覚醒の刃と、内なる光の証明
血に染まりながらも一歩を踏み出したアッシュを、ゼノは虫ケラを見るような冷ややかな目で見下ろした。
「無駄な足掻きだ。精霊の加護を失い、死にかけの肉体を引きずったところで、何が変わるというのだ」
ゼノが指を鳴らすと、目に見えない虚無の圧力がさらに重さを増し、アッシュの膝を無理やり床に屈服させようとする。
「ぐ、う……っ」
アッシュの口から血が滴り落ちる。だが、その足は決して崩れなかった。
彼は自らの胸に手を当て、静かに目を閉じた。
(いつも、外の風さんや土さんたちにお願いしてばかりだった。……でも、エリスたちは違う。自分の体を鍛えて、自分の中の力を練り上げて、大切なものを守るために戦ってた)
カレンの、全身の血を沸騰させるような熱い闘気。
シルヴィの、指先まで完璧に統制された魔力の集中。
そしてエリスの、一切の迷いなく放たれる、誰かを守るための真っ直ぐな剣閃。
(僕にだって……できるはずだ。だって、みんなが教えてくれたんだから)
アッシュが再び目を開いた、その瞬間。
『――――!』
ゼノの背後に縛り付けられていた巨大な『真っ白な光の欠片』が、アッシュの決意に呼応するように、これまでにない激しい脈動を始めた。
「なに……? 欠片が、私の虚無の中で共鳴しているだと!?」
ゼノが初めて表情を崩し、振り返る。
光の欠片を縛っていた赤黒い穢れの鎖が、内側からの圧倒的な輝きに耐えきれず、パキン、パキンと音を立てて弾け飛んだ。
解き放たれた光の欠片は、一直線にアッシュの胸元へと飛び込み、そのまま彼の体の中へと溶け込んでいく。
ドクンッ……!!
アッシュの心臓が、世界そのものの鼓動のように大きく跳ねた。
彼の灰色の髪が、月明かりを固めたような眩い白銀へと染まり上がっていく。だが、雪山で神の力を無理やり降ろした時のような、肉体が軋む音はしない。
これは外からの力ではない。アッシュ自身の内側に眠っていた、彼本来の『神威』が目を覚ましたのだ。
「そんな馬鹿な……! 精霊の介入は完全に遮断しているはずだ! 貴様、自分自身の力だけでその光を……!」
ゼノが恐慌状態に陥り、両手を突き出した。
「消え去れ! 虚無の果てへ!!」
石室の空間そのものを削り取るような、最大出力の虚無の奔流がアッシュへと放たれる。触れれば存在ごと消滅する、絶対死の攻撃。
だが、白銀の髪を揺らすアッシュは、静かに腰を落とし、右手を胸の高さでスッと前に構えた。
手には何も持っていない。ただの、手刀の構え。
しかし、その無駄のない完璧な重心移動と足の運びを見て、床に這いつくばっていたエリスが息を呑んだ。
(あの構えは……私の一族に伝わる、ヴァン・ローゼン流の基礎の型……!?)
「いっくよ」
アッシュが、ただ素直に、エリスの剣を思い描きながら右手を振り抜いた。
キィィィィィィィィンッ!!!
静寂に包まれていた石室に、極上の名剣がぶつかり合ったような、甲高く澄み切った音が響き渡った。
アッシュの素手から放たれたのは、純度百パーセントの神域の光を圧縮した、一本の巨大な『剣閃』だった。
光の刃は、迫り来る虚無の奔流を真正面から唐竹割りに両断し、そのままゼノの体を一直線に捉えた。
「ば、バカなァァァァァッ!!?」
ゼノが絶叫を上げる。
光の刃がゼノに直撃した瞬間。まるで分厚いガラスが割れるような派手な破壊音と共に、石室を覆っていた『虚無の領域』が木っ端微塵に粉砕された。
ザァァァァァァッ!!
ドォォォォォォンッ!!
世界に、色と音が戻ってきた。
風が吹き込み、大地の力が満ち、封じられていた精霊たちが歓喜の声を上げてアッシュの周囲を舞い踊る。
「が、はぁッ……! ああぁぁっ……!」
ゼノの体は石室の最奥まで吹き飛ばされ、漆黒の法衣はズタズタに引き裂かれていた。彼の口からは、虚勢の欠片もない鮮血が大量に吐き出される。
絶対の死の領域を支配していた第一使徒は、もはや立ち上がることすらできない。
「あ、あり得ない……。私の、神をも殺す絶対領域が……! ただの剣の模倣、手刀の素振り一つで、砕け散ったというのか……!?」
ゼノは自分の震える両手を見つめ、完全に理解の範疇を超えた事象に、恐怖で顔を歪めた。
「うん。だって、エリスの剣は、君の冷たい空間なんかよりずっと強くて優しいからね。真似っこだけでも、これくらいはできるよ」
アッシュが白銀の髪を揺らしながら、ゼノを見下ろして静かに告げる。
彼にとっては、仲間たちの強さを証明しただけの、純粋な言葉だった。だが、全てを支配したつもりでいたゼノにとっては、己の存在意義を根底から否定される、これ以上ない残酷な宣告だった。
「ひぃっ……! ば、化け物……! 貴様は、人間ではない! その光は……っ!」
ゼノは後ずさりしながら、壁に開いた崩落の穴から、みっともなく転がるようにしてピラミッドの闇の奥へと逃げ去っていった。
「逃げ足の速い奴ね……。でも、アッシュ、あなた……」
虚無の圧力が消え、立ち上がったシルヴィたちが、信じられないものを見るような目でアッシュを見つめていた。
雪山の時とは違い、アッシュの呼吸は乱れていない。彼が自らの意志で、内なる力をコントロールし、仲間たちの技を昇華させたのだ。
アッシュはゼノを追うことはせず、魔法陣の中央で気を失っている砂の巫女の元へと歩み寄った。
「痛かったね。もう、ゆっくり休んでいいよ」
アッシュが巫女の頬にそっと触れると、彼女を縛っていた残りの穢れが完全に浄化され、彼女は安らかな寝息を立て始めた。
同時に、アッシュの胸の奥で、取り込んだばかりの『光の欠片』がポカポカと温かく脈打った。
(……ありがとう。君が力を貸してくれたから、みんなを守れたよ)
アッシュが心の奥で語りかけると、光の欠片も嬉しそうに寄り添うような感覚を返してきた。
アッシュを包んでいた白銀の輝きが静かに収まり、いつもの灰色の髪へと戻っていく。
深い傷を負っていたはずの胸元も、内側からの光によってすでに綺麗に塞がっていた。
「エリス、カレン、シルヴィ、リリィ。みんな、怪我はない?」
アッシュが振り返り、いつものようにふんわりと微笑む。
「……アッシュ殿」
エリスはたまらず駆け寄り、無傷に戻ったアッシュの体に両腕を回して、ぎゅっと抱きしめた。
「心配を、かけないでください……。あなたが無事で……本当に、よかった……」
「わっ! エリスずるい! 私もアッシュに抱きつく!」
「ちょっとリリィ、私にも場所を開けなさい!」
リリィとシルヴィも泣き笑いの顔でアッシュに飛びつき、カレンも呆れたように笑いながら、そっとアッシュの肩に手を置いた。
大自然の力を封じられるという最大の絶望。
それを打ち破ったのは、紛れもなくアッシュ自身の内なる光と、仲間たちとの絆が生み出した新たな力だった。
黄金のピラミッドの奥底で、彼らは再び、笑顔と共に立ち上がったのである。




