白亜の広場と、ふんわり雲のスープ
グリフォンが静かに翼を畳み、中央の浮遊島に広がる白亜の大理石の広場へと降り立った。
「わぁ、すごい! お水が空中に浮いて流れてるよ!」
アッシュが目を輝かせて周囲を見渡す。
広場には、重力に逆らうように空を流れる透明な水路が張り巡らされ、その水辺には雲をそのまま固めたような真っ白でフワフワとした花々が咲き乱れていた。
そこへ、先ほど結界を通り抜けられて呆然としていた天翼族の騎士たちが、慌てた様子で空から舞い降りてきた。
「ま、待て! 貴様ら、あの絶対防壁をどうやって……!」
隊長が再び雷の槍を構えようとしたが、その手は微かに震えていた。
結界を破られたという事実以上に、目の前で無邪気に花を覗き込んでいる灰色の青年から放たれる、底知れぬ清浄な気配に本能が圧倒されていたのだ。
「剣を収めなさい、ガリウス。その方々に敵意はありません」
透き通るような美しい声が広場に響いた。
神殿の奥から現れたのは、他の天翼族よりもさらに大きな、黄金に輝く六枚の翼を持つ美しい女性だった。彼女の歩みに合わせ、周囲の空気が神聖な祈りのように澄み渡っていく。
「セレスティア大長老様! しかし、下界の者が神聖なる空へ立ち入るなど……」
「見えませんか。あの御方は結界を『破壊』したのではありません。星の防壁が、自ら喜んで道を開けたのです」
セレスティアと呼ばれた大長老は、アッシュの前まで静かに歩み寄り、その場に深々と片膝をついて首を垂れた。
「ようこそ天空の大陸へ、星の記憶を継ぐ大自然の愛し子よ。我ら天翼族、貴方様のご到着を心より歓迎いたします」
「えっ、あ、うん。お邪魔してます。結界、勝手に通っちゃってごめんなさい」
アッシュが申し訳なさそうに頭を下げる。
「とんでもございません。天空の理さえも凌駕する貴方様を阻むものなど、この世界には存在しません。……長旅で冷えたことでしょう。さあ、神殿へ。温かい食事をご用意しております」
案内された神殿のテラスには、すぐに天空の大陸ならではの不思議な料理が並べられた。
ひときわ目を引くのは、真っ白な器に盛られた、本物の雲のようにフワフワとした温かいスープだ。
「わぁ、いい匂い! いただきまーす!」
アッシュがスプーンでスープをすくい、口に運ぶ。
「んんっ! すごくフワフワで、口の中でスッと溶けて、すごく温かい出汁の味がする!」
「それは天空を漂う『陽だまりの雲』と、霊鳥の出汁を合わせたスープです。冷えた体を芯から温めてくれますよ」
セレスティアが優雅に微笑む。
「美味しいね! エリス、手、まだ少し冷たいでしょ。これ飲んでみて」
アッシュは自分がすくったスープをふーふーと軽く冷まし、そのままエリスの口元へと差し出した。
「えっ……!? ア、アッシュ殿が使ったスプーンで……その、これは……っ」
エリスの顔が、瞬時にゆでダコのように真っ赤になる。
先ほどの空での密着の余韻も冷めやらぬうちに、今度はあーんである。騎士の理性が、アッシュの無自覚な優しさの前でメルトダウンを起こしかけていた。
「どうしたの? 熱かった?」
アッシュが小首を傾げて覗き込む。
「い、いえ! いただきます!」
エリスは意を決して、目をギュッと瞑りながらスープを口に含んだ。
「……美味しいです。とても……温かいです……」
エリスは両手で顔を覆い、テラスの端の方でぷすぷすと煙を上げ始めた。
「し、師匠! 私もまだ芯が冷えてます! ぜんぜん温まってません!」
シルヴィが身を乗り出して口を大きく開ける。
「僕も! アッシュ、あーんして!」
リリィも負けじとアッシュの腕を引っ張る。
「……肉ばかりでは栄養が偏る。少し味見をしてやってもいいぞ」
カレンもそわそわしながら、空の器を差し出してきた。
「はいはい、みんな順番ね」
アッシュは楽しそうに笑いながら、仲間たちに次々と温かいスープを取り分けていく。
そのあまりにも平和で温かな光景に、周囲を警戒していた天翼族の騎士たちも、いつの間にか毒気を抜かれて顔を綻ばせていた。
食事が一段落し、温かいハーブティーが運ばれてきた頃。
セレスティア大長老が、静かに表情を引き締めた。
「アッシュ様。貴方様がこの空を訪れた目的……それは、ご自身の『記憶の欠片』を探すためですね?」
アッシュはコップを置き、真っ直ぐに頷いた。
「うん。僕の胸の中で、空のずっと奥にある欠片が、早く見つけてって呼んでるんだ」
「……やはり。実は数日前、この浮遊島の中枢にある神話の遺跡……『星見の大迷宮』に、真っ黒な外套を纏った不気味な男が侵入したのです」
セレスティアの言葉に、エリスたちの空気が一変する。
「ゼノですね」
カレンが忌々しそうに吐き捨てる。
「大火山の決戦から逃げ延び、先に天空の遺跡へ入り込んでいるということか」
「はい。男が侵入して以来、迷宮の奥深くから、星の悲鳴のような恐ろしい瘴気が漏れ出し始めています。我ら天翼族の戦士も討伐に向かいましたが、男の展開する『何もない真っ暗な空間』に阻まれ、誰一人として奥へ進むことができませんでした」
「虚無の領域……教団の第一使徒である彼の権能です。アッシュ殿でなければ、突破することは不可能です」
エリスが騎士の顔つきで立ち上がった。
「あの迷宮の最深部には、世界が生まれた時の記録を封じた『星の揺り籠』があります。もしあの男がそれを穢せば、天空の大陸は墜落してしまうかもしれません。どうか、アッシュ様……」
セレスティアが再び深く頭を下げようとするのを、アッシュが慌てて止めた。
「大丈夫だよ、セレスティアさん。ゼノは、僕の記憶の欠片のところにいるんだよね」
アッシュは立ち上がり、島の中心にそびえ立つ、巨大な水晶の山のような大迷宮を見据えた。
その瞳には、大火山での戦いを経て確固たるものとなった、大自然の理を司る者としての静かな決意が宿っている。
「行こう。迷宮の奥で泣いてる欠片を助けて……ゼノにも、もうあんな悲しいことはやめさせないと」
温かなスープで英気を養った一行は、天翼族の祈りを背に受けながら、ゼノが待ち受ける神話の遺跡『星見の大迷宮』へと歩みを進めるのであった。




