第四話 勇者くん、他の女の恋人役なんかするんだ?
その依頼人は、ギルドに入ってきた瞬間から注目を集めていた。
仕立ても装飾品も所作も、明らかにこの国のものではない。おそらくは隣国、それも相当な家の出なのだろう。全身から上品オーラが出ている。そのオーラに当てられた受付のティナが、緊張で背筋を伸ばしているのが見えた。
女はまっすぐ俺の前に来て、優雅に礼をした。
「セシリア・ヴェルフォードと申します。商談で、こちらに滞在しておりますの」
そして、にこやかにこう言った。
「勇者様。一日だけ、わたくしの恋人のフリをしていただけません?」
その瞬間、ギルドの空気が凍ったのがわかった。
正確には、俺の隣の空気が。
「……ほう」
ミゼルが笑顔で首をかしげた。
セシリアはそれをちらりと見た。が、特に気に留めなかった。
「事情をお話ししますわ。母国に、しつこい言い寄り屋がおりまして。さる貴族のご子息でございます。わたくしが何度断っても『君は必ず僕のものになる』の一点張り。かれこれ半年になります。先日とうとう、この国まで追ってきまして、わたくしにこう言いました。『次の晩餐会で、色よい返事を聞かせろ』と」
「期限を切られたわけだ」
「ええ。ですから、勝負はその一晩。継続して恋人を演じる必要はありませんの。一度公の場で、あの男が絶対に張り合えない相手と並んで見せれば——いくらあの子でも、恥を知るでしょう」
理屈は通っていた。少なくとも、彼女の持っている情報の中では。
「で、なんで俺なんだ」
「単純でございます。この国で一番、名の知れた男だからです。滞在は三日、わたくしが調べられたのは公の評判だけですが、どうやらあなたは独り身のようでありますし、後腐れもない、完璧な人選です」
そこで、セシリアの視線が、ようやくちゃんと隣に向いた。
にこにこと笑っている、ミゼルに。
「……独り身じゃ、ないの?」
「ないな」
と、俺は言った。
彼女の、完璧だった所作が、初めてほんの少しだけ固まった。
「……聞いてないですわよ。そんな話」
◇
「ねえ、勇者くん」
ミゼルの声は甘かった。こいつの声が甘くなったときは苦い思い出しかない。きっと何か嫌なことが進んでいる。
「他の女の、恋人役、なんかするんだ」
「いや、まだ受けてないだろ」
「受ける気は、あるんだ」
「困ってる人を放っとくのもな」
「困ってる“女"なら、恋人のフリもするんだ」
「そういう依頼だからだろ」
「私は本物なのにあなたと結ばれてないのに。他の女とは、偽物でも恋人になれるんだ」
「もう内容が一周して戻ってきてるんだよね」
「ふうん。じゃあ行っといで。偽物の恋人ごっこにね。楽しんできてね。私のことなんか気にせずにね」
気にせず、と言いながら、宿に火をつけかねない目をしていた。
その一部始終を、セシリアが扇子の陰から面白そうに眺めていた。
そして、ぱちんと扇子を閉じて言った。
「ねえ勇者様。あなた、依頼の難易度、申告し忘れてない? わたくしの執着者より、よっぽど手強いのが隣にいるじゃないの」
だが、セシリアは逃げなかった。
むしろ、隣の魔女をしばらく眺めて、にやり、と笑った。
「……いいえ。むしろ、好都合かもしれないわ」
「え?」
「考えてもみて。偽物の恋人よりも、これほど怖い魔女を後ろ盾につけた女に、しつこく言い寄れる男が、この世にいて?」
ミゼルの笑顔が止まった。
「……今。私を出汁にした?」
「ええ。報酬はもちろんはずむわ。魔女様にもね。あなたは、ただ睨んでいてくれればいいの。勇者と共にいる、わたくしの姿をね。おそらくは、それで万事うまくいくはずですわ」
ミゼルは三秒黙った。
それから、つんと顎を上げた。
「……まあ。睨むだけ、なら。別にやってあげてもいいけど」
おいおい、睨むのは得意分野中の得意分野だろう。
だいたい、毎日飽きもせずタダでやってくれているじゃないか?
◇
当日。異国の商人や貴族が集う、きらびやかな晩餐会。
慣れない正装に着替えさせられ、俺はセシリアにエスコートされて会場を歩いていた。彼女の演技は、さすがと言うべきか、堂々たるものだった。俺の腕にしなやかに手を添えたかと思うと、楚々と微笑む。それだけで周囲の視線が勝手に噂を組み立てていく。「かの勇者が、異国の令嬢と」と。軽い気持ちで参加したが、何か悪い噂が流れるような気がしてならない。
「勇者様。もう少し、わたくしを見てくださると、それらしいのだけど」
「悪い。こういうのはどこを見ればいいんだ」
「……噂以上に、恋愛がお下手ね。あの魔女はさぞ苦労なさってるでしょう」
「返す言葉もないな」
そして、会場の壁際。
ミゼルがいた。
一人、ぽつんと壁を背に。とびきりの笑顔で。微動だにせず。瞬き一つしない。グラス片手に、ただこちらだけを見つめている。
不思議なことが起きていた。
その壁際の一角だけ、招待客が誰も近寄らないのだ。なぜか給仕すらも迂回していく。
たぶん、あの区画だけ本当に気温が三度低い。
「……あなたの魔女、本当にいい仕事をするわね」
セシリアが感心したように呟いた。
◇
やがて、それは現れた。
仕立てのいい、若い男。一見、品のいい貴公子。ただ、目だけが、欲しいものが手に入らない子供のような、そんな目をしていた。
「セシリア」
「……ごきげんよう。来てしまったのね」
「当然だ。返事をもらいに来た。その男は?」
「ご紹介しますわ。こちらの方は」
「勇者だろうと、何だろうと、関係ない」
男はセシリアの言葉を遮った。
「君は、僕のものになる。決まってるんだ。さあ、こんな男は放って——」
男の手がセシリアの腕に伸びた。
そこから先は勇者の仕事だった。俺は伸びた男の手首を掴んでいた。
力は入れていない。入れる必要がなかった。
「待った。彼女、嫌がってますよ」
「……っ、放せ! 僕を、誰だと思って——」
「俺はちゃんと名乗ろうとしましたよ。勇者です。で、それより」
俺は握ったまま、壁際を指さした。
「あそこで笑ってる人、見えます? あれを怒らせると、だいたい街がちょっと壊れます。怖いのは俺じゃなくて、あっちなんで」
ミゼルがちょうどこちらに気づいて。
にっこりと手を振った。
その背後で、床に落ちた影が、ぞわり、と生き物みたいに蠢いた。
気のせいだと思いたかった。たぶん、男もそう思いたかったはずだ。
だが、思えなかったらしい。
男の顔から、音を立てて血の気が引いた。勇者一人が相手なら、まだ貴族の見栄で踏みとどまれたかもしれない。
だが、勇者と、得体の知れない魔女。その両方を前に、反骨心というもよは、完全に失われてしまったらしい。
男は捨て台詞の一つも言えなかった。回れ右をしたかと思うと、すごい速さで晩餐会から逃げ出した。あの様子ではもう戻ってこないだろう。
◇
「ありがとう。本当に助かりましたわ。勇者様と、魔女様」
騒ぎが収まると、セシリアは優雅に礼をし、それから扇子の陰で悪戯っぽく笑った。
「正直に白状するわね。わたくし、偽物の恋人を一人、雇ったつもりだったの。なのに、本物の怖い魔女までおまけでついてきて。挙句に仕事のほとんどを、その子が持っていったわ」
「……出汁にされたのは、こっちなんだけど」
ミゼルが、いつの間にか隣に来ていた。むすっとしている。
「あら、そう拗ねないでちょうだいな。目だけで殺すのは真の一流の証ですわ。誇りなさいな」
セシリアはたっぷりの報酬を置いて、去っていった。最後の最後まで、こちらをおちょくる顔で。
変な令嬢だった。だが、嫌いじゃなかった。
帰り道。ミゼルはなんだか、やけに上機嫌だった。
「ねえ、勇者くん。私……今日、役に立った?」
妙に遠慮がちな聞き方だった。いつもの押しの強さが全くなかった。
「ああ。お前がいなかったら、あの男は絶対に引かなかった。お前のおかげだ」
「……ふふ」
ミゼルが笑った。睨むときの顔じゃなかった。
「勘違いするなよ。あれ、お前が怖いって意味だからな」
「うるさい。今日はいい気分なの。黙って隣歩いて」
言われた通り、それからは黙って隣を歩いた。
こうして今日も世界は救われず、勇者は“怖い魔女つきの男”として、異国の晩餐会の語り草になった。
魔王は今日も、自分より“怖い魔女つきの勇者”の噂のほうが広まっていることも知らず、元気にしているらしい。




