第十話 勇者くん、王女殿下と文通してたの?
手紙は便利だ。
離れた相手に用件を伝えられるし、変に顔を合わせなくて済む。
ただし、差出人が王女で、隣にミゼルがいる場合、紙は火薬になることもある。
◇
その日、ギルドへ王城の使者が来た。
白い手袋をした若い文官で、胸元に王家の紋章を下げている。彼は受付のティナに一礼し、俺の前へ封筒を置いた。
「勇者レオ様。王女フィリア殿下より、お手紙です」
封筒は厚かった。手紙というより、もはや薄い枕のようだった。
横でミゼルが封筒を見た。そのまま流れるように俺を見た。
「勇者くん。王女殿下と文通なんてしてたの?」
「俺も今知った。別に文通なんてしてないぞ。王城へ任務報告を出したら、返事が来るだけだ」
「返事が来る関係を、人は文通って呼ぶんだよ」
「俺の返事は、だいたい『了解しました』だぞ」
「短い返事で相手を焦らすタイプだね」
「違う。勇者が王女殿下を狙ってるみたいな風聞はまずい」
ミゼルは封筒の厚みを指で測った。
「これ、何通目?」
「数えてない」
「数えられないくらい?」
「公式連絡も混ざるから数えてないだけだ。というか、王女殿下の方から送ってくるだけだ。返さないわけにもいかないだろ?」
「ふーん。公式連絡に王女殿下への私信を混ぜるんだ」
「それは王城の都合だ。俺の都合みたいに言うな」
「都合って便利な言葉だよね。嫉妬される側がよく使うと思う」
ティナが受付の書類を整理し始めた。明らかにいま整理する必要のない書類だった。
俺は封を切ると、中から便箋が大量に出てきた。
三枚目でミゼルの目が細くなり、十枚目で使者が目を逸らした。二十枚目まで数えたところで、ティナが小さく呟いた。
「多いですね」
「数えるな」
結局、便箋は全部で二十七枚あった。
一枚目には、流麗な字でこう書かれていた。
『勇者レオ様。先日の「慈愛の聖環」の件について、王城にも報告が届きました。やはり勇者様は勇者様ですね。
なお、以前いただいた報告書の「了解しました」の文字ですが、最後の「た」の払いが私には少し疲れて見えました。睡眠は足りていますか』
「怖いな。王女殿下の観察力が怖い」
俺は素直に言った。
使者が気まずそうに咳払いした。
「殿下は、勇者様のお体を大変案じておられます。左利きの剣士が疲労時に筆圧を落とす事例についても、王立図書館で――」
「そこまでする? あと、いくら王立図書館でも、そんな細かすぎる事例はないんじゃないか?」
「ご本人にお伝えください」
「使者が一番逃げるのがうまいな」
ミゼルの指が、便箋の端をとんと叩いた。
「勇者くん。用件はどこ?」
「今探している」
「二十七枚あるのに?」
「二十七枚もあるからだ」
王城の近況に始まり、俺の報告書への感想、最近使っている剣の握り方についての確認、以前の封蝋が少し斜めだったことへの心配、と続いていく。途中から読み物として面白くなってきたのが悔しい。
十六枚目で、文章の調子が変わった。
『今夜、南鐘塔へお一人でお越しください。王城内部に情報を漏らしている者がいる可能性があります。記録を残さず、他の者にも知らせぬようお願いいたします。王城の結界に関わる、危急の相談です』
そこだけ、やけに短かった。ほかの二十六枚と違って、用件だけが記してある。
俺が眉を寄せるより先に、ミゼルが便箋を取り上げた。
「これ、違うね。王女殿下が書いた文章じゃない」
使者の顔色が変わった。
「筆跡は、殿下のものに見えますが」
「字は似てるけど、この手紙は明らかに勇者くんに向けた感情を感じない。他の全ての手紙にはそれがあって、正直腹立たしいのだけど。この手紙は、勇者くんを人として見ないで、動かすための駒として書いてる。そんな印象を受ける。だから別の意味で腹が立つ」
「嫌な説得力だな」
ミゼルは便箋を光へ透かした。
「それに、よく見るとこれだけ花紋がない」
王女の便箋には、光に当てると端に小さな花の透かしが出るらしい。確かめると、ほかの二十六枚には全てあって、十六枚目にだけなかった。
「紙も偽物か」
「王家の透かしまでは真似してるけど、王女殿下が私信に使う花紋までは知らなかったみたい」
使者が封筒を両手で押さえた。
「文書塔では、殿下のお手紙と公式文書はまとめて封入します。途中で封を開けた形跡はありません」
「ならば、封をする前に混ぜられたか?」
俺は偽造された一枚を見た。
「城の中に、王女殿下の手紙へ触れられる人間がいる」
ティナの書類をめくる音が止まった。
書類の山が、さっきまでとは違って見えた。
◇
俺たちは、そのまま王城へ向かった。
案内された文書塔は、王城の東端に建つ細長い塔だった。
正式な命令書、軍の報告書、条約、税の記録。王国中の重要な書類が、ここを通って各地へ送られる。
入口では、数人の係官が慌ただしく書類を運んでいた。その中の一人が、俺たちを見るなり足を止めた。
痩せた若い男だった。文書塔の下級係官らしく灰色の上着を着ていて、右手の親指と人差し指が黒いインクで染まっていた。
「勇者様。何か問題がございましたか」
「王女殿下からの手紙に、偽物が一枚混じっていた」
男の視線が、一瞬だけ俺の手元へ向かう。
「それは、外部で差し替えられたのではありませんか。文書塔の封入作業で、異なる紙が混ざることはありません」
答えるのが早かった。使者が眉を寄せる。
「封筒には、開封された痕跡がありませんでした」
「魔術を使えば、封を傷つけずに開けることも可能かと」
「確認する前から、内部ではないと言い切るんだな」
俺が言うと、男はすぐに頭を下げた。
「失礼いたしました。文書塔の管理を疑われ、つい」
彼は書類の束を抱え直すと、塔の奥へ去っていった。
ミゼルがその背中を見る。
「今の人、偽物の話を聞いても紙を見たがらなかったね」
「ああ。自分の担当している場所で妙な紙が出たなら、普通はどこが違うのか確認したくなるものだが」
「勇者くんにしては、人を疑うのが早い」
「なんか、お前といるとな」
「私の影響みたいに言わないで」
王女フィリアは、文書塔上階の小部屋で待っていた。
上品なドレス姿だったが、机には便箋、封蝋、俺が過去に出した報告書の写しが積まれている。
王女の執務室というより、勇者資料室だった。
「レオ様、ミゼル様。ご足労をおかけして申し訳ありません」
フィリアは立ち上がり、深く頭を下げた。
「そして、先にお詫びします。お手紙が長くなりました」
「自覚はあるんですね」
ミゼルが言った。
「あります。削ろうとはしたのですが、どこを削ってよいのか分からなくなってしまって」
「全部残した結果が二十七枚ですか」
「今回は、かなり抑えました」
あれで抑えたのかよ。
フィリアは偽造ページを手に取り、目を通した。
「これは私が書いたものではありません。そもそも、私はレオ様を一人で呼び出しません」
フィリアはきっぱりと言った。
「理由は、危険ですから。まず、ミゼル様へ知らせずに呼び出した場合、その後のほうが危険です」
「ミゼルは王女殿下にまで危険物扱いされてるのか」
「適切な評価です」
ミゼルは少し満足そうだった。
「それから私は、危急の用件であれば短い手紙を送りません」
「そこも断言するのか」
「誤解のないよう、背景、想定される危険、推奨される装備、同行者、帰還予定時刻についても記載します。また、途中で紛失する可能性を考慮して、同じ文面を複数したためます」
「納得した」
フィリアは偽造ページを机へ置いた。
「犯人がレオ様を南鐘塔へ向かわせようとした理由には、心当たりがあります。明日の夜、文書塔に保管されている王都結界図の原本を、地下保管庫へ移す予定があります」
王都結界図は、城壁と街路の下に巡らされた魔法結界の構造を記したものだ。魔王軍はもちろん、盗賊や密輸組織といった裏社会に渡っても困る代物だ。
「移送の予定を知る者は?」
「王城内でも限られています。ただし、緊急時には予定を繰り上げる規定があります」
フィリアは机の引き出しから、命令書の見本を出した。
「火災や襲撃が発生した場合、現地の指揮官が移送命令を出せます。現在、王都にいる者の中では、レオ様にもその権限があります」
「俺の名前で偽の移送命令を作るつもりか」
「おそらく」
フィリアがうなずく。
「レオ様が城内にいれば、衛兵は直接ご本人へ確認できます。しかし、秘密の命令で南鐘塔へ向かったと周囲が思っていれば、確認が取れません」
「しかも、偽の手紙にはご丁寧に『他の者に知らせるな』と書いてある」
俺は偽造ページを指で弾いた。
「俺が消えても不自然に思われにくい状況を作りたかったわけだ。で、俺の名前を使って結界図を運び出す」
「なるほど。それなら筋は通るね」
ミゼルが言った。
「勇者くんを南へ捨てて、結界図を盗む」
「捨てるな」
フィリアが命令書の見本を見つめる。
「ですが、偽造が発覚した以上、明朝には封入記録の監査を始めなければなりません」
「犯人も、今夜を逃せば調べられると分かっているか」
「犯人が、文書塔の係官であれば」
「なら、動くとしたら今夜だな」
俺は偽造ページを机へ戻した。
「城内には、この紙が王女殿下の緊急用便箋だったと説明する。俺は指示どおり、一人で南鐘塔へ向かったことにしよう」
「レオ様」
「城内には、俺が偽の呼び出しに従ったと知らせる。犯人が本当に俺の不在を待っているなら、動くはずだ」
ミゼルが俺を見る。
「実際には?」
「文書塔の中で待つ」
「珍しく一人で行かない計画だね」
「まあ、前の事件で学んだからな」
「偉いよ、勇者くん」
「王女殿下の前で褒めるな。全部記録されるからな」
フィリアはすでにペンを持っていた。
「日々の些細な出来事も記録するのが王族の務めではありますが、今は記録しません」
「今は、という言葉には不穏しか感じないぞ」
フィリアは少し考えてから、真面目に答えた。
「事件解決後に、記憶を整理して記録いたします」
「安心させる気がないな」
◇
日が暮れる頃、俺が一人で南鐘塔へ向かったという情報が、文書塔の係官たちへ伝えられた。
俺とミゼルは、王都結界図が保管された部屋の奥に隠れた。
作戦を知っているのは、フィリアと文書塔長、それから入口を守る衛兵二人だけだ。
壁一面の棚に古い条約、戦時記録、結界図の写し、封蝋台帳が並んでいて、紙の匂いが濃い。
やがて、鐘が九つ鳴った。直後に塔の下で騒ぎが起きた。
「火だ!」
「封蝋庫から煙が!」
文書塔長とは、本当に出火した場合、塔の警鐘を三度鳴らすと決めていた。
だが、警鐘は鳴らない。煙で非常事態を装っているらしい。
廊下を走る足音が近づく。すぐに保管室の扉が開いた。
入ってきたのは、昼間の若い係官だった。
名前はガイルというらしい。
手には赤い封蝋の押された命令書を持ち、後ろには書類を運ぶための小さな台車を引いていた。
「緊急命令です。封蝋庫で出火。結界図の原本を、西地下庫へ移送します」
衛兵の一人が命令書を受け取る。
「発令者は?」
「勇者レオ様です。南鐘塔から伝令が届きました」
「勇者様は、王女殿下と秘密の協議中では?」
「その協議で、文書塔が狙われていることが判明したそうです。ご本人は南鐘塔を離れられません」
こちらが用意した筋書きに、よく出来た嘘を重ねている。
衛兵が命令書を開く。
『文書塔に火災の恐れあり。
王都結界図原本を、直ちに西地下庫へ移送されたし。
確認のための伝令は不要。
勇者レオ』
俺は暗がりから文字を見た。
「ずいぶん丁寧な俺だな」
ガイルの肩が跳ねた。俺は棚の陰から出る。
その横へ、ミゼルも続いた。
「レ、レオ様は南鐘塔にいるはずでは」
「そういうことになっていたな」
俺は衛兵から命令書を受け取り、ミゼルへ渡した。
「どうだ」
ミゼルは紙へ指を置いた。
「勇者くんが、この命令を書いたなら、最初に『怪我をするな』って入れるし、『移送されたし』なんて気取った言い回しはしない」
「褒められてるのか馬鹿にされてるのかわからんな」
衛兵の一人がうなずいた。
「確かに、以前の避難命令には『怪我するなよ』と記載がありました」
「うわ、記録されていたのか」
「勇者様の命令書ですので」
俺の知らないところで、文章の癖が蓄積されている。
ミゼルはさらに紙を光へかざした。
「封蝋も偽物。赤い蝋の中に、黒い粉が混ざってる」
ガイルの顔から表情が消えた。衛兵が剣へ手をかける。
「ガイル係官。黒幕と、結界図の引き渡し先をお聞かせください」
ガイルは一歩下がり、右手を上着の内側へ入れて黒い封筒を取り出した。封筒の口から数枚の紙が飛び出し、空中で折れ曲がって黒い刃へ変わる。
「下がれ!」
俺は衛兵の前へ出て、紙刃を二枚まとめて鞘で叩き落とした。残りが左右から回り込もうとしたが、黒紫の糸が空中を走り、まとめて絡め取った。
「偽造した紙に、自分の魔力を入れすぎ」
ミゼルが指を握ると、紙刃はその場でくしゃりと潰れて床へ落ちた。
ガイルが扉へ走る。俺は床を蹴って二歩で追いつき、右手首を掴んで、逃げようとする身体を近くの机へ押さえつけた。
机が鈍い音を立てた。王城の備品なので、壊さない努力はした。
「結界図を誰に渡すつもりだった?」
「知らない。私は命令されただけだ」
「嘘ね」
ミゼルが即答した。
床に落ちた黒い封筒を、杖の先で示す。
「その封筒のインクと、あなたの指についているインクが同じ匂い。薄くではあるけど特殊な魔力を纏ってたから最初から気になっていた。命令されて渡されただけならそんなふうにはならない」
ガイルの指が動きを止めた。
「それに、王女殿下の手紙へ偽造ページを入れられる人は限られてる。封入作業の担当表も、自分で書き換えたんでしょ」
ガイルの顔がこわばる。
「昼から気づいていたのか」
俺が聞くと、ミゼルは少し視線を逸らした。
「指のインクは気になってた」
「なぜ言わなかった?」
「勇者くんがいる前で、知らない男の指をずっと見てたって言いたくなかったから」
「事件より嫉妬を優先するな」
「ちゃんと捕まったからいいでしょ」
衛兵たちがガイルを拘束する。
ミゼルは黒い封筒を結界で包み、残っていた偽造紙の魔力を消した。
床には、俺の偽署名が入った命令書が何枚も落ちている。
「ずいぶん練習されたな、俺の名前」
「本物より丁寧ね」
ミゼルが言った。
「褒めてるのか」
「偽物としては」
「一番いらない評価だ」
◇
事件の後、文書塔の小部屋で事情の確認が行われた。ガイルは王城の機密を売買する組織と繋がっていて、移送予定を利用して結界図を持ち出し、城外の仲間へ渡すつもりだったらしい。
南鐘塔への偽手紙は、俺を王城から遠ざけるため。
煙の魔道具は、緊急移送を正当化するため。
偽の命令書は、結界図を堂々と外へ運ぶため。
魔王軍の名前も取引先の候補にあった。恐ろしい話だ。
フィリアは偽造ページを机に置き、ミゼルへ頭を下げた。
「私の手紙が悪用されたことは悔しいですが、見抜いてくださりありがとうございました。ミゼル様」
「王女殿下の手紙が重すぎたからです」
「それは、褒めていただいているのでしょうか」
「偽造対策としてですよ」
俺が答えると、ミゼルに足を踏まれた。
軽くだ。たぶん。
「今後、同じことが起きないよう、封蝋の規則を変更します」
フィリアは三つの封蝋見本を並べた。
「通常の公式文書は白。危急の召集は赤。そして、レオ様へ単独行動を求める文書は、すべて無効とします。この規則も悪用されかねないので、三人の秘密ですよ?」
「俺だけ特別規定が増えた」
「必要性が証明されましたので」
フィリアは、赤い封蝋の横へ細い黒紫の糸を置いた。
「ミゼル様の同行が必要な場合には、この糸を封へ巻きます」
「私の色を王城の規則へ入れないでください」
「ですが、本日の事件ではミゼル様による確認が最も有効でした」
「有効だったことを公的に認められるのが嫌です」
そう言いながら、ミゼルは封蝋見本を手に取った。
表を見て、裏返し、光へ透かす。
「気に入っているのか」
「偽造対策の確認」
「三度目だぞ」
「一度目は色。二度目は結び方。三度目は魔力の残り方」
「一度で全部見られただろ」
「うるさい」
フィリアが新しい便箋を取り出した。
嫌な予感がした。
「では、今回のお礼状を」
「今書くんですか」
「はい。忘れないうちに」
「事件が終わった瞬間に手紙が増えていくな」
「ご安心ください。今後は、なるべく簡潔にいたします」
フィリアはそう言って、便箋の上へ丁寧に筆を置いた。
ミゼルが警戒する。
「簡潔って、何枚ですか?」
「二十三枚を目標にします」
「……目標が低くないですか?」
「二十七枚よりは少ないですよ」
フィリアは真面目だった。
その後、本当に手紙は二十三枚で届いた。四枚減った。たぶん、進歩と呼んでいいのだと思う。
――こうして今日も、王城の封蝋には妙な規則が増え、勇者宛ての偽手紙は熱量の不足で見破られ、世界は救われなかった。
魔王は今日も、勇者を呼び出す偽手紙が、王女の重さと魔女の嫉妬に負けたことも知らず、元気にしているらしい。




