23.チーズ専門店でチーズの話をするとルーカス様が壊れる件
「まあ、凄く良い香りですわ」
お店に入った瞬間私は歓声を上げた。ガーリック、オリーブオイル、お肉や魚介などたくさんの匂いの中でもひときわチーズの芳醇な香りがお店中に立ち込めていた。
「ここのチーズ料理はうまいぞ。俺も何回か来たことがあるが、味は保証する。
「そうなのですね」
コートをドアマンに渡して、ルーカス様に手を取られながらさらに店内へと足をすすめた。
「ご無沙汰しています、領主さま。ローガン様よりご連絡いただいております。さあ、こちらへ」
「ありがとう」
そう言って給仕係に微笑むルーカス様は一瞬で他のお客様たちの視線を集めている。入ってすぐの広い部屋では立ちながら飲み物を手に持って複数のお客様が歓談していた。まるで夜会のような雰囲気だわ。その人たちほぼ全員の視線がルーカス様に向けられている。
領主さまだわ。とか、お隣の方はどなたかしら?と言った言葉がちらほらと聞こえる。
「行こうアンジェラ」
そんな注目を集めたまま私に蕩けたような笑顔でほほ笑まれるものだから、ああ、ほら!貴婦人たちがくらりと眩暈を起こされています!
「個室の店、とおっしゃっていましたが、立ち飲みをされる方もいらっしゃるのですね」
「ん?ああ、そうだな。基本俺は個室しか使わないが、立ち飲みするためのテーブルなども常設されているから、気分によって個室だったり、個室からちょっと出てああやって社交することもできる」
「まあ、素敵。私も後で混じってみようかしら」
「アンジェラはダメだからな?」
「ええ!?なんでですの?」
「…自覚してくれ。アンジェラは綺麗だ。最近髪艶も肌もさらに美しくなってる。あからさまに未婚の令嬢だとわかる人間が公式な社交の場でもないところにのこのこと出て行ってみろ。格好の餌食だ」
「餌食?何の餌食になるというのです?」
私の疑問にルーカス様は「はああああ…」と大きなため息を吐いてしまわれた。
「なあ、さっきアンジェラは何の視線も感じなかったか?」
「ああ!貴婦人たちの熱い視線ですね。ルーカス様ったらおモテになるんですから!皆の視線が釘付けでしたよ。お気づきでした?」
「君への視線だ。女性はともかく、男性からの視線は君にしか向いてない」
「またまた、そんなことありませんよ。領主さまが現れたから殿方の皆さん驚かれたんですよ」
「…もはやもう鈍いを通り越してなんなんだ。自分が可愛いという自覚がないのが問題か!?」
「え?私、それなりにお母さまに似てますのでお顔は可愛い方だと自負しているんですが…」
「してるのかよ!?!?!」
ルーカス様お口悪い、という前に個室に到着して、私たちは席に着いた。
ルーカス様の適当に頼んでいいか?というお言葉に甘えて全てお任せすることにした。
モッツアレラチーズとトマトとバジルのサラダから始まり、グラタン、チーズフォンデュ、カナッペ、次々と頬が落ちそうなほど美味しいチーズ料理が運ばれてくる。
料理に合わせて飲み物もシャンパンだったり赤ワイン、白ワインと替えられるのだけれど、それもまたすべてが絶妙で絶妙で。
「…幸せすぎます」
ほう…とひとしきり食べて落ち着いてからルーカス様に告げると、「だろ?」と、まるで宝物をこっそり見せてくれる少年のような笑顔でにかっと笑われた。
きゅん、とまた胸の奥が疼く。どうやら、私は彼のこういう笑顔にとても弱いらしい。
美味しいものを食べて私もニコニコ。ルーカス様もなぜかそんな私を見てニコニコ。餌付けをしてる気分なのでしょう。
だけど、私の何気ない次の一言でそんな幸せな空気はひゅんっと霧散してしまった。
「離れにいたころは、粉チーズだけでしたから、こんなバラエティーに富んだチーズ料理は幸せです」
―――ピキッ。
・・・・ん?なんだか今ルーカス様の方から聞き慣れない音が聞こえたのだけど…?
恐る恐るルーカス様を見ると、うん。明らかにお顔が怖い。美人が怒ると迫力がすごいのね。
「ええ、と。お気に障る発言をしてしまいました…か?」
「…離れの話は…気分が悪くなる」
「ええっ…!?」
「なんでそこでええっ!?なんだ!?反応おかしくないか!?」
「だって…あんな最高な場所ですのに…私にとっては思い出してはうっとりしてしまうような場所でしたのに」
私の言葉にルーカス様はもう一度はあ…と溜め息を吐いてから、持っていたグラスをテーブルの上に置いて、私を真摯に見据えて問いかけられた。
「アンジェラは」
「はい」
「今あの離れに俺が戻れと言ったら、戻れるのか?」
「?はい」
「…っっ!!戻れるのかよ~~~~!!!!」
あらあら、どうしましたルーカス様。急にがっくりと肩を落とされてしまって。
そりゃ、雇い主であるルーカス様が戻れというのであれば、戻らなければならないでしょう。お父さまの記憶が戻っていないであろうあの屋敷に戻るのは正直気が重いところはありますが、雇い主の言葉は絶対です。雇い主が戻れというのであれば戻らねば。
あ…でも。誤解なきようにこれは言っておかなければ。
「…確かに命令とあれば戻れます。ですが…今の私は戻り難いな、と思ってもいます」
失礼かな?失礼かもしれないけれど、お母さまもお父さまに何かを伝えたいとき、こうしていた。
「…失礼しますね」
そういって私はテーブルの上に投げ出されたルーカス様の手の上に私の手を重ねた。びくっと跳ねてしまわれたけど、跳ね除けるそぶりはないから、受け入れてくださると確信する。
そして、きちんと視線を合わせる。お母さまがよく言っていた。『アンジェラ、殿方に思いを伝える時は、きちんと手を取って、上目遣いで、目線を逸らさず言うのです。ドレス買って♡と』
…なし崩し的にお母さまがおねだりするときの話だってのを今思い出しちゃったわ。ま、まあ、思いを伝える姿勢としては正しいはずだから…!
私は息を吸って、きちんとルーカス様を見て言葉を発した。
「…ルーカス様と過ごす日々が、今本当に楽しくて幸せなのです。ルーカス様の命とあれば、戻れます。ですが、あなたとの毎日がなくなるのは…寂しいです。だから、戻り難いのです」
「~~~~~~~~~っ!!!!!!?!?!?!?!?!」
「る、ルーカス様!?お顔!お顔が!!!」
ルーカス様のお顔がぼんっという音と共にまるでゆでだこの様に真っ赤になってしまわれた。
「だ、大丈夫ですか?」
慌てて両手をその両頬に伸ばそうとすると、逆にがしりとその大きな手が私の両手を掴んできた。真っ赤な顔のまま、その美しい瞳が私をじっと見据える。どくん、とまた胸の奥が跳ねる。ああ、私はこの人の新しい顔にめっぽう弱いのだわ、と思わざるを得ない。
「…期待するぞ。勘違いするぞ。…そして俺は、鈍感なお前に付け込むからな」
ぞくり、と腰回りが粟立つような声音で言われ、私は視線を彷徨わせてしまう。なぜかしら。捕食者に捕まるときのウサギってこんな気分なのかしら。
「…覚悟、しとけ」
掠れた声で言われ、なんでかは分からない。なんでかわからないけれど、頬に熱がじわじわと集まってくるのを感じる。
ルーカス様はそのまま流れるような仕草で、掴んでいる私の手をそのままご自分の口元に運ばれた。
そしてまず右の手首に、続いて左の手首に口づけを落とされた。
ひゅ、と喉が鳴りそうになるのを必死で堪えるのが精いっぱいだった。
ええと、粉チーズの話をしてただけ…よね???ルーカス様どうされたんです!!??




