32 おねえさまの命か、自分の未来か
『宝玉』は天井から生えた真っ白い木のような石の先端になっていた。
なっていた、としか言えない。
逆さに生えた木のような石の枝の先に。無色透明のそれが果実のようにぶらさがっていたのだから。
——これが『宝玉』。
思っていた以上に小さい。私の小指の先端くらいだ。
前に採取されてから百年目だと骸骨は言っていたけど——それでたったこれだけしか採れないなんて。
……これだけでおねえさまを救うのに足りるだろうか?
足りると言ってもらわなければ困る。これでおねえさまを救える、と。
私は自分の目線よりすこし上にある『宝玉』に手を伸ばし、そっとひっぱった。音もなくそれは私の手中に収まる。
『宝玉』はひんやりとしている。不純物の一切ない、完璧な美しさに一瞬見とれた。
私は入り口で待っていたオニキスを振りかえってうなずく。念のため扉を押さえていてくれた彼は、私が外に出るのを待ってそこから手を離した。
扉はがちゃんと音を立てて閉じる。
オニキスが試しにドアノブに手をかけたけど、鍵は勝手にかかったみたいだ。
私たちは物言わぬ骨をすこしの間見つめ、どちらからともなく小部屋をあとにした。
——あの骸骨は『風の錬金術師』の中のブラック氏がモデルだろう。
彼が実在したのかどうか。それはもうわからないけど。
「で、どうして鍵が『親』だったんだ?」
ゆるやかな坂道を上りながらオニキスが尋ねてくる。さっきの解錠コードのことだ。
「ヒントは『風の錬金術師』だったでしょう?」
「ああ」
「その作者、スミス氏は双子の兄弟なの。そしてオルバート・スミスはふたりの共同ペンネーム。つまり……ふたりの存在が『二重』になっていると思っていい」
Alchemist of the Wind――Twins――Albert・Smith――
『風の錬金術師』に関連するワードを次々思いうかべていったとき、ピンときたのがこれだった。
Geminate。
この単語には、『宝玉』が含まれていたから。
「分解すると"Gem in ate"になる。そのまま訳すと"宝玉は食べた中に"。『風の錬金術師』で食べると言えば」
「……ブラック氏。彼は魔獣を食べるシリョウ一族だったな」
「そして彼は自分が食べた二体の魔獣に幼い子供がいたことを知って絶望して、それ以来魔獣は食べないと誓った。食べた中に幼い子供を持つ魔獣がいた……言いかえれば、ブラック氏が食べたのは『親』だった。だから答えは『親』ってこと」
私の解説を聞いてオニキスは黙る。
どうしたの、と聞くと「いや」と小さく首を振った。
「それをあの一瞬で考えたのか」
「う、うん。なんか閃いたっていうか」
「……そうか」
ハニー・ビーたちだったらすごいすごいって褒めてくれるかもしれない。
でもオニキスはリアクションが薄い。だからこのときもべつに期待してなかったけど――
彼は口元をジャケットの襟で隠すと。……のに、とつぶやいた。
「おまえにいいところ見せたかったのに」
私はきょとんとする。
「……え?」
「なんでもない」
「あ、ちょっと!」
彼は自分のほうのランプを消してしまう。
「どうせ一本道だ。外にでるまで節約したほうがいいだろ」と暗がりから声が聞こえてきた。
「もう……、」
まさかちょっとすねてる? なわけないか。
私は洞窟をでる前に『宝玉』をリュックの内ポケットに大切にしまった。
封印の呪術はどうしようもないけど、岩で入り口を同じように隠しておくことはできる。私たちは見ただけではわからないよう洞窟をふさいで、逸る気持ちを抑えて山を下りた。
地上に降りてなにげなく見上げた冬の星空は、怖いくらいに輝いて見えた――。
どうしてふたりだけで行ったのと怒るハニー・ビーとピーター、大袈裟なくらい心配してくるダンテに私は頭を下げて謝った。
そして約束する。これからはちゃんとみんなに相談するから、と。
ブライト先生に特別研究届――正当な理由が認められれば休んだ授業を出席扱いにしてもらえる――をだして、私はAクラスの工房でひとり錬金の準備に入る。
『宝玉』を使った薬。仮にエリクサーとでも名付けよう。『宝玉』以外の材料についてはハニー・ビーたちが調べてくれてあったし、材料も購買とレネ山ですべてそろう。
問題は調合の仕方だけど……これは基本にならって、すりつぶせるものはつぶして煮込めるものは煮込んで最後に不純物を取りのぞくしかないだろう。『宝玉』は物語のとおりに溶かす。
大丈夫。いままでに得た知識で対応できる。
私はそろえた材料をテーブルの上にならべ、まずマナ草を細かく刻みはじめた。
+++
『おねえさまみたいになりたかった』
いつか私はそう言った。まだ幼い頃。世の中には言っても仕方ないことがある、ということを知らなかった頃。
『どうして?』とおねえさまが尋ねてくる。
『だって、おねえさまはきれいだし。なんでもできるし。おかあさまたちだって、ルルリがおねえさまみたいならきっと……』
『…………』
『ねえ、おねえさま。おかあさまとおとうさまはルルリがおねえさまみたいじゃないからきらいなの? ルルリがルルリだから怒るの? なんで……?』
おねえさまは可憐なビスクドール。私は粗末な布の切れ端でできた人形。
同じ親から生まれてきたはずなのに。
妹の私はこんなに醜いから、おかあさまたちは私を憎むのだろう。
『……そんなこと言わないで』
『でも』
『ルルリちゃんはルルリちゃんでいいの。あなたは世界でたったひとりの私のかわいい妹よ。おかあさまたちが言うことなんて気にしちゃだめ』
『…………』
『おねえさまじゃふたりのかわりにはなれないけど、でも』
――おかあさまとおとうさまのぶんも、私はルルリちゃんを愛してるからね。
+++
薬の抽出には丸一日かかった。
あとは見ているだけ。だからオニキスたちがかわろうかと言ってくれたけど、私は抽出器を通って落ちる無色透明の雫から目を離したくなくて、ずっとイスに座っていた。仮眠をとることも食事をすることもなく。
ぽた、ぽた、と一定のリズムで雫が落ちる。
だれかの祈りみたいだ。それを見ていたとき、ふとそう思った。
二日目の昼にすべての薬液が抽出され、私はそれを小瓶に移す。
5mlあるかどうかだ。これだけで足りるだろうかと思うと不安だけど、でもやるしかない。
「終わったか?」
声をかけられて振りかえると、オニキスたちAクラスのみんながソファに座ってこちらを見守っていた。
授業は、と尋ねると「今日は日曜日よ」とハニー・ビーが教えてくれる。
「おねえさまのところに行くのよね?」
「ええ」
「僕たちもついていっていい? なんていうか……心配、だから」
おかあさまのことがあったからだろう。
みんなに迷惑はかけたくないけど——なにかあったら相談すると約束したばかりだ。
「お願い」と答えるとピーターたちの顔が明るくなった。
「僕、馬車呼んでもらってくる!」
「魔道具持っていったほうがいいかしら」
「やめろ、ルルリの家を焼く気か」
ちらりとオニキスが私に視線を送ってくる。
「すこし外の空気吸ってくるわね」と私は工房をでた。
外で待っているとオニキスがやってきて私の横にならぶ。
お疲れ、と彼はそっけなく——でもいたわるように——言ってきた。
「ありがとう。……オニキスがいなかったらここまでいかなかったわ。あなたのおかげよ」
「そんなことない」
「ううん、ほんとうに。あなたがいてくれてよかった」
彼は目を伏せる。そして声を低くして尋ねてきた。
「あれだけじゃひとりぶんにしかならない。そして、これを使ったら次は百年後だ」
「そうね」
「ほんとうに——いいんだな?」
エリクサーを飲めばきっと私のマナも治る。そうしたら後期の魔道具の試験で落とされて退学になることもない。
みんなと一緒に進級して、憧れの錬金術師に一歩近づくことができる。
「……うん、いいの」
でもそれはおねえさまの命と引き換えだ。
だったらそんなものいらない。おねえさまの命か私の未来かなんて、天秤にかけるまでもない。
おねえさまがたったひとりの妹として私を愛してくれたように。
私も、たったひとりの姉としておねえさまを愛しているから。
「エリクサーはおねえさまのために使うわ。
……短い間だけど、あらためてよろしくね」




