第二話 勇者くん、王女様と二人きりになるんだ?
「ねえ勇者くん。私がなんで怒ってるか、わかる?」
天気のいい朝。宿の部屋。目の前のミゼルが、笑顔で腕を組んでいる。笑顔なのが一番恐ろしい。理由は怖いから。
俺は昨日の記憶を総ざらいした。正直なところ、心当たりが多すぎて逆に絞ることができていない。
「……昨日、酒場の女将に、礼を言ったから?」
「違う」
「武具屋の店員と、長く喋ったから?」
「違う。けど、それも後で聞かせてね」
(『後で聞かせて』が、昨日のと合わせて更に二件あるんだよな)
ここで当てずっぽうに答えるのは傷を広げるだけだと、経験で知っている。だが黙っていてもどっちみちミゼルは怒る。地雷原でタップダンスをするしかない。
「……あ。もしかして、王様の舞踏会の招待、今の今まですっぽかしてたから——」
言ってから、しまったと思った。
部屋が静まり返った。
「…………は?」
ミゼルの笑顔が、すとんと抜け落ちた。
「招待? 舞踏会? なにそれ。私、聞いてないけど」
「あ、れ。言ってなかったっけ」
「てかそれやばくない!? 王家の舞踏会すっぽかすって、国家の問題じゃない!? 仮にも勇者が!?」
「お前が始めた話題だろ」
「振ってない! 私が怒ってるのはもっと別! でもそれは、後で死ぬほど、怒る!」
保留案件が四件に増えてしまった。
そして、ミゼルは本題に戻った。低い声で。
「……昨日。あんた言ったよね。『ミゼルといると、安心する』って」
「言ったな」
「安心。あんしん。へえ? 私、湯たんぽ? 座布団? 実家の匂い?」
「いや、最大級に褒めたつもりなんだが」
「『好き』でも『可愛い』でもなく、『安心』、ねえ。勇者くん、私、女として数えられてない感じがするんだけど」
(これは、地雷というより……たぶん、本音だな)
返答に詰まっていると、ミゼルは、ふい、と窓の外を見た。
「……いいよ。どうせ私なんて、隣にいて当たり前の、空気みたいなものなんでしょ」
そこで、さっき自分で掘り起こした地雷が、もう一度、頭の中で光った。
舞踏会。招待状。確か、宛名は。
「……ミゼル。その招待状、『勇者と、そのパートナー』宛だった」
「……は?」
「お前を、連れて行ける」
ミゼルが、ぴたりと止まった。
「……今、なんて?」
正直、不敬だの外交だの、もうどうでもよかった。目の前のミゼルの、この不貞腐れた顔をとにかくなんとかしたかった。たぶんこれが、俺が今できる中で最大の、勇者っぽい判断だ。
「ドレス、着るか。お前を俺のパートナーとして連れて行く」
三秒の沈黙のあと。
ミゼルの耳が、ゆっくり赤くなった。
「……しょうがないから。行ってあげる」
(『しょうがないから』が出るのは、機嫌が直った時だ。危なかった)
こうして俺たちは、すっぽかすはずだった舞踏会に向かうことになった。
会場で待っていたのが、史上最強にめんどくさい「勇者オタの王女」だとは、この時の俺は知る由もなかった。
◇
王城の大広間は、まばゆかった。そして、その真ん中でミゼルは確かに綺麗だった。
「……どう?」
「うん。安心する」
「学習しろ!!」
出だしで一発、地雷を踏み直した。いろいろと頑丈でよかった。
異変はすぐに向こうからやって来た。
着飾った令嬢が、まっすぐ俺に突進してきたのだ。
「あなたが勇者レオ様!? お会いしたかった! 魔王を打ち倒した英雄様に、ぜひ……」
「いや、魔王はまだ一体も倒してないんですけど」
令嬢——いや、紹介によれば、この国の王女殿下が、一瞬笑顔のまま固まった。
「……ご、ご謙遜を!」
その横でミゼルの目がすっと細くなった。王女様に嫉妬するとは、ミゼルも怖いもの知らずなものだ。
王女が王女なら、令嬢たちも令嬢だった。ぜひ勇者と一曲を、と次々に列をなす。
そしてその列を、ミゼルが一人ずつ笑顔で処理していく。
「ごめんなさい、この人は私としか踊れないんです。この人の足は、二本とも私のものなので」
「次の曲も、その次も、ぜんぶ私の予約済みなので」
「あ、そちらの方も。ええ、来世の分まで埋まってます」
気づけば、俺のダンスカードは全部こいつの名前で埋まっていた。来世まで。
「ねえ勇者くん。今、あの王女ににっこりしたよね」
「相手は王族だぞ。無視したら不敬罪だろ」
「じゃあ、不敬罪が怖くて笑ったんだ。私には、不敬罪がなくても笑ってくれないのに」
「理屈がもう魔法の域なんだよ」
「ふうん。私のことは怒らせても『不敬』にならないと思ってるんだ」
「むしろお前を怒らせるのが、この国で一番の重罪まであるかもしれんな」
◇
ミゼルの観察は、踊りながらも止まらなかった。視線だけがずっと王女に貼りついている。怖い。だがだんだん、その怖い視線が実は妙な光を放ってることに気づきはじめた。
「ねえ。あの王女、さっきから一度も、あんたの左手を見てないね」
「左手?」
「あんた、剣を左で抜くでしょ。勇者レオの『左利き』ぐらい勇者ファンなら常識。本物の勇者オタなら、まず左手を確認する。でもあの女は一度も見てないから、知らないんだね」
俺が左利きなのをこいつが把握してるのはパートナーだから当然として、問題は勇者ファンなら常識だと思い込んでいることだ。それぐらい知らなくてもしょうがないと思う。
やがて、王女がしなを作って近づいてきた。
「勇者様。実は内密に、お話ししたいことが。ぜひあちらのお部屋で。二人きり、で」
二人きり。その単語で、隣の気温が五度下がった。新記録だ。
だが相手は王女である。断れば不敬。俺は政治の駒として、にっこり笑うしかない。
「ミゼル、すぐ戻るから」
ミゼルは、笑顔だった。笑顔で、俺の袖を千切れる寸前まで握っていた。
「……三十分おきに、報告して。誰と、何をしてるか。忘れずにね。前に、それで助かったでしょ」
◇
通された一室で、王女の様子が変わった。
「ふふ。やっと、二人きり」
差し出されたのは、ワイン。甘い匂いがした。どこかで嗅いだ、あの匂い。
(あ。これ、こないだの行商人の)
そう気づいた時には、もう手首に、淡い光の枷がかかっていた。魔法の拘束具だ。さすがの俺も、王女に剣を抜くことはできない。
「勇者様。あなたには、消えてもらうの。あなたがいつか、魔王を倒してしまう前に」
「……いや、倒す気、そんなにないんだけど」
本音だった。が、相手は聞いちゃいなかった。
◇
扉が、蹴り開けられた。
「レオから、三十分、報告がない」
ミゼルだった。当然、追ってきていた。こいつが俺を見失うわけがない。
王女が振り返り、余裕の笑みを浮かべる。
「……魔女ふぜいが。ここをどこだと。私は王女よ。手を出せば、不敬罪よ」
「うん。だから、手は出さない」
ミゼルは、にっこり笑った。一番こわいやつだ。
「クイズを出すね。あなたが本物の王女で、本物の勇者オタなら、答えられるはず。勇者レオの利き腕は?」
「……っ、み、右」
「左。剣を抜くのは左手。次。レオが寝るときの癖は?」
「し、知らな——」
「右の眉だけ、ちょっと上げて寝る。次。レオが照れたとき、最初にする仕草は?」
「そ、そんなこと、誰が——」
「鼻の頭をかく。あなた、一度も見たことないでしょ。私は本物を何百回も見ているの」
王女が、一歩後ずさった。
ミゼルは止まらなかった。レオの起床時刻、好物の三番目、左の奥歯の詰め物、寝言の頻度——俺すら知らない情報まで、よどみなく暗唱していく。というか、こいつはなんでこんなことまで知ってるんだ。こっちのほうがホラーだろ。
部屋の温度が、別の意味で下がっていくのを感じた。これはもう、勝負になっていない。
「そもそも、魔王を一体も倒してない人に『打ち倒した英雄様』だなんて。本物のファンは、絶対に言わないの。私は、まだ倒してないレオを、倒してないまま丸ごと好きなんだから」
「あなたの『好き』は付け焼き刃でしかない。私の『好き』は、たぶん、もう病気なの」
偽王女の顔から、王女の仮面が剥がれ落ちた。
「……こ、この女、化け物か……!」
そう叫んで、ようやく本性を現し、こちらに魔法を放ってきた。
そう。そうしてくれれば、もう「王女」じゃない。ただの、レオに手を出した虫ケラだ。
「やっと不敬罪じゃなくなったね」
ミゼルの結界が、その魔法をまっすぐ撥ね返した。
◇
偽者は、隣国の手の者だった。隣国は、魔王との戦争が続く限り、武器輸出と軍事支援で儲かっている。
しかし本物の勇者が本当に魔王を倒してしまうと、戦争特需が終わる。
だから「まだ倒す気のない勇者」を、過大評価して暗殺しに来た。そんな筋書きだったらしい。
「……俺、隣国にまでそんなに期待されてたのか」
「倒す気ないのにね」
「倒す気ないけどな」
本物の王女は、塔の一室で、無事に見つかった。無事すぎた。
「きゃああっ! 本物の勇者レオ様あ!? 左利きの! 魔王まだ倒してない! 寝るとき右眉上がるっていう、あの!」
本物は桁が違った。
ミゼルの笑顔が、音もなく抜け落ちた。
「……勇者くん。あれ、本物だ」
「みたいだな」
「偽者を倒したら、もっと重いのが出てきたんだけど」
俺は、何も言えなかった。世界には、ミゼルより重いものもたまにあるらしい。
国王には感謝され、舞踏会はどうにか丸く収まった。ミゼルは最後まで、俺のダンスカードを来世の分まで離さなかった。
——こうして今日も、王女は救われ、世界は少しだけ平和になり、魔王は倒されなかった。
魔王は今日も、自分の命を狙った勇者にはそもそも倒す気がなかったことも知らず、元気にしているらしい。




