幻惑の竜道と、エルフの乙女の真眼
温泉で心身を癒した翌朝、アッシュたちは竜の帝国の中心『竜帝峰』を目指して、険しい岩山の登山道を進んでいた。
(私は、この旅でアッシュさんの何になれているのでしょうか……)
最後尾を歩きながら、セフィラは妖精眼を伏せて小さくため息をついた。
エリスの絶対的な剣、カレンの無双の闘気、シルヴィの圧倒的な魔導、そしてリリィの竜としての絆。
彼女たちは戦いでアッシュの盾や剣となり、日常でもアッシュの隣で無自覚な優しさを享受している。
一方、セフィラは年長者のエルフとして、いつも一歩引いて事態を解説したり、後方支援に回ることが多かった。温泉での騒動の際も、実は彼女だけ「年甲斐もなくはしたない……」と遠くから羨ましそうに眺めるだけだったのだ。
「セフィラ、どうかした? 足、痛いの?」
ふと、アッシュが振り返り、セフィラの顔を覗き込んできた。
「えっ? あ、いえ、何でもありません。ただの考え事です」
「そう? でも、ちょっと元気ないよ。僕でよかったらおんぶしようか?」
「お、おんぶ!? いえいえ、そんな子供のような……っ!」
セフィラは長い耳をピクピクと揺らし、顔を赤くして慌てて手を振る。
エリスたちが「またアッシュ殿が無自覚なタラシを……」「エルフの誇りが崩れかけているぞ」と後ろでヒソヒソ話している。
その時だった。
「――おっと。これ以上、汚らわしい下等生物どもに竜帝峰を歩かせるわけにはいきませんねェ」
突如、周囲の岩山がぐにゃりと歪み、一行を分厚い赤黒い霧が包み込んだ。
「なっ……視界が!?」
カレンが警戒して大剣を抜くが、霧の向こう側に仲間の姿すら見えなくなってしまう。
「ふふふ。初めまして、大自然の愛し子とその愉快なペットたち。私は『蝕の教団』第二使徒、バルドス。幻惑と精神支配を司る者です」
霧の奥から、ねっとりとした嘲笑が響き渡った。
「竜の頂点たるバハムートは、すでに私の幻術により最高の人形となりました。あんな知能の低いトカゲの王など、少し幻を見せてやれば簡単に心が折れる。滑稽なものですよォ」
「……バハムートさんを、トカゲって呼ぶな」
アッシュの声が、静かな怒りを帯びた。
彼から純白の神威の光が放たれ、霧を浄化しようとする。
しかし――。
「おやァ? 無駄ですよ。この『絶望の幻霧』は物理的な穢れではなく、対象の認識そのものを歪める結界。空間のどこかに隠された『核』を壊さない限り、貴方の光でも空間全てを塗りつぶすことはできません。まあ、この広大な岩山の中から砂粒のような核を見つけるなど、不可能ですがねェ!」
バルドスが下劣な笑い声を上げる。
確かに、アッシュの光が届いた場所の霧は晴れるが、すぐに別の場所から湧き出した霧に覆われてしまう。
「くっ……方向感覚が完全に狂っているわ。風で吹き飛ばしても、キリがない!」
シルヴィが焦りの声を上げる。
(アッシュさんの光の無駄撃ちを誘い、疲弊させる気ですね……!)
セフィラは唇を噛んだ。
アッシュの光は強大だが、万能ではない。こういう巧妙な搦め手に対して、彼を正確な場所へと導く「眼(照準器)」が必要なのだ。
(ここで私が……アッシュさんの力にならなくて、何が年長者ですか!)
「アッシュさん! 光を抑えてください! 私が……私が、この幻術の核を見つけ出します!」
セフィラが前に進み出た。
彼女は目を閉じ、深く深呼吸をする。そして、再び目を開いた瞬間――彼女の美しい翠緑の瞳が、万物の理を解析する古代エルフの至宝『真なる妖精眼』として眩く発光した。
「セフィラ……?」
「行きます……! 大地のマナよ、真実を映す鏡となれ!」
セフィラの視界の中で、赤黒い霧が細い糸の集まりへと変換されていく。彼女はその糸を遡り、空間の歪みの奥深くに隠された、わずか数センチの『呪縛の魔法陣』を正確に捉えた。
「見つけました! 右斜め前方、三十メートル先の岩壁の中腹……透明に偽装された魔法陣が、この霧の発生源です!」
「馬鹿な!? 結界の奥底に隠した次元のズレを、視覚だけで見破っただと!? たかが森に引きこもる長耳族風情がァ!!」
バルドスの焦った声が響く。
「たかがエルフで悪かったですね! 私は、このお方の『眼』であり、誇り高き旅の仲間です!」
セフィラが凛と言い放つ。
「ありがとう、セフィラ。すごく綺麗に道が見えたよ」
アッシュがセフィラの隣に並び、彼女の銀糸のような髪をそっと撫でた。
「ひゃっ……! ア、アッシュさん……っ」
突然の頭ナデナデに、真剣だったセフィラの顔が一瞬にして真っ赤に染まる。
「バルドスって言ったね。君の隠れんぼ、セフィラが見つけちゃったから……もうおしまいだよ」
アッシュが右手を、セフィラが指差した岩壁の方向へとかざす。
「や、やめろォォォッ!!」
「こんな悪い落書き、消しちゃおうね」
ドゴォォォォォォォォンッ!!!
アッシュの手から放たれた極太の神威の光が、霧を、岩壁を、そしてその奥に隠されていた幻惑の魔法陣ごと、跡形もなく消し飛ばした。
パリンッ! とガラスが割れるような音と共に、竜帝峰を覆っていた赤黒い霧が一瞬にして晴れ渡る。
「あ、あばばばばっ……!? わ、私の最高傑作の幻惑結界が……ただの光の放射で……ッ!?」
岩山の高台で、黒い法衣を着た細身の男――第二使徒バルドスが、信じられないものを見る目で震えていた。
「すごいわ、セフィラ! あなたの妖精眼がなかったら、手こずっていたわ!」
シルヴィが駆け寄り、セフィラの肩を叩く。
「さすがだな。これからは遠慮せず、どんどん前に出てきてくれ」
カレンも親指を立てる。
「みなさん……。えへへ……はいっ!」
セフィラは頬を染めながらも、心からの笑顔を浮かべた。
ずっと感じていた疎外感は消え去り、彼女もまた、大自然の愛し子を支え、確かな絆を深めたのであった。
「さて、バルドス」
アッシュが、高台で震える第二使徒を見上げる。
「君がバハムートさんにどんな悪い夢を見せてるか知らないけど。……今から僕たちが、君を一番怖い現実に連れてってあげるからね」
温厚なアッシュの瞳に宿る、大自然の静かなる怒り。
セフィラという強力な「眼」を本格的に得た一行は、教団の幹部を完全に圧倒するべく、竜帝峰の頂上へと歩みを進めるのであった。




