第六話 勇者くん、闘技場で大人気だね?
依頼は調査だった。
「闘技場の人気興行に、違法賭博と八百長の疑いがある。出場して内側から探ってほしい」
ギルドの掲示にしては物騒な話だ。だが報酬はよかったし、勇者として放っておくのも据わりが悪い。俺は出場を引き受けた。
横でミゼルが依頼書を覗き込み、にやりとした。
「ふうん。闘技場。あんたが半裸の男たちと、汗だくで取っ組み合う仕事ね」
「調査だぞ。変な言い方をするな」
「勝ったら観客席に手を振るんでしょ。女の子に名前を呼ばれて、花も投げられて」
「闘技場の作法までは知らんが、手を振られたら礼儀として返すことはあるだろうな」
そこでミゼルの指が、依頼書の端を押さえた。
紙が少し凍った。
「礼儀なら、どんな女の子にも手を振るんだ」
「観客にだよ。個人相手じゃない」
ミゼルは依頼書から手を離した。紙の端に、白い霜が残っている。
「広く浅く愛想を配る勇者くん。便利そう」
「愛想だぞ。愛じゃない。何も問題ないだろう?」
「私にはあんまり手を振らないのにね。近くにいる女ほど雑に扱うんだ」
「隣にいる相手に手を振るほうが不自然だろ」
ミゼルは勝ち誇ったようにうなずいた。
「ほら。雑に扱う理由をすぐ出した」
図星だった。
「まあ、特定の相手じゃないからギリギリ許してあげる。いってらっしゃい。応援はしてあげるから」
その笑顔を見て、依頼書の危険度が一段上がった気がした。
◇
闘技場の興行は思ったより派手だった。
血なまぐさい殺し合いじゃない。実力者が技を競い、観客が沸き、勝者に喝采が降る。一種の祭りだ。趣味に闘技場の観戦を公言する人が多くいるのもわかる。
そしてこの興行には、妙な仕組みがあった。
最も歓声を集めた剣闘士が、その日の“華”に選ばれる。賭けの金は毎回、なぜかその“華”にどっと集まった。違法賭博と八百長の疑いが立ったのはそこからだろう。
俺は勝った。次も勝った。その次も勝った。魔物相手の命のやり取りに比べれば遊びみたいなものだ。
気づけば観客席から、黄色い声が飛ぶようになっていた。
「勇者さまー!」「こっち見てー!」
手を振られ、花を投げられる。悪い気はしない。礼くらいは返す。広く浅く愛想を振り撒く。それが礼儀だと思った。
一輪、白い花が足元に落ちた。拾って控え室の隅に置く。捨てるのも申し訳ない。
そこで背後から声がした。
振り返るとミゼルがいた。いつからいたのかは知らない。知らないほうが健康にいい気がした。
ミゼルは白い花を見下ろし、つま先で床のほこりを少し寄せた。
「捨てずに置くんだ。名も知らない女の子の気持ちを」
「踏むわけにもいかないだろ。花の話だ」
「私が投げたものも拾う?」
「拾うよ。花なら」
ミゼルは少し考えた。考えなくていい方向に。
「石なら避けるって顔してる」
「石って凶器なんだよね」
「条件つきの愛だよ」
ミゼルは花をじっと見た。
「……で。嬉しかった?」
「名前呼ばれて。手振られて。花もらって。悪い気はしなかった?」
ここで「別に」と言えば嘘になる。俺は勇者だ。嘘はよくない。
「まあ、応援されるのは悪い気はしない」
気温が下がった。なんで下がったのがわかったのだろう。
ミゼルは花の茎を指先で弾いた。折れない程度に。もし花に意識があるのなら、恐怖をおぼえる程度に。
「仕事の士気の話、とか言うんでしょ」
「言う前に取られた」
ミゼルは俺の返事を奪ったまま、花を控え室の棚へ戻した。
「男の声援でも上がる、とも言う」
「それも言うつもりだった」
「じゃあ誰でもいい。私じゃなくてもいい。はい、着地した」
「着地というより問答無用に崖から突き落とされた気分だ。闘技場の観客席からの声援だぞ?」
その瞬間、ミゼルはにこっと笑った。
笑顔なのに、控え室の壁に霜が降りた気がした。
「わかった。応援、ちゃんとするね」
「今の流れで、なんでそれが一番怖いんだ」
それが間違いだった。
◇
二日目。控え室に戻るとミゼルがいた。
なぜか闘技場の運営みたいな腕章をつけていた。
「なんだそれ」
「応援団長。今日から私」
「え? いつの間に」
「闘技場って、申請すれば応援団を作れるんだって。便利だね」
ミゼルは腕章を指で弾いた。正式な布だった。余計に怖い。
「あれって申請して作れたのか……便利の方向がおかしいだろ」
「勇者くんの応援が雑だったから、私が整えたの」
「応援を整えるって何?」
「ふふ。あとで見ればわかるよ」
事の経緯は、あとで他の剣闘士に聞いた。
昨日、勇者がいるということで俺に黄色い声を上げていた女性ファンの一団。あそこへ、ミゼルがにこにこ笑って近づいていったらしい。
最初、ファンの子たちは警戒した。
ミゼルはその警戒を正面から受け止め、ますます笑顔になったそうだ。
「あの人の一番近くにいる女です。応援するなら、声を出す前に距離感から覚えましょう」
勇者様好きです、と言いかけた子が、途中で姿勢を正したという。
「好きは入口。そこから先が応援。手を振られても浮つかせない。怪我を心配しても触らない。勝ったら褒める。でも調子に乗らせない」
基本が重い、と誰かが呟いたらしい。
ミゼルは「大丈夫。一から教える」と答えた。
うん。大丈夫ではない。大丈夫って何?
そこから先は面接だったという。志望動機。応援歴。レオへの理解度。基準に満たない子から順に、笑顔で後列へ回されていった。
「ファンを名乗るなら、それなりの覚悟がいるの。まずは発声と距離感からね」
気づけば女性ファンの一団はミゼル直属の『応援団』に再編されていた。見込みのある子が前列、まだ研修が必要な子は後列、指揮権はもちろん団長に。
その成果を、俺は試合中、嫌というほど見せられた。
「あの子たち、レオの『ファン』を名乗ってたけど。応援の仕方すら間違ってたの。本物はこう」
ミゼルがすっと拳を上げる。
観客席の一角が、寸分の狂いもなく揃った。「れ・お! れ・お!」
拳を横に振れば、声がやむ。指を回せば、ウェーブが起きる。手のひらを下に向ければ、相手選手にだけ盛大なブーイングが降る。
「ちょっと待て。相手へのブーイングはやめろ」
「どうして。敵だよ?」
「競技相手だ。敵じゃない」
ミゼルは不満そうに客席へ目を戻した。
「レオに向かって剣を振る人は、だいたい敵だよ」
「闘技場の理念と勇者の名前が泣く。あと勇者の名前でブーイング自体がよろしくない」
「じゃあ拍手にする」
ミゼルが指を鳴らすと、相手選手へのブーイングが一瞬で礼儀正しい拍手に変わった。
相手選手が困惑し、行動に困ったのか俺に会釈した。俺も困惑した。とりあえず会釈を返しておいた。
統率が取れすぎている。
気づけば闘技場の歓声は、上がるのも下がるのも、全部こいつの合図ひとつになっていた。
俺を応援する集団のはずなのに、なぜか俺はずっと背筋が寒かった。
◇
試合のたびに観客が沸く。沸けば沸くほど賭けの金が動く。
勝ちながら、俺は気づいた。観客の熱狂が不自然に跳ねるのだ。盛り上がるはずのない場面で、急に。誰かが煽っている。ミゼルのそれもだんだん不自然になってきているが、ひとまず目を逸らしておく。
客席に紛れたサクラ。そして運営席の男が手元で弄っている、淡く光る妙な石。勇者の視力があればよく見えた。
あれで観客の熱を操り、賭けの目を操作している。それが八百長の正体だろう。
『華』に金が集まる仕組みなら、誰を『華』にするか操れる者が、賭場を支配できる。
「ミゼル」
試合後、俺は観客席の通路で小声で呼んだ。
「なに。今の試合、三回も西側に手を振った件?」
「数えてたのかよ」
「数えるよ。必要だから」
「必要の意味は後で聞く。あの運営席の石、見えるか」
ミゼルは俺の指先を追って、すぐに目を細めた。魔力が目に集中する。
「……見える。あの形状は……感情誘導の魔道具かな。おそらく客席の熱をまとめて、賭けの流れに乗せてる。すごいね勇者くん。よく気づくね」
「やっぱりか」
運営席の男が、こちらの視線に気づいて手元を隠した。遅い。
「でも、あれだけなら弱い。普通は一万人の感情なんて、石ひとつじゃ動かせない」
「じゃあ、なんで動いてる」
「もともと熱くなってる客を、ちょっと押してるだけ。鍋を沸かすんじゃなくて、沸きかけの、こぼれる寸前の鍋に蓋をしてる感じ」
「わかりやすいような、嫌なような例えだな」
ミゼルはふっと笑った。
「つまり、こっちが先に客席の熱を握ればいい。石より私のほうを見せれば、あれは空振りする」
「できるのか」
「誰に言ってるの。あんたが誰に手を振ったか、初日から全部覚えてる女だよ」
「そこは誇るところなのか?」
「誇るよ。ほかの誰にもできないでしょ」
胸を張る方向は間違っている。精度だけは疑いようがなかった。
◇
興行主は馬鹿じゃなかった。
人気が伸びすぎた俺を危険視し始めていた。読めない人気は賭場の毒だ。まして今日は、興行の締めくくり。その日の『華』に誰が選ばれるかで、動く金も桁が違う。
当然、俺を『華』にするつもりはないらしい。
俺の相手として用意されたのは、明らかに様子のおかしい大男だった。目は虚ろで、口元には泡が浮いている。薬か、呪いか。痛みも加減もなくなるまで無理やり興奮させられている。
勝つだけなら難しくない。問題はいかに加減するかと、その後だ。
興行主は、俺が苦戦するように見せたうえで、別の剣闘士に歓声を集めるつもりなのだろう。あるいは苦戦しないにしても、俺が少し加減を間違えばそこを過失として突くか。いずれにしても、あの石で観客の熱を押し、今日の『華』を決める。そして事前に金を賭けていた側だけが儲ける。
俺が勝ったとしても、人気で負けたことにする。
ずいぶんと都合のいい興行だった。
控え室を出る直前、ミゼルが俺の袖を引いた。
「勇者くん」
「なんだ」
「勝って」
いつもの圧も皮肉もなかった。短い一言だった。
「ああ。勝つよ」
「あと、変な女の子に手を振らないで」
「そこは今言うことか? 変な女の子も今目の前に一人いるんだが」
ミゼルは俺の袖を離さなかった。指先だけ、少し力が入っている。
「今言うこと。死ぬほど大事」
「死ぬほど大事なもの、多いな」
「レオ関連はだいたいそう」
ミゼルは小さく息を吐いて、いつもの顔に戻った。
「お膳立てはする。最後はあんたがやって。そういうの、好きでしょ。勇者っぽいやつ」
「まあな」
「……べつに。かっこいいところを見たいわけじゃないから。事件解決のついで」
言い方は雑だったが、耳は少し赤かった。
◇
試合は始まった。
大男は開始の合図と同時に突っ込んできた。剣を振るというより、鉄の塊を叩きつけてくるような勢いだった。
まともな判断力は残っていない。
俺は一撃目をかわし、二撃目を剣の腹で逸らした。大男は止まらない。自分の肩が外れかけても、気づかず武器を振り回している。予想してたとはいえ、やはり加減が難しい。もしこのまま動きを止める場合、必要以上に痛めつける必要がある。
観客がどよめいた。運営席で、興行主が身を乗り出す。
その手元で、石が淡く光った。すると観客席の一角から、唐突に声が上がった。
「勇者が押されてるぞ!」
「たいしたことないじゃないか!」
サクラだ。
本来なら、その声に石が熱を足す。誰か一人が叫べば、隣が続き、やがて一万人が同じ空気に呑まれる。
そのはずだった。
だが、客席は続かなかった。
ざわめきは起きた。けれど、それだけだ。興行主が石を握り直した。
光が強くなる。今度は別の席から、別の剣闘士の名が叫ばれた。
「今日の『華』はガルドだ!」
「ガルドこそ最強だ!」
それでも、誰も乗らなかった。一万人の観客は、運営席を見ていない。
客席の中央に立つ、ひとりの魔女を見ていた。
ミゼルが片手を上げる。それだけでざわめきが止まった。
拳を握る。次の瞬間、闘技場を揺らす声が響いた。
「れ・お! れ・お! れ・お!」
一万人の声が、寸分の狂いもなく重なった。
興行主の顔から、血の気が引いた。石がまた光る。
だが歓声は揺らがない。
もう観客の熱は、あいつの手の中にはなかった。
ミゼルが、完璧に握っていた。
「……お前、本当にやったのか」
戦いながら呟くと、客席のミゼルが得意げに顎を上げた。
たぶん唇が動いた。誰に言ってるの。歓声の中、聞こえないはずの声が聞こえた気がした。
俺は大男の振り下ろした剣を受け止め、その勢いを横へ流した。体勢を崩したところへ踏み込み、剣の腹をこめかみに叩き込む。
大男の巨体が、砂煙を上げて倒れた。
しん、と静まる。
俺は剣を下ろした。
本来なら、ここで勝者への歓声が爆発するところだ。
だがミゼルはまだ手を上げたままだった。
客席は黙っている。
一万人が、次の合図を待っている。
ミゼルは俺を見て、にっと笑った。
「お膳立ては済ませた。はい、勇者くん。あんたの番」
こんな舞台は二度とない。俺は運営席を指さした。
「そこの石だ」
観客の視線が、一斉に興行主へ向く。
男が慌てて手元を隠した。遅い。
「それで客の熱気を煽って、誰を『華』にするか決めてたんだ。盛り上がるはずのない場面で歓声が起きたのも、賭けの金が毎回同じところへ集まったのも、全部あれの仕業だ」
ざわめきが広がった。
自分たちが騙されていたと知った、一万人の怒りだった。
「今日も別の剣闘士を『華』にして、賭けで儲けるつもりだったんだろ」
「で、でたらめだ!」
興行主が叫ぶ。
「証拠がどこにある!」
「今、自分で隠しただろ」
客席から笑いが起きた。続いて、野次。
「見えてたぞ!」
「石を出せ!」
「俺の金を返せ!」
運営のサクラが慌てて声を上げた。
「勇者の言うことを信じるな! これは演出だ!」
だが、地鳴りみたいな野次の前では、蚊の鳴き声に過ぎなかった。
興行主は石を捨てて逃げようとした。
その進路に、衛兵が立っていた。
どうやら客席の騒ぎを聞きつけて、ちょうど到着したらしい。
興行主は左右を見た。前には衛兵。後ろには、激昂した一万人。
逃げ場はなかった。
俺は倒れた大男を見下ろした。息はある。薬が抜ければ、事情も聞けるだろう。
あとは衛兵の仕事だ。
◇
勝者には、ひとつ伝統があるらしい。その日の『華』に、観客から選ばれた一人が祝福のキスを贈る。
名乗りを上げかけた令嬢が、何人かいた。
一人目が手を挙げかけた瞬間、応援団長の手がその肩にそっと乗った。
「ありがとう。気持ちだけ、預かっておくね」
二人目が立ち上がる前に、笑顔が一歩で距離を詰めていた。
「あなたも? 嬉しいなあ。並ぶ列は、あっち」
三人目は、目が合っただけで、自分から座り直した。賢明だ。
「順番が違うよ。最初は私」
「えっ、魔女様が祝福を?」
司会が恐る恐る聞いた。
ミゼルはにっこり笑った。
「しないよ」
「しないんですか!?」
「するかどうかを私が決めるの。ほかの人が先に決めるのは違うでしょ」
理屈は通っているようで、どこにも通っていなかった。
俺は一応、小声で抗議した。
「伝統なんだろ」
「じゃあ今日から新しい伝統にしよう。勝者は、魔女に連行される」
「語り継がれたくない伝統だな」
「大丈夫。もう語り継がれてる」
結局、俺の頬には誰のキスも届かなかった。届く前にミゼルが俺の腕を掴んで、さっさと闘技場を後にしたからだ。
「役に立ったでしょ、私」
「ああ。応援団長、有能だったよ」
ミゼルは俺の腕を掴んだまま、少しだけ歩幅をゆるめた。
まだ足りない顔だ。
「観客を掌握して、八百長の魔道具を空振りさせた。正直、かなり助かった」
「実務評価はもらった。ほかは」
「……かっこよかった」
ミゼルが足を止めた。
「今の、もう一回」
「言わない。二回言うと、俺が負けた気になる」
「そこを勝負にするから下手なんだよ」
ミゼルは呆れたように言ったが、耳は赤かった。
「怖さ込みでかっこよかった」
「むう。配合がおかしい」
「お前らしいだろ」
ミゼルは俺の袖を掴んだまま、ぷいと横を向いた。
「……べつに。今日は許してあげる。事件解決のついでに」
こいつの「ついで」は、たぶん機嫌がいい時のやつだ。
◇
——後日。
アステルベルの酒場では、こんな噂がまことしやかに語られた。
あの晩、不正興行を叩き潰したのは、勝ち上がった勇者ではない。
応援席を一夜で掌握した、一人の魔女だったらしい、と。
勇者の名は、なぜか、あまり残らなかった。
それでいいと本人は言ったとか、言わなかったとか。
ただし闘技場の壁には、しばらく妙な注意書きが貼られていた。
『勝者への祝福は、応援団長の許可を得てから行うこと』
誰が書かせたのかは、聞かないほうがいい。
——こうして今日も、賭場は潰れ、闘技場は妙な規則を増やし、世界は救われなかった。
魔王は今日も、勇者より怖い応援団長が生まれたことも知らず、元気にしているらしい。




