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西への旅路と、退屈な剣聖の戦慄


魔導都市ルミナスを後にしたアッシュたちは、西の果てにそびえる『世界樹』を目指して、再び果てしない荒野の旅路についていた。


しかし、その道中はこれまで以上に騒々しいものとなっていた。


「ちょっとボサボサ! あんたの荷物、重すぎるのよ! 少しは捨てなさい!」


「何言ってるの竜の姫君! この魔導書と実験器具は私の命より重いんだから! むしろあなたが飛んで荷車を引っ張ってよ!」


「誰が荷馬車代わりよ! 燃やすわよ!」


人間の姿の白竜リリィと、天才魔導師シルヴィが、巨大な荷車を前にギャーギャーと口論をしている。


シルヴィは「副官に仕事は任せた!」と豪語してついてきたものの、持ち出した荷物の量が尋常ではなかった。結果、アッシュが土の精霊にお願いして作ってもらった石の荷車を、なぜかリリィとシルヴィが押し合う羽目になっている。


「ふふっ。二人とも元気ですね」


セフィラが妖精眼でその光景を眺めながら、クスクスと上品に笑う。


「……セフィラ殿は心が広すぎます。私はもう、胃薬の予備が底をつきそうです……」


エリスはどんよりとした目で、荷車の横を歩いていた。


聖堂騎士の矜持も、今やこの規格外のパーティの前では風前の灯火だ。


「ほらほら、二人とも喧嘩しない。荷車は風さんが押してくれるから、乗っていいよ」


アッシュが優しく荷車を撫でると、どこからともなく心地よい追い風が吹き、重い石の荷車がふわりと浮かび上がって自動で進み始めた。


「わぁっ! さすがアッシュ師匠! まるで空を飛ぶ絨毯です!」


シルヴィが目を輝かせて荷車に飛び乗る。


「えっへん! アッシュにかかればこんなの朝飯前よ!」


なぜかリリィがドヤ顔で胸を張る。

(……大自然の精霊を、荷運びの馬代わりに使うなんて。他国の王族が見たら卒倒しますね)


エリスは無の境地で前を向いた。


ルミナスを出発して数日。一行は荒野を抜け、鬱蒼と生い茂る巨大な渓谷地帯に差し掛かっていた。


エルフの森へと続くこの渓谷は、本来なら強力な魔物が跋扈する危険地帯だ。


「エリス、前の方からすごく強い『穢れ』の臭いがする」


アッシュがふと足を止め、渓谷の奥を見据えた。


エリスもハッとして剣の柄に手をかける。セフィラの妖精眼も、前方で渦巻く強大な魔力の残滓を捉えていた。


「……巨大な魔物です。でも、様子が変です。動いていません」


一行が警戒しながら渓谷の角を曲がると、そこには信じられない光景が広がっていた。


「なっ……!?」


エリスが絶句する。


渓谷を塞ぐように倒れていたのは、体長三十メートルはあろうかという超大型の魔物――岩の甲殻を持つ『剛腕の山鬼ギガント・オーガ』だった。しかも、赤黒い穢れに侵食され、通常の数倍に巨大化している。


しかし、その規格外の巨体は。


頭の頂点から股下まで、文字通り『綺麗に真っ二つ』に一刀両断されていたのだ。


「穢れに取り込まれた巨大な山鬼を、一撃で両断……!? 魔法の痕跡はありません、純粋な剣技だけで!?」


エリスは震える声で叫んだ。

そんな離れ業、人間の力で可能なはずがない。


「あーあ。つまんないの」


不意に、真っ二つになった魔物の死骸の上から、退屈そうなため息が降ってきた。


一行が見上げると、巨大な岩の角の上に、一人の女性が腰掛けていた。


燃えるような真紅の長髪をポニーテールにまとめ、動きやすい軽装の革鎧を身に纏っている。


その腰には、彼女の身長ほどもある巨大で無骨な大剣が、無造作に立てかけられていた。


「穢れで大きくなったっていうから少しは期待したのに。豆腐を斬るより手応えがなかったわ」


女性はつまらなそうに首をポキポキと鳴らすと、岩の上からひらりと飛び降りた。数十メートルの高さを、まるで羽毛のように音もなく着地する。


その顔を見た瞬間、エリスの全身に雷が落ちたような衝撃が走った。


「あ、ありえない……。燃えるような紅蓮の髪に、身の丈を超える『竜断ちの大剣』。まさか、あなたが……!」


エリスの顔から血の気が引き、そして、強烈な尊敬と畏怖の念が湧き上がった。


「人類最高峰の武を極めし七人……『七天の聖座』の序列三位。剣聖カレン・アステリア様……!!」


エリスの叫びに、女性――カレンは片目を薄く開けた。


「ん? なんだ、聖堂騎士か。こんな辺境で奇遇だな。悪いがサインなら断るぞ、今はひどく退屈で機嫌が悪いんだ」


人類最強の剣士、カレン。


彼女は武の頂点を極めすぎたが故に、世界に自分を満足させる強敵がいないことに絶望し、ただ死に場所を求めるように辺境を放浪していた。


「本物のカレン様……! 私、幼い頃からあなたの剣技に憧れて騎士を目指したのです!」


エリスが感動で声を震わせる中。

「エリス、知り合い?」


アッシュがのんきにカレンの前に歩み出た。

カレンは面倒くさそうにアッシュを見た。


「おい騎士、その貧相な男を下がらせろ。私から漏れる闘気に当てられて、素人は泡を吹いて倒れちまう……ぞ……?」


カレンの言葉が、途中でピタリと止まった。

(……なんだ、コイツは?)


武を極めたカレンの『眼』には、はっきりと見えていた。


目の前に立つ灰色の青年。麻服を着た丸腰の素人。


だが、彼には『隙』という概念が、文字通り一つも存在しなかったのだ。


剣を構えていない。魔力も練っていない。

ただ「自然体」で立っているだけなのに、カレンの研ぎ澄まされた直感が、けたたましい警鐘を鳴らしていた。


『斬れない』。


どこから斬りかかっても、大自然そのものが刃を弾き返し、逆に自分が一瞬で消し飛ばされるという、圧倒的な『死の幻視』。


「……ッ!!」


カレンの額から、滝のような冷や汗が噴き出した。


武の頂点に立つ彼女が、生まれて初めて感じた『底知れぬ恐怖』。そして同時に、全身の血が沸騰するような『歓喜』だった。


「お前……! お前、一体何者だ!? その歩き方、その佇まい……ただの人間じゃないな!?」


カレンが思わず腰の大剣に手をかけ、ギリッと殺気を放った。


空気が刃のように張り詰める。エリスが息を呑む。


だが、アッシュは全く怯えることなく、不思議そうにカレンの大剣を見つめた。


「君のその大きな鉄の板、すごく疲れて泣いてるよ。君がいつも、無理やり硬いものを斬らせるから」


「は……?」

「剣だって、少しは休ませてあげないと。ほら」

アッシュがすっと指先を大剣に向けた。


カレンが反応する間も無く。

カタン。


七天の聖座が振るう、決して折れないはずの伝説の大剣が。


まるで「もう仕事は終わりました」とでも言うように、カレンの腰の鞘の中で、勝手に柄と刀身がパカッと外れてしまったのだ。


「…………へ?」


人類最強の剣聖の口から、ひどく間抜けな声が漏れた。


風が、ヒュオウと渓谷を吹き抜ける。


憧れの剣聖の武器が、指一本触れずに解体されたのを見たエリスは。


そっと目を閉じ、本日何度目かわからない深い祈りを天に捧げた。


「……大精霊様。私の憧れすらも、彼は一瞬で破壊していくのですね」


新たなる『七天の聖座』との遭遇は、やはり常識外れの形で幕を開けたのだった。

お読みいただきありがとうございます。


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