第二十一話 モーニングセット
朝の清々しい空気の中、立ち上る珈琲の香り。焼けたバターとトースト。
私は知らないが丸いホットケーキ、というらしい食べ物。これもバターとシロップがかかっている。
私にしてはかなりハイカラな朝食。
「そうなんですか。オオニワさんたちも大変だったんですねえ」
異空間に引き込まれ、春の骸と戦闘した経緯を話していた。
ちょこんとテーブルに座る禎子は、まだ眠そうなのを隠しておらず、私の隣のやつもあくびをしていた。
「直接対峙できたらなにかわかりまして?」
「そこまでの収穫はねえなあ」
夜型のやつは二度目のあくびを噛み殺しつつ、珈琲を啜った。
「だが、やはり何か女が絡んでいるようだ。仁和寺に行って調べようぜ。禎子は予定の空きはあるか」
「ああ、殿様。それなら良い日が空いていまして」
禎子は手帳を取り出して、日取りを確認し始めた。
私は朝食を含め、なんとなく一人おいていかれたように、ぼんやりその様を眺めていた。
私は撮影のある時は朝早くに来て、弓を引いたりして気を落ち着けたりしている。
その日ももちろんそうだったのだが、いつもとちがうのは、たまたま禎子と出会ったことだった。
「オオニワさん、朝ごはんはお済みですか。ちょっとオリオンにいきません? 最近、朝の営業を始めたんですよ」
そういって禎子に手を引かれるままに、オリオンにきたのだった。
マサは遠慮して同行せず、禎子の付き人は相変わらず別の席で新聞を読んでいる。
……となると、最近はこっそりついてきているやつがいつのまにか、他人に見える姿になり同席するのが常だ。
そろそろ春夏用とはいえ、インバネスも暑いのではないかと思うが、やつには人間界の寒暖の差などあまり問題にならないのだろう。どうやら、それなりに気に入っているようだ。
とはいえ、暑くなると流石に目立つので、こういう時は肩にかける薄物のケープだけにしていることもある。
正体バレに直結しそうな、存在しない右腕を隠すのに、インバネスやケープはとても都合がいいのだ。
そこでこの朝食セットなるものに出会ったわけだが、流石に流行りの洒落た喫茶店だけあり、ハイカラで小洒落ていた。
しかし、私もその雰囲気に舞い上がるような年齢でもないので、本音は味噌汁が飲みたい気持ちだが、そんなことを言える立場でもない。
やつは、というと、意外に喜んでいそうな気配である。
こういう時、やつの方が順応性が高いのだなと思うのだった。
「ということで、オオニワさんも行けますよね、仁和寺」
「あ、ああ、ええと、いつでしたか?」
急に禎子に話しかけられて私は慌てた。
「ぼーっとしやがって。話を聞いておけよな、オオニワ」
やつが禎子と擦り合わせた日程を告げる。
最近ではどうやら私の仕事の有無も把握しているらしく、マサと密やかに連携している気がしなくもない。マサは私には何も言わないが、まあ、うまくやっているようなら良いだろうか。別に用心棒がいるようなものだから、マサの手間も省けるだろう。
「楽しみだわー。こう言ってはなんだけど、オオニワさんと殿様と外出するの、なかなか楽しいんですよ。ちょっと、こう、探偵めいてますよね」
「オカルト的だけどな」
やつが付け加えるが、
「だから楽しいんですよ。殿様なんて、そうそうお目にかかれる存在ではないんですもの」
禎子はそう言ってにこにこする。
「なんていうか、非日常の楽しさよね」
普通の少女ではあり得ない、忙しい日常を過ごす禎子だが、こうしていると年頃の無邪気な乙女だ。現代的な積極性のある女性でもあるが、われわれといる時間の彼女は聡明だけどあくまでも少女らしい。
忙しい彼女が、そうやって時間を楽しんでくれているのは私にとっても喜ばしかった。
「そういえば、禎子。この間の男はどうだ?」
ふと、やつが尋ねた。
「ああ、あれは」
と禎子の顔がこわばった。
「実はあのひと、まだ付きまとってきていて」
禎子は珍しく不安そうに言った。
「この間、おれが睨んでやったんだがなア」
「おかげさまでしばらくはいなくなったんですが……」
「撮影所のものや付き人に、なんとかしておもらいなさい」
私は口を出した。
よからぬものにまとわりつかれるのは、スタアの常ではあるが、中には危害を加えてくる暴漢もいる。襲われた者もいるから、その対応はしっかりしておかねばならない。
「警察にも協力をしてもらうことも考えなければ」
「ありがとう。オオニワさん。一応、付き人や撮影所のひとにも頼んではいるんだけれど。自分が追われるとなると煙みたいに消えてしまって、なかなか捕まらないの」
禎子はため息をつく。
「私でよかったら、何か力になりますよ。マサやこやつの力が必要なら言ってください」
私がそういうと禎子はにこりとした。
「そうね。『ハセガワさん』は頼りになる、って、うちの付き人も言ってますよ。殿様にはまた相談させてくださいね」
「おう、そうか? まあ、何かあったら気軽に言ってくれ」
ハセガワさん、ね。
私はちょっと機嫌の良くなったやつに、ちらりと視線を向ける。
やつは知らんふりをしているが、私の知らないところで、随分、親しくしていそうだ。
「あら、そろそろ時間だわ」
禎子は時計を見上げて、つまらなさそうに言った。
「それじゃあ、また。仁和寺にいくの、楽しみにしてますね」
禎子はそう言って席を立つと、付き人と共にオリオンから出ていった。
「貴様、そんなに気軽に他のものと話して大丈夫か?」
私が釘を刺すようにいうが、やつは肩をすくめる。
「何がだ。おれはお前の付き人の設定だし、相手とまったく話さないのも変だろうが。安心しろ、力の調整はしてある。要はニンゲンに見えればいいのだろう」
擬態は完璧だ、とやつはいうのだが、私はため息をついた。
「あまり調子に乗るのではないぞ」
「そういうわけではねえ。禎子に付きまとう男のことで、付き人には警告してやらねえとならねえから話をしていただけだ」
ふむ、と私は腕を組んだ。その話は先ほどから気にかかっていた。
「その男、どんなやつなのだ?」
「普通の若い男だな。陰気そうだが」
やつは唸って、
「労働者風というわけじゃあなく普通の都会の男、という感じだ。しかし、尾行の仕方が上手い上に、禎子への執着が度を越していてな」
やつは私の方を見た。
「おれは身を隠して移動するのには慣れているからな。それの玄人や素人は判別できる。元から潜伏したり、後をつけるのは得意だ。その玄人のおれからしても、なかなかどうして」
そういうのは元からの『設定』だけにして欲しい。私の不服そうな顔を無視してやつは続けた。
「そうはいっても、おれは女を追い回す奴が嫌いだから、できることなら排除したいところだが、おれが直接、そいつに手を出すことは難しい。だから、禎子の付き人に、どういう場所が危ないだとか、そういうことを警告してやっている」
それをきいて、私は唸った。
「やはり、直接手を触れるのが難しいのか」
「そりゃあそうだろう。おれは、所詮はてめえに憑いているだけなんだぜ。第一、ニンゲン相手に危害を加えるほどの力を出せるなら、とっくに人の一人や二人斬っていねえとおかしいだろうが」
「そういう不穏な話はするな」
私が眉根を寄せるが、やつは平気で続けた。
「とにかく、今のおれの力では力で暴漢を退けるのは無理だ。姿を見せて威嚇できるが、殴ったとしても相手には撫でられた程度にしか感じねえだろうよ」
「ふむ、しかし、そんな相手がイコちゃんに付き纏っているとは心配だな」
そういうと、やつもそれには同意したらしく微かに唸ってうなずいた。
「Good morning! Mr. Haze,Mr. Oba!」
不意に明るい声で話しかけられて、私とやつはそちらを向いた。
英語で話しかけられたのだから、当然そこにいるのは、オハラ夫妻だった。
愛想の良いパトリックと上品なエレノアの二人も、朝食をオリオンにとりにきたようだった。
二人はやつと二、三やりとりをする。
「ここの朝食が評判なので来てみたのだそうな」
すっかりMr. Haze、Alexander “Sandy” Hazeとして定着しているらしいやつが、そう通訳した。
パトリックが続けて尋ねる。やつは少し眉をひそめて、Noとこたえていた。
私が視線をやると、
「この間の御室有明について解決したか、と聞かれたんだ」
と、パトリックがふと手帳から一枚の写真を取り出して、やつと私に見せてきた。
「少し興味深い話がある? ほう、この写真と何の関係が?」
やつは通訳をこなしつつ、間で英語で彼に質問していた。
そこには木の写真があった。寺社の境内か墓地のようだ。まだ背丈の低い木で花をつけていない。
「これは?」
私が困惑気味に見上げると、パトリックが何事かを言った。やつが相槌を打ちながら、話を聞く。
「これは、接木された御室桜らしい。大阪の墓所にあるものだとか」
「しかし、これの何が……」
と言いかけて、私はふと口籠もった。
パトリックがもう一枚写真を持っていたのだ。そこには少女の写真が挟まっていた。少女と言っても、まだ七つ、八つくらいの年齢に見える。
おかっぱに切り揃えた前髪、上等な着物を着ている様は市松人形のようだ。そして、顔もまた市松人形のように美しい少女だった。
私は一瞬どきりとした。その少女をどこかでみた気がしたのだ。いや、これほど美しい娘なら、子役で似た子供を見ただけなのかもしれない。ただ、その幼い視線に惹きつけられる。
やつもその写真を出してきた意図を図りかねたのだろう。パトリックに質問をしているようだ。
「ああなるほど、この桜はこの少女のために接木されて植えられたもので?」
やつは英語で話を続け、
「取引先に船場の商人がいて……? 御室桜の話をしたところ……相談をされた。花が咲かないので何が悪いのか? そうか、マダムが植物に詳しいからな」
やつは通訳をしつつ、そう感想を述べる。
さらにパトリックは続けた。
「そうか、気の毒なことだ。この娘は、さきの関東の震災で? 桜は父親がその供養のために貰い受けたものか」
その言葉にどきりとした。
先の関東の?
背筋を冷たいものが走る。
その隣で、やつとオハラ夫妻の会話が続いていた。もはや、私には意味を解せぬ言葉が、遠くに響いているようだった。




