第十二部 少女の現在
紗季を見つけ出すまでの道のりは、これまでのどの調査よりも、慎重を要するものだった。
高城は、坂本の伝手と、工場跡地で会った女からの断片的な情報を頼りに、「返却済」となった非同意預け入れのケースが、その後どのように新しい生活を与えられるのか、そのパターンを丹念に洗い出していった。
戸籍の再編、居住地の斡旋、身分証明の再発行――苑田が語った、当初は娘一人のために作られたはずの仕組みが、今も一定の型として機能し続けていることがわかった。高城は、そのパターンに当てはまる、二十六年前後の年代の女性たちを、根気強く絞り込んでいった。
三ヶ月近い調査の末、高城は、ある地方都市に住む一人の女性に行き着いた。
年齢、大まかな体格、そして――何より、坂本のリストにあった記録カードの余白に残されていた、かすかな符丁と一致する、居住地の変遷。
高城は、確信に近いものを抱きながら、その街へと向かった。
二
その女性は、郊外の住宅街にある、小さな一軒家に住んでいた。表札には、高城の知らない名字が掲げられている。庭には、子供用の自転車が一台、置かれていた。
高城は、しばらく離れた場所から、その家の様子を見守った。
夕方、女性が家から出てきた。四十代前半に見える、穏やかな顔立ちの女性だった。買い物袋を提げ、隣を歩く小学生くらいの子供に、何か優しく話しかけている。
高城は、その横顔を見た瞬間、確信した。
面影が、確かにあった。二十六年という歳月が、少女の顔立ちを、大人の女性の顔立ちへと変えていた。だが、写真の中の紗季と、今、目の前を歩くこの女性のあいだには、消しきれない共通の輪郭があった。
高城は、その場では声をかけなかった。ただ、静かに、その後ろ姿を見送った。
三
数日間、高城は迷い続けた。
これまでの調査人生の中で、高城は数多くの失踪者を見つけ出してきた。だが、そのすべてが、依頼人のもとに「戻す」ことを前提とした調査だった。今回は、違う。
もし、この女性が本当に紗季なのだとすれば、彼女には今、確かな生活がある。夫がいる。子供がいる。表札に掲げられた、彼女自身が選んだわけではないだろう名字の下で、二十六年をかけて築き上げた、一つの人生がある。
高城がここで声をかければ、その人生は、根底から揺らぐことになるかもしれない。
俺は、彼女を見つけるべきだったのか。
長年抱え続けてきた自責の念――紗季を見つけられなかったという後悔――が、ここに来て、まったく別の重さの問いへと変わっていた。
見つけることは、常に正しいことなのか。
それでも高城は、ここまで来て、確認せずに立ち去ることはできなかった。少なくとも、本人の口から、真実を聞く必要があった。
四
高城は、女性が一人で買い物に出た日を選び、静かに声をかけた。
「突然、申し訳ありません。少しだけ、お時間をいただけますか」
女性は、警戒するような目で高城を見た。
「……どちら様でしょうか」
「私は、高城という者です。かつて、警察官をしていました」
その言葉を聞いた瞬間、女性の表情が、わずかに強張った。それは、単なる不審者への警戒とは違う、もっと深いところから来る反応だった。
「二十六年前――」高城は、慎重に言葉を選びながら続けた。「ある少女の失踪事件を、担当していました」
女性は、しばらく何も言わなかった。ただ、じっと高城の顔を見つめていた。
長い沈黙の後、女性は、ようやく口を開いた。
「――随分と、長い時間がかかりましたね」
その一言で、高城は、目の前にいるのが、紗季本人であることを確信した。
五
近くの小さな公園で、二人はベンチに並んで座った。
「あなたが、私を探していたんですね」
「二十六年間、ずっと」
紗季は、静かに笑った。それは、悲しみとも、諦めとも違う、複雑な色を帯びた表情だった。
「今の名前を、教えていただけますか」
紗季は、少しだけ考えてから、首を振った。
「ごめんなさい。それは、まだ言えません」
高城は、それ以上、無理には聞かなかった。
「あなたは……幸せですか」
その問いに、紗季は、ためらいなく頷いた。
「はい。とても」
「今の生活は」
「夫がいます。子供も二人。近所の人たちとも、いい関係を築けています。ごく普通の、平凡な毎日です」
彼女の声には、嘘の色が、まったくなかった。
「でも――」高城は、慎重に切り出した。「あなたは、三崎紗季として、この街のどこかにいる家族のことを、覚えていますか」
紗季の表情が、初めて曇った。
「もちろん、覚えています。一日も、忘れたことはありません」
「では――」
「帰らない、という選択を、私はもうずっと前にしたんです」
紗季は、静かに、しかしはっきりと言った。
「三崎紗季として生きた十六年間より、今の名前で生きてきた二十六年間のほうが、もう、ずっと長いんです。今の私にとっては、こちらの人生のほうが――本物なんです」
高城は、その言葉を受け止めながら、何も言えなかった。
「帰りましょう」とは、言えなかった。
言う権利が、自分にはないことを、高城は初めて、はっきりと理解していた。
六
「一つだけ、教えてください」高城は、最後に尋ねた。「あなたは、なぜ、あの日、消されたんですか」
紗季の表情が、これまでで最も深い陰りを帯びた。
「それは……私を守ろうとした人がいたから、です」
「守ろうとした?」
「はい。でも、その理由については……今はまだ、話せません」
紗季は、そう言って、静かに立ち上がった。
「探してくれて、ありがとうございました。でも、私はもう、三崎紗季には戻りません」
その言葉を残して、紗季は、夕暮れの街の中に、静かに歩き去っていった。
高城は、ベンチに一人残された。
二十六年間、探し続けた少女を、ついに見つけた。
だが、彼女を「元の人生」に戻すことは、できなかった。
そのことを、高城はこの瞬間、初めて、静かに受け入れ始めていた。
見つけることは、いつも、救いとは限らない。
高城は、夕暮れの空を見上げた。二十六年前と同じ、変わらない空の色が、そこにあった。
だが、まだ終わりではなかった。紗季は、「守ろうとした人がいた」と言った。その人物が誰なのか、そして、何から彼女を守ろうとしたのか――その答えは、まだ語られていない。
高城は、最後の謎に向き合う覚悟を、静かに固めていた。




