とある。怪盗ルパン。これはアルセーヌ・ルパンの物語だ。しかし、小さな子供が読むにしては、少し難しい。早熟だったのだろうか。
ふと、本を裏返してみた。
そこに名前が書いてある。
「朝倉文世……。ふみよ?」
私はそう呟いた。
「おお、娘の名前か? どうやら朝倉文世が名前で良さそうだ。ほら、ここにも書いてある」
やつは写真を裏返した。大正十年、文世六歳とある。
「大正十年に六歳だから、死んだのは八歳か。おれの倅と同じだな」
やつが自分の養子を思い出したのか、いたましそうにいった。倫理観のないような男だが、この男も人の親の情はある。
「気の毒に。親御さんが供養したがる気持ちがよくわかる」
私がそう呟き、本のページをめくったところ、一枚の紙がはらりと本の間から落ちた。
それは写真だった。
それまでと違い、洋装をした少女の写真。可愛らしいワンピースを着た上品な美少女。市松人形のような写真とは雰囲気が違い、利発そうな美少女だ。
先ほどの写真と違い、少し大人びていた。
写真をめくる。裏には大正十二年、文世八歳、とあった。
「文世……」
私は目を見開いた。
ふみよ。文世。あさくら、ふみよ。
朝倉文世!
そうだ、文世!
私はその名前を思い出した。
「文世、ちゃん?」
そして、その時に、頭の中にある記憶が蘇った。




