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愚者たちの誤算と、礼拝堂に散る偽りの正義



「殺せ! 一人も生かして帰すな!」


異端審問局長ヴァレリウスの冷酷な号令と共に、数十人の灰の執行官たちが一斉に礼拝堂の中へと雪崩れ込んできた。


冷たい鉄の槍と剣が、狭い空間で殺意に満ちた鈍い光を放つ。


「ひぃっ……!」


クレメンス司祭が恐怖に身をすくめるが、アッシュがその背中をそっと庇うように前に立った。


「あーあ。お家の中で暴れちゃ駄目だよ。エリスの大事な場所なんだから」


アッシュののんびりとした呟きを聞き逃さず、仲間たちは即座に動いた。


「言われるまでもないわ! 師匠、建物の保護は私にお任せを!」


シルヴィが前に進み出ながら、指をパチンと鳴らす。


魔法陣も詠唱もなし。ただ『魔力で編まれた見えない壁』がクレメンス司祭とアッシュ、そして礼拝堂の祭壇や壁をすっぽりと覆い隠した。


「な、なんだこの障壁は!? 槍が通らん!」


執行官たちが戸惑う中、カレンが楽しそうに首をポキポキと鳴らして歩み出た。


「建物を壊すな、か。やれやれ、私の大剣では手加減が難しいんだがな」


カレンは背中の『竜断の大剣』を鞘から抜かず、鞘に収めた状態のまま、迫り来る執行官の集団に向かって無造作に横薙ぎに振り抜いた。


ドゴォォォォォォッ!!


「ぐあぁっ!?」

「がはっ……!」


剣圧だけで生み出された暴風の壁が、執行官たちをまとめて薙ぎ払う。


頑強なはずの穢れの鎧がひしゃげ、十数人の大男たちが木の葉のように吹き飛び、礼拝堂の入り口に積み重なって気を失った。


「ば、化け物……! 槍が駄目なら魔術だ! 焼き尽くせ!」


後方にいた執行官たちが、腕の装甲から赤黒い瘴気の炎を放とうとする。


「燃やすなら、私の方が得意だもん!」


リリィが元気よく跳躍し、執行官たちの陣形のど真ん中に着地した。


彼女がフッと息を吹きかけると、ただの温かい風のように見えたそれは、執行官たちの放とうとした穢れの炎だけを正確に包み込み、一瞬にして相殺・蒸発させてしまった。


さらにリリィが小さな拳を軽く振り下ろすと、それだけで石畳が陥没し、衝撃波で周囲の執行官たちが次々と天井に叩きつけられていく。


「な……な……っ!?」


ヴァレリウスは己の目を疑った。


国の中枢を支配し、絶対の力を誇っていたはずの異端審問局の精鋭部隊が、たった三人の少女を前に、手も足も出ずにただの案山子のように転がされていく。


「バカな! 貴様ら、何者だ! そのような力、聖堂国のどこに……!」


「私の仲間を、ただの小娘と侮らないことです。ヴァレリウス局長」


静かな、しかし氷のように冷たい声と共に。


乱戦の土煙を抜け、エリスがヴァレリウスの目の前へと歩み寄った。


「エリス・ヴァン・ローゼン……! 貴様、ただの騎士風情が、この私に逆らって無事で済むと思っているのか!」


ヴァレリウスが激昂し、懐から黒い鉱石の埋め込まれた短剣を引き抜いた。


その短剣から、ドロドロとした濃密な『穢れ』が溢れ出す。教皇マクシムが持っていたものと同質の、極めて危険な魔導具だ。


「死ね、小娘! その綺麗な顔を腐らせて二度と出歩けないようにしてやる!」


ヴァレリウスが不浄の短剣をエリスに向けて振り下ろす。


エリスは全く動じなかった。


彼女が白銀の剣を抜いたのは、一瞬。


キィンッ!


甲高い金属音と共に、ヴァレリウスの手から黒い短剣が弾き飛ばされ、礼拝堂の床に突き刺さった。


「あ……」


ヴァレリウスが呆然と己の空になった手を見つめる。


次の瞬間、彼の首筋には、エリスの白銀の剣がピタリと突きつけられていた。


「動かないでください。これ以上、我が国の名を汚すのであれば、騎士の誓いにかけてその首を刎ねます」


エリスの青い瞳が、迷いなき正義の光を宿してヴァレリウスを射抜く。


かつては恐れていた絶対的な権力者も、外の世界で本物の脅威――そして『本物の奇跡』を見てきた彼女にとっては、ただ権力に溺れた哀れな男にしか見えなかった。


「ひぃっ……! ま、待て! 私を殺せば、教皇庁が黙っていないぞ! 貴様の一族も全て同罪で処刑される!」


命の危機に瀕し、ヴァレリウスが見苦しく喚き散らす。


「やっぱり、あの黒い石だったか」


不意に、アッシュが床に突き刺さった黒い短剣の前にしゃがみ込んだ。


「さっきおじいさんのお庭を枯らしてた、嫌な臭いの水。この石から流れてたんだね」


アッシュが短剣の柄にそっと指で触れる。


ボロボロ……。


教団がもたらした強大な穢れの魔導具は、アッシュが触れた瞬間にただの赤錆と化し、砂のように崩れ落ちて消滅してしまった。


「なっ……! 私の、奇跡の武具が……たった一撫でで……!?」


ヴァレリウスが完全に戦意を喪失し、その場にへたり込む。


彼が依存していた力は、アッシュの前では文字通り砂上の楼閣だったのだ。


「終わりです、ヴァレリウス局長。あなたには、教団との繋がりと国を売り渡した罪について、全て吐いてもらいます」


エリスが剣を収め、魔法の縄で手際よく局長を縛り上げる。


静けさを取り戻した礼拝堂で、クレメンス司祭はただ圧倒され、震える手で十字を切っていた。


「エリスよ。お前は……とんでもない方々を、この国に連れてきてくれたのだな」


「はい、先生。彼らは私の誇りであり、希望です」


エリスは優しく微笑み、振り返ってアッシュたちを見た。


「さて、エリス。この局長は捕まえたが、どうする? まだ王都にはこの手の腐った連中がうようよしているだろう」


カレンが倒れた執行官たちを足で退けながら尋ねる。


「ええ。局長一人を捕らえても、教団と癒着した教皇庁のトップを引きずり下ろさなければ、この国は変わりません」


エリスは決意を込めた顔で、王都の方角――巨大な白亜の神殿がそびえる大聖堂へと視線を向けた。


「向かいましょう、王都の大聖堂へ。私たちヴァン・ローゼン家が代々守り抜いてきた正義を、今こそ証明する時です」


「うん、行こう。美味しい果実のお礼に、エリスの国の大掃除、僕も手伝うよ」


アッシュが黄金の果実の最後の一口を齧りながら、のんきに笑う。


その飾らない言葉が、何よりも心強かった。


腐敗した聖堂国を正すため、一行は諸悪の根源が巣食う王都の中枢へと歩みを進めるのであった。

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