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破られた空と、灰に沈む記憶の街




妖精たちの悪戯な魔法が解け、いつもの旅装束に着替えた一行は、始まりの泉のほとりで一息ついていた。


エリスたちの頬にはまだ微かな朱が残っていたが、彼女たちの視線は、水面を見つめたまま立ち尽くすアッシュの背中に集まっていた。


アッシュは、自身の胸を強く握りしめていた。

五つ目の欠片が、これまでにないほど激しく、そして不規則に脈打っている。それは温かな共鳴ではなく、まるで何かを警告するような、焦燥に満ちた鼓動だった。


ドクンッ、ドクンッ。


「……っ」


アッシュの顔が苦痛に歪み、その場に片膝をついた。


「アッシュ殿!?」


エリスが血相を変えて駆け寄る。シルヴィやカレンも即座に武器を手に取り、アッシュの周囲を警戒した。


「痛い……。欠片が、全部集まって……膨らんでる。空が……裂ける」


アッシュが荒い息を吐きながら、妖精郷の美しい空を見上げた。


パキンッ。


ガラスが割れるような甲高い音が、空間そのものから響き渡った。


セフィラが『妖精眼』を開き、上空を睨みつける。


「嘘……次元の壁が、内側から引き剥がされています! 敵の襲撃ではありません! アッシュさんの胸に集まった五つの『光の欠片』が特異点となり、妖精郷の座標を無理やりこじ開けて……っ!」


セフィラが翠緑の瞳から血の涙を流し、片目を押さえてうずくまった。強大すぎる力の奔流に、眼の処理が追いつかなかったのだ。


ひび割れた空から、全てを呑み込む絶対的な『黒い穴』が開いた。


それは使徒たちの虚無や穢れとは違う。ただ純粋に、あまりにも重たすぎる『過去の記憶の引力』だった。


『――五つの欠片が、一つに還る。始まりにして、終わりの記憶へ』


次元の裂け目の奥から、どこかアッシュに似た、悲しげで透き通るような声が響いた。


「風さん……! みんなを……っ」


アッシュが手を伸ばすが、指先から放たれた神威の光は、裂け目から溢れ出す引力に吸い込まれ、霧散してしまう。現在の精霊たちの声が、遠ざかっていく。


「アッシュ殿!!」


アッシュの体がふわりと宙に浮き、黒い穴へと引きずり込まれそうになる。


エリスが迷わず飛び込み、アッシュの腕を両手で強く掴んだ。


「離しません……! 絶対に!」

「エリス! 駄目だ、君まで……っ」

「私たちも道連れよ!」

「ふん、主を一人で行かせる戦士がいるものか!」


シルヴィがエリスの腰に抱きつき、カレンがシルヴィの腕を掴み、セフィラが大剣の柄にすがりつく。


仲間たちは誰一人として躊躇うことなく、アッシュと共に次元の裂け目へと身を投じた。


記憶の奔流が渦巻く中、一行は漆黒の渦の中へと落ちていった。


   ◆

「……アッシュ殿、アッシュ殿!」


頬を叩く冷たい手と、切羽詰まったエリスの声で、アッシュはゆっくりと目を開けた。


「……エリス。みんなも、無事……?」


体を起こすと、仲間たちは擦り傷だらけになりながらも、全員が周囲を囲んでいた。


「ええ。ですが、ここは一体……」


エリスが剣を握りしめたまま、信じられないものを見るように周囲を見渡す。


そこは、これまでに訪れたどの美しい景色とも違う、完全な『死の世界』だった。


空は血のように赤く染まり、太陽は黒く濁りきっている。


足元には白い雪のようなものが積もっていたが、それは雪ではなく、全てが燃え尽きた後に残る『灰』だった。


崩れ落ちた巨大な建造物の残骸がどこまでも続き、かつて美しかったであろう街並みは、跡形もなく破壊されている。


「風が……吹いていないわ。魔力も、大地のマナも、一滴も感じない」


シルヴィが震える声で言う。虚無の結界のような人為的な遮断ではない。この世界そのものが、完全に死に絶えているのだ。


セフィラが痛む目を細めて周囲を見渡し、青ざめた。


「ここは、私たちのいる世界ではありません。五つの欠片が共鳴して具現化した空間……おそらく、神話の時代に滅びた『過去の記憶の世界』です」


アッシュは、灰の積もる地面をゆっくりと歩き、ひび割れた石柱の破片にそっと触れた。

胸の奥で、激しい痛みが走る。


この赤い空も、灰の匂いも、崩れた街も、夢の中で何度も見た光景だった。


「僕、この場所を知ってる」


アッシュがポツリと呟く。


「……あの光の人が、何かと戦って、僕を置いていった場所だ」


いつもなら彼を助けてくれる風の精霊も、大地のぬくもりも、ここには一切存在しない。


大自然の愛し子としての絶対的な力が通用しない、終わってしまった過去の世界。


「僕の過去が、みんなをここに巻き込んじゃったんだね」


アッシュの灰色の瞳が、赤く染まった廃墟の街を見据えた。


「何を仰るのですか、アッシュ殿。大自然の力が使えなくとも、私の剣はここにあります」


エリスが心配そうに、しかし力強く隣に立つ。


「そうよ。今まで散々あんたに助けられてきたんだから、今度は私たちが師匠を守る番よ」


シルヴィも杖を構えて微笑んだ。


「うん。少し寒いけど、大丈夫だ」


アッシュは振り返り、不安そうな仲間たちに向かって、いつものようにふんわりと微笑んだ。


「だって、エリスたちが一緒にいてくれるから。……行こう。この記憶の奥に、僕が本当に探さなきゃいけない『答え』があるはずだから」


アッシュの力が通用しない死の世界で。


過去の記憶そのものに引きずり込まれた一行は、アッシュのルーツたる真実を求めて、灰に沈む街へと足を踏み入れた。

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