第七話 勇者くん、女騎士に稽古つけるんだ?
俺は勇者だ。剣のことなら、たいていは教えられる。
振り方も、受け方も、間合いの詰め方も。
ただ一つ、誰にも教わっていないことがある。
人の手を握るときの作法だ。
◇
きっかけは騎士団からの依頼だった。
「新人の稽古を、少し見てやってくれないか」
団長は渋い顔で言った。勇者に頭を下げるのが不本意そうだった。だが新人の伸び悩みは本物らしい。話を聞くに、才能を期待されたホープだという。こんなところでつまずくのはもったいないと、もっと上のほうから今回の話が挙がったのだとか。俺は引き受けた。なぜかミゼルもついてきた。
「見学するだけ。膝の上の本は飾りじゃないよ」
そう言って、訓練場の端に椅子を出させた。膝に本を広げていたが、一度もめくっていない。
「一ページも進んでないぞ」
「あんたが女騎士に囲まれてる状況を読み解いてる。理由は現実のほうが難解だから」
「本を読め」
この時点で、訓練場の気温はうっすら下がっていた。騎士団の新人たちは、夏なのに肩をすくめている。
新人はグウェンといった。まっすぐな目をした女騎士で、無駄口を叩かない印象だ。剣を構えると、それだけで筋がわかる。
「確かに筋はいい」
俺は言った。
「握りが硬いだけだ」
「直せますか」
「ああ。貸してみろ」
俺は柄を握るグウェンの手に自分の手を添えた。指の位置を少しずらす。
「ここ。力を抜く。刃に重さを持たせるために変なことをしなくていい。勝手に重い剣になるからだ」
「……なるほど」
グウェンは真顔でうなずいた。剣士として至極正しい反応だった。
次の瞬間、訓練場の水たまりに薄氷が張った。夏なのに。
「勇者くん」
ミゼルの声は静かだった。実はミゼルが話しかけてくるのは静かなときが一番まずい。
「今の指導、ずいぶん親切だったね。手なんて握って」
「握りを直しただけだ」
ミゼルは本を閉じた。読んでいなかった本だ。
「握りを直すには、手を重ねる必要があるんだ?」
「必要な時はな。剣の話だ」
ミゼルは閉じた本を膝の上で少しずらした。表紙の角がやけに正確に俺のほうを向く。
「じゃあ私が剣を持てば、必要になる?」
「待て。お前は魔女だろ」
「魔女が剣を持つ日もあるかもしれないよ?」
「一応確認だが、その剣が向く先は魔王なんだろうな」
言葉としては通じている。通じているのに、俺は一歩も前へ進めない。
グウェンが剣を構えたままこちらを見ていた。稽古中に夫婦喧嘩を見学させられている顔だ。違う。夫婦ではない。
「勇者殿。奥方ですか」
「奥方じゃない」
俺は言った。
「まだね」
ミゼルが言った。気温がもう三度下がった。
俺は場を収めにいった。これがそもそもの間違いだった。
「ミゼル。お前は握りを直す必要がない。もう完成されてるから」
「それ、褒めてる?」
「褒めてる。かなり」
俺はできるだけ真面目な顔をした。真面目な顔で言えば通ると思った。通らなかった。
「完成してるから、手は握らなくていいって話?」
答えられなかった。
ミゼルは膝の本を閉じた。ぱたん、と小さな音がした。
「……いいよね。剣の握りは、直してもらえて」
声が、ほんの少しだけ低くなった。怒りとは違う低さだった。
その意味を考える前に、訓練場の空気が変わった。
◇
模擬戦が始まっていた。
新人たちが二列に分かれて打ち合う。木剣のはずだった。
だが一人、真剣を抜いた男がいた。ガロという重装の騎士だ。遺跡の回収品から支給された剣を、腰に佩いていた。
その剣が一瞬暗く光った。
金属が軋むような、耳の奥に直接届く音。ガロの目から色が抜けた。膝が沈み、腕が持ち上がる。本人の意思ではない動き方だった。
「魔剣だ」
俺は駆け出した。
「全員下がれ。そいつに近づくな」
支給品に紛れていたらしい。ろくに鑑定もせずに配ったのか。あとで団長に言うことが増えた。
ガロが振り向いた。新人の一人に斬りかかる。俺は間に割って入って、その一撃を受けた。重い。受けるだけで腕が痺れる件は久々だ。
問題は、斬り返せないことだった。
剣に飲まれているだけで、ガロ自身は被害者だ。まともに斬ればガロを殺してしまう。峰で殴って気絶させればいい。そう思った。
そう思ったはいいが、次に思った通りに動けないことに気付く。
ガロの剣が、俺の一撃を先に読んで受けた。
次も。その次も。
まるで、俺の手を見てから動いているみたいに――違う。
俺より、先に動いている。
俺が踏み込めば、半歩先に下がる。フェイントを入れれば、その癖までなぞる。
そこでようやくわかった。こいつは技を読んでいるんじゃない。俺そのものを写している。
どうやら魔剣は、周りで一番強い剣気を写し取るらしい。写す相手に俺を選んだようだ。
つまり今、俺の前で剣を振っているのは、俺自身だ。
俺の癖で、俺の間合いで、俺の呼吸で斬ってくる。いわば俺のコピー。
自分と斬り合ったとして、負けるつもりはない。
ただし、後ろに新人を庇いながらとなると話は別だった。
もし今下がれば、後ろの新人など容易に殺されてしまう。踏み込めば、コピーとの五分五分の攻防となる。俺が傷つきにくいことと、新人を守りきれることは別問題だった。
こいつは簡単には止まらない。
「レオ」
ミゼルだった。もう椅子にはいなかった。俺のすぐ後ろに立って、コピーを見ていた。
「そいつ、あなたの真似をしてる」
「気づいてる」
「なら勝てるよ。私がいるから」
ミゼルが、コピーの動きを声に出した。
「次、右に払う」
払った。
「踏み込んで、上」
踏み込んで、上から来た。
全部、当たっていた。俺が次にどう動くかを、俺より先にこいつは言い当てていた。
「あなたの剣は、全部見てきたから」
ミゼルは静かに言った。
「何千回も。朝の素振りも、寝ぼけて剣を抱くのも、照れた時に半歩だけ間合いを広く取るのも」
「……見すぎだろ」
「見るよ。私の勇者くんだから」
「あまりにも視線が重い」
「重くて結構だよ。その方がよく覚えられるから」
ガロが踏み込んだ。
「左へ避けて」
俺は左へ跳んだ。だが、剣先が追ってきた。
「なに?」
避けきれない。俺は剣を立てて寸前で受けた。衝撃が腕を抜け、踵が地面を削る。
魔剣の動きが変わっていた。
さっきまでなら、俺はあそこで右へ抜けていた。ミゼルは、その癖を外すために左を選ばせた。
だが魔剣は、俺が左へ動いたのを見てすぐに斬撃を修正した。
「こいつ、真似するだけじゃない」
俺は痺れた指を握り直した。
「戦いながら成長してるな」
ミゼルが目を細める。
「みたいだね。あなたの癖を土台にして、そこから直してる」
「俺より素直な生徒だな」
「腹が立つ?」
「少しな」
俺の技を写し、俺より先に動き、間違えればその場で修正する。長く戦うほど、あいつは俺に近づいてくる。
いや。俺よりも、無駄のない俺になっていく。
ガロの剣が閃いた。俺は受ける。流す。踏み込む。
すべて、半歩先に塞がれる。
こちらが速くなれば、向こうも速くなる。技を変えれば、次には写される。
いつかは勝てるかもしれない。だが、その前に後ろの新人が巻き込まれる。
「レオ」
ミゼルの声が、少しだけ低くなった。
「そいつも、あなたを見てるね」
「そうだな」
「でも、私のほうがずっと先に見てたから」
指先に光がともる。
「だから、そいつが知らないあなたを作る」
「どうやって」
「次の受け。右でやらないで」
ガロが剣を上段に構えた。
俺なら、あの一撃は右で受ける。
右足を軸にして刃を外へ流し、そのまま懐へ入る。それが一番速く、一番安全で、一番正しい。
「左で受けて」
「無茶を言うな。左は遅いし、姿勢も崩れる」
「知ってる。だからやるの」
ミゼルは俺から目を離さなかった。
「上手なあなたの動きは、もう全部学習されたみたい」
ガロが踏み込む。
「一回だけ、下手になって」
理屈はわかったが、納得はしていない。
だが、俺のことをこの世で一番知っているのは俺じゃない。
ミゼルだ。
剣が振り下ろされる。
右で受けたい腕を押し殺して俺は左を出した。
最悪の姿勢だった。
足は揃い、肩は開き、受けた衝撃を逃がせない。
剣士なら誰でも直されるような、下手くそな受け方。
だからこそ、魔剣は反応できなかった。
俺が右へ流す前提で踏み込んだガロの体が、わずかに泳ぐ。
剣先が空を斬った。
「今」
ミゼルの光が走った。
だが魔剣も遅れて反応した。ガロの腕が強引に引き戻され、束縛の光を斬ろうとする。
俺は崩れた姿勢のまま一歩を踏み込んだ。
正しい型では間に合わない。
だから肩からぶつかるようにして、ガロの腕を押さえ込む。
「レオ、動かないで」
「無茶を重ねるな」
「あなたならできる」
光の帯が俺の頬を掠め、ガロの右腕だけを絡め取った。
次の一本が足を縛る。
さらに胴。
周りの新人には髪一本触れず、俺の腕と肩だけを避けて、魔法がガロを地面へ縫い止めていく。
俺の位置をミゼルが間違えるはずがない。
ガロの体が止まった。
魔剣だけが、まだ俺を斬ろうと震えている。
「レオ」
「わかってる」
俺は柄を握るガロの指を剣の峰で打った。
一度。離れない。
二度目で親指が開く。
三度目で魔剣が手から離れた。
俺は落ちる剣を蹴り上げ、そのまま訓練場の端へ弾き飛ばした。
魔剣は地面を滑り、 甲高い音を一度だけ上げて石壁にぶつかる。
ガロが白目をむき、光の帯に支えられたまま崩れ落ちた。
息はある。静まり返った訓練場で、俺は左腕を振った。
「痛い」
「だから下手にやってって言ったでしょ」
「お前がやれと言ったんだろ」
「でも、ちゃんとできた」
ミゼルは少しだけ得意そうに笑った。
「さすが、私の勇者くん」
「下手にできたことを褒められたのは初めてだよ」
◇
ガロは医務室へ運ばれた。命に別状はない。魔剣は封印箱に収まった。訓練場は半分えぐれたが、それは俺のせいじゃない。たぶん。
グウェンがまっすぐ歩いてきた。
そして俺の横を素通りして、ミゼルの前で膝をついた。
「魔法使い殿。私に、あなたの観察眼を教えてください」
「は?」
ミゼルが言った。
「一人の剣士を、あそこまで見切る観察眼。私も身につけたいのです」
真顔だった。この女、本当に筋がいい。
「断る」
ミゼルは即答した。
「というより、教えられない。あれは技術じゃなくて執念だから」
「執念……」
「でも、近づきたいなら、まずは見続けること。本人が気づいてない癖まで全部。まず十年見なさい」
「じゅ、十年……、理解しました。ミゼル殿に感謝いたします」
グウェンは少し残念そうにうなずいて、下がっていった。潔い。いい騎士になる。
団長が咳払いした。
「勇者殿。今回のお詫びと、稽古の礼を」
「礼ならミゼルにも言ってくれ」
「もちろんだ。魔女殿にも、正式に礼を」
「礼ならレオに。私は、あの人の手元が狂うと嫌だっただけです」
ミゼルはそっぽを向いた。
団長は、礼を言う相手が一人増えたような顔で頭を下げた。
◇
訓練場の片隅で、俺は水桶に手甲を突っ込んだ。
魔剣の熱がまだ少し残っていて、水面に細かい泡が立つ。ミゼルは隣で黙っていた。さっき張った薄氷は、いつの間にか溶けている。
「助かった」
俺は言った。
「お前がいなきゃ、俺は俺に負けてた」
「べつに。あなたが偽物なんかに無様に負けたら、私が困るだけ。……のついで」
のついで、が小さかった。
俺は少し考えて、ミゼルの手を取った。剣を持っていないほうの手だ。
「なにするの」
「握りを直しといてやる。お前はいつも力が入りすぎてる」
「剣、持ってないけど」
「持ってなくても、直せるものはある」
理屈は通っていない。自分でもわかっていた。
ミゼルは何か言いかけて、やめて、耳まで赤くなって、それでも手を振りほどかなかった。
「……下手くそ」
「知ってる。さっき左で受けたからな」
「そっちじゃない」
「じゃあ教えてくれ」
「自分で覚えてれば?」
水桶の底で、小さな氷の欠片がひとつ溶けた。
――こうして今日も、騎士団の訓練場は少しえぐれ、女騎士は剣士を見切るには少々重すぎる視線が必要だと知り、世界は救われなかった。
魔王は今日も、配下の魔剣が一人の魔女に「勇者くんの真似が甘い」と叩き潰されたと聞き玉座でしばらく黙り込んだのち、元気にしているらしい。
いつもお読みいただきありがとうございます。




