第八話 勇者くん、私抜きの依頼もできるんだ?
俺は勇者だ。一人でできることは多い。
魔物退治。荷運び。道案内。落とし物探し。だいたいはどうにかなる。
ただ、一人でできると言った瞬間に、隣の魔女の機嫌がどうにかならなくなる。
◇
朝のギルドで、ティナが一枚の依頼書を出した。
「旧北水道にある小さな祠の調査です。危険度は低めで、通路が狭いので一人向きだそうです」
「一人向き」
隣でミゼルが、その一語に反応した。依頼書ではなく俺の横顔を見ている。
声が静かだった。朝のギルドってこんなに涼しかったっけ。
「小さい依頼なら、俺一人で見てくる。お前は宿で休んでていいぞ」
ミゼルは少し笑った。機嫌がいい時の笑い方ではない。なんというか、獲物が自分から罠の説明を始めた時の顔だ。
「へえ。勇者くん、私抜きの依頼もできるんだ。私がいないほうが通りやすい場所を、そんなに自然に見つけるんだね」
「見つけたんじゃなくて、依頼が来たんだ。通路が狭いってだけで、お前が邪魔って意味じゃない」
「邪魔って言った」
ミゼルの視線が依頼書から俺の口元へ移った。次に何を言っても、もうダメな気がしてきている。
「言ってない。今、お前が言わせたんだ」
「でも思ったから出たんでしょ。私がいると大変だな、杖は長いし、嫉妬は重いし、すぐに気温下げるし」
「そこまで自己分析できるなら、改善の余地も見えてこないか?」
「やっぱり改善してほしいんだ」
しまった。善意のつもりが悪手を引いてしまった。
横でティナが依頼書を両手で持ったまま、目を泳がせていた。受付嬢にこの手の空気を処理させるのは酷だ。俺は早めに畳みにいった。
「たまには休めってことだよ。昨日も遅くまで魔導書を読んでただろ」
「私が休んでる間に、あんたは私抜きで平気かどうかを確認するんだ」
「確認しない。祠を確認するんだ」
「祠のついでに、自立も確認するんでしょ」
「勇者の自立と依頼は関係ない」
詰んだ。もう何を言ってもダメだろう。
依頼を受ける前に依頼より難しい目に遭っている。
しかし、結局ミゼルは宿に戻ると言った。
「行ってらっしゃい。私抜きで。立派に単独依頼をこなして、帰ってきたら“ほら、できた”って顔をすればいいよ」
「そんな顔はしない」
「するよ。あんたは無自覚にやる。だから腹が立つの」
言い方に棘はあったが、棘の根元に寂しさみたいなものが見えた。見えた気がしただけかもしれない。こういう時に断言してもろくなことにならない。
出発前、ミゼルは俺の外套の襟元を直した。
指先が、ほんの少しだけ長く襟元に残った。
「変なものを拾わない。変な扉を開けない。変な文字を読んで“まあ大丈夫だろ”って顔をしない」
「お母さんか。子どもの遠足より注意事項が多いな」
「あんたの“まあ大丈夫”は、だいたい私の仕事を増やすから」
「今日は増やさないから。大船に乗ったつもりでいてくれ」
ミゼルは返事をせず、襟をもう一度だけ整えた。
その沈黙が、どうにも信用していないことをはっきりと示していた。
◇
旧北水道は、街の北端にあった。
今は使われていない水路で、地下に古い祠が残っている。王都の古い地図には「単独者の祠」と書かれていたらしい。単独者。いかにも一人で行けと言わんばかりの名前だ。
入口は確かに狭かった。鎧を着た騎士ならつかえるだろう。ミゼルの長い杖も邪魔になる。
「ほらな。一人向きだ」
誰もいない通路で、俺はなぜか言い訳をした。
この言葉を聞く相手はいない。いないのに、言っておかないと負けな気がした。
中は拍子抜けするくらい静かだった。
足元の罠を二つ飛び越え、天井から落ちてきた鉄格子を肩で受け、横から飛んできた矢を掴んで折る。
明らかに殺しにきている。危険度低め、とは何だったのか。
まあ、俺基準なら低い。たぶん。普通の冒険者なら撤退の判断をするだろう。
祠の奥に小さな祭壇があった。
そこに置かれていたのは、手のひらほどの青い石。水路の制御石だろう。これを回収すれば終わり。
そう思って手を伸ばした瞬間、いきなり背後の扉が閉じた。
前の壁に、古い文字が浮かび上がる。
『内なる者は支えよ。外なる者は楔を抜け』
「……外?」
嫌な予感がした。
さらに床が沈み、石の守護人がせり上がってきた。水路の泥を固めたような巨体だ。腕が四本ある。改めて、難易度低めとは何だったのか。
守護人が祭壇を叩き潰そうとした。俺は飛び込んで、その腕を受け止める。
重い。だが止められない重さじゃない。
問題は別にあった。
俺が守護人を止めている間に、外側の楔を抜くやつがいない。
一人向きの依頼で、外に一人必要な仕掛け。設計者を呼べ。説教したい。
守護人の腕を押し返しながら、俺は歯を食いしばった。
「……まあ、なんとかなるだろ」
言った瞬間、胸元が光った。
外套の内側に入っていた小さな護符だ。俺のものじゃない。
護符から、聞き慣れた声がした。
「ならないよ」
守護人の腕より先に、俺の背筋が固まった。
「ミゼル。お前、これをいつ仕込んだ」
「襟を直した時」
あの遠足みたいな見送りは、検査ではなく密輸だったらしい。愛が重い。手癖も悪い。
「宿に戻ったんじゃなかったのか」
「戻ったよ。戻って、地図を広げて、古代語の注釈を確認して、あんたがどこで『外側の人手が必要だな』って顔になるかを想像した。そしたら、案の定」
「その想像、当たってるのが腹立つな」
「うん。私も腹立ってる。だって当たったから」
正直だった。
護符の向こうで、石が軋む音がした。
ミゼルはもう祠の外側にいるらしい。
「この祠、一人で挑む場所じゃないよ。古い文字の意味は『単独者を鍛える祠』。一人で完結しろ、じゃなくて、一人で入る者を外から支える訓練場」
「ギルドの読み間違いか。危険度低めって言葉まで怪しくなってきたぞ」
「たぶん『勇者なら低め』って注釈が抜けてる。最悪の注釈だけど」
「本当にその解釈で合ってたのかよ」
守護人が二本目の腕を振り下ろした。俺は片手で受け、足で祭壇を庇う。
押し返す力ならある。けれど腕が四本ある泥人形を受け止めながら、外側の楔まで抜く腕までは生えていない。勇者にもできないことぐらいはある。腕を増やすことだ。
「レオ。あと三つ楔がある。私が抜くまで、その泥人形を祭壇から離して」
「簡単に言うな。こっちは腕が四本ある泥の塊と、設計者への怒りを同時に受け止めてるところだ。端的に言うと危険な状態だ」
「簡単じゃないから、あんたに言ってるの。普通の人に頼んだら、今ごろ素敵な壁の模様の一部になってるから」
「褒め方が物騒だな」
一瞬、護符の向こうが静かになった。
それからミゼルが、少しだけ笑った。
「私が外にいるから、一人じゃないよ」
こういう時だけ、返す言葉に困る。
守護人の拳が迫っていたので、困っている暇はなかった。
◇
そこからは、わりとひどかった。
俺が中で守護人を引きずり回し、ミゼルが外で楔を抜く。
一つ目の楔が抜けると、守護人の足が鈍った。
二つ目で、四本あった腕のうち一本が崩れた。
三つ目で、祭壇を守る結界が光った。
「最後、中央の制御石を壊さずに外して。割ると旧水道が逆流して、たぶんギルドまで水浸しになる」
「先に言ってくれて助かった。今かなりこの石を割りたいところだったからな」
護符の向こうで、ミゼルがため息をついた気配がした。
「ティナさん、あとで泣きながら謝ると思う」
「ティナを責める気はない。依頼書を訳したやつには、少し話を聞きたい」
「そういうところは優しいよね。女の子相手だと特に」
「泥人形に腕を持っていかれかけてる時に、その話題を差し込むな」
守護人の最後の腕が飛んできた。俺は肩で受け止め、そのまま壁へ押しつける。
泥の体がひび割れた。
「レオ、今」
「わかってる」
祭壇に手を伸ばし、制御石を台座から外す。外した瞬間、守護人が砂のように崩れた。
背後の扉が、ゆっくり開く。
外に出ると、ミゼルが水路の縁に立っていた。
杖を片手に、服の裾を泥で汚している。宿で休んでいた人間の姿ではない。
「……先回りしすぎだろ」
ミゼルは泥のついた裾を見下ろし、少しだけ顔をしかめた。こういう時でも、文句を言う前に俺の怪我を確認するあたりが厄介だ。怖いのに、ちゃんと優秀で、ちゃんと優しい。
「あんたが一人で行くって言った時点で、嫌な予感しかしなかったから」
「信用ないな」
ミゼルは、泥のついた杖を肩に担いだ。
「信用してるよ。あんたは一人で無茶するし、無茶してる最中に『まだ大丈夫』って思うし、最後に帰ってきてから『意外と危なかったな』って言う。そこまで含めて、ちゃんと信用してる」
「それ、信用か?」
「信用だよ。あんたが帰ってこないかを疑うことなんてありえないから」
久しぶりに、返される側になった気がした。
◇
ギルドに戻ると、ティナが真っ青になっていた。
「す、すみません! 依頼書の古代語訳が間違っていたみたいで……『一人で行ける』ではなく、『一人で入る人を外から支える』という意味だったそうです」
「だろうな。怪我はない。泥はついたけど、これは旧水道の挨拶みたいなもんだろ」
「本当にすみません……!」
ティナは何度も頭を下げた。
ミゼルが横から依頼書を覗き込む。
「今後、勇者くんの単独依頼は、私が確認します」
「待て。さらっとギルドの制度を増やすな」
「制度じゃないよ。事故防止。勇者くん案件の管理」
「もっとタチが悪い」
ティナは、苦笑いしながら新しい備考欄を書き足した。
『要・魔女確認』
ものの数十分で、公的にもギルドの依頼に変な注釈が増えてしまった。
ギルドの受付で、ティナが制御石を厳重な布に包んでいる。
俺の外套から落ちた泥で、床には小さな水たまりができている。ミゼルはその横で依頼書の備考欄を見張っていた。誰も頼んでいないのに、赤いインクまで用意している。
「ねえ勇者くん。私抜きの依頼、どうだった?」
「一人で入った。守護人も止めた。制御石も外した」
「外側の楔は私。制御石を壊さないように外から安定させたのも私。あんたが『まあ割ってもいいか』って顔をした瞬間も、ちゃんと見てたからね」
ティナが布に包んだ制御石を、そっと受付台の奥へ寄せた。巻き込まれない判断が早い。
「してない」
「した。あれは、割る直前の勇者くんの顔」
「顔で罪を確定するな。まあ、……共同作業だったな」
ミゼルの手が止まった。
言った本人が一番驚いた。共同作業。たった四文字なのに、ミゼルにはだいぶ効いたらしい。
彼女は口元を隠し、次の言葉が出るまでに三秒かかった。
「あと、助かった。お前が先回りしてなかったら、水路ごと詰んでた」
ミゼルはまだ口元を隠したまま、ぷいと横を向いた。
「べつに。あんたが水浸しになったら、乾かすのが面倒だっただけ。……のついで」
その「ついで」は、いつもより小さかった。
俺は泥で重くなった外套を直した。
「次からは、最初から声かける」
ミゼルがこちらを見た。さっきまでの照れが残っているせいで、睨みきれていない。
「善処するから」
ミゼルは赤いインク壺の蓋を開けた。
「その言い方は、やらない時のやつだよね。今ここで備考欄に書く?」
「……次からは、最初から声をかける。断言する」
「よろしい」
やっぱり、一人で行ったほうが楽だったかもしれない。
そう思ったが、口には出さなかった。俺は学習する勇者だ。たまには。
――こうして今日も、旧水道は少し泥だらけになり、ギルドの依頼書には妙な備考が増え、世界は救われなかった。
魔王は今日も、勇者の単独依頼が結局ふたりがかりだったことも知らず、元気にしているらしい。




