15.ギスギスアークライト邸
「なんであの小娘からビタ一文送られてこないのよ!!!!」
「おい、聞こえるぞ。今日は侯爵帰ってきてんだろ?」
「ああ…全く面倒くさい。今月の管理費ももうすでにないし。ねえ、レイブンあんた余ってないの?」
「余ってるわけないだろ。ぜんぶカジノですっちまった」
「計画的に使いなさいよ…」
「完全にお前が言うなだなそれ」
夜、食事を終えた後、キャロルはレイブンの部屋に行ってまくし立てていた。最近はこうやってこの部屋でイライラを発散させることが増えてきた。
キャロルは最近何もかもが思い通りにいかないのだ。
傷心の侯爵がお忍びでキャロルの勤める酒場に来ていることは店主から聞いて知っていた。店主とは旧知の仲だったというその侯爵は、奥さんを少し前に亡くしてからずっと落ち込んでいるという。
キャロルは貧乏だった。いつか、いつか金持ちになってやるという野望だけがふつふつと彼女の中で三十六年間ずっと渦巻いていた。こんな酒場で一生を終えてなるものかと考えていた矢先に目の前に現れた、独身の貴族。僥倖だった。もはやアークライト侯爵のことは獲物にしか見えなかった。
そして、傷心の彼に付け込むのは簡単だった。するり、と優しい言葉をかけ、奥さんを偲ぶ言葉をかけ、そして励ました。愛情なんてかけらもなかったが、猫なんて死ぬほど被った。金金。金のためだと思えば、どれだけ優しい言葉でも愛の言葉でも掛けられた。
酒場のノリにならないように。庶民でも教養のあるような女性に見えるように振舞った。実際の貴族を見て真似ることもあった。しまいには自分が貴族なのではないかと勘違いしてしまうほど、自分の所作は完璧だと思っていた。
そうやって、やっと取り込むことが出来たのに。
一人娘のアンジェラを紹介されたとき、キャロルは愕然とした。
付け焼刃は所詮付け焼刃。息遣い、顔を上げる仕草、声の出し方。気品、何もかもがすべて自分とは違っていたからだ。
見せつけられたようだった。いや、正確にはもう嫌味だとさえ思った。
仲良くとまではいかないけれど、それなりに娘ともやり過ごしていけばいいと簡単に考えていたキャロルのプライドはその一瞬でずたずたに引き裂かれた。
そしてそれは瞬時に憎しみへと変わった。
アンジェラは、生粋のお嬢様だった。嫌味を言ってもするりとかわす。それが天然なのか計算かわからず、半ば自棄になってキャロルはアンジェラを虐げ続けた。
だが、当のアンジェラはどこ吹く風。それがさらにキャロルを苛立たせた。
もう顔も見たくないほどアンジェラのことが憎い。
さっさと、侯爵を手に掛けて、跡取りのために養子にしたレイブンを侯爵へとする。(レイブンの身元もなにもキャロルは知らないが、顔がよければ貴族っぽく見えるだろうという理由だけで彼をこの儲け話に引き入れた)そして早々にアンジェラをどこかに嫁に出して、自分は未亡人として悠々自適な生活を送る予定、だったのだ。
なのに。
当の侯爵は生き延びて帰ってきてしまった。愕然とした。
だが、そんな中でも希望の光が見えた。侯爵がアンジェラの記憶をすっかり失っていたのだ。神は見捨てていなかったと確信した。
侯爵が記憶を戻して、万が一、億が一婿を取ると言い出したらこの計画は瞬時に頓挫する。
その前に娘に対して、嫌悪感を抱かせればいい。追いやるように仕向ければいい。ちょうど自分も顔も見たくないと思っていたところだ。
そして離れに追いやることに成功したのに。
「なんであんな楽しそうに生活してんのよ…」
キャロルは想像していたのだ。元に戻してください、と泣いて縋るアンジェラの姿を。あの貴族らしさのかけらもなくして、みすぼらしくなった彼女が自分に傅くのを。そのときに思いっきり拒絶して更なる苦痛を味あわせるつもりだったのに。
だがそこにあったのは、身なりこそぼろぼろだが相変わらずの気品に溢れたアンジェラの姿。もう、腹立たしくて腹立たしくて死にそうだった。
そこに追い打ちをかけて、侯爵からのお金使い過ぎ発言である。
正直、愛人と会うのにはお金がかかる。相手は今王都一と言われている劇場の大人気俳優だ。個人的にデートしてもらうようになるまでどれほどのお金を使ったと思っているのだ。あと一歩。あと一歩で彼の歓心を得ることが出来そうなところまできているのに。
アンジェラの給金だけでは、彼の望む宝石などをすぐに用意することは出来ないが、庶民では手の届かないような一流レストランに何度か連れて行くことは出来る。何もないよりはましなのだ。顔も見なくて済む、金も入る。一石二鳥だと思っていたのに。
「そろそろ一回目の送金があるはずだろ?」
「そのはずなんだけど…。こないのよ。いくら待っても」
「もう一回文を出してみたらどうだ?辺境だから届いてねーのかもだぜ」
「それもそうね…」
ああ、いらいらする!そう思いながらもキャロルは給金催促の文をしたためるのだった。
――――――
「旦那様。書類整理が溜まっております。今夜中に目を通していてくださいませ」
そう言って、執事のスティーブンが遠慮もなくどん!と大量の書類をアークライト侯爵家当主デイヴィッドの前に置いた。
「…少し多すぎやしないか?昨日視察から戻って疲れているというのに…」
「今まではお嬢様がもてる権限でできるものはある程度処理してくださっていましたから。恨むならあの親子の言い分を真に受けて辺境の地へ追いやることを許可されたご自分を恨むんですね」
「…お前、最近私に対しての風当たりが強くないか?お前だけじゃなく、最近は屋敷の者も必要最小限の挨拶しかしない」
「理由はお分かりですね?」
スティーブンの言葉にデイヴィッドはう、と言葉に詰まる。
「仕方がないだろう…本当に覚えてないんだ。なのに、妻そっくりのあの容姿であの目に見つめられると、後妻を迎えたことを責められているようで…得体のしれない怖さが」
「前の奥様と姿見があれほど似ておいでのことを御認めになっているのに、娘ではないと言い張るのですか?」
「違う、いや、間違いなく娘なんだろう。そこまでは言ってない。だが、…どうにも居心地が悪くて」
「居心地が悪いで大事な大事な一人娘を売るようなことをされるとは思っていませんでした」
「売っ…た、わけではない」
「同じことでしょう。おかげでこの屋敷で働く者の旦那様への評判は今や地に落ちていることをゆめゆめお忘れなく」
デイヴィッドは悪い人間ではない。領地を治めることも、経営に関しても成功してきた。ただ一つ。女性を見る目がないという大きな欠点があるだけだ。
「前妻であるローズ様が、お見合いだったとしても本物の賢妻だったから助かっていたんです。あなたは依存体質ですから。依存する相手を間違うとこんな風にすべてが狂うんですよ」
「…容赦ないな」
「屋敷の使用人一同の怒りを代弁しているだけです」
「さすがに当主に対して不敬だと思わないのか?」
「首を切られるのでしたらどうぞご随意に。我々使用人一同いつでも屋敷を出る準備をしていることもゆめゆめお忘れなきよう。では失礼いたします。旦那様、誰を守り、誰を切るべきか、判断を御誤りになられませんよう」
そう言ってスティーブンが出て行くのを確認してからデイヴィッドは大きなため息を一つ吐いた。
―――屋敷の者の態度を考えると、アンジェラが大事な一人娘で、私や使用人たちから愛されていたことも本当なのだろう。だが、その記憶がないのに、確信を持つことが出来ない。
キャロルは精いっぱい自分のために貴族のような所作まで習得してくれるけなげな女性だ。そして、失意の中にいた自分を引き上げてくれた女性だ。レイブンは、次期侯爵としてはやや不安定だ。今のままでは爵位を譲ることは出来ないが、分家から養子をとる前に少し考慮する時間を与えてもいいとは思っている。そのくらいには信用しているのだ。
とにかく、どっちの言い分が正解なのかが分からない。記憶がない以上、正当なジャッジができないままずるずるとしている自覚はあった。
なんてことを考えながら、紅茶が飲みたくなり、呼び鈴を鳴らして使用人を呼びつけた。
「失礼いたします」
そう言って部屋にメイドが入ってくる。こちらを見ようともしない。紅茶を、というと。無機質の「かしこまりました」が返ってきて、無言で部屋を去っていった。
以前は、「お疲れ様です、旦那様。お供に甘いものもお持ち致しますね」とふんわりと優しく微笑んでいたメイドだったはずなのに。
空気が悪い。屋敷の中がギスギスしている。
こうなったのは誰のせいだ。何がどうしてこうなった。
デイヴィッドは目の前に積まれた書類を見ながら、また一つ大きなため息を吐いた。




