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13.私は…

「アークライト家に戻りたい…ですか」

 私はしばらく考える。ゆっくりと考えて、きちんと自分の心の中の答えを目の前の誠実な視線を向けてくれる男性に返さなければならない。


「…今、戻りたくは、ありません」

 私の返答にルーカス様がその形のいい眉をひゅう、と持ち上げた。

「『今』?それはいつかは戻りたいということか?」

「はい」

「…なぜ?お世辞にも君の侯爵家での扱いは良かったとは言えないと思うが?」


「え?最高でしたよ?」

 私はきょとん、と首を傾げる。目の前のルーカス様が盛大にがくん、とずっこけたような気がしたけどどうしたのかしら?もう酔っぱらったのかしら?

「ああ、離れに行ったこともお調べになったんですね。そうですね。それなら私が離れに行った理由もご存じでしょう?父が、記憶喪失になってしまって。素性の分からないものを傍に置くのは不安だったのでしょうね。父の気持ちも分かります。…つらいことは父の中に私の記憶がない事、ただそれだけですわ。離れでもお酒も食べ物も十分にありましたし。畑で摂れた野菜も美味しかったです。使用人たちもいろいろと差し入れてくれましたし。扱いに問題は特になかったかと…ですから、父の記憶が戻れば実家に帰りたいとは思います」


「…これは、想像以上に天然記念物だな」

「まことに」


 ルーカス様が何やら疲れたご様子で頭を抱えていらっしゃる。大丈夫かしら…?


「まぁ、わかった。今のところはそれで預かろう。…それでだ、一応アンジェラが侯爵家の令嬢とわかった以上、辺境伯家としてはメイドとして扱うわけにはいかない。侯爵令嬢ともなれば、侍女として高位貴族の女性に仕えるのが雇い方としては妥当なんだが…我が家には高位貴族の女性はいないしな。母上は今ごろ外国で散々遊び倒して次いつ帰ってくるかはわからん。で、だ」

 そこまで言ってルーカス様はごく、と蒸留酒を飲み干した。


「もし、アンジェラが引き続きここで働きたいというのであれば、メイドとしてではなく俺付きの補佐として働いてほしい」

「補佐…ですか?」

「ああ、トゥーケ語ができるだろう?読み書きもできるか?」

「はい、できます」

「トゥーケとは書簡でやり取りすることが多くてな。俺はたまに登城したり、領地を見回ったりして家を空けることが多い。それで、書類仕事がどうも後回しになってしまうんだ。今まではローガンに手伝ってもらっていたんだが、ローガンの仕事量が多いというのは俺も感じていたところだったんだ。アンジェラがそこら辺の仕事を引き受けてくれるならとても助かる…んだがどうだ?給金は今の2…いや、3倍出す」

「まあ、そういえば忘れていましたわ。お給金は、お義母さま、キャロル様に送金してくださいとのことでした。お父様の記憶を取り戻すためによりいいお医者様にかからなければならないんです」


「そのことなんだが…」

 ルーカス様ははー、と深い溜息を一つ吐いて、私をしっかりと見据えておっしゃった。

「給金はアークライト家には送金しない」

「!?!?こ、困ります…お父さまにもっといい医者に…!」

「それなら、我が家からアークライト家に最高の医者を派遣させよう。そうだな、王立医学学園の理事長あたりはどうだ?あれなら我が国でも五本の指に入る医者だろう。ローガン、手配を」

「はい」


 あまりにも素早い展開にびっくりしてしまう。

「そそそそそそんなご高名なお医者様を…!?いえ、そうではなく、なぜそんな伝手が御座いますの?王命でしか動かれないようほどの権威あるお医者様ですよね!?」

「これでも、我が辺境伯家は王族には返してもらっても返してもらっても返しきれないくらいの貸しがあるからな。それにあのダニエルおっさんも俺の願いならほいほい聞くだろ」


 んんん!!!口に含んだ蒸留酒を噴き出しそうになるのを必死でこらえる。のをおくびにも出さないで済むのは淑女教育の賜物だわ間違いない。

 おそらく今ルーカス様が口にされたダニエルおっさんというのはこの国の国王、ダニエル・ロイヤル・ウエリントン陛下のことだ。

 ダニエル陛下の実兄は、三代前の辺境伯の御息女にお婿入りされた元王太子で、二代前の辺境伯ご当主。ということは、目の前のルーカス様は、ダニエル陛下の姪孫ということになる。つまりダニエル陛下から見たら甥っ子の息子さん。

 んんんん、私の説明下手!だれか家系図持ってきてえらい人!!!!

 とにもかくにも、国王陛下まで動かしてお父さまの治療にあたってくださるというのはものすごい名誉なこと。あとで何か絶対にお返ししなければ。


「給金はアンジェラ、お前自身に支払う。労働に見合った対価を払うのは雇い主の義務だ。トゥーケ語が話せるというのはそれだけ価値があることなんだ。…が、ひとつ見てもらっていいか?」

「なんでしょう?」

 すかさずローガン様が私の元に一枚の紙を持ってくる。それを受け取り見ると、ミミズが這ったような文字が乱雑に書かれていて、私は思わず眉を顰めた。


「まあ…なんですのこの汚い文字…文法も綴りもめちゃくちゃですわ…ええと、なんて読むのかしら…アンズ…違うわ。アンジェラ・アームロ…違うわね。アンジェラ・アーク…ライト?…あらこの名前どっかで…って私ですわ!!!」

「ぶほっ!!っ!!ぶ…っあっはっはっは!そうかそうか、やっぱりこれを書いたのはお前じゃないんだな」


 私から紙を取り上げながらルーカス様が大爆笑している。

「ええ、私ではありませんわ。それは?」

「お前の履歴書だ。大方アークライトの奥方か、レイブンという男が書いたんだろう」

「まああ!!そうでしたか!!」

 ぱああと顔を綻ばせる私に、意味が分からないというような視線を目の前のお二人が送ってくる。

「だって、お義母さまもお義兄さまも我が家にいらしたばかりのころは、まったく文字の読み書きができませんでしたのよ?それが、ここまで書けるようになられるだなんて…努力されたんですね。人としてご立派です!」


「…その思考回路はお花畑でしかないぞ…と言いたいところだが」

「…まあ、本人がいいのであれば…」

 ん?何かぼそぼそ言っているけど聞き取れないわ!


――――――


「とりあえず、服を一式買い直すぞ」


 次の日、ルーカス様に呼ばれ開口一番そんなことを言われて、私はルーカス様とカスガと三人で馬車に揺られている。

「カスガには大方話してある。一応これでもメイド長だからな。困ったことがあればカスガに聞くといい」

「えええ!カスガ、メイド長だったの?ごめんなさい…わたしてっきりお湯番かと…」

「お湯番だよ~~。でも、一応メイド長もしてる~」

「メイド長がついでみたいに言うな。ま、メイド長とはいってもうちの使用人たちは皆優秀だからな。」

「そうそう~カスガよりメイド長っぽいのいっぱいいる~」

 あはははと屈託なく笑うけれど、その若さでメイド長ということは相当に仕事ができるということだわ。頼もしい!


「どんな服着せようかな~。アンジェラ肌白いし、どんな色でも似あいそうですよね~ルーカス様~」

「そうだな。とりあえず、仕事用のドレス、普段着用のドレス、寝る時のドレス、外出用…すべて揃えないとな。ああ、あとたまにどうしても断れないパーティーとかに同伴してもいいか?それ用のドレスも誂えよう」

「了解ですぅ~」


 お二人の会話を聞いていた私は大事なことに気が付く。

「あっ!!!…あの、すみませんルーカス様、カスガ…私、お金持っていなくて…王都のお店ならアークライト侯爵家へ付けておけるんですが…辺境伯領内では私はお買い物は初めてなので…アークライト家の者だといっても信用してもらえない可能性のほうが高く…」

 どんどん言葉が小さくなっていく。

「お、お給金を前借りとかって…」


 それでも買えてドレス一着くらいのものだろうとは思うのだけど。

 ああ、今まで実家でどれだけ恩恵にあずかってきたのかが浮き彫りになって恥ずかしいわ…穴があったら入りたい。


「お前なぁ…」

 ルーカス様が呆れたような声を出して、私も盛大にそれに同意する。ええ、ええ、そうですよね。いい年したいいところの令嬢が買い物一つに困るだなんて呆れられるの一択ですよ。

「アンジェラ~、ルーカス様を傍に置く女のドレス一つ買ってあげられない甲斐性無しにしないでやって~」

「カスガ言い方言い方。傍に置く女は意味深すぎるだろ」

「ええ~文面通りですよ~」


「ったく。…まあそういうわけだ、アンジェラ。お金は気にするな。投資だと思ってくれ」

「投資…ですか?」

「ああ、アンジェラに俺は投資する。トゥーケとの文面のやり取りもだが、不在時には相手をしてもらうこともあるだろう。そんなときにぼろぼろの服では示しがつかんからな。あと、さっきも言った通り、パーティーに連れて行くのも女除けの意味もある。それだけでどれだけ助かるか。たかだかドレス数着アンジェラに買ったところでおつりがくるほどの価値があるんだ。お前には」

「ルーカス様素直じゃないなぁ~」

「うっさいぞカスガ」


 ま、まあそういうことならいただいても良いものかしら…。

「ありがとう存じます、ルーカス様。私精いっぱい努めますね!」

「うっ…超絶びじょ…!けなげ…なにもうこれ可愛すぎてカスガ推し決定です!ルーカス様~!大事にしなかったら尻たたきますからね~~!」

「お前はもう少し主人への態度どうにかならないのか」


 馬車は平和に街へと向かっている。

 

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