35 さよなら、おかあさま
……決まってるじゃない、とおかあさまは答えた。しわがれた魔女のような声で。
「その子が邪魔だったからよ」
私が生まれてすぐおかあさまは思った。自分にはこの子を愛せない。
「そんなのおかしいわ。この子だって私がおなかを痛めて産んだ子なのに。だからモモラみたいに可愛がろうと努力したけど」
どうしてもできなかった。なにをやっても愛らしい姉とは反対に妹はなにをやっても気に障った。目障りだった。
こっちはこんなに鬱陶しがっているのにそいつはドレスにまとわりついてくる。ママ、ママ、と甘えてくる。そのたびに鳥肌が立って、
「死ねばいいと思った」
自分の目の届かないところで。自分に責任がないところで。消えてくれ、と。
「そんなときだった。うちに出入りしている宝石商が風変わりな指輪を持ってきたのよ。遺跡から発掘されたとかどうとか……向こうは多くは語らなかったけど、私はすぐにそれをどう使うべきか察したわ。これを使えば人間を呪える。ルルリに呪いをかけられるって」
そして。
おかあさまは、それを実行に移す。
「じわじわ弱って死んでくれればいいと思った……そうしたら自然死よ……私が罪に問われることはないもの……。
死んで、死んで、って毎日思ってた。なのにルルリは死ななかった……。ほんとうに目障りな子。死ぬこともうまくできないなんて」
「……おまえ」
憤ったようにオニキスがつぶやく。
「おまえ――ルルリをなんだと思ってるんだ。自分の子供相手にそんなことするなんて」
それに対するおかあさまの答えはシンプルだった。
「は?」と彼女は虚ろな目でオニキスを見返して。
「私が産んだ子供をどうしようが私の勝手でしょ?」
ざらついた声で、そう、言った。
「……あぁ、そうよ。私はがんばったわ。どっかの母親みたいに愛せないからって自分の子供を殺すようなことはしなかったもの。そんなの母親失格じゃない。私はちゃんとルルリも育ててあげたわ。何度もひっぱたいたけど殺しはしなかった。
私は立派な母親よ。褒められるべきでしょう。そうよね?」
部屋が沈黙で満ちる。
私は立っていられなくて、ぐらりとふらついて――それを隣にいたハニー・ビーが支えてくれた。彼女は私をぎゅっと抱きしめてくれる。
おかあさまが私のことを嫌いなのは知ってた。
でもここまでなんて。ここまでだったなんて。みんなうそよね? そうよね?
だって。
私は、まだ。
「……いいえ」
狂気をはらんだ沈黙を破ったのはおねえさまの声だった。
きれいな薄桃色のドレスに身を包んだ彼女は部屋に入ってきて、毅然とおかあさまの前に立つ。
「あなたは母親失格です、おかあさま」
「モモラ……?」
「我が子の死を願う親がどこにいるのですか。我が子に呪いをかける親がどこにいるのですか。あなたにルルリちゃんの母親を名乗る資格はありません。
そして、あなたがルルリちゃんの母親ではない以上私の母親でもありません。ルルリちゃんは私のたったひとりの妹ですから」
なに言ってるの、とおかあさまはひきつった笑顔を浮かべた。
「モモラちゃんはおかあさまの味方でしょう?」
「私はもう子供ではありません。善悪の判断くらい自分でつきます。
そして……おかあさま。いえ、ヒルダ・アイスフィアさま。私は今日限りであなたとは縁を切ります」
おかあさまは中途半端な笑顔のままで固まった。
それからおねえさまが言っていることの意味を理解したらしく、「どうして?」と言う。
「どうしてそんなこと言うの? おかあさま、モモラちゃんには優しくしてたじゃない。ドレスでもアクセサリーでもなんでも買ってあげたでしょう? お稽古もなんでもさせてあげたでしょう? たくさんたくさん愛してあげたでしょう?
縁を切るだなんて冗談よね。私はあなたのおかあさまよ。おかあさまなしでどうするの? 生きていけるわけ、」
「――ねえ、ルルリちゃん」
そこでおねえさまはくるりと私を振りかえった。名前を呼ばれて私は顔をあげる。
おねえさまはにっこりと微笑んだ。
「いまね、シンフィールド公爵家から養女にならないかって話をもちかけられてるの。よかったらルルリちゃんも一緒に行かない?」
まるでピクニックにでも誘うような口調だった。「え?」と私は問いかえす。
「実はもうシンフィールドさまにはお話してあるの。ルルリちゃんがカミラアカデミーに主席入学したことを伝えたら感動して是非にとおっしゃってたわ。
どう、いい考えでしょう? みなさんもそう思いません?」
おねえさまはハニー・ビーたちの顔を見まわす。
みんなはあっけに取られていたけれど、「そうね」とハニー・ビーが言ったのを皮切りにみんなうなずく。
「ルルリはこんなところにいちゃいけないわ」
「そうだね。公爵令嬢のほうが似合ってるよ」
「たしかに、天才錬金術師の卵を養子にするのは向こうにとっても悪い話じゃないだろうな」
「ま――待って」とおかあさまはおねえさまに言う。「養子? なんのこと?」
「話す前に倒れてしまったのです。まずだれから伝えるべきか迷ってたから、ちょうどよかったわ」
「おかあさまを置いていくの……?」
「……ええ。それがなにか?」
「いやぁああああっ!」
突然悲鳴をあげるとおかあさまはおねえさまのドレスの裾にすがりついた。コリンソンさんがぎょっとしたようにサーベルを引く。
「うそようそようそよ、そんなのうそ! モモラちゃんはおかあさまを捨てないわよね? モモラちゃんはいい子じゃない。冗談はやめて。モモラちゃんはそんな子じゃないわ。おかあさまとずっと一緒にいましょう? そして立派なおうちに嫁ぐの。男爵なんかじゃない、もっと格上の男に」
「…………」
「モモラちゃんは病気から治ったばかりだからそんなことを言うのよ。すこし休めばよくなるわ。さあベッドに入って寝ましょうね。おかあさまが子守唄をうたってあげるわ。あなたはね、昔はおかあさまがいないとぐずって寝ない子で」
「放してくださる?」
「……は?」
「聞こえませんでしたか?――放してくださる、と言ったのです」
おかあさまの指がドレスから外れ、裾がふわりと床に落ちる。
「さて、じゃあとりあえず王都まで連行しようか」とエメラさまがコリンソンさんに言った。
「夫はどうしますか」
「単独でやったように思えるけど……まあ話を聞く必要はあるだろうね。じゃ、夫が帰ってきたら一緒に連れていこう。――そういうことだけどいいかな」
問いかけは私とおねえさまに向けられたものだった。「お任せしますわ」とおねえさまは答えて、私の前にくる。
「……ごめんなさい。もっとはやくこうすればよかったのに」
「そんな……そんなこと」
「せめてあなたを連れて家をでるべきだった。いくら冷たくても実の親なんだから……いつか、おかあさまもわかってくれるって……」
私は首を横に振る。
おねえさまが謝る必要なんてない。おねえさまはずっと私を守ってくれていたのだから。
「モモラ、モモラぁああ……」
おかあさまが床に這いつくばって叫ぶ。
それにたいしておねえさまは何の感情も浮かべず、「ゆっくり話せるところに行きましょう」と私たちをうながした。
部屋をでる直前、私はおかあさまを振りかえった。
おかあさまは私を一切見ずにおねえさまの名前だけを泣きさけんでいた。まるで神さまに見捨てられたかのように。
きっとそれは大袈裟じゃない。
おかあさまにとっておねえさまは希望そのものだった。
自分とはちがう金髪に、神話の女神のように美しい顔立ち。そしてだれからも愛される性格。
おねえさまはおかあさまのすべてだったのだろう。
おかあさまの誤算はひとつ。
おねえさまにとって、私は大切な存在であることを見落としていたことだ。
きっとおねえさまに絶縁を言いわたされたことは死ぬよりもつらいはず。
でもおねえさまはそれを撤回することはない。けして。
……私はまだ、おかあさまに愛されたかった。
愛されたかったけど。
もう、捨てていいのよね?
母親だから。私を育ててくれたから。そんなふうに理由をつけて愛そうとしなくていいのよね? もう……。
立ちどまった私の肩をオニキスが無言で押す。
私は唇を引きむすび、黙っておねえさまのあとを追った。
――さよなら、私を愛してくれなかったおかあさま。




