第三話 勇者くん、弱いままでいてほしいなんて思ってないよ?
「ねえ勇者くん。あなたって、私がいなくても平気そうだよね」
今日も天気のいい朝。宿の窓辺で、ミゼルが頬杖をついてぼやくように言った。
「そうか?」
「そうだよ。怪我しても次の日には平気な顔してるし、毒を飲んでも『苦いな』で終わるし、心なんて何を投げても跳ね返すし。私の出番、あんまりないなって」
「支援魔法、いつも助かってるけど」
「『助かる』。また、それ」
俺は、地雷の匂いを察知して、口をつぐんだ。学習はしている。たまには。
「いいの。どうせ私なんて、いてもいなくても大して変わらないんだから」
まさかこの日のうちに、その拗ね方が最悪の形で叶うとは。この時の俺は思ってもいなかった。
◇
その日の昼、市場で、それは起きた。
黒いローブの男が、商人らしき男に手をかざしていた。指先に、見るからにヤバい、紫色の光。
「俺の店を潰しておいて……呪い殺してやる!」
逆恨みの呪術師、というやつらしい。物騒な街だ。
商人が腰を抜かしている。間に合う位置にいるのは、距離的に俺しかいなかった。
考えるより先に、体が動いていた。商人を突き飛ばし、その紫の光を背中で受ける。
勇者として、満点の行動だったと思う。今でもそう思う。
ただ、相手が悪かった。
「……まさか勇者がしゃしゃり出るとはな。まあいい。死ぬのがお前に変わっただけだ」
呪術師は舌打ちしてから人混みに消えた。
背中がひやりと冷たい。だが、痛みはない。自分で言うのもなんだが俺は頑丈だ。これくらいなら寝れば治る感覚がある。そう思っていた。
◇
異変は夕方に来た。
椅子の角に、足の小指をぶつけたのだ。
「いっっっってえ!?」
気付いたら宿の床でのたうち回っていた。
おかしい。小指をぶつけたくらいで、こんなに痛いはずがない。俺は、魔物の一撃を食らっても余裕の笑顔でいられる男だ。なのに、魔力すらも纏っていない家具に負けた。
ミゼルが、その様子をじっと見ていた。
そして、何かに気づいたように……にぃ、と、口角を上げた。
「ねえ勇者くん。もしかして今……痛いの?」
「あ、ああ。さっきから、なんかやたら痛くて」
「ふうん。痛いんだ。あんたが。へえ」
その目が、らんらんと輝いていた。獲物を前にした捕食者の目だった。
背中の呪いが、俺の命をじわじわ削っていた。俺は生まれて初めて、ただの痛みに弱い非力な男になりつつあった。
そしてそれを、世界で一番喜ぶ人間が目の前にいた。
◇
「はい、勇者くん。横になって。動いちゃだめ」
気づけば俺は、ベッドに押し込められ、布団を顎まで掛けられていた。
「いや、これくらいは……」
「だーめ。今のあんたは転んだだけで死ぬかもしれないんだから」
ミゼルは鼻歌まじりだった。スープを掬い、ふうふう、と冷ましている。
「はい、あーん」
「自分で食える」
「あーん」
圧があった。俺はあーんをした。屈辱だった。スープは美味かった。
「なあ。この呪い、お前なら解けるんだろ。呪術が得意だから」
「うーん……」
ミゼルは、スプーンを口に運びながら、考えるふりをした。
「むずかしいなぁ。これは時間がかかるかもね。とりあえず三日? 一週間? ……一年、くらい?」
「お前、絶対もう解けるだろ今の」
「ふふ。さあ、どうかなぁ」
こいつは治す気がない。
そこへ、宿の戸を叩く音がした。どこから聞きつけたのか、たまたま通りかかったという聖女が顔を出した。
「あの、噂を聞いて。勇者様のお加減が悪いと。よろしければ、私が治癒を」
言い終わる前に、部屋の気温が三度下がった。
「いりません」
ミゼルがにっこり笑って、戸を閉めにかかった。
「この人の看病は、私の管轄なので。お引き取りを」
「で、でも、呪いなら早めに解かないと」
「私の、管轄、なので」
ぴしゃり、と戸が閉まった。
「……いいのか、あれ」
「いいの。誰だか知らないけど、あんなのにレオを触らせない。それに、治癒魔法じゃ、どのみち呪いは解けないし」
後半は、よく聞こえなかった。たぶん、いちばん大事なところだった。
◇
その夜。
眠れずにいると、ミゼルが、俺の背中の呪印を、調べていた。さっきまでのご機嫌な鼻歌は止んでいた。
指先で、紫の紋様をなぞる。なぞって、止まる。なぞって、また、止まる。
「……ミゼル?」
返事がなかった。
ランプの灯りに浮かんだ横顔から、血の気が引いていた。
「……これ。弱体化の呪いじゃ、ない」
「は?」
「死の呪い。元々、人を一人を確実に殺すために組まれているもの。あなたの異常なまでの頑丈さが進行を遅らせていたけど、それが、もう」
ミゼルの声が、震えた。
「持ってあと半日。それで、あなたの体はもうもたない」
俺は、自分の手を見た。さっきよりも指先が白く、冷たくなっている。なるほど、これはまずいやつだ。
「まあ、なんとかなるだろ。今までもそうだったし」
「ならないの! 今のあんたは、私がいないと、死ぬの!」
「お前が一番、嬉しそうに言ってたじゃんか。それ」
「……っ」
ミゼルが、唇を、噛んだ。図星、という顔だった。
◇
「……解く」
ミゼルが立ち上がった。さっきまでのにやけた魔女は、もういなかった。
「この呪いは普通の解呪じゃ間に合わない。術者の核ごと引きずり出して、灼き切る。私の魔力を、根こそぎ使う」
「それ、お前は平気なのか」
「平気じゃない。倒れる。たぶん三日は起きられない」
「じゃあやめろよ。そんなの」
「うるさい。黙ってて」
ミゼルは、俺の背中に両手を当てた。低い呪文が流れ始める。部屋が軋むほどの魔力。
紫の呪いと、ミゼルの魔力がせめぎ合う。彼女の額には一筋の汗が流れていた。
そして、解呪の最中、ミゼルはぽつりと言った。俺にだけ聞こえる声で。
「……ほんとはね。ちょっとだけ、嬉しかったの。あなたが弱くなって、私がいないと、だめになって。やっと、必要とされてる気がして」
「ミゼル」
「でも、気づいたの。私は、弱くて私のものになるあんたより、強くて、私を置いて先に行っちゃうあんたのほうが、ずっと好き」
紫の光が弾けて消えた。
「だから。勝手に死ぬな」
背中に熱が戻ってくる。我が身に馴染んだあの頑丈さが帰ってくる。痛みが、すっと引いていく。
そして、ミゼルは、糸が切れたように倒れ込んできた。
腕の中の体は、軽くて、熱くて、ふるえていた。世界を救えるこの体で、俺は、こいつ一人を抱きとめることしかできなかった。
◇
ミゼルは、本当に三日眠った。
後で知ったことだが……あの聖女の治癒魔法では、この呪いはどのみち解けなかったらしい。死の呪いを解けるのは、最初からミゼルだけだった。戸をぴしゃりと閉めたのは、ただの嫉妬じゃなかったわけだ。……まあ、嫉妬でもあったんだろうけど。
そしてその三日、頑丈なだけの俺の体は、看病の役にはまるで立たなかった。できたのは、スープを冷ますことと、「あーん」を、立場を逆にしてやり返すことくらいだ。
四日目の朝、ミゼルが、目を覚ました。
「……あれ。私、生きてる」
「ああ。生きてる」
「あんたは」
「俺も生きてる。お前のおかげでな」
こいつは、自分の魔力を根こそぎ使って、三日眠ってまで俺を生かした。
こういうのには、ちゃんと礼を言うべきだと思った。ノンデリな俺でも、それくらいはわかる。
「ミゼル。ありがとう。お前がいなかったら、俺は死んでた。助かった、だけじゃない。お前がいてくれて本当によかった」
まっすぐ言うと、ミゼルはきょとんとして、それから、みるみるうちに赤くなった。
「……な、なに、急に。気持ち悪い」
「ひどくない?」
「……でも」
布団を口元まで引き上げて、こもった声でミゼルは言った。
「……もう一回、言って」
「言わねえよ」
「ケチ」
——こうして今日も、世界ではなく勇者が救われ、魔王は倒されず、勇者は家具にすら勝てない三日間を過ごした。
魔王は今日も、勇者が小指をぶつけて悶絶していたことなど知らず、元気にしているらしい。




