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失踪者の銀行  作者: キロヒカ.オツマ―


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第十三部 守った男

紗季と別れた夜、高城は事務所に戻ってからも、しばらく何も手につかなかった。


「守ろうとした人がいたから」――紗季が最後に残したその一言が、頭の中で幾度も反響していた。誰が、彼女を守ろうとしたのか。二十六年前、あの少女の周りにいた人間は限られている。家族、教師、友人。そのうち、事件発生からわずか一日で、少女を安全な場所へ「預け入れる」ことができるほどの力を持ち、なおかつ当時すでに存在していた銀行の初期のネットワークに接触できる人間となると、対象はさらに絞られる。


高城は、紗季の家族構成を、もう一度洗い直すことにした。


母親は、紗季が失踪した五年後、心労が原因とされる病で他界していた。当時の記録にも、その旨が記されている。だとすれば、残る可能性は一つしかなかった。


父親――三崎恒之。当時、再開発区域に隣接する小さな不動産会社に勤めていた男。


高城の記憶では、当時の捜査で、恒之にも一通りの聴取を行っていた。だが、事件性を疑うほどの不審な点は見つからず、悲嘆に暮れる父親として、捜査線上からは早々に外れていた人物だった。


その恒之が、今もなお生きているという記録を、高城は戸籍の照会を通じて確認した。年齢、八十一歳。市内から離れた、海沿いの町の施設で暮らしているという。



その施設を訪ねたのは、雨の降る午後だった。


案内された部屋には、車椅子に座った、痩せた老人がいた。かつての面影は薄れていたが、写真で見た三崎恒之の面差しが、確かにそこにはあった。


「三崎さん」


高城が名乗ると、老人の目に、かすかな緊張が走った。長い沈黙の後、老人は、まるでずっとこの日を待っていたかのように、静かに口を開いた。


「――やっと、来たか」


「私が来ることを、予想されていたんですか」


「いつか誰かが来る、とは思っていた。それが、あんたであってくれて、良かったのかもしれない」


老人は、窓の外の雨を見つめながら、ゆっくりと語り始めた。


「あの頃、私は、勤め先の不動産会社を通じて、再開発計画に絡む、ある不正な金の流れを知ってしまった。用地買収の書類に、実際には存在しない地権者の名前が使われている。そういう書類を、何度も作らされていた」


「その不正に、誰が関わっていたんですか」


「地元の有力者だ。政治家、建設会社、そして――当時の警察の、ある一部の人間」


高城は、息を呑んだ。


「私は、それを内部告発するつもりだった。証拠になる書類も、少しずつ集めていた。だが――ある日、紗季が、私の鞄の中にあった書類を、偶然見てしまった」



「紗季は、その意味を、完全には理解していなかったと思う。だが、何かおかしいと感じていたはずだ。友人に、それらしいことを漏らしていたと、後で聞いた」


老人の声が、震え始めた。


「私が告発の準備を進めていることを、向こう側が察知した。ある晩、見知らぬ男が、私の職場に現れて、こう言った。『あんたの娘に、何かあってもいいのか』と」


「それで――」


「私は、恐怖に駆られた。だが、警察には頼れなかった。さっき言ったとおり、警察の中にも、向こう側の人間がいたからだ」


老人は、膝の上で拳を握りしめた。


「そのとき、取引先の一人から、噂として聞いていた話を思い出した。『どうしても消えなければならない人間を、安全に隠す方法がある』という話だ。半信半疑のまま、私はその筋を辿り、ある人物にたどり着いた」


「苑田さん、ですね」


老人は、小さく頷いた。


「苑田さんは、まだ、この仕組みを始めたばかりの頃だった。事情を話すと、彼はすぐに動いてくれた。娘を守るために作った仕組みだからこそ、私の頼みを、他人事だとは思えなかったんだろう」


「それが――紗季さんが消えた、翌日だった」


「そうだ。本当は、もう少し時間をかけて、準備をするつもりだった。だが、向こうの動きが早すぎた。私は、紗季を学校に送り出したあの朝、これが最後になるかもしれないと、覚悟していた」



「なぜ、真実を、誰にも話さなかったんですか」


高城の問いに、老人は、深く長いため息をついた。


「話せば、紗季の居場所が漏れる可能性があった。それだけは、絶対に避けなければならなかった。私は、悲嘆に暮れる父親を演じ続けた。あんたたち警察が、懸命に紗季を捜してくれているのを見ながら、本当のことを言えない自分を、ずっと呪っていた」


老人の目に、涙が滲んだ。


「私は、娘を守った。だが同時に、娘から、普通の人生を奪った。そして、あんたたち捜査員に、無駄な二十六年間を捜させ続けた。それが、私の犯した罪だ」


「告発は、どうなったんですか」


「私は、告発をあきらめた。娘の安全と引き換えに、沈黙を選んだ。証拠の書類も、すべて処分した。その後、あの再開発計画は、何事もなかったかのように完成した」


「桐山という、当時の刑事を、ご存知ですか」


老人は、その名を聞いて、わずかに顔を歪めた。


「あの男が、向こう側の人間の一人だったと、後になって知った。おそらく、あんたたちの捜査が『上からの指示』で止められたのも、桐山を通じて、向こう側が情報をコントロールしていたからだろう」


高城の中で、二十六年前の記憶が、音を立てて組み変わっていく。捜査の停滞。奇妙に漏れる情報。あの偽の目撃証言――すべてが、一つの意志によって、周到に操られていた。



「紗季さんに、会ったことは」


老人は、静かに首を振った。


「一度もない。苑田さんとの約束で、私は彼女の消息を、一切知らされないことになっていた。それが、彼女を守るための、絶対条件だった」


「知りたくは、ありませんでしたか」


老人の目から、初めて涙がこぼれた。


「毎日、知りたかった。だが、知ってしまえば、いつか私を通じて、居場所が漏れるかもしれない。それだけは、絶対に避けなければならなかった」


高城は、その言葉に、苑田がかつて語った言葉と、まったく同じ響きを聞いた。娘を、あるいは子を守るために、その消息を知る権利さえ、自ら手放した父親たち。


「彼女は――幸せに、暮らしています」


高城が静かにそう告げると、老人は、しばらく声を出せずにいた。やがて、震える声で、こう呟いた。


「そうか……。それだけで、いい。それだけで、私は救われる」


高城は、それ以上、何も言えなかった。


老人の告白は、二十六年前の事件の核心――なぜ紗季が消えたのか、なぜ捜査が阻まれたのか、その多くを解き明かすものだった。だが同時に、新たな問いも生んでいた。


紗季を狙った「向こう側」の人間たちは、今、どこにいるのか。


彼らは、二十六年前の不正を、まだ隠し続けているのか。


そして――宮村篤志の失踪は、本当にこの事件と無関係なのか。


高城は、施設を出ると、雨の中、しばらく空を見上げていた。


一つの謎が解けたことで、また新たな道が、目の前に開けていた。


高城の調査は、まだ終わっていなかった。

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