第十一話 勇者くん、温泉で混浴を期待した?
俺は勇者だ。
疲れた時は休むべきだと、最近ようやく学んできた。
ただし、ミゼルと温泉へ行く時は、休む前に細やかな弁明が必要になる。
◇
きっかけはギルドの報酬だった。
このところ立て続けだった大仕事の礼にと、温泉宿の招待券が届いた。アステルベル北区にある「白灯の湯」。古い湯治場を改装した施設で、どうやら疲労回復に効くらしい。
ティナは受付越しに、招待券を二枚差し出した。
「レオさん、ミゼルさん。ギルドからのお礼です。最近、大きな依頼が続いていましたから」
「温泉か。ちょうどいいな。たまには休むのも仕事のうちだ。思えば仕事詰めの毎日だったしな。魔王討伐にも体調管理は必要だし」
「勇者くん、今、温泉をすごく正当化してるね。いつもよりなんか雄弁だし。こんなに必死に正当化する時は、だいたい裏に何かあるよね」
横でミゼルが、招待券ではなく俺の顔を見た。
「二枚。同じ宿で、同じ施設で、湯も同じ?」
「俺とお前の分だな。湯は男女別だと思う」
「思う、なんだ。勇者くん、温泉で何を期待してるの? 普段より背筋が十度くらい伸びてるよ」
「姿勢まで証拠にするな。背筋が伸びてるのは健康志向だ。それに俺はただ休みたいだけだ」
「私は状況証拠を大切にする魔女だから」
「冤罪も大切にしそうだな」
ティナが小さく咳払いした。
「白灯の湯は男女別です。ただ、古い湯治場なので、家族湯や療養用の貸切湯もあるそうです」
「家族湯」
ミゼルが俺を見た。
「今、家族って言葉に反応した?」
「してない。ティナの説明を聞いていただけだし、家族湯という言葉でふざけるのは違うだろ」
「そういう真面目さを急に出すしてくると、逆にこっちが変に意識するからやめて」
「俺はどうすればいいんだ。難易度が高い」
尋問はたっぷりあった。
あったのだが、ミゼルは招待券を、丁寧に懐へしまっいた。
出発の朝には、彼女の荷物がいつもより一つ増えていた。聞けばたぶん、これは監視道具だと言い張られるだろう。たぶん本当に監視道具ではあるだろうし。
◇
白灯の湯は、街の北端にあった。
石造りの門をくぐると、中庭に白い灯籠が並び、湯気が細く上がっている。硫黄とも薬草とも違う、乾いた石の匂いがした。
迎えてくれたのは、女将のユイナという女性だった。だった。落ち着いた物腰の女性で、俺たちを見るなり深く頭を下げた。
「勇者レオ様、魔女ミゼル様。ようこそお越しくださいました。お二人には、街の皆が助けられていると聞いております。勇者様には、特別湯をご用意しました」
奥の湯気が、ぴたりと止まった気がした。
実際には止まっていない。俺の体感時間が極限まで圧縮されたように感じただけだ。ただ、横にいる魔女の気配が、湯気より濃くなったのは間違いなかった。
「特別湯」
ミゼルが静かに復唱した。ユイナは穏やかにうなずく。
「古くから湯治に使われている小さな湯です。強い魔力疲労を抜くためのものなので、ぜひ勇者様のような方に。お連れ様の付き添いも可能です。湯あみ着と、湯守の許可があれば」
ミゼルが俺を見た。
俺はまだ何もしていない。なのに、すでに犯行現場にいるような気分だった。
「付き添い可能だって。驚かないんだ」
「説明の段階で驚くと話が進まないだろ」
「ふーん」
その時、廊下の奥から叫び声が聞こえた。
「本当は長湯が嫌いなんだよ!」
続いて、別の声。
「夫婦湯とか言ってるけど、私は一人で静かに入りたい!」
さらに別の声。
「勇者様が来るなら宣伝に使えると思ってました!」
最後の声は、目の前にいるユイナだった。
本人も言ってから口を押さえた。
「……失礼いたしました。今のは本音ですが、ここで言う予定はありませんでした」
「予定外の本音ほど反応に困るな」
ミゼルがゆっくり宿の奥を見た。
「呪泉というやつだね。人が集まって、気が緩んで、服も鎧も外す場所だよ。呪いからしたら働きやすい環境だね」
「温泉にも呪いがあるのか。なんでこんなときに限って呪いなんか起きてるんだ。落ち着けなくて嫌だな」
◇
浴場は建物の東側にまとまっていた。
廊下を挟んで男湯と女湯。突き当たりに番台と休憩所があり、湯は帳場裏の源泉から一本の湯口で引かれている。人も湯気も、同じ廊下を通る作りだ。
異変の中心は大浴場だった。
湯船の中央に、白い石が沈んでいる。真湯石というらしい。言葉にできず抱え込んでいる疲れをくみ取り、本人が口にしやすい形へ整える魔道具で、本来は湯に浸かった人が少し素直になる程度のものだという。
今は違う。
湯気に触れた人間が、胸の奥にしまっていた言葉をそのまま吐き出している。しかも、あまり聞かれたくないものばかりを。
「部下の土産話が長い!」
「ずっと聞かされる師匠の武勇伝、四回目から全部同じ!」
「看板娘って呼ばれるけど、看板は私じゃなくて店先にある!」
俺は男湯側の廊下で、転びかけた老人を支えた。
「まず客を湯から出す。のぼせる前に」
俺が言うと、ユイナはすぐ従業員へ指示を飛ばした。
「湯あみ着と上掛けを。廊下の衝立も増やして。湯に戻ろうとする方は止めてください」
俺は男湯の入口に背を向けて立ち、逃げ場を作った。
湯気が廊下へ流れ出し、耳元で囁く。
言え。楽になれ。隠すから苦しいのだ。
「いい声で面倒なことを言うな」
湯気は俺の喉にも本音を要求してきていた。
温泉に来られて、少し楽しみだった。ミゼルと、何も起きずに休めたらいいと思っていた。特別湯と言われた時は、面倒なことになると思った。同時に、少しだけ、二人で静かな場所に行けるなら悪くないとも思っていた。
俺は口を閉じた。
今、全部言うと、それはそれで面倒なことになりそうだ。
衝立の向こうからミゼルの声がした。
「レオ。今、不自然に黙ったでしょ。湯気に影響を受けてるよね?」
「俺には黙秘権がある。正しい意味でな。というか、ミゼルは平気か?」
「平気じゃない。さっきから本音を喋らせようとしてくる。でも内容が多すぎて、湯気の方が困ってるみたい」
「湯気が困る本音って何だ。規模が怖いよ」
ユイナが真湯石の縁に膝をつき、顔を青くした。
「石にひびが入っています。昨日までは何ともなかったのですが、疲れを溜めたお客様が、今日は一度にたくさん来られて。……正直、勇者様訪問の噂もどこからか流れていたので、その影響もあったかもしれません」
「俺の噂の出所はともかく、溜め込んだ本音を石が処理しきれなくなったのか」
また湯気が膨らんだ。廊下にいた客の一人が、急に番台へ向かって歩き出す。
「今なら全部言える。ここの宿泊帳は字が小さすぎる!」
「それは後で言ってくれ。今は転ばず休憩所へ行くほうが先だぞ」
俺は客を支え、休憩所へ誘導した。
別の客が湯船へ戻ろうとする。言い足りないのだ。俺はその前に立った。
「湯は一度止める。言いたいことがあるなら、紙に書いてくれ」
「紙ではこの本音、とても足りない!」
「なら厚い紙にしろ。いま湯船に戻る理由にはならない」
我ながら雑な説得だったが、客は少し冷静になった。ユイナがすぐにメモを配り始めていた。
ミゼルは女湯側から真湯石を見ていた。
「この石は隠した本音に反応しているのも間違いないけど、よくよく分析するとこれは誇張された本音を作ってるね。魔力が感情を増幅させている。長湯が少し苦手、が『長湯なんて嫌いだ』になる。宣伝に使えたら嬉しい、が『勇者を広告塔にしたい』になる」
ユイナが耳まで赤くした。
「申し訳ありません」
「怒ってないです。商売としては自然なので。ただ、こんな誇張された言葉で無用なトラブルが起きると思うと気分が悪い」
その時、俺は妙なことに気づいた。
メモに本音を書き終えた客の周りだけ、湯気が薄くなっている。
内容を覗き込むと、さっきまで「宿泊帳の字が小さい!」と叫んでいた客の紙には、こうあった。
『宿泊帳の字を、もう一回り大きくしてほしい。老眼には辛い』
叫びだった文句が、紙の上では注文の形になっている。書き終えた客に湯気が寄っても、膨らまずにそのまま流れていった。
「ミゼル。本音を書き終えたやつには、湯気が効いてないみたいだぞ」
「……ほんとだ」
ミゼルは衝立の向こうで、少しの間黙った。それから、納得した声で言った。
「そういうことか。誇張というのは、本心と発した言葉の間にあるものなんだ。だから言いたいことを正確に言語化したら、そこには誇張が入り込む余地がない。だからこの石でも膨らませることができない」
「つまり、この湯気は気持ちが曖昧なほど餌食になるわけだ」
「そう。隠してるか、きれいにごまかしてるか。それらの人がいちばん危ないね」
ミゼルは杖の先を湯面に向けた。
黒紫の魔力が湯気に触れる。湯気は一瞬ほどけたが、すぐ別の形に膨らんだ。
今度は、俺の声に似ていた。
「ミゼルと特別湯に入りたい」
廊下の空気が固まった。
背中へ冷たい汗が流れる。温泉にいるはずなのに。
ミゼルが衝立の向こうでゆっくり息を吸う。
「勇者くん」
「俺じゃない。湯気が勝手に俺の声でそう言ったんだ」
「じゃあ、湯気はどこから今の言葉の材料を取ってきたのかな。誇張するにしても、少なくとも元になる芯がいるよね」
「誇張だ。さっきお前が言っただろ」
言い返しながら、分かっていた。
完全な嘘ではないからこうなる。混浴を期待したわけではない。そこは本当だ。ただ、二人で静かに休めたらいいと思ったのも、本当だった。
俺が黙っていると、湯気がまるで喜んだかのように膨らんでいく。隠した本音ほどこいつの餌になる。きれいにごまかすほど、この湯気に都合よく盛られていくことになる。
さっきの客の紙を思い出した。
あの、正確な本音の言葉だ。
なら、やることは一つだ。
俺は誰に言うでもなく、湯気に向かって口を開いた。決して否定しない。正確に、カッコつけない、あった気持ちだけ。
「訂正する。混浴は期待していない。特別湯に二人で入りたいと思ったこともない」
湯気が嬉しそうに揺れた。まだ本音が足りないのだ。この気持ちは、否定だけではないのだから。
「ただ、お前と温泉に来るのは、少し楽しみだった。お前が怒らずに休めて、俺も変な依頼を受けずに済んで、同じ宿で、何も壊れずに一日が終わればいいと思った。思っていたのは、それで全部だ」
湯気が、俺の周りで薄くなっていった。
今の言葉を誇張する場所を探して、見つからなかったらしい。
廊下の奥で、誰かが小さく「いい本音だ」と言った。やめろ。
ミゼルはしばらく黙っていた。
それから、低い声がした。
「……今のは、湯気に言わされたの?」
「いや。自分で言った。紙のやつらと同じ理屈だ」
「……そう。自分で」
声が、少しだけ揺れていた。怒りではない揺れ方だった。
「そういうのは、湯気に脅される前に言って。謝るところじゃない。いや、謝ってもいいけど、今は違う」
「善処より上を約束する。あとでもう一回、湯気なしで言うよ」
衝立の向こうで、小さく息を吐く音がした。
「なら、次は私の番」
ミゼルの魔力が強くなる。湯気の中に、細い黒紫の線が走った。
「この石は、本音と言葉の間に誇張する隙間がないと膨らませられない。つまり、盛れない、削れない、行き場のない本音を流し続けると、石は処理できずに逆流することになる」
「やめたほうがよさそうな説明だ。今の説明も、推測が大いに含まれてるだろ?」
「大丈夫。経験上、宿はたぶん崩壊しない」
ミゼルが真湯石へ手をかざした。
衝立の向こうなので姿は見えない。けれど声は聞こえる。
「私の本音はね」
湯気が彼女の声を拾おうと、ぐっと集まった。俺はとっさに客をさらに後ろへ下げた。これは避難が必要な気配だ。
「勇者くんには休んでほしい。怪我もしてほしくない。温泉で少し笑うくらいなら見たい。でも、私の知らないところで癒やされるのは嫌。特別湯に誰かが付き添うのも嫌。湯気が勇者くんの声を真似るのも嫌」
真湯石が、みしりと鳴った。
ミゼルは止まらない。
「それから、混浴を期待してないって言ったのは信じる。でも少し楽しみにしてたのは覚えた。私も、少しだけ楽しみにしてた。だから湯気が勝手に先に言うな」
湯気が逆流した。
本音を膨らませるはずの白い石が、逆に押し返されている。
量の問題ではない。あまりにも正確すぎるのだ。誇張なく、俺一人にだけに向けた本音を、石は誇張しようとして、手がかりを一つも見つけられずにいる。
真湯石のひびから白い光が漏れた。
ミゼルが叫ぶ。
「レオ、湯口の横の止水札! 湯気が戻った瞬間に貼って!」
俺は走った。湯船の縁は濡れている。こんなところで滑れば笑い話では済まない。踏み込む前に壁の手すりを掴み、重心を低くした。
湯気が顔に触れる。
言え。もっと言え。うるさい。俺は今、貼る仕事をしている。
止水札を湯口に叩きつける。ユイナが帳場から持ってきた古い札だ。魔力を吸った札が、ばちりと鳴った。同時にミゼルの魔法が真湯石を包み込む。
湯気が、すとんと落ちた。大浴場に静けさが戻る。
ただし、さっきまでの本音は戻ることはない。言ってしまったものは、言ってしまったのだから。
◇
騒動の後、白灯の湯は半日休業になった。
宿泊帳に書かれた字は一回り大きくなり、長湯が苦手な客向けに短時間湯の札ができて、湯口の横には「本音は小出しに」という注意書きが増えた。真湯石はしばらく封印されるという。宿としては、少し環境が良くなったらしい。
帰り際、ユイナが小さな木箱を帳場へ持ってきた。白い布で何重にも包まれている。割れた真湯石の欠片が入っているらしい。
「念のため、声を覚えた部分だけは別に封印しておきました。ただ、完全に静かになるまで少し時間が」
木箱の中から、ごく小さく俺の声がした。
「少し楽しみだった」
帳場が静かになった。
ミゼルがゆっくり木箱を見下ろす。
「今のは石だ」
「わかってる。でも、あんたの声で言われると石にも腹が立つ」
「石にも嫉妬するのか」
「そりゃするよ。勝手に声を借りてるんだから」
ミゼルは木箱の封印紐を一本増やした。黒紫の細い結び目が、箱の上でぎゅっと締まる。真湯石の欠片は、今度こそ喋らなくなった。
◇
帰り道、中庭の白い灯籠の下で、ミゼルが足を止めた。
「それで? 湯気なしの本音を、まだ聞いてないのだけど」
俺は少し考えた。考えた結果、正直に言うことにした。
「お前と来られて、楽しかった。この事件込みでも、来てよかったと思ってる。また来たい」
ミゼルは黙って歩き出した。
灯籠の明かりでも分かるくらい、耳が赤かった。
「……ん。合格」
「試験だったのか」
「二回目からは減点方式だから、覚えといて」
「採点基準を教えてくれ」
「教えない。それも込みで、私の楽しみ」
――こうして今日も、白灯の湯では本音を小出しにする作法が生まれ、勇者の声を真似た湯気は厳重に封印された。
魔王は今日も、勇者が温泉で本音の言い直しを求められたことも知らず、元気にしているらしい。




