天空のフライトと、無自覚なぬくもり
天翔グリフォンの広い背中に乗り、一行は文字通り雲を突き抜けて大空を駆けていた。
「わぁ……! 下を見ても雲しか見えない! まるで白い海みたいだね!」
アッシュがグリフォンのふさふさとした羽毛にしがみつき、眼下に広がる雲海を見て目を輝かせる。
「本当に、見事な絶景ですね。……ですが、さすがにこの高度になると……くしゅっ」
エリスが珍しく小さなくしゃみを漏らし、自身の二の腕をさすった。
地上は熱帯の獣人大陸だったが、空高く舞い上がった今は、肌を刺すような冷たい風が吹き荒れている。シルヴィが風除けの魔術を展開しているものの、高高度の絶対零度に近い冷気を完全に遮断することは難しかった。
「さ、寒いわね……。魔力で体温を維持しないと、芯から冷えちゃうわ」
シルヴィが杖を抱え込んで震える。
「ふん、これしきの寒さ……武者震いみたいなものだ」
カレンは強がっているが、その声は微かに震え、鳥肌が立っている。
「あれ? みんな、寒いの?」
アッシュが不思議そうに振り返った。
彼自身は薄着のままだが、全く寒そうな素振りがない。それもそのはず、風の精霊たちが「大自然の愛し子を冷やしてはいけない」と、アッシュの周囲だけ冷気を完璧に逸らし、代わりに太陽の温もりを集めたポカポカの空間を作り出しているからだ。
「……アッシュ殿の周りだけ、春の陽気のようなオーラが見えますね」
セフィラが苦笑しながら指摘する。
「そっか、僕のところだけ暖かいんだね。エリス、手、すごく冷たくなってるよ。こっちにおいで」
アッシュは全く悪びれる様子もなく、エリスの手をそっと引くと、自分の着ていた上着を広げ、彼女の肩を抱き寄せるようにしてすっぽりと包み込んだ。
「ひゃうっ!?」
突然の密着。エリスの背中に、アッシュの温かい胸板がピタリと触れる。
騎士として常に凛としているエリスだが、大好きな主からの無自覚すぎるスキンシップに、その白い頬が一瞬にして林檎のように真っ赤に染まった。
「ア、アッシュ殿!? そ、その、これは少し近すぎるのでは……! 騎士として、主に守られるなど……」
「でも、寒いと風邪ひいちゃうよ。ほら、こうしてるとすごく暖かいでしょ?」
アッシュが心配そうに覗き込み、エリスの冷えた両手を自分の両手で優しく包み込んで息を吹きかける。
「〜〜〜ッ!!」
エリスの頭から、ポッポッと湯気が上がりそうだった。寒さなど完全に吹き飛び、心臓が早鐘のように鳴り響いている。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 抜け駆けは許さないわよエリス!」
その光景を見ていたシルヴィが、顔を真っ赤にして抗議の声を上げた。
「師匠! 私もすごく寒いです! 手の感覚がありません! 温めてくれないと魔術が暴発しちゃいます!」
「えっ? それは危ないね。おいで、シルヴィ」
アッシュが反対側の腕を広げると、シルヴィは「えへへーっ」と嬉しそうに飛び込み、アッシュの腕にギュッと抱きついた。
「んーっ、師匠ポカポカしてていい匂いがするわ〜」
「……おい。お前ら、はしたないぞ」
カレンが呆れたようにため息をつくが、その視線はチラチラとアッシュの空いている背中の方へと向けられている。
「……しかし、急激な体温低下は筋肉のパフォーマンスを著しく落とすからな。戦士として、生存確率を上げるための合理的な判断として……アッシュ、背中を借りるぞ」
カレンは言い訳を並べ立てながら、ちゃっかりとアッシュの背中にピタリと背中合わせにくっついた。
「うん、カレンも暖かいね」
「ふ、ふん。まあ、悪くないな」
カレンも耳まで赤くして、そっぽを向いている。
すでにアッシュの膝の上で丸まって寝ているリリィも含め、グリフォンの背中には、アッシュを中心とした見事な『暖取りのハーレム』が完成していた。
「……ふふっ。アッシュさんの無自覚は、どんな魔物の攻撃よりも乙女心への破壊力が高いですね」
セフィラが温かいお茶を啜りながら、楽しそうに微笑む。
そんな和やかな(そしてエリスたちが心臓をバクバクさせている)空の旅を続けること数時間。
グリフォンがさらに分厚い黄金色の雲海を突き抜けた瞬間、一行の視界が一気に開けた。
「わぁ……!」
アッシュが感嘆の声を漏らす。
眼前に現れたのは、重力の法則を完全に無視し、青空の中にぽっかりと浮かぶ無数の巨大な島々だった。
島からは澄み切った水が滝のように雲海へと注ぎ落ち、緑豊かな大地には、白亜の大理石と黄金で造られた、神々しい神殿のような建造物が立ち並んでいる。
「あれが……天空の大陸。神話の時代から大空に隔離されているという、失われた世界……」
エリスがアッシュの腕の中で(少し名残惜しそうにしながらも)身を乗り出し、騎士の顔つきに戻る。
だが、グリフォンが最も大きな中央の浮遊島へと近づこうとした、その時だった。
『――止まれ。地を這う者どもよ』
突如、空間が波打ち、十数人の『有翼の騎士』たちが一行の前に立ち塞がった。
彼らの背中には純白の鳥の翼が生え、手には雷光を纏う槍が握られている。天空の大陸の守護者、『天翼族』の戦士たちだ。
「この先は神聖なる空の領域。下界の穢れを運ぶ者たちの立ち入りは、法により固く禁じられている。直ちに引き返せ!」
先頭に立つ天翼族の隊長が、鋭い声で警告を発し、槍を構える。
同時に、浮遊島を覆うように、強固な光の防壁(結界)がドーム状に展開された。
「強烈な拒絶の結界ね。物理攻撃も魔術も、全て弾き返す絶対防壁のようだけど……」
シルヴィが杖を構え、カレンが大剣に手をかける。
だが、アッシュはグリフォンの首を優しく撫で、ゆっくりと前に進むようにお願いした。
「止まれと言っているのが聞こえんのか! これ以上進めば、撃ち落とす!」
天翼族の騎士たちが雷の槍を振り上げる。
「ごめんね、怪我をさせるつもりはないんだ。ただ、ちょっと通してほしいだけなんだ」
アッシュは光の結界の目の前まで来ると、その分厚い光の壁に、そっと手を触れた。
「少しの間だけ、通してくれる?」
パキ……ッ。
アッシュが触れた瞬間。
絶対に破れないはずの天空の防壁が、まるでガラス細工のようにあっさりと崩れ落ち、彼らを歓迎するかのように、柔らかな光の粒子となって道を開け放ったのだ。
「なっ……!?」
「神殿の絶対結界が……ただ触れただけで、解けただと!?」
天翼族の騎士たちが、雷の槍を取り落とし、目玉が飛び出るほど驚愕する。
「ありがとう。……ほら、みんなも寒かったでしょ? 早く島に降りて、温かいものを探そう」
アッシュは呆然とする守護者たちの間を、のんきな笑顔で悠々とすり抜けていく。
仲間たちの心を無自覚に乱し、さらには天空の絶対法則すらも息をするように破壊しながら、大自然の愛し子はついに神話の地『天空の大陸』へと足を踏み入れるのであった。




