弱肉強食の大地と、誇り高き狼
黄金の砂漠での盛大な見送りを背に、アッシュたちは再び巨大海魔の背に揺られ、一路南へと進路を取っていた。
「アッシュ様、どうかお気をつけて! 太陽帝国は、いつでも貴方様のお帰りを……そして、次なる観光をお待ちしております!」
港から涙ながらに手を振るアミラ皇女と砂の巫女ネフィの姿が、水平線の彼方へと小さくなっていく。
「イカさん、今度は南の海だよ。よろしくね」
『……キュイッ!』
アッシュが背中を撫でると、クラーケンは嬉しそうに鳴き声を上げ、凄まじい推進力で波を切り裂いて進み始めた。
数日間の快適なクルージングを経て、海風に混じる匂いが、砂漠の乾いたものから、むせ返るような濃密な緑の匂いへと変わっていく。
「見えてきたわ。あれが南の『獣人大陸』よ」
シルヴィが舳先から前方を指差した。
そこには、天を突くような巨大な樹木が生い茂る大密林と、そのさらに奥、大陸の中心にそびえ立つ赤茶けた『大火山』が黒煙を上げているのが見えた。
「なんて濃密で、荒々しい魔力なの……。エルフの森の静かな大自然とは対照的ですね」
セフィラが妖精眼を細め、大陸から立ち上る野生のエネルギーに圧倒されている。
「弱肉強食が絶対の掟とされる大地だ。腕が鳴るな」
カレンが大剣の柄を撫で、獰猛な笑みを浮かべた。
クラーケンが人気のない入り江に静かに横付けし、一行は未開の砂浜へと降り立った。
「イカさん、ありがとう。またお迎えをお願いするかもしれないから、それまで海で遊んでてね」
アッシュが別れを告げると、クラーケンは名残惜しそうに触手を振り、深い海へと潜っていった。
「さて、まずは近くの集落を見つけて、大火山への道のりを聞きたいところですが……」
エリスが周囲の密林を警戒しながら歩き出そうとした、その時。
ガサガサッ!!
突如、周囲の巨大なシダ植物の茂みから、獣の唸り声と共に十数個の影が飛び出してきた。
「グルルル……。人間の匂いがすると思ったら、やはり密猟者か。ここは我ら『銀狼族』の縄張りだ」
現れたのは、筋骨隆々の肉体に狼の耳と尻尾を生やした、獣人の戦士たちだった。
先頭に立つのは、一際大柄で、身の丈ほどもある巨大な戦斧を担いだ灰色の狼獣人だ。その鋭い眼光と、全身から立ち上る血生臭い闘気は、彼が数多の死線を潜り抜けてきた歴戦の戦士であることを物語っている。
「弱き者は食い物にされ、強き者のみが生き残る。それがこの大陸の掟だ! 人間ども、命が惜しくば持っている食料と武器を置いて去れ!」
狼の戦士が戦斧を地面に叩きつけ、威嚇の咆哮を上げた。
カレンとエリスが即座に武器に手をかけ、一触即発の空気が流れる。
だが。
「わぁ……! すごい、みんな耳と尻尾がフサフサだ!」
アッシュが目を輝かせ、警戒など一切せずに、狼の戦士の目の前までてくてくと歩いていってしまった。
「なっ……貴様、狂ったか!? 私のこの闘気の前で、恐れすら抱かないというのか!」
狼の戦士が戸惑いながらも、威嚇のために鋭い爪の生えた手を振り上げる。
しかし、アッシュは全く動じない。
それどころか、彼は戦士の腕をそっと両手で包み込み、心配そうな顔をした。
「だめだよ、そんなに毛を逆立てたら。森を走る時にくっついたイバラの棘が、皮膚に刺さって痛がってるよ」
「……は?」
アッシュの手から、淡く温かな光が放たれた。
それは、彼が自らの内に宿した神威の光。大自然の理そのものを内包した、絶対的な『生命の根源』の波動。
光が戦士の体を包み込むと、毛並みに絡みついていた厄介なイバラや泥が一瞬にして浄化され、さらには古傷の痛みまでもがスゥッと引いていく。
「な、なんだこれは……!? 貴様、何をした……っ!」
狼の戦士は、戦斧を取り落とし、ガクガクと膝を震わせた。
獣人たちは、人間よりも遥かに大自然の気配や『強者の匂い』に敏感だ。
今、目の前にいる灰色の髪の青年から放たれているのは、圧倒的な暴力の気配ではない。大地の奥深くから見つめられているような、抗うことすら烏滸がましい『大自然の頂点』としての絶対的なプレッシャーだった。
(バカな……! この男、人間ではない! 森そのもの……いや、全ての生命の『頂』だと言うのか……!?)
戦士の本能が、警鐘を超えて『絶対の服従』を叫んでいた。
ドサッ。
「あ……あれ?」
「……お頭?」
周囲の獣人戦士たちが呆然と見守る中。
一族最強を誇るはずの狼の戦士は、アッシュの足元に仰向けに転がり、無防備な腹を上に向けて「クゥーン……」と情けない声を漏らしていた。
獣にとっての腹見せ――それは、完全なる降伏と絶対服従の証である。
「よしよし。これで痛くないでしょ」
アッシュがしゃがみ込み、戦士のふわふわの腹の毛を撫でてやる。
「ハッ、ハッ、ハッ……!」
狼の戦士は、舌を出して目を細め、ちぎれんばかりに尻尾を振り始めた。もはや獰猛な戦士の面影はなく、ただのご主人様に甘える大型犬である。
「……また始まりましたね」
「誇り高き獣人の戦士が、出会って一分でただの飼い犬に……。師匠の無自覚な威圧、恐るべしね」
エリスが遠い目をし、シルヴィが呆れ混じりにため息をつく。
「ねえねえ、狼さん。僕たち、大火山の方に行きたいんだけど。あと、お腹が空いてるから、この大陸の美味しいご飯が食べたいな」
アッシュが腹を撫でながら尋ねると、狼の戦士は弾かれたように跳ね起きた。
「ワフッ! お任せください、大自然の王! 我ら銀狼族の村はすぐそこです! 最高のもてなしと、肉料理をご用意いたします!」
狼の戦士はアッシュの手に頬を擦り寄せ、振り返って部下たちに吠えた。
「野郎ども、何をしている! 王の御一行を村へご案内しろ! 最高の獲物を狩ってこい!!」
「アォォォォン!!」
殺気立っていた獣人の群れが、一瞬にしてアッシュの忠実な護衛隊(兼・お食事係)へと早変わりした。
「すごいね! さっそく美味しいお肉が食べられそうだよ!」
アッシュが嬉しそうに振り返る。
「……ええ。アッシュ殿の行くところ、言葉の壁も種族の壁も存在しないようです」
エリスは白銀の剣をそっと鞘に納め、ふっと微笑んだ。
未開で過酷なはずの獣人大陸。
しかし、大自然の愛し子にとっては、ここもまた新たな『モフモフと美味しいご飯の観光地』でしかない。
一行は、尻尾を振って道案内をする狼戦士たちに囲まれながら、鬱蒼と茂る南の密林へと足を踏み入れていくのであった。




