34 アイスフィア家にて(2)
おねえさまの顔色は前に見たときより悪くなっていた。
土気色、というのか。麗しかったバラ色の頬は痛々しいほどにこけて骨の形が浮きだしている。
泣きそうになったけれど、そんなことをしている場合じゃない。あわてて部屋に入ってきたサリーにおねえさまの体を起こして支えてもらい、小瓶の中のエリクサーを飲ませる。
これでダメだったらもう私には思いつくものがない。
一瞬で小瓶は空になってしまい、私はおねえさまの唇からそれを離した。
……どうか効いて。
祈りながらおねえさまの顔を見つめる。
それは永遠のような時間だった。だれも身じろぎせずにおねえさまを見守る中、こち、こち、と時計の針だけが無情に進む。
――お願い。
――大事な、大事なおねえさまなの……!
どれくらい待ったのだろうか。
おねえさまに変化はなくて、……まさか、ダメだった? と目の前が真っ暗になったときだった。
こくり、とおねえさまの細い喉が動いた。
「あ――」
だれかが吐息を漏らす。それは私だったかもしれないし、ちがうだれかだったかもしれない。
おねえさまの喉が動いたと思った直後。
彼女の体が朝の光のように透きとおった輝きに包みこまれて――
その輝きが消えたとき。
おねえさまが、ゆっくり目を開いて私を見た。
「――ルルリちゃん……」
「おねえさま!」
痩せこけた体も顔色もすべてもどにもどっていた。元気だった頃のおねえさまと一緒。
「おねえさま――おねえさま……っ!」と私は彼女に抱きつく。
「よかっ……わた、私、おねえさまが、死んじゃうかもって、」
「……やだ。泣かないで、ルルリちゃん」
「だって……っ!」
おねえさまの胸で泣きじゃくる私を彼女は優しく抱きしめくれる。
「大丈夫よ。おねえさまはちゃんとここにいるからね」と言って頭をなでてくれた。
「おねえさまね、真っ暗でなにもないところに閉じこめられていたの。そこですこしずつ飢えていって、骸骨みたいに痩せていっちゃって……ああ、このまま死んじゃうんだ、って思ったときに声がしたのよ」
「声……?」
「ルルリちゃんが私を呼ぶ声。……ルルリちゃんが私を助けてくれたんでしょう?」
ありがとう、とおねえさまは涙声で言う。私は彼女の胸に顔を押しつけてうなずいた。うん、うん、と。
「おねえさま、おねえさまぁ……っ!」
「ああ、もう、そんなに泣かないの。かわいい顔が台無しじゃない」
そう言われても涙が次から次へとでてきてとまらなかった。
だって――私は。たったひとりのおねえさまを失うところだったのだから。
やがてサリーがハンカチを持ってきてくれる。私とおねえさまに。
私たちはそれでぐずぐずになった顔を拭いた。
「あら……、」とそこでおねえさまはみんなに気がついた。「ごめんなさい、こんな格好で」と寝間着姿なのを謝り、「ルルリちゃんのお友達ね?」と微笑みかける。
洟をすすっているのは私たちだけではなかった。ハニー・ビーは大粒の涙をハンカチで拭っているし、ピーターは「ハンカチ忘れちゃったからハニー・ビーの貸して」と言って「いやよ」と押しかえされているし、ダンテも目を赤くしている。
泣いていないのはオニキスくらいだった。
そっぽを向いていた彼は私の視線に気づき――なにか言いたそうな目で見てくる。
『ほんとうによかったんだな』
きっと、そう問いかけたかったのだろう。もう一度。
私は彼の目を見つめたままうなずきかえした。
――これでいいの。
――おねえさまが目を覚ましてくれたのだもの。最高のハッピーエンドよ。そうでしょう?
私は彼に微笑みかけようとして、ふと気がつく。……エメラさまがいない?
部屋を見まわすとエメラさまとコリンソンさんがどこにもいなかった。
いったいどこに、と思ったとき。
部屋の外からおかあさまの絶叫が聞こえてきた。
ぎゃああっ、とその獣のような悲鳴に私たちはぎょっとする。
一番はやく動いたのはオニキスだった。部屋を飛びだしていく彼にみんながつづく。私もおねえさまをサリーに任せて廊下にでた。
向かいにあるおかあさまの部屋のドアは開けはなされていた。私たちはそこへ急ぐ。
おかあさまは床に尻もちをついたような体勢で座りこみ、コリンソンさんにサーベルを突きつけられていた。エメラさまは引きだしが開いたドレッサーの前にいる。
「な、なにをされているのですか!」
おかあさまの危機に私は声をあげる。
コリンソンさんは私たちを一瞥すらしなかったけど、エメラさまが答えてくれた。場にそぐわない穏やかな声で。
「犯罪者を追いつめているところだよ」
「……えっ……」
「あると思ったんだよねえ、呪術具。ご婦人なら寝室、それもドレッサーに隠してると思ったけどあたりだったな。――コリンソン、犯罪者でも相手は貴族だ。丁重にね」
「努力いたします」
なにが起きているのかさっぱりわからない。
おかあさまが犯罪者? 呪術具を隠してた? どういうこと……?
ごめんね、とエメラさまが苦笑する。手には赤い石がはまった指輪があった。
「エリクサーが実際に効くところを見たいって言ったのはうそ。ほんとうはこっちが本命。だってさ、どう考えてもおかしいじゃない? マナがない人間なんて」
「え?」とハニー・ビーたちが不思議そうな顔をする。私はなにも言えなかった。
「でもね、呪いをかけられた結果マナが極度に下がってしまうことはあるんだよ。そしてそのまま衰弱して死んでしまう。もしかしたらルルリはその呪いをかけられているのかもしれないと思った。
けど、マナがないのに生きている人間なんていない。それどころかルルリはふつうに生活している。これはどういうことだろう?
僕は推測を立てた。もし生まれたときから呪いをかけられていたとしたら、その状態を通常のものとして受けいれたまま成長するんじゃないか? ってね。酸素の薄い高地で生活しているひとがそれに慣れてしまうように。
だとしたら犯人は決まっている。身内だ。すぐにここに乗りこんでもよかったけど、その前にひとつテストをすることにした。
ルルリに解呪の指輪を渡したらどうなるか、っていうテストを」
私は服の上から指輪をにぎりしめる。
これはマナが回復する指輪なんかじゃなかった。エメラさまの目的は私にかけられている呪いを弾いたらどうなるかというテストをすることだったのだ。
――その結果、
「ルルリにかけられた呪いはおねえさんに行ってしまった。ルルリさんの姉で、彼女の一番身近な存在だからだろう。だからモモラさんはマナがない状態になってしまったんだ。エリクサーの錬成がもうすこし遅れてたら危なかっただろうね」
「……おまえ、それをわかってて黙ってたのか」
「そうなる前に教えるつもりだったよ、もちろん」
彼をにらみつけるオニキスにエメラさまはそう返すけど、実際はどうだったのかわからない。
呪いをかけられた私じゃなく、おねえさまが命を落としたらさすがに犯人は平静ではいられないだろう。そこを問いつめるつもりだったのかも。
私に呪いをかけた犯人。おかあさま、を。
「どうして……?」
気がつくと私はつぶやいていた。サーベルの鋭い切っ先を突きつけられているおかあさまに。
「どうして、そんなことしたの……?」




