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快適すぎる船旅と、砂漠の姫



巨大海魔クラーケンの背中に揺られること数日。


大陸間の海路は、本来なら数週間はかかる過酷な船旅となるはずだった。しかし、大自然の愛し子を乗せた伝説の海魔は、海流そのものを味方につけ、あり得ないほどの速度で東の海を滑るように進んでいた。


「あははっ! アッシュ見て見て! お魚がいっぱい飛んでる!」


「本当だね。イカさんが通るから、海のみんなが挨拶に来てくれてるみたいだ」


クラーケンの広大な背中の上には、シルヴィの土魔導によって快適な『テラス席』が作られていた。


パラソルの下で、アッシュとリリィがのんきに海面を跳ねるイルカたちに手を振っている。


「……信じられません。海図にない暗礁は海魔自らが避け、嵐の雲はアッシュ殿が『どいて』と言っただけで綺麗に割れていきました。これが、船旅……?」


エリスは優雅にティーカップを片手に、遠い目をしながら呟いた。


彼女の知る過酷な航海とは、一体何だったのか。


「まあ良いじゃないか。おかげで剣の素振りをするスペースもあるし、足腰の鍛錬にもなる」


カレンが大剣を軽々と振り回しながら笑う。


「見えてきましたよ、アッシュさん! あれが東の大陸……『黄金の砂漠』です!」


舳先(クラーケンの頭の上)に立っていたセフィラが、嬉しそうに指を差した。


水平線の彼方から、太陽の光を反射して黄金色に輝く広大な砂浜と、その奥にそびえるエキゾチックな城塞都市が姿を現した。


東の大陸最大の港湾都市『シャングリラ』だ。


「わぁ、砂がキラキラしてる! 早く降りて、美味しいものを探しに行こう!」


アッシュが身を乗り出した、その時だった。


――ドゴォォォォォォンッ!!


突如として、クラーケンの少し先の海面で巨大な水柱が上がった。


「な、なんだ!?」


カレンが即座に大剣を構える。


見ると、港湾都市の防波堤に、数十隻の巨大な武装ガレー船が横一列に陣形を組んでいた。


そして、その船団から一斉に、クラーケンに向けて大砲と魔術による猛烈な砲撃が放たれたのだ。


『目標、巨大海魔! 港に近づけるな! 一歩も退くことは許さん、撃てェェェッ!!』


武装船団の旗艦。その舳先に立ち、大音量の魔導具で指揮を執っていたのは、褐色の肌に煌びやかな黄金の装飾をまとった、一人の美しい少女だった。


太陽のように燃える赤い瞳と、長く結い上げられた黒髪。


東の大陸を治める『太陽帝国』の第一皇女にして、無敗の将軍と謳われるアミラ・アル・シャムスである。


「姫様! 駄目です、大砲の弾が海魔の分厚い皮膚に弾かれています!」


「ええい、怯むな! あのバケモノを上陸させれば、我が国に甚大な被害がでる! 私が直接足止めする!!」


アミラ皇女が巨大な宝杖を掲げ、海水を操る極大魔術の詠唱に入ろうとする。


一方、砲撃を受けたクラーケンの背中では。


「えっ? ……あの人たち、どうしたの?」


アッシュが飛んでくる砲弾を不思議そうに見つめていた。


「どうしたも何も、完全に攻撃されていますよ! 当然です、傍から見れば、都市に向けて巨大海魔が襲撃してきているようにしか見えませんから!」


エリスが慌てて剣を抜き、飛来する砲弾を斬り落とそうとする。


だが、アッシュは「そっか」と手をポンと打った。


「あんなに大きな音でお出迎えしてくれてるんだね。お祭りの花火みたいだ。……でも、イカさんがびっくりして泣いちゃうから、危ないものはしまっておこうね」


アッシュが、自分たちに向けて一斉に放たれた数百発の砲弾と、炎の魔術に向かって、そっと右手をかざした。


「火薬と鉄は、静かな砂に戻っておいで」


その、誰の耳にも届かないほど静かな囁きが、大自然の絶対法則を書き換えた。


――サラサラ……。


空を覆い尽くしていた数百発の大砲の弾が。


空中で一瞬にしてその質量と熱を失い、ただのサラサラとした『金色の砂』へと姿を変え、風に吹かれて美しく海へと降り注いだのだ。


魔術の炎も、アッシュの言葉に従った風の精霊たちによって、ただの生温かい潮風へと変えられてしまう。 


「は……?」


旗艦の舳先で杖を構えていたアミラ皇女は、ポカンと口を開けた。


「砲弾が……砂になった? 魔術が消えた? ば、バカな……! いかなる魔術でも、あれほどの質量を同時に変化させるなど……!」


アミラが混乱の極みに達している間にも、クラーケンは全くスピードを落とすことなく、防衛線を悠々とすり抜け、港の巨大な桟橋へと静かに、そして行儀よく「横付け」した。


『……キュウゥ』


クラーケンが「着きましたよ」とばかりに、アッシュに向かって触手をすり寄せる。


「ありがとう、イカさん。ここまで運んでくれてすごく助かったよ」


アッシュはクラーケンの頭を優しく撫でると、ぽいっと桟橋に飛び降りた。


続いて、エリスやカレンたちも次々と桟橋に降り立つ。


「な……な……」


港の防衛にあたっていた太陽帝国の精鋭兵たちは、伝説のバケモノの背中から、呑気な顔をした青年と美しい少女たちが降りてきたのを見て、完全に言葉を失い、武器を取り落としていた。


アミラ皇女も、震える足で旗艦から桟橋へと飛び降り、アッシュの前に立ち塞がった。


「き、貴様ら……何者だ! その海魔を操っているのか!? 我が太陽帝国に何の目的があってやってきた!」


アミラが宝杖をアッシュに突きつけ、精一杯の虚勢を張って怒鳴る。


だが、アッシュは突きつけられた杖には目もくれず、アミラの背後にある街並みを見て目を輝かせた。


「すごい! 建物が全部砂の色をしてて、すごく綺麗だね! ……あっ、初めまして。さっきは派手な花火で歓迎してくれてありがとう」


「は、花火……? いや、あれは本気で貴様らを殺そうと……!」


「それでね、ここですごく美味しい『冷たいスープ』が飲めるって風に聞いたんだけど、おすすめのお店、知ってる?」


アッシュの無自覚で底抜けに純粋な笑顔。


そして、彼から放たれる、大自然そのもののような圧倒的なプレッシャーのない『絶対的な静寂』。


アミラは、東の大陸で無敗を誇った自分の戦術眼と魔力が、目の前の灰色の青年にとっては「道端の石ころ」ほどの脅威にもなっていないことを、本能で悟らされてしまった。


(こ、この男……人間じゃない。帝国の総力を、ただの『歓迎の花火』だと勘違いして……いや、本当に何も感じていないのだ。神か、悪魔か……!)


ガクガクとアミラの膝が震え始める。


その時、アミラはアッシュの背後で海に漂うクラーケンの姿と、アッシュを包む淡い光を見て、ハッと息を呑んだ。


「あ、あり得ない……。数週間前、東の海域に突如として現れ、我が国との海路を塞いでいた『穢れ』の海魔……それが、完全に浄化されて、ただの使い魔のように従っている……?」


アミラは宝杖をカランと床に落とすと、突如として砂の敷かれた桟橋に両膝をつき、アッシュの足元に深く、深く額を擦り付けた。


「ひ、姫様!?」


「将軍が、得体の知れない青年に土下座を!?」

帝国兵たちが悲鳴を上げる。


「お見それいたしました、偉大なる御方……! 私はアミラ・アル・シャムス! 愚かにも貴方様に刃を向けた罪、いかようにも罰してください!」


アミラが必死に叫ぶ。


「えっ? いや、罰とかそういうの全然ないよ? スープのお店教えてくれればそれで……」


「そして、厚かましいお願いであることは承知の上……!」


アミラはアッシュの言葉を遮り、涙を浮かべた赤い瞳で彼を見上げた。


「海魔を浄化せし、神の如き力を持つ御方! どうか……どうか『死の砂』に沈みゆく我が国を、お救いください!!」


エリスは静かに天を仰いだ。


(……大精霊様。大陸が変わっても、アッシュ殿が関わると、どうしていつもこうなるのでしょうか)


誇り高き砂漠の姫将軍が、わずか数分で平伏し、国を預ける信者と化した瞬間であった。


規格外の観光旅行は、東の大陸でも息をするように常識を破壊しながら、新たな嵐を巻き起こそうとしていた。

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