第二十一部 それぞれの後日
権田義昭の任意同行から、一夜明けた。
事件は、その日のうちに、全国紙の朝刊で大きく報じられた。「県政の重鎮、二十六年前の汚職と失踪事件への関与か」という見出しが、高城の手元にある新聞にも、大きく躍っていた。
記事は、用地買収をめぐる不正の詳細、宮村篤志が発見した資料の内容、そして三崎紗季の失踪事件との関連について、記者が慎重に取材を重ねた内容として、丁寧に綴られていた。「銀行」という組織の存在そのものには、あえて深く踏み込まない書き方がされている。それは、記者と高城が、事前に話し合って決めたことだった。
「銀行の全貌まで公にすれば、今も銀行に守られている、大勢の弱者たちの生活を、危険にさらすことになる」
記者の言葉に、高城も同意していた。権田義昭という一人の権力者の罪を暴くことと、銀行という仕組みそのものを断罪することは、別の問題だった。
二
事件から一週間後、高城は、宮村由紀と篤志を、事務所に招いた。
「本当に、ありがとうございました」
由紀は、深く頭を下げた。篤志も、その隣で、静かに頭を垂れた。
「あなたのおかげで、家族全員、無事に、元の生活に戻れそうです」
「権田氏の処分は」
「検察が、正式に捜査を始めたそうです。祖父の土地の件についても、当時の関係者への聴取が進んでいると聞きました」
高城は、静かに頷いた。完全な決着には、まだ時間がかかるだろう。だが、少なくとも、闇に葬られたままではなくなった。
「これから、どうされるんですか」
高城の問いに、篤志は、少し考えてから答えた。
「元の仕事には、戻らないと思います。でも、祖父の無念を晴らせたことで、ようやく、前に進める気がします」
由紀が、静かに付け加えた。
「兄は、ずっと、自分を責めていたんです。あの資料を見つけてしまったこと、家族を巻き込んでしまったこと。でも、今は少し、違う顔をしています」
高城は、二人を見送りながら、静かな安堵を覚えた。
一人の人間を、今度こそ、守り抜くことができた。
三
事件から一月ほど経った、ある雨の日。
高城の事務所に、一通の封筒が届いた。差出人の名前はない。消印は、あの地方都市のものだった。
高城は、震える手で封を切った。中には、短い手紙が入っていた。
「高城様
ニュースで、すべてを知りました。 あの日、あなたが調べていたことが、こんなに大きな意味を持っていたなんて、思いもしませんでした。
権田という人の名前を、二十六年間、私は一度も聞いたことがありませんでした。自分の人生が、そんな人の都合によって、決められていたのだと知ったとき、正直、言葉を失いました。
でも、不思議と、恨む気持ちは湧いてきません。 父が、私を守るために、あの決断をしてくれたこと。 そして、あなたが、真実を、ここまで追いかけてくれたこと。
その両方に、私は、感謝しています。
父に、会いに行こうと思います。 三崎紗季として、ではなく、今の私として。 それでも、父は、きっとわかってくれると思います。
あなたが、二十六年前、私を見つけられなかったことを、ずっと悔やんでいたと聞きました。 でも、どうか、もう自分を責めないでください。
あなたが見つけてくれた"今の私"は、幸せです。 それだけで、十分なんです。
ありがとうございました。」
手紙には、署名がなかった。だが、その必要はなかった。
高城は、その手紙を、しばらく手の中で握りしめていた。窓の外では、雨が、静かに降り続いていた。
四
その夜、高城は、久しぶりに、デスクの引き出しから、あの色褪せた新聞の切り抜きを取り出した。
《市内の高校一年生・少女、下校途中に消える》
二十六年間、この記事を、高城は自分の罪の証として、大切に――そして苦しみながら――保管し続けてきた。
だが今、高城の中で、その意味が、静かに変わり始めていた。
これは、もう、償われることのない罪の記録ではない。
一人の少女が、確かに生き延び、今、自分の人生を、自分の意志で選び取っている――その証だった。
高城は、切り抜きを、そっと引き出しの奥にしまった。もう、何百回も読み返す必要はない。
五
数日後、高城のもとに、もう一つの来訪者があった。
工場跡地で何度も会った、あの女だった。
「苑田さんが、あなたに伝言があります」
「元気にされていますか」
「体調は、あまり良くありません。ですが、今回のことで、彼は、長年抱えていた重荷を、少し降ろせたようです」
女は、静かに続けた。
「銀行は、これから、大きく変わることになります。権田氏を通じて銀行に介入していた勢力は、今回の一件で、大きく後退しました。苑田さんの理念を守ろうとする側が、運営の主導権を取り戻しつつあります」
「非同意の預け入れは」
「今後、厳しく制限されることになるでしょう。本来あるべき姿――逃げ場のない人間を守るための仕組みに、少しずつ戻していく。それが、苑田さんの、最後の願いです」
高城は、静かに頷いた。
「あなたは、これから、どうするんですか」
女は、初めて、柔らかい表情を見せた。
「私は、銀行に残ります。今度こそ、正しい形で、この仕組みを守っていくために」
女は、去り際に、高城を振り返った。
「あなたのような人間が、この社会にはもっと必要です。真実を、恐れずに追い続ける人間が」
「買いかぶりすぎです」
高城が苦笑すると、女は、初めて、小さく笑った。
「またお会いすることが、あるかもしれません。そのときは、良い形での再会であることを願っています」
女の姿が、雨の中に消えていった。
高城は、事務所の窓辺に立ち、街を見下ろした。
二十六年という長い歳月をかけた調査が、ようやく、一つの終わりを迎えていた。
だが、高城の胸には、もう一つの想いが、静かに芽生えていた。
失踪とは何か。 人は、どこまで自分の人生を手放せるのか。 そして――見つけ出すことは、いつも救いなのか。
その問いへの答えを、高城は、この長い旅の果てに、ようやく見つけた気がしていた。
見つけることが、常に救いとは限らない。だが、真実を知ることは、いつだって、誰かが前に進むための、確かな一歩になる。
高城恒一は、静かにコートを羽織り、事務所を出た。
新しい依頼が、また、彼を待っているはずだった。
雨は、いつの間にか、上がっていた。
雲の切れ間から、久しぶりの陽光が、街に差し込み始めていた。




