第十九部 嵐の前
式典まで、残り一週間。
高城は、この一週間を、これまでの調査人生の中で、最も濃密な時間として過ごすことになった。
まず取りかかったのは、篤志の安全確保だった。雑居ビルの隠れ家も、もはや安全とは言えない。高城は、記者の紹介で、都内のある法律事務所が管理する、セキュリティの整った一室を借り受けた。表向きは「証人保護のための一時的な宿泊施設」という扱いだった。
「ここなら、簡単には手が出せません」
案内した弁護士は、そう説明した。高城は、篤志と共にその部屋に入りながら、ようやく一つ、肩の荷が下りるのを感じた。
だが、安堵は長くは続かなかった。
二
式典まで五日というところで、高城のスマートフォンに、由紀からの緊急の連絡が入った。
「高城さん、うちの実家に、知らない男たちが来たそうです。両親が、怖がっていて……」
高城は、すぐに由紀の実家へと向かった。由紀の両親――篤志の父母は、突然訪ねてきたという二人組の男について、震える声で語った。
「息子さんの居場所を知らないか、としつこく聞かれました。答えないと、あなた方にも良くないことが起きるかもしれない、と……」
明確な脅迫だった。高城は、この段階で、もはや篤志一人の問題ではないことを、あらためて痛感した。彼の家族全体が、危険にさらされている。
「ご両親には、しばらく、安全な場所に移っていただく必要があります」
高城は、由紀と共に、両親を説得した。最初は抵抗していた両親も、由紀の必死の説得を受け、一時的に、遠方の親戚の家に身を寄せることに同意した。
三
同じ頃、高城の心には、もう一つの重い懸念があった。
紗季のことだった。
女の忠告通り、高城が紗季に接触したことが、彼女の「保険としての価値」を揺るがしているのだとすれば、彼女もまた、危険にさらされている可能性がある。
高城は、迷った末、もう一度、あの地方都市へと向かうことにした。
紗季の家を、遠くから見守ると、以前と変わらない、穏やかな日常がそこにあった。子供たちが庭で遊び、夫らしき男が、車を洗っている。何も知らない、平和な光景だった。
高城は、直接声をかけることはしなかった。ただ、近隣の様子を注意深く観察し、不審な人影がないかを確認した。今のところ、特に異常は見当たらない。
だが、安心はできなかった。高城は、あらかじめ用意していた、緊急連絡先を記したメモを、紗季の家の郵便受けに、そっと差し入れた。名乗らず、ただ一言だけ書き添えた。
「何か異変があれば、ここに連絡を。」
それだけで、その場を離れた。
これ以上、彼女の生活に踏み込むことは、高城にはできなかった。
四
式典まで三日というところで、高城の事務所に、思いがけない訪問者があった。
寺内だった。
「あんた、本気で、あの人物とやり合うつもりか」
寺内は、いつになく緊張した面持ちで言った。
「そうだ」
「やめておけ、とは言わない。だが、覚悟はしておけよ。あの筋の人間は、あんたが考えているより、ずっと本気で潰しにかかってくる」
「なぜ、それを俺に言いに来た」
寺内は、しばらく黙り込んだ後、意外な言葉を口にした。
「宮村を紹介したのは、俺だ。あいつが、こんなことになるとは、正直、思っていなかった。悪いようにはしないと言った手前、多少は責任を感じている」
「協力してくれるのか」
「そこまでは言わない。ただ――一つだけ、情報をやる」
寺内は、声を落とした。
「式典の警備は、政治家の私設秘書団が、独自に手配している。表向きの警察の警備とは別に、な。もしあんたが、その場で騒ぎを起こそうとすれば、公になる前に、力ずくで排除される可能性がある」
「対策は」
「記者を、複数、事前に会場に潜り込ませておくことだ。一人や二人なら、排除されても揉み消せる。だが、複数のメディアが同時にカメラを回していれば、さすがに、力ずくの対応はできなくなる」
高城は、この助言を、すぐに記者に伝えた。記者は、同業の記者たちに声をかけ、式典当日、複数の媒体が取材という名目で会場に入れるよう、手はずを整え始めた。
五
式典前日の夜、高城は、篤志と最後の打ち合わせを行った。
「明日、あなたにも、その場に来てもらう必要があります」
篤志は、緊張した表情で頷いた。
「わかっています。祖父の無念を晴らすためにも、逃げるわけにはいきません」
「危険が伴います。それでも」
「はい」篤志は、力強く頷いた。「あなたが、ここまで守ってくれた。今度は、俺自身の言葉で、決着をつけたいんです」
高城は、その覚悟を、静かに受け止めた。
窓の外では、雨が上がり、久しぶりに星の見える夜空が広がっていた。
高城は、デスクの引き出しから、あの色褪せた新聞の切り抜きを取り出し、もう一度、静かに見つめた。
二十六年前、この記事の少女を救えなかった自分。
だが今、目の前にいる青年は、まだ救うことができる。
「明日、すべてを終わらせる」
高城は、静かにそう呟き、切り抜きを、コートの内ポケットに、大切にしまい込んだ。
嵐の前の静けさの中、高城恒一の、長い調査の、最後の夜が更けていった。




