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禁忌の降臨と、大自然の愛し子の怒り



「アッシュ殿ォォォォッ!!!」


エリスの悲痛な絶叫が、雪山の山頂に木霊した。


吹き飛んだアッシュの体は、古代神殿の分厚い大理石の壁に激突し、濛々たる粉塵の中に沈んでいた。


「あ……あ、アッシュ!?」


リリィが半狂乱になって駆け出そうとするのを、カレンが片腕で強引に引き留める。


「離せ! アッシュが、アッシュがぁっ!」


「落ち着けバカ! あの化け物が次を撃ってくるぞ!!」


カレンが叫ぶ通り、祭壇に立つ異形の神は、再びその右手に赤黒く濁った光を収束させ始めていた。


「フハハハッ! 見たか! これが新たな神の力だ! 大自然の愛し子だろうが何だろうが、神の権能の前ではただの塵芥に過ぎない!」


教皇マクシムが、狂喜の笑い声を上げる。


「よくも……よくもアッシュ師匠を!!」


シルヴィが血走った目で杖を構え、極大の魔力を練り上げる。エリスも白銀の剣を両手で握り締め、絶望的な戦力差を前にしても一歩も引く気配を見せなかった。


アッシュを守る。その一念だけで、仲間たちは死地の壁となっていた。


だが、異形の神が二発目の光を放とうとした、その瞬間。


「……駄目だよ、無理しちゃ」


粉塵の中から、ひどく静かな声が響いた。


「え……?」


エリスたちが息を呑む。

土煙が晴れた神殿の壁際。


そこには、ゆっくりと立ち上がるアッシュの姿があった。


しかし、いつも無傷だった彼の額からは、一筋の赤い血がツーッと流れ落ちている。麻服も所々が破れ、息も少し荒い。


これまで傷を負う事など一度もなかったアッシュの身体に深刻なダメージの色がみえる。


「アッシュ殿! 血が……!」


「うん、ちょっと痛かった。でも、僕より……君の方が、ずっと痛いよね」


アッシュは額の血を無造作に拭うと、悲痛な瞳で異形の神を見つめた。


彼の耳には聞こえていた。アッシュを攻撃してしまった異形の神の内側で、縛り付けられた『真っ白な光』が、「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣き叫んでいる声が。


「外から『お願い』するだけじゃ、分厚い鉄と穢れに邪魔されて、君のところまで届かないみたいだ」


アッシュは小さく息を吐き、そして。


これまでの旅で、決してやろうとしなかった『ある決断』を下した。


「みんな。……少しだけ、無理をするよ」


アッシュが両手を胸の前で組み、目を閉じた。

「風。土。水。火。そして光。……外から借りるんじゃない。みんなの力を、少しだけ僕の『中』に貸して」


――神託憑依しんたくひょうい


ただの人間の器に、大自然の莫大な力を直接降ろす禁忌の業。


「なっ……!?」


セフィラが妖精眼を見開き、信じられないものを見るように震え上がった。


「だ、駄目ですアッシュさん! そんな途方もない大自然の魔力を人間の体に流し込んだら、体が耐えきれずに壊れてしまいます!!」


セフィラの悲鳴と同時に、アッシュの体が爆発的な光に包まれた。


灰色の髪が、まるで星の光を編み込んだような眩い白銀へと染まり、瞳には大自然の全てを内包したような万華鏡の輝きが宿る。


彼の足元から広がる光の波動だけで、吹き荒れていた山頂の雪雲が円形に吹き飛び、青空が顔を出した。


「な、なんだその光は!? ええい、やれ! 跡形もなく消し飛ばせ!!」


マクシムが恐慌状態に陥りながら叫ぶ。


異形の神の右手から、先ほどアッシュを吹き飛ばしたのと同じ、極太の濁った光の奔流が放たれた。


だが。


「もう、泣かなくていい」


白銀の髪を揺らしながら、アッシュがゆっくりと右手を前に突き出した。


迫り来る極大の光の奔流が、アッシュの手のひらに触れた瞬間。


まるで川の水が岩に当たって左右に割れるように、アッシュを避けて真っ二つに分断され、後方の空へと消え去っていった。


「バカなァァァッ!?」

マクシムが絶叫する。


アッシュは一歩、また一歩と、異形の神へと歩み寄る。


その足取りは重い。彼の肉体からは、許容量を超えた魔力によってピキピキと微かにひび割れるような音が鳴り、口の端からは一筋の血がこぼれていた。それでも、彼の歩みは止まらない。


「アッシュ! もうやめて、死んじゃう!」

リリィが泣き叫ぶ。エリスも飛び出そうとするが、アッシュから放たれる圧倒的な神域のプレッシャーに弾かれ、一歩も近づくことができない。


「ごめんね。迎えに来たよ」


異形の神の眼前まで辿り着いたアッシュは、その冷たい鋼鉄の胸元に、光を宿した右手をそっと押し当てた。


その瞬間。


カァァァァァァァァァァンッ!!!

世界が、真っ白に染まった。


音も、熱も、穢れも、全てが純白の光に飲み込まれていく。


光の中で、異形の神を構成していた禍々しい鋼鉄の装甲と穢れが、チリとなって浄化され、崩れ落ちていく。


そして、その中心に縛り付けられていた『真っ白な光の塊』が、フワリと解き放たれた。


『――――』


形のない光の塊は、アッシュの胸元にすり寄るように触れ、何かを伝えるように淡く明滅した後、空の彼方へと溶けるように消えていった。


「消えていく欠片にどこか懐かしさを感じる……。でもそんなことよりも苦痛から解放されてよかった」


アッシュは空を見上げ、満足そうに微笑んだ。


「私の……私の神が……! 千年の悲願がァァァッ!!」


ただの砂の山と化した祭壇の前で、教皇マクシムが膝から崩れ落ち、絶望の声を上げた。


カレンとシルヴィがすかさず駆け寄り、その首元に刃と杖を突きつけて完全に制圧する。


山頂に、再び静かな雪が舞い降り始めた。


神話の遺跡を覆っていた穢れは完全に消え去り、清らかな大自然の空気が戻ってきたのだ。


「終わっ……た……」


エリスが安堵の息を吐き、剣を下ろした。


アッシュを包んでいた白銀の輝きが、スゥッと風に溶けるように消え去る。


髪の色が元の灰色に戻った直後。

グラリ、と。


アッシュの体が、糸の切れた操り人形のように前に傾いた。


「アッシュ殿!?」


エリスが弾かれたように駆け出し、雪の上に倒れ込もうとした彼の体を、間一髪で抱き留める。


「アッシュ! アッシュ、目を開けて!!」

「師匠!! しっかりしてください師匠!!」


リリィやシルヴィたちが血相を変えて集まってくる。


エリスの腕の中で、アッシュは目を閉じたまま、微かに苦しそうな寝息を立てていた。


脈はある。だが、その体は氷のように冷たく、どれほどのダメージを負っているのか想像もつかない。


(ただの人間の身で、大自然の全てを背負うなんて……なんて無茶を……!)


エリスはアッシュの体を強く抱きしめ、天を仰いだ。


世界を脅かす最悪の災厄は、一人の青年の身を呈した優しさによって、ここに完全に打ち砕かれた。


だが、その代償はあまりにも大きく、極北の雪山に、仲間たちの悲痛な叫びだけが響き渡っていた



お読みいただきありがとうございます。


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