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失踪者の銀行  作者: キロヒカ.オツマ―


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第十八部 対峙への布石

資料を奪われてから三日が経った。


高城は、篤志を、これまでとは別の――より慎重に選んだ隠れ家に移していた。今度は、旅館のような目立つ建物ではなく、都内の雑居ビルの一室、かつて高城が別件の調査で使ったことのある、知人名義の部屋だった。


記者からは、記事化の準備が着々と進んでいるという連絡が入っていた。だが、高城の中には、それだけでは足りないという確信が、日を追うごとに強くなっていた。


証拠を奪われたことで、事態は膠着している。専門家による分析結果と、宮村篤志本人の証言だけでは、相手側に「言った言わない」の水掛け論に持ち込まれる余地を与えてしまう。決定的な一手が必要だった。


高城は、工場跡地の女に、もう一度接触を試みた。


「紗季さんが、銀行の存続理由だという意味を、教えてほしい」


短いメッセージを送ると、今度は、思いのほか早く返信が届いた。


「直接、会って話します。ただし、今回は私からあなたの元へ行きます」



女が高城の事務所を訪れたのは、その夜遅くのことだった。窓の外は、また雨が降り始めていた。


「単刀直入に聞かせてください」高城は言った。「紗季さんの存在が、なぜ銀行の存続理由になるんですか」


女は、しばらく沈黙した後、静かに語り始めた。


「銀行の運営が、今のような利益優先の形に変質していく過程で、内部にある種の"保険"を持つ必要が生じました。運営に関わる有力者たちの弱みを、互いに握り合う形です」


「弱みを、握り合う?」


「はい。もし誰か一人が裏切れば、他の全員が共倒れになる。そういう相互監視の構造を作ることで、組織の結束を保っているんです」


高城は、その言葉の意味を、慎重に咀嚼した。


「三崎紗季さんの記録は、その"保険"の中でも、特に重要な位置を占めています。なぜなら、彼女の預け入れには、現職の政治家による違法行為の隠蔽という、明確な証拠が紐づいているからです」


「つまり――」


「彼女の記録そのものが、その政治家に対する、銀行側からの脅しの材料になっている、ということです。政治家が銀行の運営に何らかの形で介入しようとすれば、銀行側は、紗季さんの一件を公にすると仄めかすことができる。逆に、政治家が銀行に協力的である限り、その記録は封印され続ける」



高城は、拳を握りしめた。


「紗季さんは、被害者であると同時に、今も、誰かの取引材料として利用され続けている、ということですか」


「そうです」女は、静かに頷いた。「彼女自身は、そのことを知りません。ただ静かに、今の生活を送っている。ですが彼女の過去は、彼女の与り知らないところで、今もなお、力の均衡を保つための道具として機能し続けています」


高城は、言葉を失った。二十六年前、少女を救うために作られたはずの記録が、今では、まったく別の目的のために利用されている。苑田が最初に語った、あの理念からは、あまりにもかけ離れた現実だった。


「宮村さんのケースは、どう関わってくるんですか」


「宮村さんが持っていた証拠は、紗季さんの一件とは別に、その政治家に対する、独立した攻撃材料になり得ます。それが表に出れば、政治家は、銀行側の"保険"に頼らずとも、単独で追い詰められることになる」


「だからこそ、政治家は、宮村さんの証拠を奪い、口を封じようとした」


「はい。そして、もう一つ、あなたに伝えなければならないことがあります」


女の表情が、初めて緊張の色を帯びた。



「政治家側は、あなたの動きを、すでに把握しています」


高城は、身構えた。


「どこまで」


「あなたが、三崎恒之さんに接触したこと。紗季さん本人に会ったこと。そして、宮村さんを保護していること――すべてです」


「なぜ、それを」


「銀行の運営内部には、政治家側と通じている人間がいます。私たちの側の動きも、完全に隠し通せているわけではありません」


高城の背筋を、冷たいものが走った。


「篤志さんは、危険なのか」


「はい。それだけでなく――」女は、高城の目をまっすぐに見た。「あなた自身も、標的になり得ます。それに」


「それに?」


「紗季さん本人にも、危険が及ぶ可能性があります。あなたが彼女に接触したという事実そのものが、彼女の"保険"としての価値を、揺るがしかねないからです」


高城は、その瞬間、自分がしてきたことの重さを、あらためて突きつけられた気がした。


紗季を見つけ出したことが、彼女の平穏な生活を、危険にさらしてしまったのかもしれない。



「どうすればいい」高城は、絞り出すように尋ねた。


女は、しばらく考えた後、一つの提案を口にした。


「政治家本人に、直接、対峙する必要があります。証拠と証言、そして、あなたが積み上げてきたすべての事実を突きつけて、逃げ場をなくす。中途半端な形では、かえって危険を増すだけです」


「会えるのか、その人物に」


「一つだけ、方法があります。その政治家は、来週末、地元で開かれる式典に出席する予定です。公の場であれば、あなたが接触しても、表向きは不自然ではありません」


「式典の場で、何をすればいい」


「すべてを、白日の下に晒すのです。記者を同席させ、証拠と証言を、その場で突きつける。逃げ場のない状況を作ることで、初めて、相手は動揺し、隙を見せます」


高城は、深く息を吸い込んだ。


「わかった。準備を進める」


女は、静かに頷き、立ち上がった。


「一つだけ、忠告しておきます。この対峙は、あなたにとっても、宮村さんにとっても、そして紗季さんにとっても、後戻りのできない一歩になります。すべてが公になれば、紗季さんの今の生活も、完全に平穏ではいられなくなるでしょう」


「それでも、進めるべきだと思うか」


女は、しばらく高城を見つめた後、静かに答えた。


「二十六年間、隠され続けてきた真実です。誰かが、いつかは、白日の下に晒さなければならない。それが今なのかどうかは、あなたが決めることです」


女が去った後、高城は、一人、事務所に残った。


窓の外では、雨が、静かに降り続いていた。


高城は、記者に電話をかけた。


「来週末、勝負をかける」


短くそう告げると、電話の向こうで、記者は、しばらく沈黙した後、こう答えた。


「わかった。全力で支える」


高城は、電話を切り、デスクの引き出しから、あの色褪せた新聞の切り抜きを、静かに取り出した。


《市内の高校一年生・少女、下校途中に消える》


二十六年前、この記事が書かれたときから、始まっていた物語が、ついに終わりへと向かおうとしていた。


高城は、その切り抜きを、静かにコートの内ポケットに収めた。


最後の対峙まで、あと一週間。

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