黒灰の密林と、嘆きの赤き鉱石
翌朝、アッシュたちは銀狼族の戦士ヴォルフの案内のもと、大火山へと続く熱帯の密林を進んでいた。
「皆様、足元にご注意を。この先の『嘆きの森』は、猛毒を持つ植物や凶暴な魔獣がうごめく、大陸でも屈指の危険地帯です。私が先頭で道を切り拓き……」
ヴォルフが巨大な戦斧を構え、油断なく周囲を睨みつけながら言った、その直後だった。
「わぁ、綺麗なお花! ヴォルフ、これなんていうお花?」
アッシュが密林の奥へとてくてくと歩いていき、毒々しい紫色をした巨大な食虫植物の前にしゃがみ込んだ。
「ああっ! 王よ、それは危険です! 触れればたちまち骨まで溶かす強酸の……!」
ヴォルフが血相を変えて飛び出そうとしたが、その必要はなかった。
アッシュがそっと紫色の花弁を撫でると、食虫植物は嬉しそうにフルフルと体を揺らし、シュルリと自らのツルを伸ばして、アッシュの首に美しい花のレイ(首飾り)を作って見せたのだ。
「えへへ、くすぐったいよ。ありがとう」
「…………」
凶悪なはずの人食い植物が、青年を歓迎するただの可愛いお花と化している。
さらに、彼らが歩く先々で、鬱蒼と生い茂っていたイバラや巨大な樹木の根が自ら「どうぞ」とばかりに道を譲り、快適な散歩道を作り出していく。
「あはは、大きなカブトムシさんだ!」
「リリィ、勝手に捕まえないの! 師匠、この辺りの薬草、すごく珍しいものばかりですよ!」
「うん、いっぱい摘んでいこうか」
「……この光景を見るのは何度目か分かりませんが、やはり大自然はアッシュ殿の前では完全にデレデレですね」
エリスが呆れたようにため息をつきながら、その後を歩く。
「……伝説の『嘆きの森』が、ただのピクニックコースに……」
ヴォルフは戦斧を下ろし、ただただ白目を剥いて現実逃避するしかなかった。
しかし、大火山に近づくにつれて、森の様子は明確に異様なものへと変わっていった。
空を覆う巨大な樹木の葉が、パラパラと枯れ落ちていく。
原因は、大火山の火口から絶え間なく降り注ぐ『黒い灰』だ。
「空気が……焦げたように苦くなってきましたね」
セフィラが口元をハンカチで覆い、妖精眼を細める。
「この黒い灰、ただの火山灰じゃありません。微弱ですが、教団の『穢れ』が混ざっています。触れた植物から少しずつ魔力を奪っているようです」
シルヴィが杖を振るい、一行の頭上に透明な風の結界を展開して灰を弾き飛ばす。
「教団の連中め。この美しい森を、よくもこんな姿に」
カレンが不快そうに大剣の柄を叩いた。
「風さんたちも、お花たちも、みんな咳き込んでる。……急ごう」
アッシュの灰色の瞳に、静かな怒りと悲しみが宿る。
しばらく進むと、森が開け、大火山の麓に広がる荒涼とした岩場へと出た。
そこには、目を疑うような痛ましい光景が広がっていた。
「あ、あれは……!」
ヴォルフが牙を剥き出しにして唸る。
岩場には巨大な採掘場が作られていた。
そこでツルハシを持たされ、重い岩を砕いているのは、虎や熊、豹など、大陸の各地から集められたと思われる獣人の戦士たちだ。
彼らの足には重い鉄の足枷がはめられ、その肉体は疲労と黒い灰の影響で痩せ細り、ボロボロになっている。
「手を休めるな、獣のクズども! 獣王の命令だ、その『赤き鉱石』を全て掘り尽くせ!」
採掘場を見下ろす高台から、黒い外套を着た教団の魔術師たちが、獣人たちに向かって容赦なく魔術の鞭を振るっていた。
「ぐぁっ……!」
鞭に打たれた虎の獣人が、堪えきれずに膝をつく。
彼の手元には、大地の血のように不気味に赤く発光する、奇妙な鉱石が転がっていた。
「おい、立て! 立てと言っているのが聞こえんのか!」
魔術師が再び鞭を振り上げようとした、その時。
「それ以上、この森の住人をいじめないで」
静かな声と共に。
採掘場の中央に、いつの間にか灰色の髪の青年が立っていた。
「な、なんだ貴様は!? どこから……」
魔術師が驚いてアッシュの方へ振り返ろうとした瞬間、その後方から凄まじい暴風と剣閃が吹き荒れた。
「エリス・ヴァン・ローゼン、推参!」
「遅いわよ、教団のゴミども!!」
「灰になれ!!」
白銀の剣と、大剣の衝撃波、そして純白の竜の炎が、高台にいた数十人の教団魔術師たちを一瞬にして蹂躙する。
「ぎゃあああっ!?」
「ば、化け物……!」
魔術師たちは魔法陣を展開する暇すら与えられず、あっという間にその場に叩き伏せられ、カレンやエリスによって完全に制圧された。
「……すごい」
膝をついていた虎の獣人が、圧倒的な力で自分たちを救った少女たちを見て絶句する。
「大丈夫? すごく痛かったね」
アッシュが虎の獣人の傍にしゃがみ込み、その足枷にそっと触れた。
アッシュの手から放たれた淡い光が、頑強な鉄の足枷をただの砂に変えて崩し、獣人の体に刻まれた無数の鞭の傷を瞬く間に塞いでいく。
「あ……おお……。痛みが、消えていく。あんたは、一体……」
「王よ! ご無事ですか!」
後方から駆けつけてきたヴォルフを見て、虎の獣人が目を見開く。
「銀狼族のヴォルフ! なぜお前が、人間と共に……いや、この御方は……」
虎の獣人もまた、アッシュから放たれる大自然の頂点たる気配を感じ取り、自然と頭を垂れていた。
「ねえ、この赤い石……君たちが掘らされていたの?」
アッシュは、足元に転がっていた赤く発光する鉱石を拾い上げた。
「……はい。数ヶ月前、黒い外套の人間たちが獣王様の元を訪れてから、我々はこの石を掘るよう命じられました。火山の奥底の魔力を無理やり固めた、呪われた石だと聞いています」
アッシュが鉱石に耳を澄ませるように目を閉じる。
「……やっぱりだ。この石、火の精霊さんたちの『痛い』っていう気持ちがカチカチに固まったものなんだ。教団の人たちは、これを集めて大火山の力を奪おうとしてる」
アッシュが両手で赤い鉱石を包み込む。
「もう、泣かなくていいよ。土の中に帰っておいで」
パァン、と。
赤い鉱石はアッシュの手の中で清らかな光の粒子となって弾け、大地の奥深くへと優しく吸い込まれていった。
「火の精霊さんたちも、記憶の欠片も、大火山のてっぺんにいる。……急ごう」
アッシュが大火山の頂――禍々しい黒煙を吹き上げる火口を見上げる。
「我々も共に戦わせてください! 操られているとはいえ、ライオネル様を止めるのは我ら獣人の役目です!」
解放された獣人たちが、一斉に立ち上がり、アッシュに向かって拳を胸に当てた。
「ありがとう。でも、戦うのは僕たちで十分だから、みんなは森のみんなを安全なところに避難させてあげて」
アッシュが優しく微笑みかける。
エリスたち仲間が周囲の魔術師を完全に縛り上げ、アッシュの隣に並び立つ。
彼らの視線の先には、いよいよ教団の残党と、狂乱の獣王が待ち受ける大火山の中枢が迫っていた。
焼け焦げた大気を切り裂き、一行はついに、決戦の舞台たる火口へと足を踏み入れる。




